第四十一話 悪夢
何かが近づいてくる。
禍々しい力を帯びた何かが、落ちてくる。
それは徐々にこちらに、自分めがけて落ちてくる。否、自分にではない。『世界』にだ。
【全てを破壊しよう、『終焉の死』の名にかけて】
禍々しい背筋が凍るような声が、聞こえルチルは叫んだ。この悪夢から逃れられるのならばと言わんばかりの絶叫を、はきだした。
「うわあぁぁッ!?」
「ルチル!?」
叫びながら跳ね起きたルチルが最初に見たのは、薄い金色の瞳だった。何度か瞬きをした後にそれがラピスの瞳だということに気づく。
リアンの瞳はもっと濃い金で黄金と称せる色なのだ。
「ラピス?」
のどがひりつくような感覚があり肩で息をするルチルに、並々と水が満たされたコップを差し出してやれば、軽く上半身を起こして水を飲み干す。
コップを返し、窓の外を何気なく見ればまだ外は夜でそれほど時間はたっていないと思われる。夜闇が先ほどの夢と重なって無理やり視線をはずす。
「今……何時?」
「真夜中を過ぎた」
「俺どれぐらい眠っていた?」
「丸一日」
「そうか……丸一日も。……丸一日!?」
淡々と返してくるラピスの言葉に納得して深呼吸をし寝転がった瞬間、聞き捨てならない言葉を聞きゆっくりと体を起してラピスの顔を凝視する。
ずきりと胸部に鈍い痛みが走ったがそんなことはお構いなしに、ラピスに詰め寄る。
「チャンピオン戦は?」
「本来は昨日のはずだったんだがな、私が一日伸ばさせた」
「そうなのか」
「ぼろぼろのお前と戦っても面白くないし、何よりしっかりと休息をとってほしかったからな」
寝ろと軽く体を押され、大して抵抗できずにベッドに沈みこむ。ベッドに体を倒したところで目が冴えてしまったので、そう簡単には寝付くことは出来ない。さらに言えば先ほどの得体の知れない夢をまた見そうで怖いのだ。
「リアンたちは?」
先ほどから姿も見えないし気配も感じない、不安そうな声音で問いかければ小さく苦笑しながら出かけていると告げてきた。
「どこに?」
「私たちの敵が現れたからな、その残滓を探っている」
「セレス?」
「そいつもだがな」
それよりもと表情を引き締め顔を覗き込んでくる。額に張り付く髪を払ってくる手の冷たさを心地よく思いながら、視線を返す。
「うなされていたぞ、どうした?」
「変な夢を……見た」
「うなされるほど?」
「うん」
先ほどの夢を思い出すと、背筋が寒くなり喉が急速に渇いていく。
無意識のうちに震えるルチルを片目を眇めながらラピスは眺めつつ、それ以上は追及せずに手を握ってやる。
そうすると安心したのか震えが収まるルチル。でも瞳に宿る不安そうな光は消えない、誰かを探すように視線がさまよう。
「リアン、今すぐに帰って来い」
「ラピス?」
虚空を見つめてリアンの名を呼ぶラピスをいぶかしげな顔で見つめる。何をしたかは答えずに頭をなでてやり落ち着くように言う。
「大丈夫だ、今は私がいる」
「……なぁ、ラピス」
「うん?」
「夢でさ、変な言葉とか声が聞こえたことってないか?」
軽く眉間にしわを寄せ、何かを思い出すように視線をさまよわせる。少しして結論が出たのか静かに首を横に振る。
似たような経験はあるが、と付け加えそこから先は何も言わない。
「そうか」
「聞こえたのか、何かが?」
「……うん、まぁ、その」
「何か用か?」
ルチルが歯切れ悪く何かを返そうとするその場にリアンがものすごく不機嫌そうな顔で現れた。殺気が部屋の中に充満し、悪夢と疲労のせいで弱っているルチルは体を萎縮させる。
「ルチルが起きた」
「……そうか」
ルチルを視界に入れた瞬間、殺気は霧散し全身から安堵を滲ませる。静かにベッドのそばにまで来ると額の髪を払い熱を測る。
瞳を覗き込まれ、リアンの顔を視界に入れるとようやく緊張を解き安堵の息を吐く。
「微熱があるな」
「うなされていたからだろう」
「ラピス?」
「変な声や言葉が聞こえる夢を見たらしい」
