招待状
翌日、リナに謝られたライは飛び退いて驚いた。
「うえええええっいいですよ、そんな、オレの意気地がないだけで」
あんなふうな気持ちになるとは思ってもみなかった。そうとは知らず頼んだ自分が安易だったのだ。
「同意の上とはいえ、人を傷つけるのは嫌なものだな。すまなかった」
「あ、はい、いえ・・・」
いつもの作業に戻ったリナを見て、ライも仕込みを再開した。
船に女が乗っている、という噂が立つのは早かった。
港に着くたびにレオは商人を船に上げ、リナに必要なものを買わせる。衣服、装飾品、調度品、本、ペンとインク、洋紙皮、石鹸や蝋燭、身の回りの品から嗜好品に至るまで何でもだ。リナの正当な分け前だ、というのがその言い分である。襲撃が毎回成功するのはリナの持つ力が多大に貢献していることは間違いない。
またレオは無頓着で、そのままのリナを来客の前に出す。当然ミレイも付き従っている。リナの振舞い、ミレイの様子からも高貴な身分の生まれであることはすぐにわかる。金払いの良い不思議な少女が船に乗っていると知れるのは早く、本当の商売人から商人を装った好奇心で来る者、何やら頼みごとをしに来る者、よく分からない用向きでただ噂を確かめに来ただけの者など様々な客が訪れるようになった。
天気が良いので外でいかがですか、と提案してくれたのはフロンだ。3人でテーブルやら椅子やら食器を甲板に運び出しお茶をしていた。ミレイは、気に入った茶葉をフロンと交換するほど親しくなっていた。
いつもの上甲板の定位置に寝そべって、新聞をめくっていたレオがのんびりと言った。
「お前の国、偽物が出てるみたいだぞ?」
「・・・偽物?」
レオの言葉を聞いたリナはふいっと上甲板のレオを見上げる。
「お前の名を名乗って国を治めてるらしい。それで信じる周りにもびっくりだけどよ。」
文字を追っていたレオは新聞の隙間からちらっとリナを見た。
リナは俯いて、何か考えている様だった。
「放っておいていいのか?」
聡いミレイは黙ってカップを口に運んでいた。
「別に・・・構わない。私はあの国を捨てたのだ。」
「お替わりはいかがですか?」
話題を断ち切るようにフロンが軽くポットを持ちあげてみせた。
「ああ、貰おう」
リナがカップを寄せると、ポットからお茶を注ぐ。その動作も慣れたものだ。どうぞ、とこちらに差し出してくれる。その仕草に、遠い日の誰かが重なった。
お茶は少し生暖くなっていたが、微かに鼻腔に触れる香りは良い。
リナはそっとカップを置いた。
「・・・その、もし違っていたらすまない。・・・キース?」
にこっと彼は笑った。
立ち上がると、膝を突き王族への礼を取る。
「覚えていて頂いて光栄です、イリーナ王女殿下。これまでの数々のご無礼をお許し下さい。」
ずっと、とこかで引っかかっていたその朧げな記憶を、やっと思い出した。幼い頃に遊び相手として側にいた子供たちの中に、少し年が上の礼儀正しい少年がいた。何事も丁寧だったが、遊びの時間はもう終わり、読書の時間、お茶の時間と少し口うるさい世話係だった。
「いや、いいんだ。顔を上げてくれキース。私は最早王女などではない。私への礼は不要だ。これまでどおり振る舞ってくれたらそれでいい。」
レオの方では、なんだもうバレたのかと面白くなさそうな顔をしていた。
噂には背びれ尾ひれが付くもので、さる高貴な生まれの姫だが命を狙われる危険があってこの船に預けられている。時が来ればある国から迎えが来てその国の王子と結婚するのだ、などという話にまで膨らんでいた。
「ま、あながち間違っちゃいねえか」
その噂を面白がってレオが否定しないものだからさらに広まって行った。
港に寄るたびに、怪しげな輩も近寄ってくるようになった。だいたいはリナとミレイに高価な宝飾品を売りつける商人たちだったが、中にはおかしな思惑を持って接触して来る者もいないわけではなかった。
その日も、面会希望者が列をなして甲板に並んでいた。その中には、一風変わった者もいた。部屋に通してみれば面会人はレースの付いた高い襟と帽子で、一目で貴族とわかった。
「お噂さは常々耳にしておりました。お会いできて光栄です、船上の姫君。」
優し気な雰囲気の、どこか気弱な様子のある青年は帽子を取ってそう挨拶した。
「こんなに可愛らしい方だなんて思いもしませんでした。堅苦しい言葉は好きじゃないんです。いいかな」
「構わぬ」
「僕はポートレイク伯爵家の三男、レイジーンです。今日はパーティーのお誘いに来ました。」
控えていた従者がすかさずリナに封蝋の押された封筒を差し出した。
「次の満月の晩、私の館で舞踏会を開きます。それにお誘いしたくて、こうしてやって参りました。」
ミレイが受け取りリナの側の小テーブルに置く。
