3
雨季がやってきた、らしい。
らしいというのは、雨が降らないからだ。
「ここは城塞都市ですので」
いつもの図書室。
シロが教師モードで教えてくれた。
魔法の原理どうこうは私にはよくわからなかったが、この街は昔から魔力によって護られているということはわかった。
それが誰の手によるものなのかは分かっていない。
何らかの魔力の壁があるから、ここに集まった。人口が増えるにつれて、魔力を増加させるものを埋めたり、流れを操作したりして、強くした。
その過程で天気をコントロールする仕掛けを作ったので、この城の周辺は雨が降らない。
私は以前、塔に登ったときのことを思い出した。
「ご主人様がクロと出会われた広場あたりでしたら、雨が降るでしょう」
「ふぅん」
窓の外を見ても、あの広場までは見通せない。
複雑な城壁のせいだろう。
塔を登れば見えると思うが、あの階段は…遠慮したい。
どんよりした空と湿っぽいにおいはするので、ああ雨なんだな、と思えなくもない。
実際には濡れないから実感はないけれど。
「このあたりの気候についてだいたいご理解いただけたようですし、次は地理について学びましょうか」
シロは丸められた大きな紙をくるくる広げて見せた。
地図だ。
私の記憶とはかけ離れている。
「まずここがこの世界唯一の大陸です」
シロが地図をとんと叩く。
大陸を中心に描かれた地図は、ほとんど海。
私の知る形とは程遠い。
「かつての大陸はもっと大きく、他の大陸もあったと考えられています。こちらをご覧ください」
シロは時計のような道具を地図にかざした。
地図はまるで今描き出されているかのように動き出し、少しずつ移動したりくっついたり離れたりして、今の大陸の形に近づいていく。
かなり初期の段階に、私の記憶にある世界地図の形があった。
「この大陸の西側が魔王国でした。東側が人間の国…といっても、どちらも一枚岩ではありません。複数の国家が有事の際には連合するというだけで、普段は民族や種族によっていくつかの国に分かれています」
シロはまた地図に何かをかざし、地図には勢力図の境界線らしき線が描き出された。
「といっても、どの国も今はただ遺跡があるだけです」
「はい、質問。いったいいつ滅びたの?」
「200年ほど前に、最後の人類が亡くなりました」
「200年…」
そりゃあ荒廃するわけだ。
遺跡になりかかっていたのも頷ける。
「国家が機能していたのはさらに数百年ほど前になるでしょう。さすがに私が生まれるまえのことですので、確証はありませんが」
「最後の人はどうして…」
「自然災害でした。20人ほどの群れで暮らしていたようです」
20人。村というよりは親戚の集まりレベルだ。
私はなんとなく手を合わせた。死者への祈りを。
「でも…どうやって人類がまた生まれるんだろう」
「…それは、分かっていませんが」
心の中でつぶやいたつもりだったが、声に出てしまったらしい。
シロは少し考えてから口を開いた。
「なんでも、呼び出される…とか」
「呼び出される?」
「あくまで、諸説あるうちのひとつです」
そう前置きした上で、一説について話し始める。
「過去に生きていた人類を呼び出す魔法があり、人類が滅びるとその魔法が発動するといわれています」
「過去?なんで分かるの?」
「彼らは一様に古い文献を好むとか。ただし、これは文字が読めないなどの例外もあったそうです」
「…なるほど」
「また、呼び出されるのはすべて若い女性と言い伝えられています。それと
全員が、円環を意味する名を持っています」
雷に打たれたような衝撃だった。
頭…いや脳内に電気が走ったような。そんな経験はないのにそう感じた。
前世の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
ーーーー…
母だ。母が私の名前を呼んでいる。
幸せな記憶。
母の声…
「今度はシロじゃん、もー」
「わかった、わかったから引っ掻くのやめて」
「わかってなーい!」
やっぱり気を失ったらしい私は、ベッドで目が覚めた。
シロが運んでくれたんだろう。
名前を思い出すたびこうなっていたら困るなぁ。
「ご主人様!」
クロが文字通り飛び跳ねてーーー少し間が空いて、ぴしっと姿勢を正した。
「こほん。ご気分は?」
「悪くない、よ」
笑いを堪えたら変な言い方になった。
クロは気づいていないようだ。シロはばっちり気づいていて、やはり笑いを堪えている。
「あたたかいお飲み物をお持ちしましょう」
「うん…ううん、いい。ごめん、少し一人になりたい」
「わかりました。では、私たちは失礼します」
二人は静かに出て行った。
呼び出される。
召喚の魔法がある。
でもそれは、過去に生きていた人を連れてくる…いわばタイムスリップとは違う。
私は生きて、死んだ記憶がある。
この時代で生きてきた記憶はない。
私がここで目覚めた時、既に人類は滅んでいた。
となると…時を超えて復活した?
