上陸 2
翌朝。
さわやかな笑顔で部屋に乗り込んで来た宿の女将は使用人に命じて部屋に浴槽を持ち込み、沸かしたての湯をたっぷり張ってくれた。
湿布薬と新しい包帯も持って来てくれた。
さっぱりした気分で二人は朝食に有り付いた。
海上の汚れを落としたリナの髪は本来の色を取り戻していた。
安宿の一室でふたりは打ち合わせを続けていた。船上はうるさくて眠るどころではなかっただろう。当番の奴らには気の毒ではあるが。
「首尾はどうだ?」
「上々です、と言いたいところですがまあこんなものですかね」
上陸して二日目の朝。娘からの金策の手紙を受け取った親は、早い者から既に返事が届き始めていた。
レオと部下たちがリナ捜索に走り回っていた一方で、フロンにはこちらの準備を命じていた。
街で急使の伝書鳩を使ったのが功を奏したらしい。金持ちの中にはわざわざ自分の伝書鳩を飛ばし返してきた者もいると聞いて、そんなに娘が大事なら騙されてんじゃねえよと思うがそれはまあこっちの都合だ。
あの貴金属船の航海ルートは割り出してあった。いくつかの拠点となる港がありその拠点をぐるぐる回ることで仕入れと売りを分かりにくくしているのだ。まあこれくらいは商売をやる者の一般的な知恵だ。
だが人の海路輸送は金がかかる。商売道具が先で、食料も水も多くは積めない。加えて女は船ではすぐ弱る。高く売りつけた後すぐ死なれたんじゃあ苦情が入って商売にはならない。結局人は長くは乗せておけないのだ。
船の中で女たちの書いた手紙の行き先を見てみれば案の定、大体がこの近辺の地方都市だった。
おそらく、西側で最後となるこの港の近辺から陸路で人を集め、海路で3日の対岸の諸国に売るつもりだったのだろう。知らない国に連れて来られれば女たちも脱走をあきらめる。陸路では海を迂回しふた月かかる。奴隷の身ではその金銭も工面できまい。
レオはよっと起き上がった。もうひとつ秘策があったが果たしてどれくらい成果があるか・・・
まあ、ひとまずこれからヤボ用だ。
ふたりを迎えに来たレオは船上とは打って変わってこざっぱりとした服を着ていた。白い麻のシャツになめし皮のベスト。麻のズボンとブーツという街を歩けばどこにでもいそうな恰好だ。海賊船の面影はどこにもない。フロンも服装は一般的なれどやはり変わらず気品を漂わせていた。
ひょいとレオがリナの首根っこの後ろに手を伸ばして頭に布を被せた。
「かぶってろよ」
船上でも使っていたのでもう大分くたびれている外套だ。ミレイを見るがミレイもうんと頷くのでそのままにした。
ふたりに連れられリナとミレイは調達に出かけた。
これからの生活に必要なものを買うように、と言われ石鹸やら布やら蝋燭やらを買い足した。リナが香りのよい石鹸やらシルクの布を当然のように選ぶとその度にフロンがしぶーい顔をする。その横でレオが笑いながら買ってやれよと言う。しぶしぶ財布の紐をほどくフロン。どうやら海賊船のお財布係はフロンらしい。
買い物は順調に見えた。
が、通りすがりの会話から市場が立っていると知った途端、リナはそこへ行くと言い出した。
今度はふたり顔を見合わせてしぶーい顔をした。市場と言っても奴隷市なのだ。貴方が買うようなものは何もありませんよとフロンが止めるも、「案内するがいい」とリナはさっさと歩き出した。
道中話を聞くと、どうやらふたりしてこの街で浚われたらしい。
「この国に来たばかりでよくわからないわたしたちを逃げてきた奴隷だと言って浚ったのだ。許せん!」
奥の道に迷い込んで不安げに右往左往している二人をあっという間に取り囲んでどこかに連れて行き、部屋に閉じ込めたのだ。その部屋には同じように連れて来られたのであろう女性たちがたくさんいた。パンひとかけと一口のスープが与えられただけで朝を迎えた。あれよあれよという間に船に乗せられ海を漂うことになった。
あれが人さらいなら、この奴隷市にも来ているというリナの推察だ。
市は人でごった返していた。人垣の隙間から、向うに一段高い舞台が設けられ人が挙がっているのがちらと見えた。
「よく見えぬ」
リナの背からすれば大人たちのの背中しか見えないだろう。
へいへいっとレオはリナを腕に抱え上げた。
舞台では何人かが挙がっては交代するということを繰り返していた。しばらく舞台を見ていたリナの目がすっと細められた
舞台下で商売の状況を見ているのであろう、その姿が見え隠れしていた。あの醜悪な顔つき。忘れることはない。
「あの男だ。間違いない」
「ほお」
ぴくりとレオの眉が動く。そこへ街の警備隊がどやどやとやって来た。みな何事かとそちらを向く。警備隊長らしき男が丁寧に男に話を切り出した。
「娘を浚われたという訴えが多くありまして、ひとまず役所でお話を伺えませんでしょうか」
「おおこれはこれは警備隊長様!ご機嫌麗しゅう。」
男は胸に手を当て大袈裟に低頭した。
「今日も立派なお勤めご苦労様です。貴方様のおかげでこの街の平穏が保たれていると言っても過言ではありますますい。ところで、本日は?この私を人さらいとおっしゃる?この街一番の商売を仕切っているこの私を?・・・これはこれは。みな私に感謝こそすれど憎むようなものはひとりもおりますまい。ひとちがいでは?私は手広く商売をしておりますが、人さらいは商売にしておりませんので」
