4
「ヴラド? 大丈夫?」
エリアスの声に現実に引き戻されたバルドは「大丈夫だ」と短く返事をする。エリアスには『この村に俺が留まればいい』というような話もしていたが、彼のことを考えるなら手放してやったほうがいいという気持ちと、彼は自分の番だという気持ちがバルドの中で葛藤している。
一体、これからの自分はどうするべきなのか。
皇帝の指輪を見つけ、傷がついた三年の歴史に終止符を打ち真っ当な皇帝として生きていくか、はたまた誰も自分のことを知らない土地に旅をするか、『ヴラド』だと偽ったままエリアスたちと家族ごっこをつづけるか。
どの道を選んでも地獄であることに変わりはないなと、重くため息をついた。
「――皇帝陛下?」
河岸でピクニックをしていたバルドの背後からそんな声が聞こえ、村の騎士団から借りた剣を瞬時に引き抜いた。
「アレク……」
「ご、ご、ご無事だったのですね……っ! 陛下は絶対に生きていると、私は信じておりました!」
皇帝になる前からバルドの側にいた従者のアレクシスが、ボロボロの姿で森の中から現れたのだ。アレクシスはバルドの姿を確認し、涙を流しながら近寄ってくる。シャロンに危害を加えられないよう身を挺して守っているエリアスの前に、アレクシスから見えないようにバルドは立った。
「何日も何日も彷徨い続け、やっとこちらに辿り着きました……! あの時刺されたお怪我はどうされましたか!?」
「ああ……今はもう塞がった。よくここまで来られたな、アレクシス」
「当たり前ですッ! あなたまで失ったらアルバディア帝国は……」
「ととさま、そのひとだーれ?」
「……シャロン!」
今までその存在に気づいていなかったアレクシスは驚きに顔を上げ、バルドの後ろにいるエリアスとシャロンを見つけて目を見開いた。
口をあんぐりと開け、見開いた目をぱちぱちと瞬かせる。何も言葉が出てきません、というように驚いているアレクシスの呼吸が段々と荒くなっていき、顔から血の気が引いていった。
「こ、皇后陛下……」
「え?」
「皇后陛下がこんなところにいらっしゃるなんて、一体どういうことですか……?」
「皇后陛下……?」
アレクシスが取り乱すのも無理はない。なんせバルドも初めてエリアスと会った時は殺す勢いで掴みかかったものだ。
エリアスはエリアスで、アレクシスから言われた『皇后陛下』という言葉がどういう意味なのか分からずに呆けている。こちらも事情を把握していないのだから、当たり前だ。
「……皇后とは別人だ」
「はい!? いえ、どこからどう見てもエリアス皇后陛下です! 何年お仕えしたと思っているのですか、バルド様!」
「俺の皇后とは違う。そいつは指輪を持ってないんだ」
「そう言われましても……! 皇后陛下! エリアス様でございますよね!?」
「俺は、あの……っ」
「やめてやれ、アレク。一度落ち着いた場所で話をしよう。……エリアス、お前の家を貸してくれるか」
「それは、うん、もちろん……」
バルド自身、まさかアレクシスがここまで来るとは思っていなかった。ただ、いつかエリアスには自分の身分なども明かさないといけないと思っていたので、その時期が早まっただけ。
正直な気持ちとしてはまだエリアスと一緒にいたかったけれど、どうやらタイムリミットのようだ。
「あの時、刺されて崖から落ちた後の記憶はない。気がついたらこの村で助けられていたんだ。俺の怪我の処置をしてくれたのが、この村の医師であるエリアス。その息子のシャロンだ」
「……医師ということは、ある程度の治癒能力が?」
「ああ、そうだな」
「陛下、それでエリアス様ではないとおっしゃるのは無理があります。エリアス様はもともと宮廷医師……皇后になる前の役職で働いているだけではないですか」
アレクシスを連れてエリアスの家に戻ってくると、重い空気が流れた。バルドの説明にアレクシスはため息をつきながら頭を抱え、エリアスはバルドたちが何を言っているのか理解できなくて困った顔をしている。
記憶がないエリアスは、まさか自分が『皇后陛下』と呼ばれるなんて思ってもいなかっただろう。
「あの、俺……この村に来るより前の記憶がないんです」
「え……?」
「3年以上前のことは思い出せません、何一つ。自分の名前すら……」
「記憶喪失とは……失踪したことと関連性があるように思えます。陛下、一度皇后陛下と王宮に戻られてはいかがですか? 王宮で詳しく調べたほうが安全に思います。アルバディア帝国の皇帝と皇后がこのような場所に居続けるのは、危険のほうが大きいです」
「……皇帝の指輪を紛失した。いくらなんでも、あれがなければ帰れまい」
「指輪でしたら、陛下の落下地点で見つけました」
部下が優秀すぎるのも考えものだ。
アレクシスが懐から取り出した包みの中には正真正銘、白銀の指輪が入っていた。指輪があったことに安堵する気持ちと、これからどうしたらいいのかという困惑が一気にバルドを襲った。