何で起こさなかったと、すぐに呼ばなかったと、どういう意味だと、いう意味を込めて、絶対零度の声音で彼の名を呼べば冷や汗を流しながら、簡潔に答える。ルチルが使用する黒炎のようなオーラを直視し勢い良く視線をそらす。
当の本人といえばリアンが現れたことなのか、どうかはわからないがとろとろとまた浅い眠りにつきかけていた。
「ルチル、今は眠れ」
「ん~……リアン」
「なんだ?」
「またどこかに行くの?」
不安そうな声音に小さく微笑し眠たげな眼を覗き込むとすぐに戻ってくると告げる。本当かどうかじっと見つめれば、笑みを深くし頷く。
「まだ朝が来るまでには早いからな、もう少し眠って体を休めろ」
「うん、わかった……」
眠気を誘うように頭をなでてやれば、ルチルはゆるゆると瞼を伏せ静かに意識を手放す。それを見届け二人は顔を見合わせた後その場からかすむように消えた。
ルチルはまた夢を見た。
今度は声は聞こえなかった。だが強大な光を発する何かを一人の男が受け止めているのが見えた。その人物の顔はフードに隠れていて見えなかったが、金と銀の双眸だけがちらりと見えた。
彼の周りには倒れている四人の人影が、男はその四人を振り返り何かをつぶやくと強大な光を発するその禍々しい何かを結晶の中に閉じ込め、地中深くに封じ込めた。
男はそこで力尽きたように倒れ、二色の金と銀の光となり人の形になるのがわかった。
「あれは、なんだ?」
ぽつりと言葉を漏らせば、それは波紋の様に広がった。
首を傾げていれば、地中深くに封じ込めれた禍々しい光がかすかに漏れ出し、倒れている四人と二つの金と銀の光を貫いた。それを見ていたルチルは恐怖を覚える。
すると彼らはまるで宝石のような結晶に姿を変え、四方に散らばった。ルチルの目には結晶が、魔王の封じられている宝石のように映った。
ルチルが見ている中、かすかに漏れていた光は徐々に強さを増し奇妙な手の形をとると、ルチルめがけて飛んできた。まるで彼がそこにいるのをわかっているかのように。
恐怖で金縛りにあったように動けないルチルは、凍りついたように自分を覆い尽くそうとしてくる手を見つめることしか出来なかった。
そのとき銀色の光が自分を包むように胸元からあふれ出し、意識が浮上するのが感じられた。
―――夢に、過去の記憶に囚われてはいけない―――
誰かの言葉が聞こえ目の前が白に染まった。
「はっ!? へっ、えっ?」
唐突に目が覚めると、全身が汗でびっしょりとぬれており、体を起こすと冷たい空気が体温を連れ去っていく。身震いしながら部屋の中を見回す。
闇が部屋を支配しており、先ほどの夢を思い出す。忘れようと頭を振るがこびりついたように夢が離れず、がたがたと震えながら家族の名を呼ぶ。
「リアン。カーネ」
双炎の魔王の名をを呼ぶが戻ってくる気配はない。
「ジェイド。ラピス」
風と水の魔王の名を呼んでみるがまったく反応がない。泣きそうになりながらベッドから降り窓に近づき少しだけ開ける。
夜風を吸い込み気分を落ち着けようとするが、気持ち悪い感覚が全身を這いずり回っている気がして腕をさする。
「みんな、どこ……?」
涙がたまり今にもこぼれそうになったとき、銀色の光が視界に入った。ベッドサイドを見れば壊れた十字架がそこにおいてあり銀色の光が明滅していた。
「オブ?」
そろそろと近寄って手のひらに載せてみる。暖かい光を見つめていると不安が解けていくような感覚がして少しだけ脱力する。
「オブシディアン……」
「呼んだかい?」
十字架をくれた人物の名を呼べば、優しい声が後ろから聞こえてきた。ゆっくり振り向けばたいていリアンが座っている場所に、今までその前に立っていた場所にいつものように黒いローブを羽織ったオブシディアンがいた。
「呼んだ? ルチル」
「オブ」
「怖い夢を見たのかな? 泣いているよ」
