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この国の文字は、私が知っているものとほとんど同じということがわかった。

フォントにクセがあるが、読めないこともない。単語の意味は変わっているらしいけど、古文書なら文脈から推測はできる程度だ。

少し新しいものは読めない。読めても、意味がわからない。

というわけで、歴史書を片っ端から読み漁って、色々なことがわかってきた。


私はこの世界が生まれてわりとすぐの時代に生きていたことがあるらしいこと。

記憶の中には魔法も魔力もなかったから。

その後、何度かの滅亡と復活を繰り返すうち、人間は魔力なるものを習得した、と。


…単純に魔物と交雑したんじゃなかろうか。


魔物。人ではないもの。

魔物は主に人の記憶や感情を食べるらしい。

だから、人が滅亡すれば魔物も滅亡し、人が復活すればやがて魔物も復活する。

魔物を見かけなかったのは、いま人が滅亡している状態だから…ということか。


魔物が記憶を食べるというなら、不死身はさしずめ食べ放題かな。

…そもそも記憶って、食べられたらなくなるのだろうか。そして、食べられた人には何かしらの影響があるのかな。

なかったら争う意味が…いや、なくても争うのが人の性か。


魔物についての書籍は、ここにはほとんどない。

研究しなかったのかな?

本棚をうろうろしていると、いつの間にか起きていた猫が足元で鳴いた。

そして、たぶん司書的な人が使っていたであろうカウンターの奥に向かっていく。


そういう場所には、見ちゃいけない本があるのでは?


カウンターの奥に隠し扉があったけど、鍵がかかっていた。

そりゃそうだよね。

猫はそれらしい鍵にじゃれついている。

ええい、それを渡しなさい。

猫から鍵を取り上げ、扉を開いた。


思った通り、たぶん読んじゃいけない本がたくさん並んでいた。

背表紙からしておどろおどろしいもの。

人を殴り殺せるくらいに分厚いもの。(たぶん金属製)

毛皮でできているもの。

色々だ。


目についた本を取り出して開いてみる。

うーん…何の本かわからない。片付け。

背表紙にタイトルがあればいいんだけど、ないんだよなぁ。

あちこちの本を引っ張り出しては仕舞い、やっと読めそうな本を見つけた。


【魔物の生態】


おおっ、まさに欲していた本!

ワクワクしながらページをめくる。


めくったが…


残念ながら、ほとんど理解できなかった。


挿絵があったのは良かった。

おかげで獣のような魔物から人型の魔物まで、多種多様な魔物がいることがわかった。

獣系の魔物は、類似する動物がいることから、おそらく人と同じように交雑したのだろう。


気がつけば、あたりが薄暗くなってきている。

あの部屋まで戻るのは面倒だが、ここは窓が少ないせいか、暗くなるのが早い。


人も魔物もいなくなった世界…か。

でも動物は生き残っている。

不思議だなぁ。

ちょっと寂しくなって、猫を撫でた。

猫は鬱陶しそうにしたけれど、黙って撫でられてくれた。


数日もすると迷わずに図書室と部屋を行き来できるようになってきたので、少しずつ城内の探索を始めた。


紙もペンもない。ひたすら記憶するしかない。

ルートを大きく外れないように注意したので、全然行動範囲が広がらない。


猫はマイペースに過ごしている。

私の中でひっそり「クロ」と名付けた。

既に名前があるかもしれないので、呼んだことはないけど。

クロはときどきいなくなることがある。

食事のために狩りをしているのだろう。たぶん。

餌もないし、いつかここからいなくなるかもしれないなぁ。


そんな私の心配をよそに、クロは大あくびをかました。




猫が真っ白な犬を連れてきた。

文字通りだ。


どこから連れてきたんだろう?

犬は尻尾を激しく振りながら、私に擦り寄っている。

私も遠慮なくモフモフした。

うーん、犬だ。間違いない。

クロは私が見ていることに気づくと、尻尾をパタリと振った。

世話をしろってことかな?

