第十八話 風の魔王の復活
無の魔王と呼ばれ、何回か瞬きをする。自分が無の魔王などと言った覚えなどないのに、なぜ知っているのだろうと言わんばかりの顔をする。どこがで言った覚えもないのに。
この町に来てから魔王に関することはリアとカーネのどちらかといるとき以外は何一つ言ってもいないのだ。細心の注意をというところまでではないが、それなりに気を使って小声で会話をしていたのだが、それともどこかでつぶやいたかと思わず考え込む。
「風に運ばれてきている間に、記憶を見させてもらんだよ」
「そういうことか」
ぐるぐると考えているのを見透かしたように、風の魔王はルチルのことを見下ろしながらさらりと告げてくれた。悩んでいる表情を見ながらにやにやと笑ってくる。先ほどまでの不機嫌そうな表情はどこかに行ったようだ。
それならば納得だと、数度うなずき翡翠色の瞳を見上げる。
「ずいぶんと辛い風あたりだったようだな」
「その話はしないでくれ。思い出したくないことを思いだす」
親指にはめた銀色の指輪をいじりながら、冷たい声音で返す。その様子を面白そうに笑うと、風の魔王は姿勢を正す。胡坐をかいていた足をほどくと目の前にふわりと降りてくる。そして先ほどまでの不真面目な態度は消え、ピリピリとした緊張した空気が漂い始める。
「黒の魔力を持ちし者よ。俺の解放を望む、叶えられし時には願いを聞こう」
「願いか」
願いという言葉を聞いて思い出すのは、リアンとカーネ。双炎の魔王にした願いは自分を殺してほしいという願い。だが、その願いは叶えられなかったが、ずっと欲しかったものが手に入った。小さく唸りながら、じっと見つめてくる翡翠を見上げる。
「その前に一つ聞きたいんだが」
「なんだ?」
「リアンの時にも思ったこと、魔王たちの声って他の人には聞こえないのか?」
その状態の時の話なんだがと言いながら、台座の上に鎮座している緑色の宝石を指さす。
風の魔王は何だそんなことかといわんばかりに大きく溜息を吐くと、聞こえないと一言返すだけ。
それ以上は問い正しても答えてはくれなかった。若干むくれながらも、台座に近づき宝石を見下ろす。
「俺の願いは」
「あぁ」
「共についてきてくれること」
「そりゃ当り前だ」
「じゃあ、家族になって」
ルチルの願いに風の魔王は目を丸くする。まじまじと彼の顔を見詰めた後、盛大に噴き出す。
しばらくの間彼の哄笑がその場に響き続けた。
あまりにも長いので、ルチルは踵を返して宿に戻ろうとしたほどだった。
「悪いな。もっとでかい願いはないのか?」
「ない」
「そうか。……わかったよ」
ルチルがきっぱり言い切ると、どこか懐かしそうな顔をしてルチルの願いを了承した風の魔王。
「本当にいいんだな」
「あぁ。永遠に閉じ込められてるよりは楽しそうだ、ただしこれだけは言っておくぞ」
いまだ肩を震わせ笑いを噛み殺しながら、ピッと指を一本立ててルチルの鼻先をつつくようにする。実態がないので触れられないのだ。
「俺は俺が楽しいとか面白そうと思ったことにしか手を貸さないからな?」
「つまり自分の興味のあることにしか動かないってこと?」
「そうともいう。まぁ、危険があるときは守るさ、あの二人に睨まれたくないし」
「わかった」
ルチルはその言葉にうなずくと剣を引き抜き、その切っ先を人差し指に当る。ピリッとした痛みが走り浅めに切られた皮膚の間からジワリと血がにじむ。じっと見つめていれば血の滴が盛り上がる。人差し指をゆっくりと伸ばすと、反転させて緑色の宝石の上に垂らした。
ぽたりと赤いひとしずくが表面にこぼれおちると同時に濃い緑色の光が発せられる。ルチルは自分の視界を守るように腕で影を作る。その光が隣でたたずんでいる風の魔王を包み込むのを、見つめていた。
「あーやっと自由になれたぜ」
「風の魔王」
光のリボンがほどけていくと、目の前にいたのは長身の男だった。頭に白に近い薄い緑色の布を巻き、その下からは鮮やかな緑色の髪がこぼれている。
