1.
「――まさか、黒髪の子がうまれるとは」 「それも、まるで闇属性のようだと…。王室が公にしないよう取り計らうらしいぞ」
光を象徴する王家に、新たな姫が誕生すると告げる合図――本来ならば人々がこぞって祝福し、街角には花が飾られるはずだった。だが、今回はどこか重苦しい雰囲気が漂っている。元公爵令嬢の王妃―マリアが産んだ双子という珍しい事態。
白いカーテンに囲まれたベッドには、虚ろな目をしたマリアが横たわっている。彼女こそは聖女の資質を持ち、教会に仕える祈り手として尊ばれた存在。出産を終えたばかりの彼女の傍らには小さな揺り籠がふたつ。しかし、そのうちひとつの中身には穢れと忌み嫌われるものがいるかのように、侍女たちは縮こまって目を伏せていた。
「ひ…ひとり目の姫は金の髪を持ち、聖なる光を宿しております。ですが……」 「……二人目が、真っ黒い髪。まるで闇のようなオーラがにじんでおります」
侍女の言葉に、立ち会いの神官が苦々しい表情を浮かべる。「闇属性」など王家にあってはならない。それは光の国是と大きく矛盾する存在だ。王室直属の神官は迷うそぶりを見せたが、結局、そっと口を開いた。
「その子は――死産ということにすればよろしいかと。出してはならぬ。王家の名誉を守るためにも」
マリアの顔が苦しげに歪む。彼女自身が強い光属性だったが、その光に圧されるように闇を帯びた子を産んだ。それが、どうしようもなく疎ましく映ったのだろうか。けれど、マリアの口からは「そうね。わたくしの口からも、そう伝えておきます」と、弱々しく了解の言葉が漏れた。心底から納得しているわけではないのかもしれない。けれど、この国、この王家の掟――生まれた子が闇属性だなど、決して公表できるはずもない。
その時、揺り籠の中の黒髪の赤子が、か細い泣き声を上げた。が、ほとんどの者は顔をしかめて退いてゆく。まるで呪いでも浴びるかのように。
神官が小声で「……できるだけ早く処分しろ。そうすれば王家に混乱は及ばない」と凄惨な指示を出す。侍女たちも恐怖と嫌悪に震えつつ、赤ん坊に手を伸ばした。
「なんて…なんて笑顔なの、この子。……嫌だわ、不気味だわ」 見れば、その黒髪の娘は確かに微笑んでいるかのように口端を動かしている。それは赤子特有の顔の動きかもしれない。だが、周囲には禍々しく映った。
「殺してしまえ。いや、薬で眠らせるだけでも……!」
神官が震える声でそう言いかけた時、赤子の体からふわりと闇の靄が噴き出した。まるで防衛本能が働いたかのように。それに触れた侍女のひとりが、突然「ひっ」と悲鳴を上げ、床に倒れ込む。
苦しそうに胸を押さえている侍女に、マリアは顔を強張らせた。
「まさか、この子が? ほんとうに災厄を…」
神官も恐る恐る床に伏せる侍女の脈を取ると、「熱が急上昇している…意識も朦朧としているな」と呟く。赤子を殺そうと手をかける者が、このように倒れてしまう。それが繰り返されるうちに、王家の人間たち――特に“表”の世界で要職に就く者は、誰も近づかなくなった。
こうして、光属性の姉だけが「王家の姫」として世に公表され、一方、黒髪の妹は“闇の力”を宿す純粋悪女と呼ばれ、その存在を消されることになった。
―リリエステル・ベルンシャテル。彼女は生まれて間もなくして“幽閉”という運命を背負わされる。
王室による抹殺計画も闇の力により幾度となく失敗し、命からがら逃げてきた暗殺者が震えた声で言う。
「彼女は……屍の前で、俺に微笑みかけてきたんです。まるで”苦しまずに葬ってあげる”とでも言わんばかりに」
――あれから十数年。
日の光をほとんど知らぬ地下の一室で、リリエステルはひっそりと暮らしていた。もっとも、本人はいつも穏やかな表情で、少し曲がったキャンドルの灯火に手を翳しながら日記を綴っている。
「……ええと、今日は使用人のサラさんが足をくじいてしまったみたい。寒いからと私に毛布を届けに来たばかりに…申し訳ない事をしたわ」
「10mほど遠くから毛布を投げ入れるよう言ったのに、届かなかったから、私がちょっと近づいてしまっただけに…でも、足をくじくだけで済んで良かったわ。もっと近づいていたら、骨を折っていたかもしれない。」