でも、餌とか何もないんだけどなぁ。

散歩くらいならできるけど、それでいいのかな?

クロは私の心を読んだかのように大きく頷いた。

それでいいなら、いいか。


犬の名前を考える。

犬だからポチ?でもポチってなんだか小型犬のイメージがあるなぁ。

白いから、シロはどうだろう。


試しに呼んでみようとして、声が出なかった。

人間、長期間声を出さないでいると声が出なくなるらしい。

声の出し方がわからない。


「ア…アー」


なんだか間抜けな声だ。

しばらくボイストレーニングをしよう。




朝、シロに起こされる。

散歩の催促だ。

お城の前庭に出て、散歩という名の運動。

適当な木の枝を折って投げたり、芸を仕込んだり。

シロは賢い。一度教えれば大抵の芸はやってみせる。

といっても私の知る犬の芸といったら、お手とか転がれとか、その程度だけど。

クロは寝ている。


ほどよく運動した後は発声練習。

覚えている童謡を歌ったり、叫んでみたり。

シロはそれを隣で聞いている。

クロは…まだ寝ている。


昼頃になると、シロとクロは揃ってどこかへ出かけていく。

私は図書室で読める本を探していることが多い。


夕暮れには部屋に戻り、帰ってきたクロとシロを撫で回す。モフモフ。


夜は一応ベッドに寝転ぶ。

眠れないときは無理しないが、眠れそうなときは寝るようにしている。

そして、だいたい眠れる。


そんな毎日を送っていると、当然ながら飽きる。

話し相手が欲しい。


「クロが喋れたらいいのになぁ」


にゃー。


クロはつまらなさそうに鳴いた。





私の記憶は、この時代では「初期人類時代」というらしい。

そこから何年経ったか定かではない。

何が言いたいかというと…植生が違うということだ。

品種改良が進んだのか、滅んだり生まれたりしている間に変化したのか。

それとも、植物系の魔物と交雑したのか…

とにかく。

私の記憶では、桃はこんなに大きくない。


城の探索をしていたら、植物園らしき場所を見つけた。

そこはガラス張りの大きな温室になっていて、色々な木や花が植えられている。

ソフトボール大の桃。

顔より大きなパイナップル。

握りこぶしほどの胡桃。

オレンジから真紅まで、ひと枝に様々な色の花をつける薔薇。

何日も咲き続ける朝顔。

季節感がないのは…魔法、かな?


試しに桃をひとつもいで齧ってみた。

あふれる果汁が甘くて美味しい。

果樹園に通うのが日課になった。


食べるものがあれば料理したくなる。

キッチンを見つけたい。


私は図書室に向かった。

紙とペンがあれば、地図を書けると思ったからだ。

ないんだよなぁ、紙とペン。図書室にあるわけないかー。


しばらくの間、午前中いっぱいは探索、午後は果樹園で過ごすようになった。

探索にはシロが付き合ってくれた。

シロは匂いで部屋に戻れる。

探索範囲は広げられるが、同じところにもう一度行くのは難しい。

…とにかく行けるところまで行ってみよう。


探索範囲を広げて3日目、書斎を見つけた。

執務室かもしれない。

どちらにせよ、紙とペンを発見した。

紙は巻物になっていたし、ペンは付けペンだったけれども、とにかくこれで地図が描ける。

その日は一旦部屋に戻り、翌日から城の地図を描き始めた。


寝室にしている部屋を描き、そこに部屋や廊下を描き足していく。

地道な作業だ。

近場の部屋はドアを開けてみただけのところもあるので、これを機に中までしっかり確認することにした。

ちなみに寝室の右隣は衣装部屋。

逆隣は…応接間だろうか?それともリビング?