男のひどく芝居ががった態度はリナの鼻に付いた。
「あなた様がこの街一番の商人であることはよく心得ております。ですがひとまずお話を聞いてみませんとよくわかりません。浚われたという親たちの訴えが多くありますのでそちらを無視することもできません」
その醜悪な顔が不機嫌に傾いた。
「わたしがやったという証拠でもあるのかね?」
「それは・・・」
警備隊長が言い淀む。浚われたという親たちは多くいるが実際に娘を連れて訴えに来た者はひとりもいない。報復を恐れているのだ。商人の目がギラっと光った。
「私にさらわれたという娘を連れてくるがいい。」
そのとき凛とした声が響いた。
「ここにいる」
群衆の頭がさっとそちらを向いた。そこには背の高い男に抱えられた少女が居た。レオは慌ててリナを降ろす。地面に降りるとリナは堂々と歩き始めた。さあっと人垣が割れる。
「珍しい髪色の女を捕まえたと言っていたな。この髪に見覚えがあるだろう」
リナは被っていた布を取り払った。
商人は顔には出さなかったが側に居た従者はあっと表情に出ていた。
「お前は、見覚えがあるみたいだな?」
商人はギロッと従者を睨みつけると醜悪な顔を歪めて言った。
「わたしがやったという証拠でもあるのかね?」
ふむ、とリナは一旦間を取った。群衆も警備隊を固唾をのんでやり取りを見守っている。
「これはお前の名誉のために言うまいと思っていたのだが、お前の後ろ頭にはカモメの形をしたはげがある」
ちょっと失礼と警備隊員の手が伸びて帽子を取り上げた。慌ててひったくろうとするがその後頭部を群衆にさらすことになった。
「ははは間違いねえ、カモメのはげだ!」
「カモメはげだぜ!カモハゲ商人さんだ!」
その場で警備隊に連れていかれた。
こちらでお話をとリナたちも警備隊の詰所に連れていかれ、真偽を織り交ぜて一通り喋った。浚われた船が嵐にあって乗組員はみんな投げ出されたらしいこと、奥深くの船倉に閉じ込められていた女たちだけが無事でたまたま通りかかった船に助けられたこと、この港まで送り届けてもらったこと。
何せこちちらも調べられると困ったことになる。説明の辻褄が合っていたからかあっさり納得され解放された。それを裏付けたのは警備隊が取り寄せた港の出航記録だった。ふたりが説明した船に乗せられた日と、商船の出航日が一致していたこと。そして驚いたことにレオの名前があったのだ。運搬船として記録されていた。これで何の疑いもなくお役目放免となった。
「お前たちは、海賊なのか?」
リナは不思議そうにレオを見上げる。
「海賊だって偽装くらいするわ。バレたら一発でお縄だからな」
だが海の上は無法地帯。法の目も届かない。弱肉強食の世界なのだ。
買い物の続きを終えて、元の宿に戻った。
「あ、お帰りなさい!」
宿に戻ると、転がるように昨晩の少年が出迎えに出て来た。
「この者を置いておきますので、何かありましたら遠慮なく申しつけてください。」
ふたりを送り届けると、レオとフロンはさっさと姿を消した。
ふたりが部屋で寛いでいると、コンコンとドアが鳴る。ミレイがドアを開けると大荷物を両腕に抱えた少年が入ってきた。
先ほど街で買い物をした品が届いたのだ。少年は階下と三往復してすべての荷を運んでくれた。
「外にいますんで。何かあれば」
そう言ってドアを閉めようとするのを、ちょっと待てとリナが止めた。
部屋に招き入れたが、所在なさげに立っている。少年は瘦せており着ているものもボロボロだ。
「其方は奴らにひどくこき使われているのか?昨晩も廊下で寝ずの番をさせられていたな。そのようなひどい扱いをされているのなら見過ごすことはできぬ」
ちがいますちがいます!と少年は大慌てで否定した。
名はライと言った。
「オレ入ったばっかでまだ見習いなんす。だからこんな仕事しかさせてもらえないんす。」
前に厨房の下働きとして働いていたところがあまりに劣悪な環境で逃げ出して来たのだという。この船で厨房見習いを始めたばかりらしい。働きが認められれば厨房員として正式に仲間に入れてもらえるということを話した。
ライも、陸に着くなり見張っておけと言われて昨晩も寝ずの番をしていたのが、今朝ふたりが出かけた後は宿屋の女将からたっぷり朝食をもらって今の今まで寝こけていたのだ。
「わかった。だが今このとき私のために務めを果たそうとしている者がいるのを知りながら自分が部屋で気安く休むことはできぬ。其方にも部屋を用意してもらうよう頼む故そこで休むがよい。何かあれば其方の部屋を訪ねよう」
いやいやいやいいっすとライは慌てて遠慮した。厨房の下働き時代も徹夜で仕込みや掃除をさせられるのはしょっちゅうだったし、船の見習いといえど見張り当番は回ってくる。立ち番くらいは慣れっこだった。
「だがそれではわたしの気が咎める」
リナは譲らなかったので、結局もうひとつ部屋を用意してもらってそこに籠ることになった。だがライにしてみれば休みながら見張るなどという器用なことができるはずもなく、戸口の前に立って廊下の音に耳を澄ますという何だかよくわからない立哨をする羽目になった。