ふらふらと近寄ればやさしい手つきで涙がぬぐわれる。そこでようやく自分が泣いていることに気づく。よしよしと頭を撫でられて、不安から開放された安堵からかぼろぼろと涙が溢れ出す。
「もう大丈夫。怖い夢は見ないよ」
「……っ……」
「大丈夫、大丈夫。今は私がいるよ。どんな夢を見たんだい」
静かに促されるが怖い夢を思い出したくないのか、嫌がるように首を振る。そうかと苦笑しながら、ルチルの前に降りるとふわりと包み込むように抱きしめてやり、あやすように背をたたき始めるオブシディアン。
まるで昔からそうしてきたかのように、手馴れている優しい手つきで。
「そっか、思い出したくないんだね。ならいいよ、言わなくて。落ち着いたら話してくれればいいからね」
「……みんなは?」
「彼らも、もうすぐ戻ってくるよ。少しタイミングが悪かったんだね」
子供のように泣きじゃくるルチル。優しい声で大丈夫だとささやき続けるオブシディアンは、ルチルが握っている十字架に視線を落とす。
さらにひびが入り、輝きが失われてしまっている。それを確認しほっとしたように息を吐く。
「夢でなにかあったんだね」
「わかんない。でもあれは良くないもの」
「そうか、ルチルお守りを出して」
手のひらに載せた十字架をオブシディアンに見せる。彼はルチルの手ごと十字架を包み込むと静かに魔力を流し込む。
手を離すとそこには壊れる前と変わらない輝きを放つ十字架があった。
「これを常に身に着けておいで」
「どうして?」
「夢でも守ってくれるから」
そっと取り上げると首にかけてやる。一度強く抱きしめるとベッドへと促す。だが、ルチルは夢を恐れるのか彼のローブの端をつかんで離さない。
苦笑しながら指をそっと優しく離させ、あまり長くはここにいられないと告げる。
「そろそろ行かないと」
「一人はいやだ」
「大丈夫、すぐに君の家族が帰ってくるよ。今度は怖い夢をみないから」
ゆっくりと頭を撫でられながらぼんやりと自分の警戒心はどこに行ってしまったんだろうかと思う。思ったが今は手の温もりがとても優しいので、振り払うことはしない。
ルチルは気づかなかった。オブシディアンの手が銀色の光に包まれたことを、その光がルチルの中に吸い込まれていったことを。
「また何かあったら呼びなさい」
「オブ、あなたは何者なんだ?」
「魔王も世界も関係ない。…………ルチルだけの味方だよ」
漆黒と蒼の瞳が穏やかに笑うのが少しだけ見えた。なぜだか安心してベッドに寝転がる。風邪を引くといけないからと毛布をかけなおしてくれる。
「ルチル!」
「ほら、帰ってきた」
「うん」
部屋の中に暴風が吹き荒れ四人が帰ってきた。からからと楽しそうに笑いながら帰ってきたよという。それにうなずき小さく笑う。
「オブ」
「うん?」
「ありがとう、きてくれて」
「ふふ、またいつでも呼びなさい」
影に溶け込むように消えていったオブシディアンの姿を眼で追いながら、お帰りという。
「ルチル、何があった?」
「夢を、また夢を見た」
すぐさまリアンがそばに来て、訪ねてくる。その顔つきは険しく何かあったのかと思う。
そんな思いが顔に出ていたのか、カーネが。
「オブシディアンの魔力がお前のもとに現れたから、すぐさま戻ってきた」
「それとお前の魔力が乱れていたからな」
と説明し、ジェイドも補足を入れてきた。ラピスはオブシディアンが座っていた場所に手を置き何かを読み取ろうとするが、なにも読み取れず首を振る。
「これは!?」
「リアン?」
ルチルの額に手を置き、何があったか記憶を見ていたリアンが驚きの声を上げる。彼はさらに険しい表情をし三人を振りかえる。
「どうした?」
「……ルチル」
「なに?」
「お前は過去の出来事を夢で見たんだ」
「過去?」
リアンの言葉にそれぞれ驚きの表情を浮かべる。ルチルはわけがわからずただ彼らの顔を順番に見ていくだけだった。
リアンは自分の感情を抑え込むかのように、何度も深呼吸をする。
「いずれ教えることになる。……だが、その前にひとつ聞きたい。お前、ラピスがいた時の夢を覚えているか?」