豪華なソファセットが真ん中にどーんと置かれているだけの部屋だった。




キッチンにたどり着く頃には、冬目前だった。

といってもこの地域はあまり気温差がない。

雪も降らないし、水が凍ることもない。

夏ものすごく暑いわけでもないのに不思議だ。

そんな独り言を呟いていたら、クロとシロに同時にため息を吐かれた。

首を傾げると、2匹はついてこいと言わんばかりに歩き出した。

えー、めんどくさ…いえ、ついていきますとも。


しばらく登りたくないと思うほど階段を登った先。

たぶん、塔のどれかのほぼてっぺんにたどり着いた。

クロとシロが外を見るように促す。

ここまで登って外を見ない人はいないと思いながら、外を見た。


雪が降っていた。


え?でも、登る前は雪なんて降ってなかったのに…

よくよく見ると、雪は塔の窓より少し上で吸い込まれるように消えている。

窓から手を出しても濡れない。

下より空気は冷たいけど、雪が降るほどではない。

でも上空は雪…


魔法?

何らかの障壁?


私にとっては謎が増えただけだが、クロとシロは満足そうにしている。

まぁ、いいか。

塔までの地図を早く作ろう。

秘密基地みたいでいい場所だから。


そんなこんなでやっと見つけたキッチンは、広い厨房だった。

お城なんだから当然といえば当然だ。

そして、魔法が使えないとどうにもならないっぽい設備しかない。

薪のオーブンとかカマドじゃないんだ…

がっかり。

ナイフはあったから、桃の皮を綺麗に剥けるようになった。

お皿やコップもたくさんある。厨房の片隅に水路が流れていたので辿って行ったら洗濯場やトイレ、お風呂も発見できた。

当面はそれでよしとしよう。





人が生まれるってどうやるんだろう。

早く誰か生まれないかなぁ。

話し相手がほしい。ひとりは飽きた。

タネを植えたら生えてくるとか…それじゃマンドラゴラになっちゃうか。

桃太郎みたいにモモから産まれないかな?大きいし。

20世紀梨より大きなリンゴを剥きながら、盛大なため息をついてしまった。

クロとシロが心配そうに見上げているのを見て、反省。

うん、今の生活も悪くない。

ただ、ちょっと…寂しいだけだ。


この城に住み着いてどれくらい経っただろう。

城の地図は未完成だが、生活に必要な部屋はほとんど見つかったので、今は探索していない。

とりあえず見える範囲はどうにかしてやろうと、少しずつ木々を剪定したり草抜きをしたりと野良仕事に励んでいる。

といっても、たぶん魔法の力で植物の繁茂が抑えられているので、少し手助けしてやる程度だ。

庭師が使っていたであろう道具小屋を見つけて、スコップやカマを借りている。

たぶん魔力があればもう少し色々できるんだろうけどなあ。

全部、怪しげに光る宝石みたいなものが埋め込まれているから。


いつも通りのある日、今度はシロが何かを連れてきた。

鳥だ。

カラス?


カー、カー


うん。カラスだ。

友達になったのかな?


わんっ


同居人が増えた、といっていいのだろうか。

私も居候みたいなものだけど…

シロが嬉しそうだから、なんでもいいか。

名前、どうしようかなあ。

八咫烏…じゃ長いし、ヤータはどうかな?

あ、メス。じゃあヤコ?


というわけで、カラスのヤコが一緒に住むことになった。

艶のある黒い羽が美しい。

きれいだと褒めていたら、クロがさりげなく割り込んできた。

ごめんごめん、クロもきれいだよ。


ヤコは朝昼晩、時間通りに鳴いてくれる。

鶏みたいだと言ったら失礼だろうな。でも鳩時計も違う気がする。


シロとヤコは、よく一緒に遊んでいる。

クロは…よく寝ている。

猫は20時間寝るっていうし、しょうがないか。

膝の上でぐうぐう寝るクロを起こさないようにそっと撫でた。




クロがシロを、シロがヤコを連れてきたから、今度はヤコが何かを連れてくるんだろうか。

確かにそんなことも考えていたけれど、それは思ったより早かった。

ヤコが連れて…というか持ってきたのは、卵だった。


バスケットボールくらいの大きさがある。

どこから持ってきたんだろうか?

