リナ、仲間になる
もうすぐ上陸と聞いて二人は甲板に出て来ていた。向うに岸が見える。いくつもの煙突が立ち並び黒い煙を吐いていた。金属加工の盛んな街らしい。ここでこれまでの捕り品を売っ払うのだと聞いた。
「付いて行ってよいか」
好奇心の強いリナは当然聞いた。
「あー、いいけどよ。お前がおもしろがるようなモンはなんもないぜ?」
なにせ業者の街である。リナが好むような衣装の店やお菓子屋はないのである。
男たちは重そうなズタ袋を肩に担ぎ、あるいは荷車に乗せつぎつぎと降りて行った。リナもレオの後を追って降りる。当然ミレイが付き従う。そうなると護衛が必要で、フロンがその後ろを付いてくのがお決まりになっていた。
レオのお目当ては決まっているようで、ズンズンと街中を進んでいく。戸口の分厚い布をばさりと押し退け遠慮なく中に入って行った。
「おいじーさん」
「おおレオンか。待っておったぞ」
眼鏡をかけた老人が奥の机からパッと顔を上げた。レオは懐から小袋を取り出し、小袋の紐を引くと机の上に逆さまにした。ばらばらばらと小物が飛び散る。どれも台座から外した装飾の欠片や石である。
老人はひとつ取り上げるとじっくり目の前にかざした。
「ふーむ、しけた稼ぎじゃの」
「奴らがシケた商売してやがったんだよ。」
仲間の内に、装飾品を加工する工房で働いていた者がいた。そのダンの見立てによると、襲撃した貴金属船の荷はほとんどが偽物だった。真鍮に金メッキを貼っただけの物だ。本物の金と思えるものだけを選り分けさせたのだが、光りが鈍い、何か混ぜ物をしているようだとダンは言っていた。見立ては正しかったようだ。この老人は一目で見抜いていた。
まあ、金銀などの装飾類には全く興味のないレオには違いなどさっぱり分からないのだが。
「んで?次のエモノは?」
「そう急ぐでない。若いモンはせっかちでいかん。」
船乗りが陸でのんびりしてられるかよ、というのがレオの言い分である。船乗りは海に出ているからこそ、船乗りなのだ。
「まあ待て。鑑定が先じゃて。勘定は三日後じゃ。ほれ、駄賃」
老人から手渡された小銭の袋を面倒そうに受け取るとさっさと店を出た。
途中、街角に出ていた屋台に立ち寄った。
「ほれ」
パンの間に揚げた魚と野菜クズを挟んだ軽食だ。魚はカラッと揚げられており、微かな塩味とピクルスの酸味が混ざり合った不思議な味わいだった。
もぐもぐと興味深げに味わっているリナの横で三口ほどで食べ終えるとぐしゃっと紙を丸めてポケットに突っ込んだ。
船に戻って程なく、荷を捌き終えた仲間たちがぞくぞくと戻ってくる。
「よし、お前ら!今晩は宴だ!パーッと行こうぜ!」
レオの一声にウオーっと盛り上がった。
一部は街へ買い出しに出かけ、甲板へはつぎつぎとテーブルやら椅子やらが運び込まれた。買い出し組が戻ってくると食料は船倉の厨房へ運び込まれ、酒瓶が各テーブルに配られた。
程なくして、分厚く切られたハムやまだ煙をあげている肉やらが大皿で運ばれてくる。日の入り前には準備が整い、バイオリンやらチェロやらを手にした仲間たちが船下から上がって来て、音楽を始めた。
邪魔だからと船尾の一段高い甲板に留められ、準備の様子を見ていたリナは思わず後ろを振り返った。どこからか持ち出してきた長椅子にだらしなく寝そべっていたレオがにやっと笑う。
「宴に音楽は付き物だろう」
海賊たちは杯を突き合わせて空にすると、肉や魚を摘まみ、軽快なメロディーに合わせて踵を鳴らしてステップを踏む。船上は一層騒がしくなった。