「覚えているが?」
「じゃあ、あいつの仕業か」
唸るような言葉に、いぶかしげな顔をする。彼は何も言わずに、首を振るとラピスを振り返る。
その視線に応じたようにうなずくと、彼の隣にやってきて静かに言葉を紡ぎ始める。
「今日のことなんだがな」
「うん」
「私とおまえの勝負を引き分けにするといったな」
「そうだね」
ラピスはルチルがはめている指輪に手をかざし、魔力を指輪に流し込む。魔力に反応したように指輪から彼が封印されている青い宝石が現れる。
「その場でジーギスを消す」
「どうやって?」
いきなり告げられた言葉に目を丸くすれば、感情のかけらもない冷めた瞳でジーギスの屋敷がある方向へと視線を向ける。
青い宝石を弄びながらただ淡々と言葉を発する。
「私とルチルの魔法をぶつけ合う。ぶつかり合った魔法は反発し会場の席に降り注ぐ、そのうちの一つを私が操り、やつを消す」
「そんなこと許されるのか?」
「あの場にいるものは、みんな死を覚悟してくるものだ。どんなことがあっても選手に責任は問われない。それを覚悟して、娯楽を見に来るのだよ」
心底あきれ返った声音で言い放ちルチルの手に宝石を握らせる。そしてルチルのそばにひざまずく。
「無の魔王よ。我が封印を解いていただけませんか?」
「そしてどうする?」
「契約をすれば、あなたの回復も早くなり私の束縛も失われる。そしてやつを消すことができる」
お願いしますと頭を下げるラピスを見つめ、次いで青い宝石を見つめる。リアンたちに問うように視線を向ければ、解放してやれと視線が訴えてた。
ルチルは体をがんばって起こすと、傍に置いてあった愛刀の刃で人差し指を軽く切り血を一滴、青い宝石に落とした。
途端にあふれ出すまばゆい青の光、それがラピスを包んでいくのを眩しそうに見ていた。
「ようやく、自由が手にはいった」
封印が解かれたたラピスは、薄い青の刃に金の装飾がされた柄の大剣を掲げて立っていた。丈が長く袖がない上着を羽織り、補強のされたブーツをはいたラピスは腰に巻かれた青い薄布を翻す。
両手首に幅の広い水晶の腕輪を感覚を確かめるためにさわり、次いで肩を回す。ルチルがぼんやりと彼のことを見ていると、優しく自分の手をラピスにとられた。
「ラピス?」
「契約を」
「あ~、うん。あとじゃだめか?」
「なぜ?」
「なんか、疲れた」
ようやく眠気がやってきたので、また眠くなってきたらしい。目をシパシパさせるルチルを見下ろし、次いで他の三人を見る。
リアンは相変わらずの無表情で、カーネは口をへの字に曲げていて、ジェイドは眉間のしわを常の二倍くらいに増やしていた。
「とりあえず契約だけはしてしまえ」
「う~、了解」
やれやれというように苦笑しながらラピスは息を吸いこむと契約の言霊を紡ぎだす。
『我は水の魔王リアン。わが力、黒の魔力を持ちし、「無」の魔王に分け与えん』
ラピスが言霊を紡ぐと同時に、魔力が流れ込んできて見えない冷気が自分の肌を凍てつかせていくのを感じる。凍てついた肌は、ところどころが裂傷となって血を流す。
「痛い。毎回思うんだが、なんで傷つくんだこれ?」
「まぁ、体を作り変えているようなものだからな」
リアンが治癒魔法を軽くかけてくれたので、痛みがある程度引く。うぅ……とうめいていればなだめるように背を撫でてくれるラピス。
「明日のチャンピオン戦については、刃を交えているときにしよう」
「どこいくの?」
「ジーギスのやつを引っ張り出しておかないとな。双炎の魔王、例の本の処分は任せた」
「任された」
ではまた明日と軽く手を振ってラピスは姿を消した。ルチルはどさりと体を横たえると目をつぶる。
「お疲れ様」
「もう起きたくない」
「時間ぎりぎりになったら起こしてやる。今度は悪夢なんて見ない、ちゃんとついていていやるからな」
カーネの言葉にうなずいて、ルチルはようやく意識を手放すことができた。