5話 変わった日常と危険な訪問者
あやかしの親子との不思議な共同生活が始まって、気がつけばもう数週間が経とうとしていた。
最初はズボラ飯を何品か教えたら、すぐに自分たちの世界に帰っていくのだと思っていた。
彼ら自身もそう言っていたし、私としてもそのくらいの関わりで終わるものだと考えていた。
だけど、その「いつか」が訪れる気配がない。
親子は当然のようにこの家に居座り、まるで昔からそこにいたかのように、自然に生活に溶け込んでいる。
私はそもそも誰かと暮らすなんて、考えたこともなかった。気楽な一人暮らしが性に合っていたし、誰にも干渉されないことを、心地が良いと思っていた。
いや、正確には「慣れてしまう」のかもしれない。気づけばあやかしの親子がいる生活が、日常の一部になりはじめていた。食事の時間には3人分の食器を用意して、出かけるときには無意識に「いってきます」と言っている。
洗濯物に混じる小さな靴下や、耳の形に沿った奇妙な帽子すら、もう当たり前の風景になっていた。
思っていた以上に不満がない。それどころか、穏やかに過ごせていることに、自分が一番驚いている。
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窓の外から、春風がカーテンをふわりと揺らした。春の陽気に浸りたいのに、家の中はすでに嵐が訪れていた。
いづなは朝から元気いっぱいで、「あしょぼ! あしょんでー!」とまとわりつく。
そんな遊んで攻撃を受け流しながら、私は片手でトーストをかじり、もう片手で化粧を済ませ、なんとか普段通りに家を出た。
電車に揺られながら、やっとため息が漏れる。変わっていないものといえば、仕事くらいかもしれない。
相変わらずデスクの上は書類が溜まっている。返さなければいけないメールも溜まっていて、休憩はギリギリできるかな。それほどの仕事量だ。そして残業もあたりまえにある。
私の社畜っぷりは変わらなかった。だけどほんの少しだけ、以前とは何かが違う。会社に向かう足取りが、少しだけ軽くなった気がするのだ。
「芽衣さん、今日のお昼もお弁当ですか?」
午前の仕事がひと段落して、昼休みに出ようと席を立つと、隣のデスクから笹山さんが顔を覗かせてきた。
「うん。今日もお弁当もってきてる」
「私もご一緒していいですか? 今日は作ってきました」
そう言って掲げたのは、小さな保冷バッグ。
色味も落ち着いていて、さすがはお洒落だなと思った。
ただ、笹山さんといえばいつもは社食か、外のカフェでランチを済ませるタイプだったはず。それなのに今日は手作りのお弁当らしい。どういう風の吹き回しだろう。
ちょっと意外だったけれど、誘われるのは案外悪くない。心の奥が浮つきながらも、フリースペースに移動した。
食べる場所に選んだのは、同じ階にある窓に面したカウンターのフリースペース。
見晴らしが良くて、一人の時もたまに利用する。
よかった。どうやら先客はいないらしい。
腰を下ろして、さっそく保冷バッグからお弁当を取り出した。
「芽衣さん、それ自作ですか? 最近お弁当多いですね?」
笹山さんは私のお弁当を見ると、驚いたのか目をぱちくりさせる。
「うん……作り置きしてるから、そのついでに……」
「ひぇー。すごい。私なんて全部冷食ですよ」
私に見せるよにお弁当の蓋を開けた。たしかに茶色の色味がほとんどを占めている。
「冷食美味しいよね。私も全然使うよ?」
「……でもお、この三色丼とか手作りじゃないですか」
大きな瞳を丸くしながら、じっとお弁当を覗き込んでいる。笹山さんのいうとおり、今日のお弁当は冷食は使わず手作りだった。挽肉と卵とほうれん草の三色丼。
とはいえ、昨日灯牙さんと一緒に作った余りを詰めてただけ。手間は一切かかってない。
「やっぱり! 彼氏できたんですね!?」
勢いよく顔を寄せられた。
なぜ「彼氏」という単語が出てきたのだろう。その単語は一文字も発していないのに。
「彼氏!? ないない。違うよ?」
「ふーん」
訂正すると、勘繰るように横目でみられる。
納得していないような顔だったけど、それ以上は追及してこなかった。
「あれ? なんですか。それ」
笹山さんが指さした先は、お弁当箱の側面。
言われて目を凝らすと、そこにはキラキラと輝きを放つキャラクターのシールが貼られていた。
こんな目立つシールを、会社用のお弁当箱に私が自分で貼ること絶対にない。
犯人は考えなくても、すぐに思い当たった。
いづなだ。もはや、いづなしか思い浮かばない。
