第二十五話 後悔
蛇神の眷属となって過ごす日々は、決して楽しくなかったわけじゃない。
ただの蛇には言葉も発せないし、手足もないから這って動くしかできないけれど、蛇神には言葉が通じるし、他の人たちも移動やら食事やらは手伝ってくれるし、悪い環境ではなかった。
「お前さま、本当は、もっと便利な身体にしてやれれば良かったのじゃが……」
なんて、蛇神は申し訳なさそうにしていたけれど、あなたに頭を撫でられるのも、肩に乗せてもらうのも、懐に入れて庭に連れて行ってもらうのも、嫌いじゃなかった。
もちろん、不便な身体ではあったし、不満がなかったわけじゃないけれど……本も一人じゃまともに読めないし、好きな時に好きな場所には行けないしね。
他の眷属とも話をしようとしたけれど、その子たちは私のように「人間の魂」を持っていたわけじゃないから、簡単な会話ぐらいしかできなかった。
「おかーさんやさしい! だいすき!」
「だいすき!」
「あ、やっぱり『お母さん』なんだ。……まあ、そうだよね」
「? ほかになにかあるの?」
「おかーさんは、おかーさんだよ?」
「たまに『お父さん』みたいな姿にもなってるから」
「うーん? わかんない。のぼったら、かたいときとやわらかいときはあるけど」
「やわらかいときのがすき!」
「……それは……まあ、分かるけど……」
……とまあ、こんな感じ。
蛇神と同じように、雌雄を気にしない純粋な「蛇」たちだった。
蛇神や眷属だけでなく、髑髏や刹鬼、社務所の巫覡たちも、優しくしてくれた。
もちろん、蛇神以外は他の眷属と私の区別がつくわけじゃないんだけど……それでも、他の子蛇たちと一緒に、ずいぶん可愛がってもらったと思う。
まあ、髑髏に関しては……
「おお、チビじゃねぇか。こっち来な。遊んでやるよ」
……と言いつつ胴体をわし掴んで、左側(私から見ると右側)の眼窩に収めようとしてくることもあったけどね。
刹鬼を驚かせようとしたらしいけれど、刹鬼の眼には通じない悪戯だったから、私が迷惑こうむっただけっていうね。
「あまり、悪さをするでない。か弱きものを甚振るは、恥ずべき行いぞ」
「悪ぃな。おれは刹鬼のが驚く顔を見たかったんだ」
「大丈夫か、眷属殿。髑髏のには、後でしかと言い聞かせておくゆえ」
「刹鬼の、聞いてるか?」
なんやかんやで、二人の仲の良さを見ているのは楽しかったし……本当に、あの日々に関しては、楽しかったって思える。
だからこそ。
だからこそ、間違ってしまったと――後悔したんだ。
***
その日は突然訪れた。
宮寺の結界が破られ、「外法僧正」――覚范入道が、地獄より解き放たれてしまった。
今思えば、巫覡の中に内通者がいたんだろう。
とはいえ、おりんさんは狼狽えていたから、その時は別の人だったのかな。
……おりんさんが三つ目の「巡り」で言っていた、「追放された友達」が、そうだったのかもしれない。
結界を破るほどの力を得た覚范に対し、社側に成す術はなかった。
立ち向かった巫覡は一瞬でなぎ倒され、髑髏と刹鬼の力でさえ、覚范を止めるには至らなかった。
本殿は宮寺の中のように燃え盛る地獄へと塗り替えられ、突き出た針の山に、巫覡たちが見せしめのように貫かれていた。
髑髏は壁に叩きつけられ、ピクリとも動かない。壁が凹むほどの力に曝された身体は力なく項垂れ、その脇で、胴体から落とされた首が本物の骸のようにごろりと転がっている。
蛇神は柱に縛り付けられ、身動きが取れていない。掠れた声で呻きながらも、その視線は心配そうに私の方へと向けられていた。
……が、覚范の蛮行が、私たちの視線を無理やり本殿の中央へと向けさせる。
覚范は、蛇神や眷属の朱い瞳に見せつけるかのように、刹鬼の緋い髪を掴んで床へと強かに打ち付けた。身に着けていた鎧は既に砕かれ、喪服を思わせるような黒い直垂ははだけさせられ、鍛えられた肉体があらわになっている。
赤黒い痣が、胸筋と腹筋の上に、凄まじい格闘の痕として残されていた。
「ふむ。なかなか美い男だ。悪くない」
覚范はにやにやと下卑た笑みを浮かべ、刹鬼の顎を掴んでその顔を覗き込む。
刹鬼は口の端から血を溢れさせて咳き込みながらも、どうにかその手から逃れようと、抵抗を続けていた。
「蛇神よ。お主を堕とす前に、余興と行こうではないか」
「……何を、する気じゃ」
忌々しいとばかりに、蛇神は覚范を睨みつける。
瘴気で編まれた鎖に戒められた身体は、いくら「神」とはいえ、あまりに無力だった。
「愚問よの。……のう、刹鬼武者よ」
痣だらけの肌を、血に濡れた指先がなぞる。
刹鬼は口からごぽりと血の塊を溢れさせ、異形の眼はそれでも闘志を絶やすことなく輝いていた。
「見よ。お主の忠実な武士は、今や虫のように地を這うて息をする外できぬわ」
再び覚范は刹鬼の髪を掴み、床へと打ち付ける。
「ぐぅ……っ」
「……まだ、折れぬか。やはり――悦い男よ」
「……っ、やめぬか……!」
蛇神の制止も空しく、業血を吸い続けた覚范の手が、刹鬼の首に伸びた。
「あ……が……っ」
ぎりぎりと絞め上げられ、刹鬼の表情が苦悶に歪む。
刹鬼は必死に黒い爪を伸ばし、覚范の腕を切り裂こうと――するが、届かない。見えない壁に阻まれるかのように、すり抜けてしまう。
「はは……っ、苦しいか! 好い好い、もっと足掻け。愚僧を愉しませるがよい……!」
覚范は片手で首を絞めたまま、もう片方の手を暴れる脚の方へと伸ばす。
厭な予感がした。
「この武者を嬲り尽くせば――次は、お主の番よ。しかと見ておれ」
「……ッ、この……外道が……!」
蛇神の叫びは、覚范の下卑た嗤いを煽るばかり。
……この場の誰一人として、外法僧正に抗う術を持たずにいた。
私は、見ていることしかできなかった。
文字通り手も足も出せず、声を上げることすらできず――
もう、後悔しても遅かった。
私は、「眷属」になるべきではなかったんだ。
この身体じゃなくても、役に立てたかどうかはわからない。……それでも。
見ていることしかできないなんて、あんまりだよ……




