第六話 凍てついた感情
「気分が悪い」
「どうしたんだ?」
ルチルが朝一番に見たものは、青い顔をして胃の辺りをさすっているリアンの姿だった。普段着に着替えながら恐る恐る質問してみる。げんなりした表情でリアンはルチルを見返してくる。
「まずい魔力を吸収しすぎた。胃もたれをおこしているような感じだ」
「大丈夫か?」
どうすればいいのかがわからないので、とりあえず背中をさすってやる。魔王って何食べるんだろうと思いそれも質問してみる。
「基本的には人間と変わらん。だが、飲まず食わずでも生きていける。その場合は他人の魔力を吸い取って生きる」
「魔力を吸い取る?」
「そう、全部な。簡単に言えば命を食らうということになるな」
抑揚のない声で淡々と告げられ、リアンの背をさする手がとまる。軽く振り向けば表情を凍てつかせたルチルがただじっとりアンのことを見ていた。
無理もない、と彼は思う。命のやり取りなんて彼にはわからないだろうと考える。
「そうか。それが魔王と呼ばれる由縁か?」
「そうともいうな。それよりも驚かないのか?」
「なにを?」
「命を食らうということ、つまり殺すということに。怖くはないのか、いつお前の命を狙うかわからないぞ」
「あぁ、そんなことか」
さするのをやめ、着替えを再開する。その姿を魔王はただ観察する。
着替え終わると、自分の両手を見せるつけるように彼の前に出す。その意図がわからず手とルチルの顔を見比べる。
「俺の手は血に染まっている。だから別に平気だ」
「なにが?」
「俺も命を食らってきたから」
「……」
ルチルの言いたいことがわかり、黙り込む。彼は命を狙われてきたのだろう、おそらく実の両親たちに。一人だけ毛色の違う子供、畏怖し排除しようとする考えがあるのは当然だろう。
そして、命を狙ってきたものを殺しながら彼は生き延びてきた。その命を食らい、両手を赤く、その瞳と同じ深紅に染めながら。
「そうか」
「うん」
ただ一言返すだけしかできなかった。ルチルの深紅の瞳を見上げれば奇妙なくらい感情の波がなく凪いでいた。
おそらく感情を凍てつかせているのだろう。それを見るのが心苦しかった。
「だから私はお前を守護しよう。私と同じ苦しみを味あわせないためにも…」
「なにかいった?」
「なにも?」
ぽつりとつぶやかれた言葉が聞き取れなくて聞き返せば、なんでもないというように微笑しながら首を横に振る。
代わりにふと思ったことを口にする。
「ルチル、お前泣くことを忘れたか?」
「えっ?」
虚をつかれた顔をする、リアンの質問の意味がよくわからなかったのだ。その反応だけで彼にはわかってしまった。
「いや、なんでもない。それよりもお前の武器を見せてくれ」
「これだ」
そういって取り出したのは、黒い柄の剣。柄頭には深紅の宝石がはまっていて、柄はルチルの手の形に合うように作られている。鞘から剣を引き抜けば、鈍く輝く刃が現れる。
「切ることにも突くことにも特化した刃、手になじむように作られた柄。最高峰の鍛冶師によって作られた剣だな」
「あぁ。今は亡き祖父が、俺に贈ってくれた俺の愛刀だ」
「お前の祖父は今の現状を予見していたのかもな」
柄に少しだけこびりついている血のかけらを指で拭い取りながら、刃越しにルチルを見る。なんともいえない表情をして剣に視線を落とすルチル。
「かもな。だけど、魔王と一緒にいるということは想像していなかっただろうな」
「確かにな」
楽しそうに笑うルチルの表情がどこか無理をしているようにリアンの瞳には映った。感情を凍てつかせ、心を殺し生き延びてきた青年。今までの人生の中で、どれほどまでの苦悩があったのだろう。
考えようと思い、やめた。自分が考えたところで、何も変わらない。
「返す」
「あぁ」
鞘に刃を収め、両手に乗せて渡す。少しだけ瞳を揺らしながらルチルはそれを受け取った。ベッドの下には戻さずに腰に差し帯刀する。
「今日はどうするんだ?」
「夜まで暇だな、対してやることもないし」
「ならば少し太刀筋を見てやろうか?」
「本当に?」
まだ気分が悪そうだったが、頷くとゆっくりとした動作で立ち上がる。大丈夫そうだなと、納得しルチルは部屋を出る。
「先に行っていろ」
「どうしてだ?」
「少しな」
そう返すリアンの黄金の瞳には冷たい光が宿っている。その理由を聞いてはいけないと理解し言葉なく頷くと庭園の隅に向かう。少しだけ気になって振り返ってみれば小さく手を振られたので、振りかえしておいた。
それを横目で見送り、角を曲がったところで通路の反対側を睨むように見る。
「今日こそ」
「今日こそなんだ?」
「えっ?」
「貴様もか」
通路の先から小走りに現れたメイドに静かに声をかける、あたりを見渡しているのでその目の前に姿を現し頭をわしづかみにする。
記憶を調べルチルを背後から刺そうということを知ると、問答無用で魔力を吸収する。
一瞬にして干からびるメイド。それを通路に放り投げ、火を放ち灰も残さずに燃やし尽くす。それを見る目は恐ろしく冷たい。
「感情を忘れてはならない、それはとてもつらいことだから」
小さくつぶやきながら完全に消え去ったことを確認すると、その場を後にする。
こうしてまた一人、城から姿が消えた。




