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【完結】名前のない皇后 −記憶を失ったSubオメガはもう一度愛を知る− 【全年齢版】  作者: 社菘
第6章:記憶と選択

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 バルドの許可が出てからエリアスは崖の先に足を進めた。今はあの夢とは時期が違うが、崖に立って吹かれる風が異様に冷たく感じ、じりっと一歩後ずさった。


「かかさま、なにするの?」

「……大丈夫。アレクにぎゅーってしがみついてて」

「うん……」


 バルドはエリアスが落ちた後は竜の姿になって同じように崖下に飛び込むつもりなので、シャロンはアレクシスが抱きしめたまま顔を隠すことにした。


 どくんどくんと心臓が跳ねる音がダイレクトに耳の奥に響く。バルドのことを信じているが、エリアスは今からこの崖に身を投げようとしているのだ。


「カリーナ、思い切りやってくれ」

「こ、皇后陛下……」

「俺なら大丈夫だから。信じて」


 夢の中では侍女がエリアスの体を押していたので、青い顔をしているカリーナにその役目をお願いした。主を突き落とせなんて無茶なことを頼んでいる自覚はエリアスもバルドもあったが、カリーナは震えながらも頷いてくれた。


「……申し訳ありません、皇后陛下……っ!」


 夢と同じようにエリアスが引き返そうとした振り向きざま、カリーナから肩を押される。するとエリアスはバランスを崩して崖から足を踏み外し、風の抵抗を受けながら落下していく様子がスローモーションで見えた。


「(夢と同じ、だ……)」


 すごい勢いで落下しているだろうに、エリアスには全てがゆっくりとまるで時が止まっているかのようにも見える。不思議と恐怖は感じていなくて、この後は全身を水の中に叩きつけられて痛む背中のことをじわりと思い出した。


「(ちょっと待ってくれ。地上まであとどのくらい?)」


 エリアスの体感的にはそろそろ危機を察知したのだが『助けに行く』と言っていたバルドはまだ崖の上にいるように見える。彼を信じていたエリアスは瞬時にどっと汗をかき始め、スローモーションだった周りの中でトップスピードで落下する風を突然感じた。


「ば、バルド――っ!」


 聞こえていないかもしれないし自分がちゃんと声を出せているかも分からないが、エリアスはバルドの名前を叫んでみる。ただ急降下する体はそのまま、純白の竜が助けてくれることはなかった。


「――皇后陛下ッ」


 バルドではない声が聞こえたと思ったら、エリアスの体は青い竜の背中に乗っていた。大きな竜の背中に乗っていたのはエリアスだけではなく、ヴェルデシア村の村長・アイオンと、エリアスの診療所の手伝いをしてくれていたマリアベルがしっかりとエリアスの体を支えていたのだ。


「え、な、なんで……!?」


 青い竜はそのまま崖の上を目掛けて飛行し、バルドたちの前までエリアスを運んだ。バルドが助けに来ないと分かった時からエリアスの心臓は狂ったように脈打って、汗も止まらない。それなのにバルドは冷たい顔をしていて、エリアスが竜の背中から降りると青い竜がバルドに襲いかかった。


「ちょっと待って、エイデン……!」


 自分でもなぜ、エイデンの名前が出てきたのか分からない。青い竜が襲いかかるとバルドの体は純白の竜に変わり、大きな翼を広げて鋭い牙を剥き出しにしながら咆哮した。緋色の瞳が険しく細められると、青い竜は『皇帝』の風格に竜の姿のままひれ伏した。


「――申し訳ありません、皇帝陛下……」


 青い竜が人間の姿に戻ると、片膝をついて敬意を表しているエイデンの姿がエリアスの目に映る。そんなエイデンの態度を許したのかバルドも元の姿に戻り、エイデンを始めアイオンやマリアベルを見下ろした。


「怪しい動きをしているお前たちのことが見えたから、ギリギリまで待っていた。怖い思いをさせてすまなかった、エリアス」

「それはいい、けど……」


 なぜこの場にエイデンたちがいるのか何も理解ができず、カリーナに支えられているエリアスは呆然としていた。バルドは何かを分かっているのか厳しい顔をして三人を見つめていて、エイデンたちは気まずそうに俯いている。ちらりとエリアスを見たエイデンと目が合うと「申し訳ありませんでした、皇后陛下」と彼は謝罪した。


「何が何だか、全く分からないんだけど……?」

「実行犯はこいつらだ、エリアス」

「え……? いやいや、待って。だって村長たちだよ? あの村に昔からいる村長たちだってば!」

「ヴェルデシア村は“地図上から消された村”だと言っていたな。でもな、エリアス……消されたのではなく存在しない村なんだ、あそこは」


 ――バルドの言っている意味が本当に分からない。理解できない。


 ヴェルデシア村は元々は帝国に住んでいた行き場のない人たちの居場所で、存在を知られないようにひっそりと存在してきていた村。だからもしヴェルデシア村から出ていく人がいるならば、忘却魔法を使ってこの村の存在を外部に漏らさないようにしていた。


 半端者が集まる村なので帝国の地図から消された村だとエリアスは聞いていたのだが、バルドの話ではあの村の存在自体がないのだという。


 自分がおかしいのかバルドがおかしいのか。今のエリアスには何も分からず、ただただ目眩に襲われた。




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