6話 危険な訪問者の正体
「け、け、警察に通報しますよ!」
カバンからスマホを取り出すと同時に、勢いよく後ろを振り返った。
逃げても結局捕まってしまうくらいなら、こちらから仕掛ける作戦だ。
振り返った先にいたのは、私が思わず見上げてしまうくらい高身長の人物。
夜の闇に覆われる中、その人はちょうど月明かりに淡く照らされ、より一層私の恐怖心を掻き立てる。
フードを深く被っているせいで、顔はよく見えない。
それどころか、性別さえも不明だ。
私より大きいであろう体格を見ると、おそらく男性だとは思う。
なにより目の前の人物との距離は、思ってた以上に近かった。振り返らなければ、腕をつかまれていたかもしれない。それほどの距離。
この人物は、いったい何者なのか――。
じりっと後ずさりしながら、目の前の相手を観察する。
まじまじと見ると、やはり明らかに怪しい。
全身真っ黒で、まるで夜の闇に紛れ込むために選んだかのような色合い。顔が見えないほど深く被られたフード。まさに典型的な怪しい人のイメージそのものだった。
息苦しくなって呼吸が浅くなる。私は今、思っていた以上に危ない状況なのかもしれない。
「警察に通報しますよ」この一言で逃げてくれると信じていた。それなのに、相手は一歩も動かない。それどころか微動だにせず、こちらをじっと見ている。
静かすぎるその姿が、逆に恐ろしい。私は賭けに負けてしまったのかもしれない。
そんな中、フードの人物がゆっくりと右手をポケットへと移動する。
――やばい、まさか武器とか!?
私は反射的に身を強ばらせた。
「……待ってください。なにも危害は加えません」
その声は思っていたよりも低い。だけど緊張感のない、妙にのんびりとした口調だった。
想像と違う展開に、状況が飲み込めずにまばたきをする。
「そ、そんなこと信じられない。つけてましたよね? け、警察に通報します」
虚勢を張りたいのに、どうしても声が震えてしまう。
「つけてはおりました」
「ほら……やっぱり」
早く。早く通報しないと。
そう思うのに、スマホを持つ手が震えて、うまくタッチできない。
「では……。これを見たら、信じてくれますか?」
低く落ち着いた声で淡々というと、ゆっくり被っていたフードを外した。
そしてあらわになったのは、ふわりと揺れる狐耳。
「その耳は……」
狐耳はひくひくと動いてて、つくりものには到底見えない。
人間とはどこか違う空気間は、いづなや灯牙さんと姿が重なる。
「私は、灯牙様の使いの者です。名を御先と申します」
淡々と自己紹介をすると、深々と頭を下げた。
「あなたも……あやかしってこと!?」
「左様でございます」
驚きと困惑が混ざりあって、口の中がカラカラに乾いていく。
まさか、灯牙さんといづな以外のあやかしに会うなんて、思ってもみなかった。情報量が多くて頭の整理が追い付かない。
灯牙さんの使いの者ということは、悪い人ではないだろう。
危害を加えられたりするわけではないとわかると、ようやく私の心臓も落ち着きを取り戻す。
「な、なんだ……てっきり、ストーカーとか、犯罪者だと」
ホッとした途端、身体の力がするりと抜け落ちた。
立つ気力を失って、ぺたんと尻もちをついてしまう。
「驚かせてしまって、申し訳ありません。そんなつもりは一切なかったのですが……」
慌てふためく姿を見て、悪意はなかったのだと思う。
だけど、本当にこわかった。
私の中で、人生でベスト3に入るくらいには、怖いできごとだった。
「芽衣様が、会社? とやらを、出られてから何度も声をかけようと、頑張ったのですが……」
一旦躊躇すると、私のことをちらりと見る。そして、言いにくそうに口を開いた。
「私、人見知りなもので、なかなか勇気が出なくて……」
なんと、だいぶ前から声をかけようと試行錯誤していたらしい。
私も考え込んでいたため、全く気づけなかった。
でも、まさか会社からつけられていただなんて……。
「本日は芽衣様とお話したく参りました」
「私と? いったいどうして?」
「灯牙様と、いづな様のことで、芽衣様にお伝えしたいことがあります」
ひどく神妙な顔つきでいうので、なんだか嫌な胸騒ぎがする。
それから私たちは、この場所では人目につくと思い、場所を移すことにした。
人通りの少ない裏道を選んで歩きながら、私は隣を歩く人物の横顔をちらりと盗み見る。
無言のまま、どこか険しい表情を浮かべているのが気にかかる。話の内容はきっと、軽いものではなさそうだ。そんな予感が足を重たくさせた。
たどり着いたのは、白狐神社の境内。
いづなと初めて出会った場所だ。
夜の神社に人影はなく、まるで時間が止まったように、静寂に包まれていた。
淡い灯りが、ぼんやりと境内を照らしている。その明かりの中、木々の影がゆらゆらと揺れていた。
あまりにも静かで、空気はどことなく張り詰めている。その張り詰めた空気が、これから告げられる何かを予感させ、私の胸の奥をぎゅっと締めつけた。
