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「こちらがあればご帰還できますか、陛下」
「……まあ、そうだな」
「皇后陛下、こちらの指輪とほとんど同じ金色のものをお持ちではございませんか?」
「いや、そう言われても……」
エリアスの所持品は名前が刺繍されたハンカチだけだったと言っていたので、アレクシスが改めて聞いたとしても結果は分かりきっている。
外見も中身も確かに皇后のエリアスだと、前から知っている人たちは思うだろう。ただ、それを証明する指輪がない。エリアス自身に記憶があればまた話は違うのだが、今の状況ではどうにも彼を皇后だとは証明し難いのだ。
「シャロンの宝箱に入ってるのとおんなじだぁ!」
シャロンがアレクシスの手元を覗き込み、そう言った。シャロンの発言に周りは驚いたどころではなく、幻聴でも聞こえたように思えた。
「シャロンの宝箱に指輪があるの……?」
「うん! きれぇなゆびわ、あるよー!」
「……シャロン、それをととさまに見せてくれるか?」
「いいよ!」
シャロンはバルドの手を引き、一階奥の部屋に連れていく。そこは普段エリアスとシャロンが寝ている部屋で、クローゼットの中から古い小箱を取り出してきた。
「ほら、見てととさま!」
小箱の中には綺麗な石や、前は鮮やかに色づいていたのであろう形のいい葉っぱ、押し花などが入っている。それらを掻き分けた奥底に、それは眠っていた。
「……これは確かに、皇后の指輪だな。シャロン、これは誰からもらった? それとも拾ったのか?」
「んとねぇ、前にかかさまの中からでてきたの!」
「俺の中!?」
「かかさまが眠ってるときにでてきてね、シャロンが大事にしまってたんだよ!」
「そうか。偉かったな、シャロン。これはととさまにとっても大事な指輪なんだ……ととさまが預かってもいいか?」
「うん!」
「いい子だな」
一見、シャロンの話は突拍子も無いことかもしれない。バルドが『指輪がエリアスの中から出てきた』ことにさほど驚いていないのは、これがただの指輪ではなく違う用途で作られたものでもあるからだ。
「皇后の指輪には、命の危険を感じたときに宿主を護る古代魔法がかけられている。多分、エリアスが瀕死の状態だったのにシャロンと共に命が助かったのはこの指輪のおかげだろうな」
「ということは、つまり……俺は本当に、アルバディア帝国の皇后ってことですか?」
「……お前が覚えていなくても、そうだと言わざるを得ない状況だ」
「お二人とも無事であり、指輪も手元に揃っている――全ての条件が揃っているのですから、まずは王宮に帰還しましょう、陛下」
「待て、アレクシス。少しは気持ちを考えてやれ」
エリアスはヴラドが『バルド・ストックデイル・アルバディア』という事実も飲み込めていないだろうし、自分がその皇帝と結婚した皇后であることも受け入れられていないだろう。エリアスは難しい顔をしたまま俯いていて、ぎゅっと唇を噛み締めている。
そんなエリアスの足にしがみつき、心配そうに見上げているシャロン。今までエリアス一人でシャロンを育ててきて二人で暮らしてきたのに、突然『お前はこの国の皇后だ』と言われても困るのはバルドにも分かった。
「ヴラド……皇帝陛下と二人でお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
エリアスの言葉にバルドとアレクシスは顔を見合わせて頷き、アレクシスはシャロンを連れて部屋を出た。気まずく重い空気が部屋の中に流れ、バルドの手中にある二つの指輪がぶつかり合う鈍い音が響く。その音に反応するようにエリアスが顔を上げ、緑色の瞳がじっとバルドを見つめた。
「最初から、俺が皇后だと分かっていたんですか? だからあんなに……俺を殺そうとした?」
「……そうだな。結論から言えば、お前だと思って殺そうとした。些細な言い争いのあとに消えたお前を探していたのに、いつしか憎しみの対象になっていたから」
「今も、俺が皇后なら殺したいですか」
「いや。俺は、愛するお前にただ側にいてほしかった。再会したらもうどこにも行かせまいと……エリアスを、愛しているということだけを思い出した」
「……この、うなじの噛み跡は……」
「結婚初夜に俺が噛んだものだ」
うなじに触れているエリアスの顔が赤く染まる。「だからプレイのパートナーを……」と呟いて、その後の言葉は続かなかった。
「俺は、あなたと一緒に戻ったほうがいいですか」
「俺から戻ってこいとは言えない。思うところがあってお前が出て行ったのは事実だろうし、何か嫌な記憶を封じ込めたくて全てを忘れたのかもしれない。シャロンとこの村で過ごしているお前を見ると、それを捨ててまで王宮に帰ろうとは……俺には到底言えまい」
バルドは腕を組んだまま壁に体を預け、窓の外を眺めた。シャロンがアレクシスの手を引いて庭に出ていて、空にはあの日のように番の鳥が自由に飛んでいる。
こんなに穏やかな時間が流れているヴェルデシア村は、シャロンにとってもいい環境だろう。それはエリアスにとっても例外ではなく、記憶がないからこそ彼はこの場所で幸せに暮らしていくべきなのかもしれないと思えた。
「ヴラ……皇帝、陛下」
バルドが物思いに耽っていると、不意にシャツがくんっと引かれた。
「……バルドでいい。ヴラドは偽名だ」
「じゃあ、バルド様……?」
「敬称も敬語もやめてくれ。お前からそう呼ばれるのはあまり好きじゃなくなった。それに……エリアスのほうが俺より年上だしな」
「そうなの?」
「ああ。俺は今24、お前は26歳だ。逆算すると、シャロンを産んだのは23歳の時だろうな」
結婚したのはバルドが19歳、エリアスに初めて出会った年だ。その頃はエリアスも王宮勤めをし始めたばかりで、二人は顔見知りというわけではなかった。
だから昔は『バルド様』と呼ばれていたが、最近のエリアスとの近い距離感を好ましいとバルドは思っていた。自分で考えた『ヴラド』という偽名だが、エリアスから呼び捨てにされるのを羨ましいと思っていたほど。
「バルド……俺は、ちゃんと“自分”のことを見つけたい」
――昔から、変なところで頑固なんだ、お前は。
せっかく手放してやれると思っていたのに舞い戻ってきた番を、今度は本当に手放せる気がしないとバルドは深いため息をついた。




