船上での暮らし
船上での生活が始まった。
食事は三食と一日に一回お茶の時間がある。温かいお湯が運ばれ、部屋に備え付けのポットとカップがあるのでお茶ができる。早速茶葉を買っておいてよかったとミレイは安堵した。ときどき簡単な焼き菓子が付けられていた。甘いものの少ない船上でリナはうまいうまいとよく食べていた。
入浴は二日に一度。盥にお湯をいっぱいに張ってくれる。湯につかることはできないが体を拭ったり髪を洗ったりするには十分だ。
朝食はパンとお茶。取り分はリナがふたつ。ミレイがふたつ。何とパンが出るのだ。この船は。これにはミレイも驚いた。運ばれてくるのはふんわりと膨らみところどころ焦げ目の付いた、見るからに焼き上がったばかりのパン。
お湯が出たりパンが焼けたりと大きさからそうとはわからないがこの船はかなりの設備を持っている。
この規模の船の上では考えられない破格の待遇だった。
ときどきガイが様子を見に来て何か足りないものはないかと聞いてくる。
ミレイは、最近毎日お茶の時間に付くようになった焼き菓子について、余計なお世話かもしれないがこの船の小麦後は大丈夫なのかと相談していた。
「うまいって食ってくれればいいんだとよ。うちの奴らじゃあ焼き菓子なんて食わねえもんな。腕の振るい甲斐がねえってよ。今じゃあ新作を考えるのが日課よ。姫さんは他に何かご要望は?」
うむ、と頷いた。あら珍しい。いつもはない、と首を振るのに。
「ひとつだけ。とても重要なことだ。」
「お、おお」
この姫が重要だというのだから一体何事かと身構えたが、「私を姫と呼ぶのはやめてくれ。私はもう姫ではない。私の名はリナだ。」ときっぱりと言った。
ドオーンドオーンと銅鑼の音が鳴った。
部屋で頭を突き合わせてカードゲームに興じていたふたりは何だろうと顔を見合わせた。
ガイが教えてくれたゲームのひとつで、絵札を合わせて取っていくのだ。リナは気に入って何度もミレイにせがんで相手をしてもらっていた。
昼食には早すぎる。
俄かに船内が騒がしくなり、あちらこちらと走り回る音がする。
しばらくしてドアがノックされた。
現れたのはフロンだった。
こちらへ、とふたりをどこかへ連れ出した。
フロンは下へ下へと降りて行く。
何事か、とリナが問うと仕事です、と短く返って来た。
請け負った荷を次の港へ運ぶ航海だと聞いていたがはて、何の仕事だろう?
着いた先は厨房だった。
手にフライパンやら鍋やらを持たされ、見知った少年と共に頑丈そうな食糧庫の下の段に押し込められた。
大人しくしているように、と言われて。
棚は、3人も入ればぎゅうぎゅうである。
リナはじっと手の中のフライパンを見つめる。
「大丈夫っすよ。オレらの乗ってる船、最強ですから。ここまで来れた奴は一人もいません」
不安そうに見えたのか、励ますようにライが言った。
察するに、フロンの「仕事」というのはどうやら海賊稼業のことを指すらしい。普段は港から港へ荷運びを主にしている船だが、チャンスがあれば海賊にも早変わりするようだ。
まあ、確かにそうだとリナは考える。海は果てしなく広がる無法地帯だ。相手方を沈めてしまえば目撃者もいない。
「いざとなればオレが姫さんを守りますから」
手元の刃物を示してライはにかっと笑った。
先ほどまで肉の腱をぶった切っていたのであろう、鉈のような包丁だった。
しばらくしてフロンが迎えに降りて来た。レオもついでのように着いてきていた。
狭い場所からごそごそ這い出すと、手に持ったフライパンをすいっと取り上げられて側の調理台に置かれた。
「恐くなかったか?」
「恐くはない」
横でミレイが出てこようとするのをフロンが手を貸していた。
先ほどのように銅鑼がふたつ鳴ったときは「仕事にかかれ」の合図ですから、ふたりともここで待機するように、とのことだった。
リナは辺りを見回す。普段見たことのない場所だった。せっかくだから、と船内を案内してくれた。
ふたりがいつも朝食に食べているパンを焼くオーブンは、あまり大きくはなかった。朝にパンふたつは船の中でも最上位の人物にしか割り当てがないらしい。すなわちフロントリナとミレイの3人だ。レオ曰く「オレは食わね」らしい。
他の船員たちと同じようにパンは昼にひとつ。
薪が転がっている様子はなく、オーブンの中に入っている石が高温になって焼けるのだと言う。
船上で焼いたパンが出るってのはすげえことなんだぜ、とライは誇らしげに説明してくれた。
船底に取水場があった。羽板がカラカラと回って箱型の装置に海水を送り込んでいた。それほどの量はできないが、この装置の中で海水を真水に変えることができるらしい。旧時代の失われた技術を使っているらしく眼ん玉が飛び出るほど高けえんだぜ、ライが説明してくれた。最近この装置を一回り大きいものに取り換えたんだと言いかけてレオに小突かれていた、余計な説明だったらしい。
側に小さな貯水槽があった。水汲みはライの仕事らしい。
なるほど、とリナは頷いた。
「其方はこの船に乗れることをとても誇らしく思っているのだな」
「そうだぜ!こんないい船はねえからな!」
説明してくれたライに丁寧に礼を言って自室に戻った。