一応、自分で産んだのか聞いてみたけど、違うと言っているような気がする。物理的にも無理だ。

どうしたものか。両手に乗せてしげしげ眺めていると、なんと殻が割れ始めた。

ヤコはカーカーと嬉しそうに鳴いた。

もしかしたら他にも何か言いたいのかもしれないけど、私にはわからない。

手で持っているのは危なそうなので、真ん中がへこんでいる大きめのクッションに置いてみた。

ゆっくりゆっくり殻が割れ…中から出てきたのは、トカゲの赤ちゃんだった。


ヤコが嬉しそうに近づいて、トカゲの赤ちゃんを嘴で撫でている。

トカゲと言い切るにはちょっと大きすぎるけれど、私の乏しい知識では、この爬虫類はトカゲの一種だと思う。

草食なら餌には困らないと思うが、これは草食なのか肉食なのか…


私の心配をよそに、トカゲは自分のたまごの殻をきれいに食べた。

ヤコがどこかへ飛んでいったかと思ったら、桃をもいできた。

器用に皮を剥いてトカゲに食べさせている。

まるで我が子のようだ。

とりあえず名前をつけよう。

もみじっぽい色だから、アキ。


同居人というよりはヤコのペットっぽいけど、とにかく一緒に暮らすようになった。





ここで、着ている服の話をしようと思う。


最初に着ていた服は、簡単なシャツとズボン。

下着は恥ずかしながらなかった。

足元は革で作られたサンダル。


お城に着く頃には相当のボロになっていた。

なにしろ一着しかない。脱いだら全裸。

ほとんど洗濯できなかったのだ。


不死身の特性なのか汗をかかないので皮脂汚れはつかないものの、土埃や泥汚れはついてしまう。

俊敏ではないので転ぶこともあるし、山を歩けば草や枝にひっかけることもある。

ところどころ破れたり、裾が擦り切れたりして、まさにボロだった。


お城には衣裳部屋がある。

しかし、その衣裳部屋の服は部屋の主人のもの。

たぶん貴族。

庶民が日常的に着る服ではないし、そもそも一人で着られるようにはできていない。

背中全体が編み上げはどうかと思う。拘束具みたいだ。


とにかく、これほどの城には使用人がいるはず。

探した。

その部屋は近くにあったのだが、見つけるのにひと月以上かかった。

だって主人の部屋より上の階にあると思わなかったんだもの。

タワマンだったら上の階の方が高級じゃん。


ともあれ、使用人の部屋を見つけたので物色させてもらった。

結果、下着と服を手に入れた。

トランクス的なショートパンツ、タンクトップ、七分袖のシャツ、七部丈のズボン、靴下、しっかりしたブーツ。

上に羽織れるジャケットと、帽子も拝借した。


洗濯場を見つけるまでは外の噴水で洗っていた。

ロープもないので、ベンチや塀に引っ掛けて干す。

手絞りのせいで全然乾かない。

仕方ない。

また使用人部屋に行って、何着か持ってきた。


洗濯場には物干しとローラー式の絞り機があったので、乾くのが格段に早くなった。

ローラーは小型の水車につながっていて、連結部を押し込むと動く仕組みだった。

魔力で使うものじゃなくてよかった。



で、なぜ服の話をしたのかといえば。

アキが服を気に入ったからだ。

しかもボロのほう。


ボロだから別に構わないんだけど、もっと綺麗なのがたくさんあるのに。

アキは、浅い籠に座布団のようなものを詰めて、その上にボロを敷いている。

ボロも洗濯したから汚いわけじゃない。

でも豪華な部屋には似合わない。

取り上げようとするとものすごく悲しそうにするので、そのままにしている。

たまに洗濯させてほしい。


ちなみにクロ、シロはベッドで一緒に寝ている。

ヤコはアキと一緒に籠で。

アキを雛のように可愛がっている様子は微笑ましい。




アキはすくすく成長した。

コモドドラゴンなみに。

またがれそうなくらい大きくなっても、相変わらずヤコが世話を焼いている。

まさに溺愛。

あんまり甘やかすと独り立ちできないのでは…むしろそれを望んでいるんだろうか?