そういえば、家を出るとき「ししっ」となにやら企んでいるように笑ってたっけ。
去り際のいづなの顔が、瞬時に思い浮かんだ。
「シール? そのキャラクターって今子供に人気のやつですよね」
「ああ、うん」
「芽衣さん、そんなポップな趣味ありましたっけ?」
「いや、私じゃないよ? いづながイタズラで……」
最後まで言い終える前にハッとして、言葉を飲み込む。
いづなのことを笹山さんは知らない。言うつもりもなかった。
完全に失言をしてしまった。
何も勘繰られませんように。そう思いながら、おそるおそる笹山さんに視線を送る。
「いづな? ま、まさか! 隠し子とかですか!?」
場違いなほど大きな声が周囲に響いて、思わず慌てて手を振って拒否の姿勢を示す。
「しっ、ちょっと声……! ボリューム下げて!」
「あ、すみません。つい驚いて」
「もう、声大きいんだから……」
「だって芽衣さんに隠し子いるなんて初耳です!」
「だから違うんだって……」
困ったな。彼らのことを誰かに話すつもりはなかった。
でも、何も言わなければ「隠し子疑惑」なんて変な噂を立てられかねない。それはもっと困る。
「……実はね、訳あって子供と一緒に暮らしてて」
「え! 彼氏どころか子供! もしかして、お相手がシングルファザーですか?」
笹山さんが、お弁当の箸を持ったまま食い気味に詰め寄ってくる。
その勢いに、こっちが箸を落としそうになる。
言われてみれば、たしかにシングルファザーという点については合ってると思う。
だけど、説明するのがややこしい。
彼氏じゃなくて、あやかし。それに子供付き。しかも家に住み着いてる。
そんな説明をしたところで、どう考えても無理がある。
なんて話せば、誤解を最小限に抑えられるだろうか。
私はおにぎりを一口かじりながら、必死に脳内で言葉を組み立てていた。
「なるほど……。芽衣さんが最近楽しそうな理由がわかりました」
「えっ、楽しそう?」
まだ何も説明していないのに。笹山さんは納得した様子で、うんうんと深く頷いている。
「以前は覇気は全くないし、口を開けば会社の文句と愚痴ばっかりだったじゃないですか」
なんともひどい言われようだが、否定はできなかった。
私は毎日のように仕事の愚痴をこぼしていたし、覇気なんてどこにもなかったと思う。ただ業務をこなして、溜息ばかりついて。気づけば一日が終わっているような生活だった。
「でも、なんだか最近は愚痴も減ったし、生き生きしてるんですよね」
「そう、なの……かな」
笹山さんの言葉に、返す言葉を探しながら振り返ってみた。
たしかに、最近はため息の数が減ったかもしれない。日々のあれこれに小さく笑ったり、誰かのために料理を考えたり。これまでなかった小さな感情の起伏が、生活の中に芽吹きはじめている。
「その子供と、シングルファザーのおかげってことかぁー」
なにやら気に食わない様子で、唇をとがらせて言う。
「プライベートが充実してるんですね?」
「そんなこと……」
「仕事が大変でも、他で癒しがあれば、人間頑張れるんですよ。きっと」
そう言われて、なんだか妙に納得してしまう。
私生活での変化かあ……。
考えてみると、思い当たることは一つしかない。
今頭に浮かんでいるのは、あやかしの親子の顔だけ。
以前の私は、朝が来ることに絶望を感じていた。
せわしなく仕事をして、あとは寝るために家に帰る。
そんな楽しみがないような毎日だった。
今も社畜なことには変わりない。何も変わっていないはずなのに、心のどこかがあたたかくなる瞬間がある。
それはきっと、あの二人のおかげだ。
突然やってきて、当たり前のように私の生活に入り込んで。
勝手に居座って、ちょっと困るくらい構って欲しそうにするし、決して平穏とは呼べない気がする。だけど、どこか愛おしくて。
そんなあやかしの親子が、私の日常を少しずつ、塗り替えてくれたのだと思う。
「でも、そうなのかも。いづなたちとご飯を食べたり、過ごす時間は楽しいんだよね」
改めてそう口にする。
今、毎日が充実しているとしたら、いづなと灯牙さんのおかげだ。そう胸を張っていえる。
「はあ~。いいなぁ。彼氏いいなあ~」
笹山さんは、口調に熱がこもってくる。
やはり彼氏のことを言っていると誤解しているみたいだ。これ以上よからぬ方向に話が広がる前に、どうにか誤解を解かないと。
「さっきも言ったけど、本当に彼氏じゃないよ! ただしばらく一緒に住んでるだけで」
「同棲してるんですか!? えー。まじかあ」
しまった、と内心どきりとして頭を抱える。