翡翠色の瞳は感触を確かめるように開いたり閉じたりしている己の掌に注がれており、表情はやっぱり不機嫌そうである。もしかするとそれが素の表情なのかもしれないと、ルチルは思った。
服装は長い袖のシャツに、ところどころ裂けているズボン。深い緑色のジャケットを身にまとっている。
ジャケットのボタンを一番上まで止めているので、口元が隠れているが、にやりと笑った口元からのぞく犬歯に狼みたいだなと思った。
「風の魔王」
「あぁ、名乗るの忘れてた。俺の名前はジェイドな」
「なら、ジェイド」
「ん、宜しくなルチル。あぁ、あと契約はあとでな」
「なんで」
拒まれたと思い不安げな表情を見せるルチル。ホントは21歳のはずなのだが、その表情は実年齢よりもだいぶ幼くジェイドの瞳には映った。
まずいと内心思いながら、記憶を覗いた時に見たリアンの頭をなでる様子をまねして不器用になでてやる。さらさらとした黒髪が手の中を滑る。
「拒んでるわけじゃないんだ。厄介なことになってんだろ、そっちを早々に終わらせてさっさとこの場所を離れたいだけだ。それにいつまでもこの面白くない町にとどまり続けたくねーし」
ぶっきらぼうな口調でもごもごと言い訳のような説明をし、ルチルの手をとると自分が封印されていた宝石をその掌に乗せる。ルチルは宝石とジェイドを交互に見た後にいまだ不安の色を残したまま、こくりと頷きポケットに宝石をしまった。
「ジェイド」
「聞きたいこと、あるんだろ。だから一人できた」
ジェイドの言葉に眼を丸くする。そこまで読まれていたとは思わなかったのだ。
その表情を見て不適に笑うジェイドは、ふわりと宙に浮くと腕組をし見下ろしてくる。それだけで威圧感が増すが、さまざまな修羅場をくぐってきたルチルは涼しい顔で見上げる。
「聞きたいことがある。魔王が全員復活したら本当に世界を滅ぼすのか?」
「直球で聞いてくるな。そういう奴は好きだぜ、回りくどいのは嫌いだからな」
「答えてくれ」
険を増した表情に、面白そうに笑うとジェイドは静かに答えた。
「末裔を殺す」
「末裔? 二人も言っていたけど、どういう意味?」
「世界を動かすのことができるやつらがいたんだよ、そいつらが俺たちを封じた。だからそいつらを殺す」
意味が分からずに困惑した表情を浮かべるルチル。何かを言おうとして口を開くが、迷うように何度か開閉し結局閉じる。
ん~? と首をかしげながらなにかを悩んでいるらしいルチルの顔を見つめる。言いたいことがあればいえばいいのにと、にやにやしながら見つめる。
この様子をリアンが見たら問答無用で殴り飛ばされるだろう、無論ジェイドが。
「また、今度聞く」
「いいのか、あの二人に聞かれても」
「うるさいかもしれないけど、その場合は仕方ない」
ふぅっと悩み疲れたように吐息を吐き出す。面白くないと思ったが、不必要に情報を与え、ルチルに不安を抱えさせることによりあの二人ににらまれるのも嫌だなと考え直す。
音も無く床に降りるとルチルに片手を差し出す。
「そろそろ行こうぜ」
「そうだな」
「あの二人が今頃騒いでると思うぜ~。あぁ、みえて熟睡してたからなあの二人」
「嘘!?」
「本当」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、自分の手を取ったルチルを引き寄せて背中に背負うと、片腕を振り上げる。すさまじい勢いの暴風が吹き荒れ、その威力で天井を破る。
唖然とするルチルをしり目に風を操って空を飛ぶと破った天井から外に出る、久しぶりに外に出られた開放感からか大声で笑うジェイド。
「いいのか……あれ」
「気にしない、気にしない」
風車の屋根に穴が開いているのを気にしないの一言で済ましてしまう。面白いことにしか興味がないということは、自分がよければそれでいいという考えを持つということなのかもしれない。
この先大丈夫だろうかと、なんとなく不安を覚えるルチルであった。