今は部屋の隅にクッションを集めて、そこで寝起きしている。

私はそれを巣と呼んでいる。


猫、犬、烏、トカゲときて、次は何だろうと思っていたが、まさか魚とは思わなかった。

アキがくわえてきたのは、大きな鯉。

それをどうしろと。

ヤコも慌てているようだ。

果樹のある温室に溜池があることを思い出し、急いでそこに放流した。

しばらくぐったりしていたのでダメかなと思ったけど、翌日には元気に泳ぎ回っていた。

どこで見つけてきたんだろう。

アキが溜池に近寄ると、鯉はすぐにやってきて、水面越しにイチャイチャしている…ように見える。

…どうぞ、あとは2人?で過ごしてください。


鯉が来てからヤコは寂しそうにしている。

日中、アキが鯉とイチャつくからだろう。

クロとシロが頑張って慰めているっぽい。


そういえば鯉に名前をつけていなかった。

アキが見つけてきたから、ハルはどうだろう。ピンクの桜っぽい模様があるし。

ハル、と呼んだら水面に上がってきて跳ねたので、気に入ったと思うことにした。




ハルが何かを連れてくるのは無理がある。

だから、もうこれで同居人?が増えることはないのだろうとは思っていた。

朝目が覚めたら、美少女が隣で寝ていた。


10歳〜12歳くらいだろうか?

黒いストレートのロングヘア。

まるで白雪姫のようだ。

ただ、頭に猫耳がある。

そして、クロがいない。


「クロ?」

「にゃ」


ん?


「…クロ?」

「にゃ…こほん。はい、ご主人様」


え?





猫だと思っていたクロは、魔物の一種だったらしい。

餌がなく、クロ曰く仮死状態になっていたところ、私がきて回復したとのこと。

シロ、ヤコ、アキ、ハルも同じように仮死状態であったところを助け、順調に回復中と。


えっと、理解が追いつかない。

しばらく努力したけど、諦めた。

つまり、同居人になるということだ。

…だよね?


「ご主人様がそうおっしゃるなら」




クロが普通に人間っぽい姿になって困ったのは、名前だ。

クロってこんな可愛い子の名前じゃない。

本人は気にしないらしいけど、私が気になる。


「クロードっていう苗字ってことにして、名前は…アリス」

「ご主人様の仰せのままに」


アリス・クロード。

そんなに悪くないと思いたい。


魔物は記憶を食べるって本で見たけど、私の記憶を食べたのか聞いてみた。


「ご主人様の記憶を食べたことはありません」


そうなんだ。


「じゃあどうやって回復したの?」

「私はご主人様の生気を食しています。人の発する生命の波動のようなものです」

「それを食べられると、私はどうなるの?」

「特に健康を害することはありません。ご主人様にとっては…そうですね、吐息のようなものです」


吐息。

それは確かに、私の健康に影響しないだろう。

あまり深く考えても、わからないことは仕方ない。

今はクロとの生活を楽しもうと思う。



クロは改めて城内を案内してくれた。

一応、もしかしてこのお城の持ち主?と聞いてみたところ、

「厨房で飼われていたことがある」

そうだ。

基本的に猫の姿は省エネモードらしい。

同類や、魔物対策をしている人間たちからは生気を得られないため、猫の姿で生きてきた。

猫の姿で油断させることで餌(生気)を食べ、対価としてネズミ狩りをしていた、と。


「私より、シロの方が城の中には詳しいと思います」

「そうなの?」

「シロは近衛騎士でしたので」


さらっとすごいことを言う。


「ご主人様。伺いたいことがあるのですが」

「なに?」

「ご主人様のお名前を伺いたく」

「私の名前…?」


あれ?そういえば、名前を思い出せない。

前の人生でも名前はあったはずだ。

父と母と兄弟、友人、伴侶、子供、孫…

家族の顔は浮かぶのに、名前が思い出せない。

私は…私は、誰?


