6.反響する記憶と曖昧な人影
下層を抜けた先には、また新たな空間が待ち受けていた。通路幅が広がり、天井は高く、空間全体がドーム状になっている。結晶光は弱まり、薄い闇が支配するが、リーンの目はもうすっかり闇に慣れ、岩の起伏や足元の質感を感じ取れるようになっている。
ここでリーンはふと立ち止まった。奥から、何かが聞こえる。声のようなものだ。それは人間の言葉にはなっていないが、どこか懐かしい、あるいは耳慣れた抑揚を帯びている。魔映水晶が弱く点滅するたびに、その声はかすかに強まるような気がした。
「まさか、人がいるのか……?」
あり得ないとは言い切れない。ダンジョンの深部には他の冒険者が迷い込むこともあるし、古代の亡霊や幻影が現れることもある。だが、この奇妙な配信環境下で、人間の冒険者がいるとは考えにくい。リーンは微かな期待と不安を抱え、声のする方へ歩み寄った。
足元には小さな石片が転がり、壁には不自然な擦り傷が走っている。よく見ると、微妙な曲線で壁が削られており、まるで何かが爪で引っかいたような痕跡だ。気を引き締めながら、リーンはスキルを使って警戒を強める。
【感情的等高線への不正アクセス】を発動してみる。すると、頭の中にノイズ混じりの感情パターンが流れ込む。不安、興味、探求心……どれも人間らしさがあるが、尖りすぎていて純粋なヒトの感情とは思えない。まるで真似事のようなフィルター越しの感情だ。
闇の先で、何かが揺れた。リーンは短剣を握り直し、身構える。青白い泡を一つだけ生み出し、そっと前方へ浮かせる。幻惑効果は弱いが、それが微かな光源となり、奥のシルエットが浮かび上がる。
そこには、人影があった。フードを深く被り、細い身体つき。だが、その姿は岩陰に溶け込むように不定形で、近づくほど輪郭が揺らぐ。人間に見せかけた幻影か、あるいはここに棲む異形が擬態しているのか。
「……お前は誰だ?」
声をかけても返事はない。ただ、人影がゆっくりと首を傾げた。次の瞬間、リーンの背筋に電流が走るような感覚があった。頭内に直接響く声――(……覗いている……誰かが……)。
ぞっとして後退する。人影は泡の光でかすめると、チラリとフードの奥に奇妙な紋様が浮かんだ気がした。文字列なのか、眼球にも似た文様。リーンは慌てて【星光から零れる困惑泡】を増やし、強引に光を散らして相手を幻惑しようとするが、人影はスゥッと消えるように後方へ溶けていった。
「待て……!」
追おうとすると、足元の岩が崩れ、体勢が乱れる。崩れた岩層の下から湧き出したのは、さっきの虫群よりも微細な粒子状の生物らしい。光が反射して金属片のようにキラキラと輝くそれらが、粘性のある動きで通路を塞ぐ。
畜生、この状況で戦うのは危険だ。リーンは歯噛みするが、仕方なく後退して回廊脇の割れ目に身を潜める。すると、人影のいた方向から、またボソボソとした囁きが聞こえてくる。言葉らしきものは捕まえられず、ただ、魔映水晶が共鳴するようにチラつく。あれは何だったのか。人の形をとり、感情を偽装する化け物? それとも視聴者の一部が投影した幻か。
リーンは深呼吸して、自分を落ち着かせる。理性を保て、ここでパニックになれば終わりだ。
視線を魔映水晶へ向ける。視聴者たちは楽しんでいるのか、警告しているのか、それとも関与していないのか。分からない。ただ、次へ進むにはこの闇と幻影、そして群れを成す微粒子生物を突破しなければならないだろう。
「必ず抜けてみせる。俺はまだ負けてない……」
声に出して言い聞かせる。リーンはもう一度通路を伺い、どうやって虫や微粒子群を避け、幻影を追うか思案する。その先には、もっと不可解な存在が待ち受けているはずだが、それも配信の一幕だ。自分はショーマンであり、冒険者であり、生存者なのだと、必死に自分に言い聞かせながら、彼は刃を握りしめ、再度闇の舞台へ挑む。