<復興と崩壊>
ニューヨークの奪還を始まりとしてアメリカでは次々と占領されていたアメリカの地がソ連軍から解放されていくこととなった。
ロサンゼルスでは空爆のほか陸上と海上からの砲撃後にアメリカの旧国道であった66号線からやってきた第一騎兵師団がロサンゼルスへと突入しソ連軍の出入口であったドジャースタジアムを制圧、こちらもすでにソ連との出入口は消えてなくなっていたが多くのソ連兵を捕虜として都市の奪還に成功したのである。
このようにアメリカ各地でソ連軍は次々と敗退し、この数か月にわたってソ連軍に占領されていたアメリカの地は全てアメリカの完全勝利という形で奪還されソ連によるアメリカ侵攻は終わりを迎えた。
この勝利はパラレルワールドという地球外からやってきた生命体との戦争での勝利であり、その後アメリカは都市の再建という復興への道を歩むこととなる。
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一方、アメリカがソ連軍に勝利した後、アメリカを同じくソ連の侵攻を受けていたユーラシア大陸の東にある国々は苦境に陥っていた。
アメリカの反抗作戦が始まる前にロシアのウラジオストクは陥落、ロシアは東経120度より東側を完全にソ連軍に占領されることとなり中国も旧満州を完全にソ連軍に占領されるまでになっていたのだ。
そのうえ両国はアメリカの都市奪還や最終的なアメリカの勝利に焦って無理な攻撃を命令し、これにより部隊が各地で撃破され戦線も崩壊状態となっていたのである。
しかもそれだけでなく北朝鮮がロシア領土内にいたソ連軍を攻撃したことによりソ連軍がそれに反撃する形で北朝鮮にまで侵攻を開始しており、日本の北に広がる大陸ではソ連軍が優位な形で戦線が広がっている最中であった。
だが今まで国際社会で好き勝手にやってきていた国々を助ける国などあるわけもなく、それからさらに3か月ソ連軍による侵攻が続くこととなる。
そして3か月が経過したその日、パラレルワールドからやってきたソ連軍がこちらの世界に侵攻を開始してかた6か月以上が経過してソ連軍はこの世界から突如として完全に撤退した。
それはソ連最高指導者タターリンの死といくらソ連軍とはいえパラレルワールド間の戦争でアメリカを相手に大損害を出したうえ、その後も続くロシアや中国への侵攻を継続することは予算や総合的に見て不可能だったからであったことから決定されたものであった。
しかしそんなこと侵攻を受ける世界にとっては知ったことではなく、最後の最後まで世界はソ連軍に振り回されることとなった。特にその撤退速度は尋常ではなくロシアや中国の追撃部隊も追いつけないほど迅速なものだったのである。
こうしてソ連軍突如と現れてから半年が過ぎてこの世界からソ連軍は完全に姿を消し、世界に平和が戻ったのであった。
・・・だが、ソ連軍がこの世界に与えた被害は少なくなかった。
今後アメリカは都市や軍事拠点の再建に10年以上の期間が必要なのは明白であり、最初に行なわれた侵攻で喪失したアメリカ軍を立て直すにも相当の時間がかかるのは明らかである。
そのうえ極東で行なわれたソ連軍による侵攻は関わった国々に収まることのない混乱を残していった。
ソ連軍による侵攻終結後ロシア極東部はもはや無人地帯となって統治ができない状態となっており、中国もソ連軍と戦った中国軍の被害の大きさから中国共産党の責任を問う大規模なデモが頻発していたのだ。
そのうえ中国は今回の戦いで得るものもなかったことから軍人への補償もできず、さながら元寇の後に崩壊した日本の鎌倉幕府のような状況へと追い込まれていた。
そしてその後中国国内でウラジオストクなどかつて清国の領土であった外満州の返還をロシアに求める世論が大きくなると中国共産党は党への非難を避けるためその世論に便乗することとなり、これは中国とロシアの関係を一気に悪化させることとなったのである。
またそれから少しして北朝鮮で事クーデターが発生、内戦に発展すると中国とロシアはそれぞれ別の勢力を支援して内戦が激化しソ連軍と戦った極東の国々はもはや共倒れによる崩壊の一歩手前へと突き進んでいた。
だがそのような結末はこちらの世界だけでなく、今回の侵攻を研究する軍事専門家たちによればこちらの世界に侵攻したパラレルワールドのソ連も無事では済まないであろうことは間違いなかった。
侵攻したソ連自身もこの世界での戦いでこちらの世界で行なわれたソ連によるアフガニスタン侵攻の10倍以上もの損害を出しており、この戦いはパラレルワールドのソ連にとってこちらの世界で発生した1991年のソ連崩壊のような結末をもたらすのはそう遠くないだろうというのだ。
最終的に今回のソ連による侵攻はソ連自身の崩壊と侵攻されたこの世界でかつて東側と呼ばれていた国々の崩壊という歴史的出来事を与えただけだったのである。