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蛇神譚 犬首村六道繪巻 ― 誰そ彼の契り ―  作者: 譚月遊生季
第零巡 蛇ノ章 ― 畜生道 ―

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第二十六話 契り

 床の上には虚ろな瞳で倒れ伏す刹鬼が残され、覚范の魔の手は蛇神へと伸びる。


「知っておるぞ。お主……おなごであろう?」


 柱に縛り付けられた身体は既に人の形を保てず、腰から下が長い蛇の尾と化していた。


「その形はのう、おなごの蛇だ。尾の伸び方でわかる」

「……(うぬ)の肉欲には、ほとほと呆れ果てたものよ」


 戒めを解かないまま、覚范の手が蛇神の長い白髪を、青白い頬を、鱗に覆われた首筋を、ぞっとするほど優しく撫ぜる。

 やめて。これ以上触らないで。――その声は、届かない。


「さて、儀を続けようではないか。愚僧が求むるは、その胎の内よ」

「……! まさか……(うぬ)は……!」

「この手でお主を神の座から引きずり堕とし……その胎から引きずり出した子を、新たな『神』とするのだ。わが傀儡(かいらい)としてな……!」


 ごつごつとした大きな手が、乱暴に着流しの胸元へと手をかける。

 見ていられなくなって、思わず目を逸らした。

 

「……お前さま……」


 私を案じるような、私に縋るようなか細い声が、胸を抉る。

 何もできないのに、見ていることしかできないのに、私の大切なものが次々に壊されていく。

 ただの蛇であるこの身では、どうすることもできない。


 どうにか小さな身体を這わせ、ほとんど一糸まとわぬ姿でぐったりと横たわる刹鬼の元へと走り寄った。

 首に、胸に、腹に、脚に……覚范に(もてあそ)ばれた証が、痕としてしっかりと残されている。

 異形の瞳は虚ろに閉じかけ、それでもまだ、奥には消えかけの闘志がわずかながらに灯っていた。


 浅い呼吸を繰り返し、刹鬼はボロボロの身体をどうにか奮い立たせようとする。……が、臓腑(ぞうふ)が傷ついているのか激しく喀血(かっけつ)し、再び冷たい床へと倒れ伏した。

 声をかけることも、助け起こすことも、私にはできない。


 泣き出しそうになりながら、髑髏の元に向かう。


「離せ……っ、離すのじゃ!」

「そう暴れるな。愚僧がより悦くなるだけぞ……!」

 

 背後から聞こえる蛇神の痛切な悲鳴と、覚范のおぞましい言葉。

 思わず耳を覆いたくなった。……けれど、耳を覆う手すら、今の私にはない。


 必死に髑髏の元にたどり着くと、ごろりと転がった生首が、私の前に立ちはだかった。

 骨になった側の顔しか見えず、気絶しているのか、動けないだけなのかよくわからない。

 どうにか運ぼうとするけれど、私の身体じゃ、彼の胴体に繋いであげることは不可能だ。


 どうしよう。

 どうしよう。

 何もできない。


 ぽろぽろと、両の眼から涙があふれる。

 私は、こんなにも無力だ。


「――退()け」


 その瞬間、低い声が上から降ってきた。

 髑髏の胴体が自分の首を拾い上げ、無理やりに胴体に繋げる。


「……糞ったれがよ……」


 髑髏は私のことなんか視界に入らないとばかりに横をすり抜け、倒れ伏す刹鬼の元へと歩み寄った。


「ど……くろ、の……」


 刹鬼の潰された喉が、声にならない吐息のような音で相棒の名を紡ぐ。

 その声を聞き、髑髏は見たこともないほど禍々(まがまが)しい表情で――ニタリと、嗤った。


「――殺す」


 地の底から響くような怨嗟に満ちた声が、本殿に響き渡る。

 地の果てから轟くような震動が、本殿の床に黒々とした大穴を穿(うが)つ。

 半ば朽ちかけたような、ボロボロの姿の「餓者髑髏(がしゃどくろ)」が、崩れそうな巨体をものともせずに這い出てくる。


「馬鹿な、もうそんな力は残っておらぬはず……!」


 覚范の呆然とした声は、即座に断末魔(だんまつま)へと塗り替わる。

 握り潰し、捻り潰し、叩き潰し――力を使い果たしたのか、「餓者髑髏」はがらがらと音を立てて崩れ去っていった。


「飢えたことがなきゃ、わからねぇよなあ……」


 髑髏はがくりと膝をつきながらも、その腕に、しっかりと刹鬼を抱え上げる。


「力なんぞ残ってなくても……腹の底から、ヒネり出すんだよ……!」


 虫けらのように潰された肉塊を睨みつけ、髑髏は震える骨の指で刹鬼の肩をかき抱く。

 肉塊はなおも蠢き、ぼこぼこと不気味な音を立てて再生を試みていた。


「……お前さま」


 名を呼ばれ、はっと振り返る。

 剥ぎ取られた衣服を無理やりにでも巻き付け、蛇神は半身蛇のまま、私の元に歩み寄ってきた。


「すまぬ……すべきことを(おこた)り、当然(きた)るべき危機を見逃したは、妾の(とが)じゃ」


 憔悴(しょうすい)した表情で、蛇神は私を包み込むように手を伸ばす。

 その手に飛び込むことしか、私にはできなかった。


「……皮肉なことじゃ。覚范の力は、妾に新たな『力の源』を与えた」


 蛇の形の下腹部が、白く(まばゆ)い光を放つ。

 力を持つ者同士の交わりが、神通力をさらに高めた、と……そういうことらしい。


「お前さま……本当は、蛇の姿は不満であったのじゃろう?」


 私に向け、蛇神はいたずらっぽく微笑む。

 そんなことない、楽しかった……と、伝えようとして、項垂(うなだ)れてしまう。


 あなたに撫でられるのも、肩に乗せてもらえるのも、懐に入れてもらうのも、嫌いじゃなかった。

 でも……

 本当は抱きしめたかった。今だって、震えながらも私に気遣うあなたを抱きしめて、背中を撫でたかった。辛かったね、よく頑張ったね……と、自分の声で伝えたかった。


「わらわはこの『(とき)』を壊し、新たな『巡り』を生む。さすれば――いずれ、望む結末が得られよう」


 眩い光が、蛇神を、私を、倒れた髑髏と刹鬼を、潰された覚范を、巫覡の皆を――本殿を、包み込む。


「どれほど途方もない話であろうと、構わぬ。わらわは、『神』として為すべきことを為さねばならぬ。……その上で……お前さまにも、幸せになって欲しいのじゃ」


 向けられた微笑みは、あまりにも優しく……それでいて、悲壮な覚悟に満ちていた。


「お前さま。わらわは――今度こそ、()()()()()()を忘れはせぬ」


 (ちぎ)り。

 その言葉が、私の遠い記憶を呼び起こす。


「――朱乃(あけの)


 蛇神が呼んだ名前に、間違いなく(おぼ)えがある。

「刻」が破壊され、「巡り」が始まる刹那(せつな)

 かつて「私」だった巫女の記憶が、おぼろげに浮かぶ――

 

「×××、お願い」


 あなたの名前が、思い出せない。


「この村を、守って」


 あなたの名前を、呼べない。

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