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5話 変わった日常と危険な訪問者


 あやかしの親子との不思議な共同生活が始まって、気がつけばもう数週間が経とうとしていた。

 最初はズボラ飯を何品か教えたら、すぐに自分たちの世界に帰っていくのだと思っていた。

 彼ら自身もそう言っていたし、私としてもそのくらいの関わりで終わるものだと考えていた。

 だけど、その「いつか」が訪れる気配がない。

 親子は当然のようにこの家に居座り、まるで昔からそこにいたかのように、自然に生活に溶け込んでいる。


 私はそもそも誰かと暮らすなんて、考えたこともなかった。気楽な一人暮らしが性に合っていたし、誰にも干渉されないことを、心地が良いと思っていた。


 いや、正確には「慣れてしまう」のかもしれない。気づけばあやかしの親子がいる生活が、日常の一部になりはじめていた。食事の時間には3人分の食器を用意して、出かけるときには無意識に「いってきます」と言っている。


 洗濯物に混じる小さな靴下や、耳の形に沿った奇妙な帽子すら、もう当たり前の風景になっていた。

 思っていた以上に不満がない。それどころか、穏やかに過ごせていることに、自分が一番驚いている。




 

♦︎



 窓の外から、春風がカーテンをふわりと揺らした。春の陽気に浸りたいのに、家の中はすでに嵐が訪れていた。


 いづなは朝から元気いっぱいで、「あしょぼ! あしょんでー!」とまとわりつく。

 そんな遊んで攻撃を受け流しながら、私は片手でトーストをかじり、もう片手で化粧を済ませ、なんとか普段通りに家を出た。

 電車に揺られながら、やっとため息が漏れる。変わっていないものといえば、仕事くらいかもしれない。


 相変わらずデスクの上は書類が溜まっている。返さなければいけないメールも溜まっていて、休憩はギリギリできるかな。それほどの仕事量だ。そして残業もあたりまえにある。


 私の社畜っぷりは変わらなかった。だけどほんの少しだけ、以前とは何かが違う。会社に向かう足取りが、少しだけ軽くなった気がするのだ。



「芽衣さん、今日のお昼もお弁当ですか?」

 

 午前の仕事がひと段落して、昼休みに出ようと席を立つと、隣のデスクから笹山さんが顔を覗かせてきた。



「うん。今日もお弁当もってきてる」

「私もご一緒していいですか? 今日は作ってきました」


 そう言って掲げたのは、小さな保冷バッグ。

 色味も落ち着いていて、さすがはお洒落だなと思った。

 ただ、笹山さんといえばいつもは社食か、外のカフェでランチを済ませるタイプだったはず。それなのに今日は手作りのお弁当らしい。どういう風の吹き回しだろう。

 ちょっと意外だったけれど、誘われるのは案外悪くない。心の奥が浮つきながらも、フリースペースに移動した。


 食べる場所に選んだのは、同じ階にある窓に面したカウンターのフリースペース。

 見晴らしが良くて、一人の時もたまに利用する。

 よかった。どうやら先客はいないらしい。

 腰を下ろして、さっそく保冷バッグからお弁当を取り出した。


「芽衣さん、それ自作ですか? 最近お弁当多いですね?」


 笹山さんは私のお弁当を見ると、驚いたのか目をぱちくりさせる。 

 

「うん……作り置きしてるから、そのついでに……」

「ひぇー。すごい。私なんて全部冷食ですよ」


 私に見せるよにお弁当の蓋を開けた。たしかに茶色の色味がほとんどを占めている。


「冷食美味しいよね。私も全然使うよ?」

「……でもお、この三色丼とか手作りじゃないですか」


 大きな瞳を丸くしながら、じっとお弁当を覗き込んでいる。笹山さんのいうとおり、今日のお弁当は冷食は使わず手作りだった。挽肉と卵とほうれん草の三色丼。


 とはいえ、昨日灯牙さんと一緒に作った余りを詰めてただけ。手間は一切かかってない。


「やっぱり! 彼氏できたんですね!?」


 勢いよく顔を寄せられた。

 なぜ「彼氏」という単語が出てきたのだろう。その単語は一文字も発していないのに。


「彼氏!? ないない。違うよ?」

「ふーん」

 