じゃあこの肉体はどうやって生成されたんだろう。
元の体は当然焼却されている。
ここで生まれて育ったわけでもない…
あああ、わからない。
わからないなりに、わかったことがある。
もう純粋なヒトは存在しない。
そしてそれは、きっと私も同じだ。
なんだか無性に悲しくて、涙が止まらなかった。
私の子孫はいない。みんな、滅びた。
なのに私の記憶だけがここにある。
このカラダは誰だろう。
何のために私はここにいる?
いっそ夢ならよかったのに。
窓を開けると、湿気たなまぬるい風が吹いていた。
まさか未来がこんなことになっているだなんて。
嘆いても仕方ないけど、嘆かずにはいられない。
「…アダムってこんな気分だったのかな」
地上にたった1人の人間。
私にはクロやシロがいるけど、彼らに出会うまでは…いや、私はアダムとは違うな。
だって人の痕跡があったから。
“無”だったら、発狂したかも。
うん、落ち着いてきた。
明日はシロにもっと色々な話を聞こう。
窓を閉め、ベッドに潜り込む。
私は目を閉じて、朝を待った。
「おはようございます、ご主人様」
「おはよう、クロ…と?」
「お初にお目にかかりまする、妾はヤコと呼ばれておりんした」
クロと同じ、艶々の黒髪。
長髪を半分結い上げて、簪でとめている。
体に沿うデザインのシンプルなドレス。
黒い羽根飾りが贅沢にあしらわれた胸元。
深いスリットからのぞくすらりとした脚。
妖艶な美女がそこにいた。
「あ、はじめ…まして?」
「このように人の姿を取り戻せしこと、主様には感謝の言葉もありませぬ。このヤコ、命尽きるまで主様にお仕えいたしんす」
「えっと…ありがとう。よろしく」
ヤコは右手でドレスの裾をつまみ、左手は胸に添えて深々とお辞儀をした。
すごく綺麗。
「あの、そんなに畏まらないでほしいんだけど…」
「ほほ、主様はお優しい方。ですが、我々は受けたご恩をお返しする術がありませぬ故、これくらいのことはさせていただきたいのでありんす」
「そう言われても…」
彼らは私がいるだけで生産されるらしいものが主食。私に影響はない。
私が何か努力したわけではないし、世話したわけでもない。
ただ、私はここにいただけだ。
私の戸惑いを察知したヤコはからからと笑った。
「主様。我らにとって主様は、神のようなものでありんす。神はただそこにあるだけで崇められる、それと同じと思ってくだされば」
「そんなこと言われたらますますやめてほしいよ…」
神と同列にされるとは、烏滸がましいにも程がある。
と、思うのだけど…ヤコの言葉にクロもシロもうんうんと頷いている。
あー、これ私が諦める流れだ。
そして、諦めた。
無理。この圧をどうにかするのは、無理。
「もしも名前を思い出したら、名前で呼んでくれる?」
「主様がそれをお望みならばもちろん」
ヤコもクロもシロもにこにこしてる。
様、は取れそうにない。
私は小さくため息をついた。
「ご主人様は名をくださるとか。妾も楽しみにしておりんす」
「そう言われると…いい名前かどうかは自信ないんだけど」
「なんのなんの!クロもシロも、名をいただいた日は妾に自慢しに来たんでありんすよ」
「あっ、ちょ、ヤコ」
「………」
クロは慌て、シロはため息をついている。
本当のことらしい。
クロはともかく、シロはちょっと意外だ。
「ええと…ヤコは、烏丸八重子…でどうかな」
「カラスマ・ヤエコ…なんと不可思議な響き…」
「私の…昔住んでた国の言葉なんだけど」
「素晴らしい名前を賜り、恐悦至極」
ヤコは深くお辞儀をした。
所作が優雅でつい見惚れてしまう。
「…主様?」
「えっ?あ、ごめん。ヤコが綺麗でちょっと見惚れちゃった」
「まあ!嬉しや、主様は褒め上手でありんすなあ」
気を取り直して、シロにいろいろ聞いてみた。
ら、ヤコが横槍を入れてきた。
「おやおや?主様はシロを重用されておりまするのか」
「…私は私の知る範囲のことをお伝えしている」
