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「違う、そんなことが言いたかったわけじゃなくて……ごめん」
「いや、お前の言いたいことは分かる。俺も急いてしまってすまなかった」
エリアスの頭をくしゃりと撫でて離れていこうとするバルドの服を咄嗟に掴む。引き止めるように掴んでしまったが、これからどうしたらいいのかエリアスは何も考えていなかった。
「……どうした?」
「えっと、あの……」
「気にしてないから、お前も気に病むな」
「ちょ、ちょっとは気にしてよ!」
変なことを言ってしまったとエリアスが口を塞いでも遅い。今のセリフはまるで『俺を意識してほしい』と言っているようなものだ。バルドも予想外の言葉だったのかきょとんとしていて、そんな彼を見てエリアスはぶわりと顔を真っ赤に染めた。
「待って、今のはちょっと、違うかも……!」
「……“今の”エリアスのことも、そういう対象として見ていいのか?」
「く、口が滑っただけだってば……!」
「お前の憎まれ口はわざとだと分かってるからな。今のエリアスに愛されるように努力しよう」
「そうじゃないのにっ」
「ふ、分かった分かった」
バルドを傷つけてしまったとヒヤヒヤしていたのに、そんなエリアスの心配をよそに彼は微笑んでいる。バルドが笑っているのならそれでもいいかと思いつつ、やはりとんでもない発言をしてしまったような気がしてエリアスは照れてしまった。
それなのにバルドの服を掴んだまま離せないのは、少なからずエリアスにも思うところがあるから。記憶を失くす前のエリアスもエリアスなのかもしれないが、バルドには『今』のエリアスを見てほしいのだ。
なぜそう思うのかは、まだよく分かっていないけれど。
それからすぐにシャロンとアレクシスがおやつのクッキーを持って執務室に帰ってきて、エリアスも仕事モードに頭の中を切り替えた。バルドも皇帝として目の前の問題に立ち向かい、二人であれやこれや仕事の話をする時間は意外と心地がよかった。
「お二人は……しっかりと話し合いができる関係だったのですね」
「え? どういうこと?」
「すみません、差し出がましいことを……」
「前は、俺の性格の問題のほうが大きかった。エリアスは皇后として皇帝や国を支えようとしてくれていたのに、話を聞かなかったのは俺だけだ」
「ああ、そういうことね。うーん、でも、話を聞く限りだと俺も相当頑固だったんじゃない? バルドも頑固だし、そりゃ衝突もするでしょ」
そう言ったエリアスに、バルドは少し驚いていた。だがすぐに、口元にニヤリと妖しい笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺の性格が丸くなったことに感謝するんだな」
「はー? それは俺のセリフですぅ。記憶がない俺に感謝するんだね」
「ととさまとかかさまはなかよしだねぇ」
言い合いをしているエリアスとバルドを見ながらシャロンがニコニコしていて、アレクシスも二人を微笑ましそうに見守っていた。
「そういえば、シャロンはどうしてバルドのことをととさまって呼ぶの?」
「やめろ、エリアス。父親は俺以外にいないんだから聞く必要もないだろ」
「そっ、うかもしれないけど……シャロンは倒れて運ばれてきたバルドを見た時から言ってるんだよ? 不思議だなと思って」
「だって、ととさまはととさまだもん!」
「もしかしたら遺伝子レベルで何か通ずるものがあるのかもな」
シャロンはエリアスとバルドの仲が良さそうな時はニコニコしていて、気まずそうにしていたら心配そうな顔をする。最初からバルドのことを父親だと認識していたシャロンの能力はやはり、皇族の証のようなものなのだろうか。
シャロンの能力を知ってもバルドは何も言わないので皇族の証というわけでもなさそうだが、シャロンの父親は本当にバルドなのかもしれない。
――いや、そうじゃないと困るけど……。
記憶がないにしても、エリアスは皇后で夫である皇帝はバルド。もしもこれで違う人との子供を身ごもったから失踪したのだとしたら、それはそれで今度は本気で殺されるだろう。
シャロンがバルドの子供であってほしいと願うと共に、バルドと『そういうこと』をしたのかと思うと勝手に顔が熱くなる。なんせ今のエリアスに性行為の記憶はほとんどないので、バルドとの行為も思い出せないのだ。
アベルとは違って細いだけの貧相な体をバルドに抱かれていたのかと思うと、恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちが交互にエリアスを襲う。そして、自分が乱れる姿をバルドが覚えているというのはある意味、自分の記憶が失われたままのほうがいいのかも、なんてエリアスは思えた。
「シャロンが寝ちゃったから、先に部屋に戻る」
「ああ。食事を部屋に運んでもらったらいい。俺もしばらくしたら戻るから」
「分かった。じゃあ、あとはよろしくお願いします、アレク」
「お任せください、皇后陛下」
皇帝の執務室は謁見の間などがある塔にあり、エリアスは眠ってしまったシャロンを抱えて皇帝と皇后の寝室がある塔へと足を進めた。
「――皇后陛下、ご機嫌よう」
――あと数歩踏み出せば、皇帝と皇后と許された者以外は入れない立ち入り禁止エリアだったのに。
声をかけられたのでエリアスが振り向くと、そこには美しい装いのアベルが人当たりの良さそうな笑みを浮かべてお辞儀していた。