 訂正すると、勘繰るように横目でみられる。

 納得していないような顔だったけど、それ以上は追及してこなかった。



「あれ? なんですか。それ」


 笹山さんが指さした先は、お弁当箱の側面。

 言われて目を凝らすと、そこにはキラキラと輝きを放つキャラクターのシールが貼られていた。


 こんな目立つシールを、会社用のお弁当箱に私が自分で貼ること絶対にない。

 犯人は考えなくても、すぐに思い当たった。

 いづなだ。もはや、いづなしか思い浮かばない。

 そういえば、家を出るとき「ししっ」となにやら企んでいるように笑ってたっけ。

 去り際のいづなの顔が、瞬時に思い浮かんだ。


「シール? そのキャラクターって今子供に人気のやつですよね」

「ああ、うん」

「芽衣さん、そんなポップな趣味ありましたっけ?」

「いや、私じゃないよ? いづながイタズラで……」


 最後まで言い終える前にハッとして、言葉を飲み込む。

 いづなのことを笹山さんは知らない。言うつもりもなかった。


 完全に失言をしてしまった。

 何も勘繰られませんように。そう思いながら、おそるおそる笹山さんに視線を送る。


「いづな? ま、まさか! 隠し子とかですか!?」

 

 場違いなほど大きな声が周囲に響いて、思わず慌てて手を振って拒否の姿勢を示す。


「しっ、ちょっと声……! ボリューム下げて!」

「あ、すみません。つい驚いて」

「もう、声大きいんだから……」

「だって芽衣さんに隠し子いるなんて初耳です!」

「だから違うんだって……」


 困ったな。彼らのことを誰かに話すつもりはなかった。

 でも、何も言わなければ「隠し子疑惑」なんて変な噂を立てられかねない。それはもっと困る。


「……実はね、訳あって子供と一緒に暮らしてて」

「え! 彼氏どころか子供! もしかして、お相手がシングルファザーですか?」


 笹山さんが、お弁当の箸を持ったまま食い気味に詰め寄ってくる。

 その勢いに、こっちが箸を落としそうになる。

 言われてみれば、たしかにシングルファザーという点については合ってると思う。


 だけど、説明するのがややこしい。

 彼氏じゃなくて、あやかし。それに子供付き。しかも家に住み着いてる。

 そんな説明をしたところで、どう考えても無理がある。


 なんて話せば、誤解を最小限に抑えられるだろうか。

 私はおにぎりを一口かじりながら、必死に脳内で言葉を組み立てていた。


「なるほど……。芽衣さんが最近楽しそうな理由がわかりました」

「えっ、楽しそう?」


 まだ何も説明していないのに。笹山さんは納得した様子で、うんうんと深く頷いている。

 

「以前は覇気は全くないし、口を開けば会社の文句と愚痴ばっかりだったじゃないですか」


 なんともひどい言われようだが、否定はできなかった。

 私は毎日のように仕事の愚痴をこぼしていたし、覇気なんてどこにもなかったと思う。ただ業務をこなして、溜息ばかりついて。気づけば一日が終わっているような生活だった。 


「でも、なんだか最近は愚痴も減ったし、生き生きしてるんですよね」

「そう、なの……かな」


 笹山さんの言葉に、返す言葉を探しながら振り返ってみた。

 たしかに、最近はため息の数が減ったかもしれない。日々のあれこれに小さく笑ったり、誰かのために料理を考えたり。これまでなかった小さな感情の起伏が、生活の中に芽吹きはじめている。


「その子供と、シングルファザーのおかげってことかぁー」


 なにやら気に食わない様子で、唇をとがらせて言う。


「プライベートが充実してるんですね?」 

「そんなこと……」

「仕事が大変でも、他で癒しがあれば、人間頑張れるんですよ。きっと」


 そう言われて、なんだか妙に納得してしまう。

 私生活での変化かあ……。

 考えてみると、思い当たることは一つしかない。

 今頭に浮かんでいるのは、あやかしの親子の顔だけ。


 以前の私は、朝が来ることに絶望を感じていた。

 せわしなく仕事をして、あとは寝るために家に帰る。

 そんな楽しみがないような毎日だった。


 今も社畜なことには変わりない。何も変わっていないはずなのに、心のどこかがあたたかくなる瞬間がある。

 

 それはきっと、あの二人のおかげだ。

 突然やってきて、当たり前のように私の生活に入り込んで。

 勝手に居座って、ちょっと困るくらい構って欲しそうにするし、決して平穏とは呼べない気がする。だけど、どこか愛おしくて。

 そんなあやかしの親子が、私の日常を少しずつ、塗り替えてくれたのだと思う。


「でも、そうなのかも。いづなたちとご飯を食べたり、過ごす時間は楽しいんだよね」


 改めてそう口にする。

 今、毎日が充実しているとしたら、いづなと灯牙さんのおかげだ。そう胸を張っていえる。


「はあ~。いいなぁ。彼氏いいなあ~」


 笹山さんは、口調に熱がこもってくる。

 やはり彼氏のことを言っていると誤解しているみたいだ。これ以上よからぬ方向に話が広がる前に、どうにか誤解を解かないと。


「さっきも言ったけど、本当に彼氏じゃないよ! ただしばらく一緒に住んでるだけで」

「同棲してるんですか!? えー。まじかあ」


 しまった、と内心どきりとして頭を抱える。

 どうやらさらなる誤解を生んでしまったようだ。変に取り繕おうとしたせいで、返って逆効果だったかもしれない。


「同棲じゃなくて、訳あってね。しばらくの間だけだよ」

「彼氏でもない人たちが、しばらくの間って? いつまでですか?」

 