「それは重畳。では妾にもその任、わけてもらおうかえ」
「だ、そうです。ご主人様」
「ほほほ、ずいぶんと殊勝じゃのう」
「…ヤコも先生になってくれるってこと、かな」
「そういうことでありんす。どうぞ、よろしゅうに」
シロはちょっと面倒くさそうな顔をしたけれど、反対はしなかった。
「私より少しばかり長生きですので」
そういうことらしい。
「えっと、じゃあ…魔法を教えてほしいんだけど」
「魔法?主様はもう生活魔法はひと通りできると伺っておりんす」
「うん、そうなんだけど。私がここに呼び出された魔法のことを、教えてほしい」
「ははあ、なるほど…」
シロとヤコは顔を見合わせた。
シロはちょっと嫌そうな、ヤコはすごく楽しそうな顔をした。
「主様。その魔法については妾たちも探しに行きとう思いんす」
「探しに?」
「ええ。呼び出すというのは生半可な魔法じゃありんせん。妾も魔法の使い手、その魔法を知りとうございんしたが、なんせ人が滅びたあとに発動するもの…目にすることはできぬものと思うておりんした」
「魔法を使えば、その痕跡が残ります。通常の魔法なら、人の気配や残り香のような、見えるとも見えぬとも言えないものではありますが」
ヤコの言葉をシロが補足してくれた。
「人を呼び寄せるほどの魔法では、痕跡も大きくなります」
「その痕跡を探したいってことね」
「ええ。いかがでござんしょ?」
「わかった。行こう」
「ただし、春になってからですよ。今から向かってもすぐにまた冬になりますから」
「シロのいけずぅ」
「雪の中で痕跡が見つかるとでも?雪解けを待ってから、緑が深くなる前に行くのが最も良いでしょう」
「…むぅ」
ヤコは不満げだが、口を噤んだ。
「あの…魔法の痕跡を探すのに、雪が関係あるの?」
「はい。魔法を仕掛けるにもいろいろな手法がありますが…そうですね。最後の人類が死んだのは200年前と申し上げましたが、覚えていますか?」
「うん」
「では、最初の人はいつだったと思いますか」
ええと、私が生きていた時代は紀元二千年頃で、紀元前四千年とか聞いたことあるから…
「…1万年くらい前?」
「いいえ、少なくとも30万年といわれています」
「さん…長すぎて、ちょっと想像できない…」
「そうでしょうね。そして、それより前にも人類がいて、滅びた跡があります」
私のように、か。
「人類を召喚する魔法は、何十万、いや何百万年もそこにあるはずなのです。魔法を長く留まらせるには、それなりのものが必要になります」
「石に刻むとか?」
「そうですね、そういう方法もあります。もちろん、そのへんの石では不可能ですし、逆に貴金属や宝石類でもいけません」
「え?そうなの?」
「発見されても見逃されるものでなければ、何万年も維持できませんので」
なるほど、確かに。
金やダイヤに魔法を刻んでも、誰かに見つかったらそのままでは済まないだろう。
「一体何に、どうやって魔法を宿らせているのか…魔法を探求する者であれば一度はそれを見つけだそうと思うものなのです」
「ふぅん…」
ヤコは満足げにうんうんと頷いている。
私の気持ち、分かってる!と顔に書いてある。
「痕跡があればいいのですけどね…あまり期待しない方がいいですよ」
「どうして?」
「これまでに発見されたことがないのですから、よほど周到かつ巧妙に隠されているはずです。私たちがご主人様の呼び出された場所にたどり着いたとて、そこに痕跡があるかはまた別の話になります」
「ふん、シロは浪漫というものを分かっておらぬ」
「浪漫のためにご主人様を危険に晒すことはできませんから」
「きい、ああ言えばこう言う!もうよいわ!」
ヤコは怒りながら部屋を出て行った。
去り際に振り向いて、私にだけ分かるようにウインクしていたから、本気で臍を曲げたわけではなさそうだ。
シロはやれやれといいたげに肩をすくめている。
ちなみに、このやりとりの間、クロは熟睡していた。