「あ…ぅ」


喉が詰まって声が出ない。

私の名前。わたしのなまえは…


くわん、と視界が歪んだ。

クロが何か叫んでいる。わたし、倒れる…

誰かに抱き止められた直後、私の意識は途切れた。





「クロ、ご主人様に負担をかけてはいけない」

「わかったってば、もう。しつこい」

「クロはまたそういう…」

「あ、ご主人様!」


クロと…初めて見る人。

真っ白な騎士服に金の刺繍が光る。

柔らかなブラウンの髪。透き通るような白い肌。

琥珀色の瞳がこちらをまっすぐに見つめている。


「あなた…は?」

「ご主人様、お加減はいかがですか?」

「え?ええと…悪くない、かな」

「それはようございました。わたくしはシロと呼ばれていたものでございます。無事人の姿を取り戻せましたこと、ひとえにご主人様のご厚意のおかげ…」


騎士というより執事っぽいその人は、深々と頭を下げた。


「ちょっと、シロ。話が長い。ご主人様は目が覚めたばかりなのよ」

「クロ。ご主人様の御前ですよ」

「ご主人様、お水どうぞ」

「あ、ありがとう」


人の姿になっても、仲は良さそうだ。


「シロ、なんだよね?」

「はい。シロです」


うーん、美男子。

クロのように、何か名前を考えないと。


「私はシロという名が気に入っているのですが」

「じゃあ…シローナ・ジャクソンっていうのは?普段はシロって呼ぶから」

「ご主人様の御心のままに」


シロは胸に手を当て、にっこり微笑んだ。

もし気に入らなかったら自分で考えて変えてくれてもいい。

そう言ったら、

「それでご主人様のお心が安らぐなら」

と返された。

気に入った、ってことでいいかな。いいよね。


「さて、ご主人様はなぜお倒れになったのでしょう?」

「え?あ、名前を思い出そうとしたらくらくらして…心配かけてごめんなさい」

「いいえ、ご主人様が謝る場面ではございません。クロ」


シロがクロを睨みつける。

クロはさっと私の後ろに隠れた。


「だって倒れるなんて思わなかったんだもん!」

「うん、そうだよね、ごめんごめん」

「ご主人様!クロを甘やかしてはいけません」

「甘やかすってそんな」

「シロのいじわるー、おこりんぼ!」

「クロ!」

「まあまあ…」


クロの方が幼いいで立ちのせいもあって、まるで兄妹だ。

そのうちヤコもやってきて、部屋はいっそうにぎやかになった。






夢の中で、私は何かを探していた。


「どこ…私の…」


あるはずなのに。どこ?

真っ白な空間には何もない。誰もいない。

そんなところに何があるというのか。

でも、私は探している…あるはず。絶対にある。


「…」


遠くで誰かが私を呼んでいる。

誰?

私の…がどこにあるか、知っている?


「…」


聞こえない。見つからない。

教えて、あなたは誰?




「…だれ…?」


伸ばした手が空を掴む。

慣れたはずのベッドがなんだかよそよそしく感じる。

ああ、私はこの部屋の主人じゃない…


「ご主人様。お目覚めですか」

「………」

「ご主人様?」

「っ、あ…おはよう」


なんだか頭が冴えない。

何か大切なことを忘れているような気がする。


「行かなきゃ…」


どこへ?

わからない。でも、行かなきゃならない。

そんな気がする…


「ご主人様。旅には相応の準備が必要です」

「え?」


シロの手が私の肩に触れると、頭にかかっていたもやがだんだんと引いていくように感じた。

どきどきする胸をそっと押さえ、深呼吸。


「今は冬です。春までお待ちください」


シロは私の肩にかけていた手を離し、でもまっすぐこちらを見据えた。


「わかった…」


今すぐ駆け出したいようなはやる気持ちを抑え、私は頷いた。

駆け出したところで、行き先は分からないはずなのに。


「春までにお教えしたいことが山ほどありますし」


なんだか…怖いこと言ってない?