 その鋭い指摘に、言葉が詰まる。

 たしかにこの生活は、いつまでなんだろう。

 最近は改めて考えることもなくなっていた。いづなと灯牙さんと過ごす日々は、あたりまえのように続いていく気がしていたんだ。


 そう理解した途端、胸のあたりがずきっと痛むような感覚がした。

 

「そういうのって、なあなあになって、そのまま住み着くやつですよ? ちゃんといつまでって期間を決めないと」

「そうだ、ね……」


 どうしても歯切れが悪くなる。

 この生活に、終わりが来ることを再確認してしまった。

 そして、そのことに私はひどく寂しさを感じている。



「質問責めしちゃってすみません。ちょっと気になっちゃって……。余計なお世話でしたね」


 もしかすると、戸惑いが表情に出ていたのかもしれない。

 笹山さんは、申し訳なさそうに顔を伏せた。


 私の変化に気づいて、笹山さんなりに、心配してくれていたんだ。そう思ったら、胸がじんわりとあたたかくなる。それだけで、十分すぎるほど嬉しかった。



「余計なお世話なんかじゃないよ? ありがとね」

「……いえ。でも素直に羨ましいです」

「羨ましい?」

「幸せと思える瞬間って、なかなか貴重ですからねー」


 そういって、にこりと笑う。

 たしかに笹山さんの言う通りかもしれない。


 こんなにも心が穏やかで満たされる感情は、久しぶりだったから。



「今日久しぶりにお弁当作ってみたんですけど、悪くないですね」



 笹山さんは、もぐもぐと頬張りながら、どこか嬉しそうな顔をする。


「じゃあ、また一緒にお弁当食べようよ」

「うーん。週に一回……。いや、月に数回なら作れるかな?」


 その言い方から笹山さんは、おそらく明日からは社食や外にランチに出かけることだろう。

 だけど、またこうして話せたらいいな。そんな風に思った。







 

 

 

 その日の帰り道。

 笹山さんから言われた言葉が、ずっと頭の片隅に残っていた。「ずっと居座られちゃいますよ」そう言われて、全くイヤな気持ちにならなかった。

 

 そもそも最初から期間限定だとわかっていた。それどころか、早くいなくなってほしいとさえ思っていたのだ。

 なのに……。今はどうしようもなくこの生活が続いてほしい。



 別れが来てしまう事実を、どうにか否定したかったのかもしれない。


 考えれば考えるほど、心が次第に暗く沈んでいくのを感じる。

 


 頭の中でぐるぐると考えながら、家までの道のりを歩いていた時だった。

 ふと、違和感を感じて立ち止まる。気づけばさっきから、背後から足音がついてくるような気がしていた。しかも、その音はだんだんと近づいてきている。

 ゾクリと背筋が冷たくなる。咄嗟にくるりと振り返った。


 ……あれ、誰もいない。

 そこには誰もいなくて、静寂だけが広がっていた。


 街灯に照らされた電柱の影だけが見える。きょろきょろと周囲を見回しても、人の気配はない。


 なんだ、きっと私の気のせいだ。

 心臓の高鳴りを落ち着けるように、そっと胸元に手を当てた。気を取り直して、また前を向いて歩き出す。


 数歩進んだところで、また足音が聞こえる。

 コツ、コツ、コツ。

 一定のテンポを刻むその音が、やけに耳につく。

 確かに、背後から誰かがついてきている。



 あきらかにおかしい。

 振り返った時は、誰もいなかったのに。

 ぴたりと足を止めると、背後から聞こえる足音も止まった。


 間違いない。誰かが私の動きに合わせている。

 サーッと血の気が引いていくのがわかった。

 喉が乾き、手のひらが汗でじっとりと湿っている。

 逃げなきゃ。とにかくどこか人のいる場所へ。

 そう考えている間も、背後から同じリズムで聞こえてくる足音。


 恐怖から足がガクガクと震えてきた。踏み出す一歩に力が入らない。

 大丈夫。何度もそう言い聞かせるけど、ちっとも大丈夫なんかじゃなかった。


 なんとしてでも足を動かせ!

 一刻も早く逃げないと!そう自分に言い聞かせる。


 そう思うのに、足が震えて力がうまく入らない。

 小鹿のように震える足で走っても、追いつかれてしまうだろう。


 このまま背中を向けたままでは、なにをされても抵抗できない。

 頭が混乱する中、私は覚悟を決めた。



 今の私にできる、きっとこれが最善策だ。

 そう願いに誓い想いを心で叫びながら、もう一度ぴたりと足を止める。

 ありったけの勇気を振り絞って、声を弾き出した。








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