「次の満月の晩は仮面舞踏会で、みんな好きな衣装で着飾って楽しみます。正体を明かす必要はありません。勿論、明かしてもらっても構いません。事情のある姫君にも、楽しんでいただけると思います。」
舞踏会は何度か経験したことがある。リナは明るい音楽とみんなの楽しそうな雰囲気が好きだった。
「うむ。だがその誘いに乗れるかどうかは私では決められぬ。私はもう私のものではないのでな。私の好きにはできぬ」
「はっ?」
「確認して返事を出そう。」
青年はいささか戸惑った様子だったがすぐに表情を立て直した。
「・・・畏まりました。では明日、遣いの者をやります。良い返事を、期待しています」
立ち上がってにこっと笑うと退室の礼を取り、部屋を出た。
さて、どうすっかうーむと船長室で考え込んでいたレオの元に夕食の到着を告げるノックが響いた。
「ああ、入れ」
お盆を抱えって入って来たのはリナだった。どういう当番なのかは知らないが、こうして時々リナも食事を運んでくる。行儀悪くテーブルに上げていた足を降ろし、机上に散らばっている雑貨を脇に寄せて盆を置いてもらう。
置いてもリナは帰らなかった。じっとレオを待っている。こりゃ何か話があるなと向き直った。
「は?ダンスパーティー?」
リナの話を聞いたレオは目を丸くした。リナは真剣な顔でうむと言っている。
・・・本気の様だ。
あーとレオの視線が空中を泳いだ。
しばらく迷ったが、がしがしと頭を掻くとま、行ってみっかと小さくつぶやいた。
「いいぜ。」
リナの顔がぱっと明るくなった。
「ただし、条件がある」
夕刻、馬車で迎えに来た従者はいささか戸惑った顔をした。聞いていない者たちが同行していたからだ。
「保護者だ」
急遽街の衣装屋から借りた御仕着せを着て堂々とはったりをかますレオ。
「夫です」
ミレイの腕を取ってにこやかに嘘をつくフロン。
リナはさる高貴な方から預かっている娘なので自分が同行するのは当たり前だ、と噂を盾に取り言い張るレオ。リナの侍女であるミレイは当然付き従う。妻が出席するパーティーに夫が同伴するのは当たり前のことです、と笑顔で主張するフロン。
従者はなんとも腑に落ちない顔をしながらぎゅうぎゅうの馬車に乗り込んで会場へ向かった。
夕日も落ちかかる中、レイジーンは主催者としてにこやかに客を出迎えていた。隣には本日のパートナーを務める妙齢の婦人が付き添っている。挨拶の人の列が少し途切れた折に、婦人が話題を向けた。
「今日も、素敵なお客様をお迎えいただいたとか」
「あ、うん。そうだね。今、噂の船上の姫君だよ」
このお気楽三男坊は顔も立ち姿もぼやっとした印象で政治の才は望むべくもないが、彼が開くパーティーは毎回趣向を凝らしており、貴族仲間の内ではそこそこ評判だった。毎回異なる客人を迎え、宴の出し物にも工夫が凝らされている。
代わり映えのしない退屈な生活を少しばかり彩ってくれる相手として適当な存在だった。
「さる王国の高貴な生まれで、後継者争いに巻き込まれて命を狙われているそうね。でも船の上での暮らしなど窮屈でしょう」
「そうだね。会ってみた感じでは思っていたよりもずっと麗しい方だったから、きっと退屈してると思ったんだ。ここでのほんのひと時を楽しんでもらえたらと思ってね。」
「あら、殊勝ですこと。噂ではさる大国の血筋とも聞こえていますわ。縁をたどれば御三家との繋がりも深いとか。貴方にも幸運がもたらされるかもしれませんわね」
そんなところまで噂が膨らんでいるのかとレイジーンは驚いたが、婦人にはそつなく対応してみせた。
「・・・そんな、考えすぎですよ」
婦人と他愛のないお喋りに興じていると、迎えに行かせた馬車が入ってくるのが見えた。
「ああ、あれです」
階段の下に、馬車が横付けされた。
先に降りた男に片腕を支えられながら馬車から降りる姫。続いてもう一組の男女が降りた。様子からして姫の付き人だろう。
姫は、長いドレスの裾を軽くつまんで数歩の階段を登り、手を取られてこちらにエスコートされてくる。
「お招き、感謝する」
しっかりとレイジーンと目を合わせると、リナはほほ笑んだ。目の周りを囲む黒羽の羽飾りの奥からでもその品の良さが溢れてくるようだった。噂を疑う者がいないのも仕方がない。
「ようこそ、暁の姫君。お誘いを受けてくれて嬉しいよ。船の上のようにとはいかないかもしれないが、気楽に楽しんでいってね」
レイジーンの挨拶の言葉を耳聡く聞き入れた人々からさっそく周囲に知れ渡るだろう。レイジーンはリナの隣に同伴しているレオにも、柔和な態度で挨拶を済ませた。リナも婦人にも型通りの礼をして離れていく。
「可愛らしい方」
婦人の仰ぐ扇に寄せられて、微かに香水が香った。香水はあまり好きな香りではない。