どうやらさらなる誤解を生んでしまったようだ。変に取り繕おうとしたせいで、返って逆効果だったかもしれない。
「同棲じゃなくて、訳あってね。しばらくの間だけだよ」
「彼氏でもない人たちが、しばらくの間って? いつまでですか?」
その鋭い指摘に、言葉が詰まる。
たしかにこの生活は、いつまでなんだろう。
最近は改めて考えることもなくなっていた。いづなと灯牙さんと過ごす日々は、あたりまえのように続いていく気がしていたんだ。
そう理解した途端、胸のあたりがずきっと痛むような感覚がした。
「そういうのって、なあなあになって、そのまま住み着くやつですよ? ちゃんといつまでって期間を決めないと」
「そうだ、ね……」
どうしても歯切れが悪くなる。
この生活に、終わりが来ることを再確認してしまった。
そして、そのことに私はひどく寂しさを感じている。
「質問責めしちゃってすみません。ちょっと気になっちゃって……。余計なお世話でしたね」
もしかすると、戸惑いが表情に出ていたのかもしれない。
笹山さんは、申し訳なさそうに顔を伏せた。
私の変化に気づいて、笹山さんなりに、心配してくれていたんだ。そう思ったら、胸がじんわりとあたたかくなる。それだけで、十分すぎるほど嬉しかった。
「余計なお世話なんかじゃないよ? ありがとね」
「……いえ。でも素直に羨ましいです」
「羨ましい?」
「幸せと思える瞬間って、なかなか貴重ですからねー」
そういって、にこりと笑う。
たしかに笹山さんの言う通りかもしれない。
こんなにも心が穏やかで満たされる感情は、久しぶりだったから。
「今日久しぶりにお弁当作ってみたんですけど、悪くないですね」
笹山さんは、もぐもぐと頬張りながら、どこか嬉しそうな顔をする。
「じゃあ、また一緒にお弁当食べようよ」
「うーん。週に一回……。いや、月に数回なら作れるかな?」
その言い方から笹山さんは、おそらく明日からは社食や外にランチに出かけることだろう。
だけど、またこうして話せたらいいな。そんな風に思った。
その日の帰り道。
笹山さんから言われた言葉が、ずっと頭の片隅に残っていた。「ずっと居座られちゃいますよ」そう言われて、全くイヤな気持ちにならなかった。
そもそも最初から期間限定だとわかっていた。それどころか、早くいなくなってほしいとさえ思っていたのだ。
なのに……。今はどうしようもなくこの生活が続いてほしい。
別れが来てしまう事実を、どうにか否定したかったのかもしれない。
考えれば考えるほど、心が次第に暗く沈んでいくのを感じる。
頭の中でぐるぐると考えながら、家までの道のりを歩いていた時だった。
ふと、違和感を感じて立ち止まる。気づけばさっきから、背後から足音がついてくるような気がしていた。しかも、その音はだんだんと近づいてきている。
ゾクリと背筋が冷たくなる。咄嗟にくるりと振り返った。
……あれ、誰もいない。
そこには誰もいなくて、静寂だけが広がっていた。
街灯に照らされた電柱の影だけが見える。きょろきょろと周囲を見回しても、人の気配はない。
なんだ、きっと私の気のせいだ。
心臓の高鳴りを落ち着けるように、そっと胸元に手を当てた。気を取り直して、また前を向いて歩き出す。
数歩進んだところで、また足音が聞こえる。
コツ、コツ、コツ。
一定のテンポを刻むその音が、やけに耳につく。
確かに、背後から誰かがついてきている。
あきらかにおかしい。
振り返った時は、誰もいなかったのに。
ぴたりと足を止めると、背後から聞こえる足音も止まった。
間違いない。誰かが私の動きに合わせている。
サーッと血の気が引いていくのがわかった。
喉が乾き、手のひらが汗でじっとりと湿っている。
逃げなきゃ。とにかくどこか人のいる場所へ。
そう考えている間も、背後から同じリズムで聞こえてくる足音。
恐怖から足がガクガクと震えてきた。踏み出す一歩に力が入らない。
大丈夫。何度もそう言い聞かせるけど、ちっとも大丈夫なんかじゃなかった。
なんとしてでも足を動かせ!
一刻も早く逃げないと!そう自分に言い聞かせる。
そう思うのに、足が震えて力がうまく入らない。
小鹿のように震える足で走っても、追いつかれてしまうだろう。
このまま背中を向けたままでは、なにをされても抵抗できない。
頭が混乱する中、私は覚悟を決めた。
今の私にできる、きっとこれが最善策だ。
そう願いに誓い想いを心で叫びながら、もう一度ぴたりと足を止める。
ありったけの勇気を振り絞って、声を弾き出した。