彼女は憂い顔をしながらペンを走らせる。人が近づくと、彼女自身制御できない”闇の力”が反応し、相手が体調を崩したり、怪我を負うどころか、悪意を向けてくるような人には相応の”罰”がくだされてきた。
誰もがリリエステルを“災厄”扱いする理由はそこにあるのだと再認識した。
扉の外からは常に監視の者がいて、廊下を重い足音で行き来している。食事や最低限の生活必需品は届けられるが、リリエステルはそれ以上に望むものはない。望まぬ幽閉にも関わらず、その笑顔に誰しもが不気味がっていた。
「でも……できれば、私、もう少し母様に会いたいのだけどね」
リリエステルは小声で呟く。聖女の王妃マリアといえど、闇を宿す娘の元へ定期的に訪れるわけではない。むしろ後ろめたいのか、顔を合わせるのは年に一度あるかないか。その上いつも複雑な表情を浮かべ、そそくさと帰ってしまう。
と、その時、監視兵の荒々しい声が奥から聞こえた。
「開けろ! リリエステル殿下をすぐに連れ出すぞ!」
地下空間がざわつき、鍵を乱暴に回す音が響く。重い扉が開き放たれ、複数の兵士がなだれ込んできた。リリエステルは呆然と立ち上がるが、兵士たちは彼女を見るなり顔を歪め、なるべく触れまいと棒のような器具を構える。
「すぐにでも連行しろ。近づくなよ、呪いを受けるぞ」
リリエステルは縮こまり、冷静に問いかけた。
「外の空気は吸いたくないので、ご用があればこちらで伺いますが…?」
彼女は笑顔で答える。嫌な役目を押し付けられた兵に、同情するかのように。
外に出れば、闇の気で王室の人間がどうなるかわかったものではないので、彼女なりの気遣いだったが、兵士の隊長らしき男が、まるで嫌悪するようにそっぽを向き、「王命だ、黙って歩け」とだけ言い放つ。
リリエステルはぎゅっと日記帳を抱きしめて一歩引き下がった。
(……また、私を殺そうとするのかしら。でも、今度はどんな方法を?)
そんな暗澹たる思いを巡らせる中、廊下を出ると見覚えのある人物が立っていた。まだ若い男だったが、まっすぐな眼差しでリリエステルに頭を下げる。
「リリエステル様、私が……おそばにおります。どうか、落ち着いて」 「シャーロット……! なぜ、あなたまでここに?」
シャーロットと呼ばれたその女は、リリエステルの数少ない理解者――というほど親しいわけではないが、いつも彼女に差し入れをくれたり、世間の話を伝えに来てくれたりする王廷務めの女男爵だった。
「どうやら……陛下が、リリエステル殿下を“法廷”へ出すと決められました。クレア殿下が、殺人の罪でリリエステル殿下を告発したようなのです」
クレア・ベルンシャテル―リリエステルの双子の姉にして、第一王女だ。
リリエステルは目を瞬かせる。「殺人……?」と問い返すと、シャーロットは唇を噛み締めながら続けた。
「時期王妃候補を争っていた異母姉妹のひとりが、惨殺死体で発見された。――その容疑を、あの姉上様は“あなたがやった”と……。本日の裁きで、断罪される見込みです。私は納得できませんが、全ては姉上様……いえ、王家の思惑通りになるやもしれません」
「……私、殺しなんかしないわ。第一、地下にずっと籠もっていたのに。でも、そう。お姉様は最近、こっそりここを訪れるし……私の服を借りたりして、似せた格好をしていたこともあったわね……妙に不自然な笑顔を浮かべて」
リリエステルとクレアは髪や目の色が違う。
「双子という事もあって面立ちはそっくり。変装すれば“リリエステル殿下”を偽り、異母姉妹を手にかける事も―」
「シャーロット、それ以上は聞きたくありません」
リリエステルが遮る。
「申し訳ございません。殿下の御心を察するあまり……どうかお許しください。」
「お姉様の勘違いかもしれないでしょう?それを決める為の法廷なのですから」
リリエステルは、冤罪を吹っかけてきた本人すら、疑う事をしなかった。
彼女は大人しく両腕に縄をかけられた。シャーロットだけが涙目で「どうかご無事で……私がついております」と寄り添う。