御先さんはしばらくの無言が続いたあと、胸の内を固めたように静かに口を開いた
「単刀直入に申しますね。灯牙様といづな様には、戻ってきていただきたいのです」
一瞬、息をのむ。だけど思ったほど、驚いていない自分がいた。
そうか。やっぱり、そういう話か。
こうなることを予感していたのかもしれない。まるで夢から覚めるように、心がスッと冷静になる。
「それは、灯牙さんがよくいう「向こう」というやつですか?」
深く息を吸って、できるだけ平静を装って問い返す。
「はい。その通りでございます」
「それはもちろん……」
大歓迎です。
そう言おうと、口まで出かかっていた。
けれど、どういうわけか言葉が声にならない。
喉の奥に何かが引っかかって、心の中がぐしゃりと形を失った。
あたりまえにあると思っていた日常。
ごはんを灯牙さんに教えながら作って、いづなが可愛らしく笑って。
それがもう、終わってしまうんだ……。そんな思いが、急に押し寄せてきた。
そう理解すると、目の奥がじんわり熱くなる。泣いてしまいそうで、代わりに無理やり愛想笑いを浮かべる
「どうして私に言うんですか? 私に聞かなくたっていいのに」
そんなことは、灯牙さんと話し合えばいいことだ。
私の許可なんて、きっと必要ない。
「芽衣様のことは灯牙様に聞いております。いづな様が芽衣様の作る、ズボラ?飯。とやらをお気に召したようで」
「ははっ。ズボラ飯って言うのは、誰でも簡単に作れる料理のことなんですけどね。いづなはとても気に入ってくれていて……」
言いながら、楽しかった日常の記憶が蘇ってくる。
腕を組みながら、その態度とは反対に真剣な顔で料理を教えてもらう灯牙さん。
みんなでテーブルを囲んで、いづなが笑顔で食べていた顔。おかわりをねだった、あの無邪気な声。
あたたかくて、楽しくて、自然と笑顔になっていた日常。
こんなにも早く終わりが来るとわかっていたなら、もっとたくさん作ってあげれば良かった。
「灯牙様には、帰ってきてほしい旨をお伝えしました。しかし、いづな様がどうやら帰りたくない様子ということで……」
「いづなが?」
「はい。芽衣様と離れたくないと、駄々をこねたとお聞きしました」
その瞬間、私の中でなにかが弾けた。
ひと筋の光が、暗闇に差し込んだような感覚。私はその光にすがるように、思わず声を上げていた。
「だったら……! もう少しこっちにいてはだめですか? だって、いづなが離れたくないと言ってるんですよね?」
自分でも驚くほど、迷いはなかった。突如見えた希望に、必死にしがみつくように顔をあげた。
だけどその願いは、あっけなく打ち砕かれる。御先さんは、険しい表情を崩さぬまま、静かに首を振った。
「いいえ。いづな様には、帰ってきてもらわねばなりません……」
「……そう、ですよね」
絞り出した声は、か細く震えていた。あまりにも頼りなくて、情けないほどに弱弱しい。
沈黙の中、御先さんはわずかに視線を落とし、何かを考えるような素振りを見せる。そして、重たくなった空気をゆっくりと切るように口を開いた。
「いづな様と、灯牙様を連れて帰ることが、私の役目でございます」
「……でも、」
淡々としたその言葉に、また胸の奥がずしりと重くなる
「離れたくない」そう言いかけて、すっと飲み込む。
私が拒否をしたところで、状況はなにも変わらない。
私だって、わかっているんだ。
私の思いなんて、どこにも入り込む余地はない。そんな現実を突きつけられた気がした。
そうわかってるのに。
それなのに、どうしても頭を縦に振れなかった。
「私が……離れたくないんです」
胸のうちに収めるつもりだった。
一度表に飛び出せば、気持ちの収集がつかなくなる。
「お願いです。もう少し。もう少しだけ一緒にいさせてください。そうだ。あと5品くらいズボラ飯を、灯牙さんに教えます。だから……」
自分でも驚くほどの早口だった。とにかく何かを差し出してでも、引き留めたくて。言葉の隙間に、焦りがにじむのがわかった。
けれど御先さんは、少し困ったような顔をして、ゆっくりと首を横に振った。
そして、悲しそうな目をしながら、静かに告げる。
「帰ってきてもらわねばなりません」
その声は淡々としていて、拒否を許さぬ響きがあった。
扉を閉じられる音が、胸の奥で響いたようだった。だけど「わかりました」その一言が、どうしても言えなかった。
「いつ……ですか?」
「明日の朝、お迎えにあがります」
「そんな、急すぎる」
「明日の朝でなければ、いけないのです」
御先さんの声は、表情ひとつ変えないまま。まるで決められた運命を読み上げるかのようだった。
もう言い返す気力も残っていなかった。私はただ、その場に立ち尽くす。
いつか別れが来ることはわかっていた。
心の片隅にはあったはずなのに、いつの日からか、私は考えないようにしていたんだ。
大切だと気づいた途端に、私の前からいなくなるだなんて。
心の準備も、なにもできていない。
それなのに、さよならはすぐそばまで来ていた。




