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5.複層回廊と透明な視線

 新たに開かれた通路は、まるで別世界への境界線を越えたかのように空気が変わっていた。乾いた廃墟エリアを抜けた先は、ゆるやかに下り坂になり、壁には奇妙な結晶が点在している。光源のないはずの深部で、結晶は内部から幽かな発光を続け、微細な虹色の揺らめきを放っていた。


 リーンは足音を抑え、周囲を見回す。この場所は明らかに「自然な洞窟」から逸脱している。複層になった回廊が縦横に交差し、下方にも上方にも細い通路が絡み合う。どこを進めばいいか分からない迷宮構造に、息が詰まる思いだ。


 魔映水晶を軽く振ると、やはり奇妙な符号が微動する。視聴者がこの複雑な構造を楽しんでいるのか、それとも期待しているのか。ここで迷って時間を無駄にすれば、どんな反応が返ってくるのか想像もできない。「彼ら」にも好みや嗜好があるのだろうか――そんな、分かりようもない疑問が頭をよぎる。


「まずは、安全な足場を見つけないと」


 リーンは壁面の結晶に近づいた。触れると、ひんやりとした感触が指先を刺す。割ろうとしても硬く、短剣では歯が立たない。それどころか、不用意に力を込めれば大きな音が響いて魔物を呼び寄せかねない。


 ここで、あの【翡翠甲殻蟲の呼吸律動を解読する幽皿】が役に立つかもしれない。呼吸律動が生物情報を与えるなら、周囲に潜む魔物の気配を探れるはずだ。リーンはスキルを意識すると、頭の中に微細な振動が走り、空洞の向こうでわずかな呼吸音を拾い始める。下方の回廊に何かがいるらしいが、今は静かに佇んでいるようだ。すぐに襲ってくる様子はない。


「下へ降りるしかないな」


 リーンは意を決して、斜めに伸びる回廊を選ぶ。足元には細かい砂粒が散らばり、滑落に注意が必要だ。そっとバランスを取りながら降りていくと、行く手を阻むように突き出た岩が見えた。その岩には、淡い紋様が刻まれており、先ほどの台座にあった文字列に似ている。


 ここで【扉なき虚空に紡ぐ断片的対話】を試す時かもしれない。リーンはスキルを起動し、意識を岩の紋様へ集中する。すると、また断片的な意味が溶け出すように伝わる。「階層」「選別」「流動の巣」――はっきりしないが、この回廊のどこかに「流動する巣」があり、そこが関門になっているらしい。


「流動する巣……何の巣だ?」


 嫌な響きだが、進むしかない。ライザのように華々しい冒険で注目を浴びたければ、こんな得体の知れない闇の中を潜り抜けて、新たな映像を「作る」以外に道はない。セルフィアがこの配信を見たら何と言うだろう。正攻法とはかけ離れたやり方で、未知の怪異へ挑む姿を、彼女は理解してくれるだろうか。


 胸中で迷いが渦巻く中、リーンはゆっくりと回廊を下る。やがて、水音にも似た奇妙な振動が耳朶を打った。下方の空間から、まるで流体が動くような微かな音が聞こえる。湿気は感じないが、何か液状のものが蠢いている気配がする。


 ここで警戒を強めるべきだ。先ほどのドレイク・リザリング幼体程度なら対処できるが、未知の生態を持つ魔物が出れば安易な戦闘は危険。リーンは【感情的等高線への不正アクセス】で周囲の生物的感情を探ろうとするが、この空間は不気味なほど静かで、感情波が乱反射している。まるで複数の生物が入り混じり、一種の合唱を織りなしているかのようだ。


「群れがいる……?」


 集中してみると、微弱な不安、狩猟本能、怯え、好奇心といった多彩な感情が混在している。個別の輪郭を掴めない。これは「流動する巣」と関係があるのかもしれない。


 リーンは【星光から零れる困惑泡】を数個発生させ、先へ転がすように意識する。淡い光の泡が岩肌を転げ、下層でちらりと反射する。その瞬間、影が一斉に揺れた。金属質な擦過音とともに、小さな羽根なのか触手なのか判別しづらい生物が泡に群がった。


 見えてきたのは、無数の小さな虫のような存在だ。翅があり、甲殻を持ち、各々が微かな輝きを帯びている。まるでこの洞窟の結晶や宝石を食べて成長した虫の群れ。それらが泡に釣られ、ある程度誘導できるかもしれない。もし安全な通路を確保するには、こうして無害化したり、誘導したりする必要があるだろう。


「使える……!」


 リーンは唾をのむ。まさか、スキルをこうした群れの誘引に使えるとは思わなかった。視聴者はこれをどう見ているのか。単なる戦闘以外に、環境操作や誘導による攻略も面白いと感じるだろうか。もしそうなら、この洞窟自体が巨大な「ステージ」であり、リーンが演出家兼主演なのだ。


 虫たちは淡い泡を囲み、化石化した苔のような粉を吐き出しながら宙を舞う。その粉が岩肌に付着すると、じわりと表面が溶けるように軟化した。危険な群れだが、泡に夢中な今が通過のチャンスだ。


 リーンはゆっくりと下層の広がった空間を横切り、反対側の回廊へ移る。粉が飛び散る音と虫たちの囁きが背後に遠ざかる。あの「流動する巣」とは虫たちの群れだったのか、それともまだ核心に達していないのか。


 何れにせよ、一歩ずつ前進はできている。この奇妙な世界のルールを少しずつ把握し、異様なスキルを実用に転じ、観客へ「ショー」を届けている。その事実がリーンを支えていた。たとえ出口も光も見えぬ地下迷宮だとしても、何かが自分を見つめ、評価していると思えば、孤独な恐怖は薄れる。


「……先へ進もう」


 遠くで虫群が舞う音がかすれ、結晶の輝きが薄まる通路を、リーンは歩く。頭上にはねじれた回廊が交差し、もう戻る道がわからなくなりつつあった。

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