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「……王宮に帰ったとて、お前の記憶が戻るかは分からないんだぞ」
「それでも。このまま何も知らず、思い出さないまま生きていけない」
「本当に、お前は……」
バルドが額に手を当てて顔を歪めると、エリアスは服を引っ張ったまま「あんたの邪魔になる……?」と上目遣いで聞いてくるので言葉を飲み込んだ。
きっとエリアスは無意識なのだろうが、前からバルドに何か頼みがある時は砂糖を煮詰めたような甘ったるい声を出して上目遣いで強請ってくる。そんなことが思い出されて、バルドは再び大きなため息をついた。
「お前が俺の邪魔になるかと問われれば、それは違う。むしろ俺のほうがお前の――いや、やめておこう。王宮に戻るのであればそれなりに理由を考えないといけない」
「あの、シャロンも連れて行ける……? それは難しいと言われたら、俺は……」
「置いて行けるわけないだろ。そうだな……皇后は出産のために安全な場所に隔離していて、シャロンが3歳になったから帰ってきたとでも説明するか」
国民は皇后が誰なのか、そもそも本当にいるのかいないかすら分かっていないだろう。王宮にいた時もごく一部の者しかエリアスには近づけないようにしていたので、子供のために安全な場所にいたという言い訳のほうが受け入れられやすいかもしれない。
ただ、バルドが血眼になってエリアスを探していたことの説明が思いつかないのは厄介だ。この際、古代竜に取り憑かれていた、とでも話したほうが丸く収まるのではないかと考えた。嘘をつくことになるが、その嘘と流れた血の分だけこの身を帝国に捧げようと今なら強く誓える。
王宮に戻るからには、今まで血を流させた者たちの分まで償い、豊かな国にしていかなければならない。国民からの信頼を取り戻すのは容易では無いが、自分のやってきたことの精算は自分にしかできないのだ。
今度こそエリアスが側にいてくれるのなら――たとえ彼の記憶が戻ろうと戻らまいと、最後にはシャロンとこの村に戻ることをエリアスが決めたとしても、バルドはもう正しい道を歩んでいけるような気がした。
「本当に、俺たちが一緒について行っても大丈夫? バルドに不利になるとか、そういうことは……」
「心配するな。俺の評判はそもそも地に落ちているから、今更心配するようなことはない」
「地に落ちてるほうを心配してほしいけど」
「……これから回復していく。お前はとりあえず、シャロンと穏やかに暮らすことを考えておけ」
「あの……」
「なんだ?」
「名前、呼んでよ……」
「……は?」
「アレクシスさんと会ってから、俺のことずっと“お前”って……そんなに皇后である俺の名前は呼びたくないってこと?」
「そういうわけでは……」
バルドは完全に無意識だった。エリアスが不満そうな顔をしているのでガリガリと頭を掻き回し、エリアスの名前を呼ぼうとしたが言葉に詰まる。呼びたくないというわけではなく、呼んだらもう後戻りできないと思ったからだ。
「……エリアス」
「うん」
「エリアス・ストックデイル・アルバディア……」
バルドの手はいつの間にかエリアスの肩に触れていて、二人が結婚した日が思い出された。あの日もこうやってエリアスの細い肩に手を置いて、これからのエリアスの名前を呟いたあとに誓いの口付けをしたのだ。
白い衣装に身を包み、薄く化粧を施されてキラキラと光っているエリアスはこの世のものとは思えないほど美しく、その姿にバルドは二度目の恋に落ちた。
「……すごい、大層な名前をもらってたんだね、俺は」
「そうだな……皇后は皇帝と同じ名前になる。エリアスはアーノルト家の長男だったが、その名を捨てて俺を選んでくれた。……捨てさせた、といったほうが正しいかもしれないがな」
「俺が言ったの? バルドのせいで捨てたって」
「いや……言ってはいないが、そう思っていたかもしれない」
「じゃあ、決めつけないで」
「なに?」
「俺の気持ちを勝手に決めつけないで、バルド。前の俺がそう思っていたかどうか分からないから、そうだと思わないでほしい」
エリアスの言葉にバルドは思わず小さく笑った。
バルドは確かにエリアスを愛していたが、彼とはちゃんと話をしてこなかった。エリアスがどんなことを考えていたのか、どんな気持ちでいたのか、きちんと話を聞いて向き合っていたら今の状況も違ったかもしれない。
だからこれからは『エリアス』の言葉をきちんと聞こうと胸に誓った。
「……お前はいつも、俺を正しい道に戻してくれるな、エリアス」
「え?」
「お前とシャロンがいてくれたら、俺の世界はそれで十分だ……」
きょとんとしているエリアスの細い体を抱きしめる。突然のことにエリアスは驚いていたが、おずおずと背中に回された手から伝わる体温が愛おしかった。