船で宴会をしていると知った者たちが酒やら肉やら料理やらを売りに上がって来た。稼ぎ時と知った給仕の女たちが上がってくる。あちこちで飲み比べが始まる。中には商売そっちのけで宴会に紛れ込み飲み食いする者もいた。それについても、レオは特に何も言わない。
厨房からも船の下からも料理はつぎつぎ運ばれて、給仕の女たちが勝手知ったる様子であちこちのテーブルに取り分ける。
行ってこい、シっシッとまるで動物を追い払うかのような仕草だったがリナは許可をもらった。
下の甲板に降り、大皿のテーブルからミレイが上手に取り分けてくれた皿を持つ。空いている隅のテーブルに付いた。ふたりでちまちまち食べていると、群衆の中でふとふたりに気づいた一人がこちらに寄って来た。かなり身形の良い商人だ。商人らしい三角帽に使われている革など艶々の一級品だ。
「お嬢さん方、この宴に参加されるとは御目が高い」
「う、うむ」
「この船は今や、レーヌ海一羽振りがよいと言っても過言ではない運び屋、オリオン商会の船ですからの」
商人は一通りこの船を誉めそやしながらふたりの前に座った。見たところ、この商人も強かに酔っぱらっている。酔っぱらっていても商売根性を忘れないところは流石だ。
「わたしは貴金属の商売を生業にしておりまして、お嬢様方にはちょうどこのようなものが似合うのではないかと」
懐から小箱を取り出して開けて見せた。眩いばかりの金だった。これまで多くの宝飾品を目にしてきた二人にもわかる本物だった。細工も細かい。かなり値の張る品物だ。通り掛かった給仕の女性がわわあおと驚いて見せた。男はぞんざいに手を振る。お前に売る物はないと言わんばかりだ。
「これはさる有名な巨匠の作で、ふたつとておなじ形のものはありませぬ。美しいご婦人の首元に飾られればさらに輝きを増すこと間違いないでしょう」
驚きに目を見張っているふたりを前に、早速値段交渉に入る。
「美しいご婦人方に出会えた今宵を神に感謝して、こちらは特別にお安くしておきます。」
値段を伝えるが二人は頷かない。
「これを付けて舞踏会に出られたあなた方はみなの注目の的でしょう。ダンスの申し込みも途切れますまい」
さらに割り引いた金額を伝えても二人は頷かなかった。
この商人の言う値段は割と妥当な金額であることをリナも分かっていたので、熱心に勧められるのも申し訳なかった。
「申し出はありがたいのだが、私はそなたの望む金銭を所持していないのだ」
そんな筈はない。二人して身形の良い服に身を包んでいるのだ。決して港町の娘たちが着る荒布の仕立てではない。さらなる値引きの要望かと思ったのだろう、男はもう一度身を乗り出した。
舵取りのガイが説く、新しい舵の構想を拝聴していたところ、上の甲板にふいっとレオが姿を現した。船に関心の強い仲間たちはガイの構想にああだこうだと持論を振るう。レオは女とよろしくやっているのだろうと思っていたがそうでもないらしい。フロンを見た後で、あらぬ方向に視線をやってくいっと顎を煽った。見れば、知ったふたりがそこにいた。
(はいはいはい)
フロンは席を立つとそこに向かった。
「カブリエル殿、いつもすみませんね」
「おおこれはフロン様!いつも御贔屓にありがとうございます」
フロンが顔を出したことで商人の関心は一気にフロンへ移った。
「例の貸し付けの件ですが、少しご相談したく」
「フロン様のご要望とあれば何なりと!」
上機嫌でフロンに連れられて行く商人に、リナはほっとした。
「リナ様、お部屋へ戻りましょう」
「ん」
美味しい料理に未練があったが、ミレイがもう一皿取り分けてくれたのでそれを持って部屋へ下がった。
「どうして下へ降ろしたんですか」
適当に商人の相手をし宴の席へ戻した後、フロンはレオに詰め寄っていた。準備をしている間は上に上げていたから大丈夫だろうと思っていたのだ。二人を降ろせばいらぬ問題を引き寄せることなど分かっていただろうに。
