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【完結】名前のない皇后 −記憶を失ったSubオメガはもう一度愛を知る− 【全年齢版】  作者: 社菘
第2章:平穏と過ち

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「ただ側にいてくれるのなら、それでいい。お前の指は俺に触れるためだけにあり、お前の瞳は俺を見つめるために、お前の声は俺の名前を呼ぶためだけにある。美しい髪も体も、俺だけが触れられる。お前は、俺のために生まれたんだ」


 ――……誰? どうして俺にそんなことを言うの? どうしてそんなに、愛おしそうな声で語りかけるの?


「愛しているから。……愛、なんてちっぽけな言葉では足りないほど、心から」


 ――愛してるなんて言われたことない。シャロンには言ったことがあるけれど、俺のことを愛している人なんていないはず。愛なんて、よく分からない。


「愛が分からなくなったら、俺を思い出してくれ。それをきっと“愛”と呼ぶんだ」


 エリアスがハッと目覚めると、今の今まで目の前にいた『誰か』はいなくなっていた。顔も声も何も覚えていないが、なぜか心が温かく感じる。それもそのはずで、エリアスの胸元には眠っているシャロンの頭が乗っていたのだ。


 ずっしりとした重みを感じながら天井を見つめ、誰かに愛されていた夢のことをぼんやりと考える。夢は願望の現れだと言うけれど、自分は愛に飢えているのだろうか。今まで誰かに愛を告げられる夢を見たことがなかったので、エリアスは新鮮な気持ちだった。


 たとえ夢や妄想であっても、誰かに『愛してる』と言われることがこんなにも心が温かくなる言葉だとは今まで知らなかったからだ。


「かかさま……?」

「シャロン、起こしちゃった?」

「んん……おなかすいたぁ……」

「そうだね。起きてご飯にしようか」

「うん……」


 シャロンを起こしてやっとエリアスが気がついたのは、ドアの隙間から香ってくるお腹が空いてしまうような匂いだ。エリアスは先ほど目を覚ましたばかりだし、シャロンはまだ小さいので料理なんてもってのほか。この家にいる人物でキッチンに立ちそうな人物といえば――


「おはよう、ヴラド。今日も体調は大丈夫?」

「ああ、おはよう。腕のいい医師のおかげで、体を動かしていないとキツイくらいだ」


 そう言いながら、ヴラドは小さく笑う。肩を回しながら「大丈夫だ」と言い、再びフライパンを動かし始めた。


「それならいいけど……でも、料理までしなくてもいいのに」

「自分のを用意するついでだ」


 優しい表情をしているヴラドの横顔を眺めていると、キッチンに立つヴラドを見つけたシャロンが目を輝かせながら駆けてきた。


「ととさまのごはんだ! たまごやいてください!」

「もう焼いてる。座ってかかさまと先に食べなさい」

「はーいっ!」


 ヴェルデシア村の河岸に倒れていた血だらけの謎の青年・ヴラドが来てから数週間が経とうとしていた。大量出血だった深い傷はエリアスとシャロンの高い治癒能力により処置をしたが、彼自身の治癒能力もあり今では少し傷が痛むくらいだと言う。


 最初はエリアスたちから疑われていたヴラドだが、村で過ごすようになってから少し変化が見られた。目覚めた時は手がつけられない狂った竜だと思ったものだが、今はその姿を潜めている。


 シャロンの面倒をよく見てくれたり診療所の手伝いだけではなく、村の住人に困ったことがあれば手伝っている姿を度々見るようになった。


 そして何より、忙しいエリアスに代わって食事を作ってくれることも多い。なぜか前から朝に弱いエリアスは、目覚めたらヴラドが朝食を用意してくれていることが段々と日常化してきた。


 シャロンもヴラドの料理を気に入っていて、残すことなくペロリと平らげるのでエリアスも驚いているほど。


「あ、このサンドイッチ、食べたことない味がする……」


 ヴラドが作る料理はシャロンの舌に合わせてくれているので、いつもマイルドな味のものが多い。ただ、エリアスが食べたサンドイッチは、少しだけ舌にピリッと辛味が走った。


「昨日マリアベルから香辛料をもらったからソースを作ってみた。大人用だけどな」

「シャロンは?」

「お前はいつもの美味いやつで妥協してくれ」

「だきょー?」

「ととさまの料理を美味しいって言いながら食べてくれたらいいってことだ」

「うんっ! きょうのごはんもおいしー!」

「ふ、そうか」


 エリアスはヴラドに完全に心を開いたわけではないし信頼もしたわけではないが、シャロンが『かかさま』『ととさま』と呼ぶので、お互いにその呼び名が定着しつつある。


 エリアスとしてはヴラドを『ととさま』と呼ぶのはまだ抵抗があるので出来る限り抗っているが、ヴラドはすっかり受け入れてしまった。シャロンに話す時は自分のことをととさまと呼び、エリアスのことはかかさまと呼ぶ。


 三人で食卓を囲んでいると次第に『家族のようだな』と思ってしまっている自分がいて、気づいた時には自分の太ももをぎゅっとつねって現実に引き戻している。ただ、ヴラドにはそんなことは全てお見通しのように、小さく笑うのでエリアスの心を乱している原因の一つだ。


「エリアス、今日の午前中は河岸のほうに行ってくる」


 ヴラドは壁にかかっていた外套を羽織り、村長から用意してもらった長靴を履きながらエリアスに話しかけた。


「何をしに?」

「流された武器を探しに。どこかに引っ掛かっているやもしれん」

「でも、何度も捜索したんでしょ?」


 目覚めてから何度かヴラドは自分が倒れていた河岸に武器や所持品の捜索に出かけていたが、一向に見つからないという。


「……見つけたいものがある。死んでも諦めきれないものが」

「そう……気をつけて」

「ととさま、シャロンもいく!」


 ヴラドが出かけると察知したシャロンが大きな背中に飛びつくと、ヴラドは軽々とシャロンを抱き上げた。


「お前は駄目だ。水は危険だから、かかさまと診療所にいなさい」

「えー!」

「お土産を持って帰ってこよう。何がいい?」

「んっと、じゃあ、このくらいのきれいな石!」

「分かった。必ず持ち帰ろう」


 どうやら所持品の中に大切なものが混ざっていたらしく、一人で捜索に行くことが増えたのだ。その帰りには必ずシャロンにお土産を持って帰ってくる。シャロンが頼んだ木の実や綺麗な石、川の魚など。


 医師としての気持ちはまだ無理をしてほしくないのだが、彼は動いていないと死んでしまう病にかかっているらしい。


「帰りに狩りをしてこよう。肉がいいか、魚か?」

「……どっちも」

「は、欲張りだな。いつか身を滅ぼすぞ」

「う。じゃあ魚……」

「冗談だ。両方獲ってこよう」


 シャロンにするようにくしゃりと頭を撫でられると、エリアスの頭から伝わったヴラドの熱が全身に広がった気がした。



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