宣言通り、翌日からシロによる講義が開始された。

まずは気候から。

シロによれば、今は一度目の冬の半ば。

季節の移ろいは変則的で、おおまかに夏季、雨季、冬季とその狭間で構成されている。

夏季は乾季と呼ばれることもある。

雨季、夏季、雨季、冬季、雨季、冬季…と季節が巡るのだそうだ。

雨季はだいたい30日ほど雨が続き、10日程度の晴天を挟んでまた20日雨。次は夏季。雨季の間にも徐々に気温が上がり、雨が止んだ後5〜60日雨が降らない。

めちゃくちゃ暑いのかというと、それほどでもないらしい。昼間は汗ばむ程度で、夜は少し肌寒いくらいだと言う。

その次はまた同じような雨季を挟んで冬季。冬季は雨ではなく雪が多く、当然気温が下がる。続いた後、一旦気温が上がって雨季となる。この雨季は雨が降るとはいえかなり少なく、地域によっては霧季と呼ばれるらしい。

そしてまた気温が下がり、冬季を迎える。この冬季は一度目よりは寒くないが、雪が降ることもある。ほとんど晴天で、雨季に戻る。


ちなみに、一年をどこで区切るのか、と聞いたら変な顔をされた。

どこから一年が始まるかは種族や民族によって異なるため、統一した区切りはないという。

教育のために便宜上雨季から説明されたが、それがいわゆる「正月」ではないそうだ。

ともかく、これで私は夏季に目覚めたらしいことがわかった。雨季や冬季だったらと思うとぞっとする。

本当にラッキーだったんだな。神様ありがとう。感謝します。


それにしても私の記憶とは全く気候が異なる。

それだけ長い時間が経っていて、地球も変化しているということだろうか。




シロもクロも、私が何も食べず何も飲まなくても、特に気にしていない。

というか、飲食することがどういうことか、根本的に理解できていないように感じる。

一度紅茶の淹れ方を教えてみたのだが、手順は覚えられても出来上がりの味の違いはよく分からなかったようだ。


「渋味…この舌が痺れるような感覚のことですか?苦味?甘味?それは一体どのような…」

「んー、よくわかんないけど、ご主人様のはおいしい!」


シロによる教育の合間にお茶の時間をつくっておいてよかった。

息抜きがないとやってられない…と思うくらいには、かなりスパルタに詰め込まれている。

おかげさまで、初歩の魔法なら使えるようになった。

それでもまだ厨房の設備は使えないけど。


飲食に全く興味がない2人と、飲食を基本的に必要としない私。

当然ながら、甘味などは存在しない。

ああ、クッキーやマシュマロ、チョコレートが恋しい…

パントリーらしき場所に缶詰の茶葉を見つけ、ストレートの紅茶なら淹れられるようになったとはいえ…本当は砂糖が欲しい。

ハチミツでもいい。

どちらも今は夢のまた夢だ。

温かい紅茶を味わい、ため息をついた。




ヤコ、アキ、ハルは順調に回復しているらしい。

そう言われても見た目には特に変化がないので、私にはわからない。


「ヤコはそろそろ人の姿になれそうじゃない?…もうちょっとかー。楽しみだなー」


クロはヤコと楽しそうに話している。

確か、魔力の波動を読むとかなんとか言っていた。

もしかして、私にもいろいろと話しかけてくれていたのだろうか。伝わらなくて申し訳ない。


「お気になさらず。ご主人様は私たちを癒してくださるだけで良いのです」


シロはそう言ってくれるが、クロは…笑っている。

しばらくクロを重点的にかまっておいた。


雪が降るほどの寒さはそれぞれ20日程度。季節の狭間がそれぞれ10日程度あり、合計365日

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