「いいじゃねえか少しくらい楽しませてやれよ」
宴を見守るリナの目は好奇心に満ちていた。御付きのミレイはしっかりした女だから、そう大事にはなるまいと思って下に降ろしたのだ。
商人に絡まれた後、部屋へ引き取って行ったのは賢明だった。
フロンのお説教は長引かずに済んだ。
うたたねをしていたリナはふと目を覚ました。
向かいのミレイも眠っていた。腹も満たしてお喋りしていたのだが二人して眠ってしまったらしい。ワインを少し飲んだせいかもしれない。
ミレイは城にいた頃より、いろいろなことを許してくれるようになったと最近感じている。
夜更かし然り、ワインも然り。
自分が外の世界で生きていくには、いろいろな体験が必要なのだ。きっと。
船上の騒がしさはもう落ち着いている様だった。
リナはそっと部屋を出た。
甲板に上がると粗方の人々は消え、ひっくり帰って寝ている者、小さなテーブルを囲ん静かに飲んでいる者くらいしかいなかった。酩酊していない幾人かが片づけを始めていた。
宴は終わったらしい。
火照った頬に夜風が気持ちいい。
「どした?」
上から落ちて来た声にリナは顔を上げた。
「寝ないのか?」
レオが手すりに寄りかかってこちらを見下ろしていた。
お子様は寝る時間だろうと揶揄いの響きが含まれていないでもなかったが、リナは気にしなかった。
「お前の船に乗せてくれぬか。」
突然の申し出に、レオは意味を測りかねているようだった。もう乗っているだろう、と。
リナは、これまでなんとなくもやもやしていた自分の胸の内を吐き出すいい機会だと思った。自分は、レオの好意で船に乗せてもらっているのだ。置いてもらっているのだ。浚われて流れに身を任せていただけとは言え、それは分かっていた。こんなによくしてくれる人は滅多にいない。
自分の心がもう決まっているのに、自分で選んだわけではないと言い訳して、心地よい環境に身を置いている。そんな矛盾した状況はもう嫌だった。こんなことは、自分らしくない。
「私はあまり国から出たことがない。出たとしても供の者がたくさん付いて、外を見ることがかなわなかった。お前と居ると私は多くのものを目に入れられる。とても勉強になる。私はもっと世界を知らねばならぬ。そうすれば私はもっと、もっと大きくなれると思うのだ。」
真剣に見上げてくる眼差しにレオは考える
「・・・人に何かを頼むにはそれなりの見返りが要るって知ってるか?」
「見返り?」
リナは目を伏せた。
「お前も知っての通り、私はお前にやれる金貨も宝石も何も持っていない。地位も失ってしまったから名誉も与えられぬ。」
悲し気な声で言い終えてレオを見上げたが、レオの顔を見て思考を巡らせ始めた。レオが何か答えを求めていた。自分で考えて答えを見つけろ、と。
「・・・・・・ミレイが言っていた。女は体を売ってその見返りに金を貰うのだと。私では金の代わりにならぬか。」
「・・・オレに買われようって?」
何事かと状況を見守っていた仲間からヒュウッと揶揄する口笛が聞かれた。
「そうだ。だが私では自分がいくらになるかは分からん。お前の言う見返りに足りるか?」
チョイチィとレオに指先で呼ばれてリナは横の階段を登った。
上甲板に出ると、腕を取って引き寄せられた。こつんと額を合わせた。
「お前はオレに買われたんだ。お前はオレのものだ。」
その優しい言い方に、うんとリナは頷いた。
多少目論見は外れたが、まあいいかと思うレオなのであった。こうなれば、お前のものもオレのものだ。少女の耳を飾る細工が連なった先に、神秘の石が揺れていた。