別れと決意
船の上では、最初は恐る恐るという風だったレナだが、フロンがよく面倒を見ており、船員とも次第に打ち解け始めた。フロンはもともとレナ付の側近だった。リナと違って引っ込み思案でなかなか友達のできないレナを見て、周りが用意した折り目正しい優秀な遊び相手だった。
一方のリナは、塞ぎ込むことが多くなった。石も妹も取り戻しよかったよかったとはならないのである。
それはそうであろう。国と、何より国民を置いてきたのだから。
別れもあった。ずっと仲間としてやってきたダンが船を降りるのだと言う。
陸に残している妻に子供が産まれるらしい。ある程度は金が溜まったので、家と畑を買ってかみさんと子供と暮らすと言っていた。そんなに多い身入りではないが、畑を耕し家畜を飼えばなんとか暮らしていけると言う。
珍しいことではないのだろう。船内はしんみりするようなことはなく、頭から細やかな選別を貰うと賑やかな声援を背に受けながら軽やかに橋を渡って行った。
数日後、船長室のドアを叩く者がいた。
後ろ手にドアを閉めるとフロンはさっさと切り出した。
「私も、そろそろ潮時かと思います。」
やはり、来たなという感じだった。レオは驚かなかった。
「もともとは見聞を広げるために乗っていたのですし、お二人を王国から救い出すこともできました。もうこの船に思い残すところはありません。自分の行く道を進むべき時が来たと思っています」
「まあ・・・お前とはそういう契約だったしな」
船長からの許可をもらうと、フロンは一礼をして部屋を出て行った。その迷いない後姿が清々しい。右腕とも言うべき副官が退船するのは痛手だがまあ、なんとかなるだろうとレオは思うことにした。
フロンが下船するという話を軽い衝撃と共に受け取った。
「そう・・・、か」
いつも柔らかな態度で受け止めてくれていたフロン。ずっと居てくれるものだと思っていたかった。だが、彼には彼の道がある。止める権利などない。
下船と聞いた日、甲板へ集まってみると、外套に身を包んだフロンは背中に負う袋ひとつという軽装で皆と挨拶を交わしていた。
「達者でな」
レオの言葉はあっさりしたものだった。
船に乗っていれば出会いと別れは必定。そんなものなのかもしれない。
フロンはリナに腕に抱いていた木製の箱を差し出した。
「私が使っていた文箱です。大変質の良いものですのでお使いいただけるかと。私にはもう必要ありませんので」
「ありがとう。大事に使わせてもらう」
船の上では紙やペン、インクといった筆記具は大変貴重だ。金勘定を担っていたフロンはいろいろな先とやり取りする用があったのだろう。箱の蓋を取り巻く蔓草文様がフロンの好みらしい上品な華やぎを添えていた。
「ご武運を」
軽く膝をつき、変わらない王族への礼をするとさっと立ち上がり船を降りて行った。
ダンが去り、フロンが去った。船は少し静かになったような気がした。だが船の仲間たちは変わらず陽気だった。
みんな、それぞれの道を決めて進んでいる。
フロンが去って、船から降りたいなり何かしら気持ちに変化があろうかとレナ聞いてみたが、さほど気にしていない様子だった。
「レナはどうしたい?」
妹の答えはきっぱりしたものだった。
「レナはいつも姉様と共にある」
「・・・そうだな」
共に育ってきた。いつも一緒だった。いたずらするときも叱られるときも笑い転げているときも。
「でも、姉様は迷っている」
ずばりと核心を言い当てられた。恐がりで、いつも自分の後ろにばかり隠れていた片割れが随分と成長したものだ。
「姉様は姉様の思う様にしたらいい。レナはどんなときも、姉様を信じている」
「そうか」
迷いのない瞳に、心に新しい息吹を吹き込まれたような気がした。
それでも、覚悟を決めるには数日を要した。
ふと、フロンにもらった文箱を開けてみた。筆記用具一式は、リナも持っている。海賊業の報酬として高価な品を惜しげもなく買い与えていたレオが買ったものだ。それでリナ宛てに届く手紙に返信したり、ミレイに代筆してもらったりしていた。
フロンもそのことは知っているはず・・・。
何を思って・・・。
蓋を取ると一段目には筆記具数本と、削りナイフ、インク壺、吸い取り紙がきっちりと揃えられてい
た。几帳面なフロンらしい。1段目を取り上げて2段目を覗き込んだとき、はっとリナの表情が変わった。
「・・・全部お見通しか。最初からどこか好かないところのある奴だ思っていたが・・・」
リナの口許から微苦笑が漏れた。
だがこれで決心がついた。
ここ最近ずっと塞いでいた様子の主人がきっぱりとした表情を見せたことにミレイは真っ先に名乗り出た。
「私も行きます。」
「・・・いや、ミレイはここに居てくれ」
「なぜです!」
あの時のように、何も知らず置いて行かれただ焦燥に駆られることしかできないのはもう真っ平だ。
激しく問い詰める従者に主人は穏やかにほほ笑んだ。
「私は戻ってくるからだ」
主人は、自分が思っているのよりずっと大きな決断をしたようだった。自分が戻ってくるその証として、ここに居てほしいと。必ず戻るという決意の強さをここに置いて行きたいと言われ、ミレイはそれ以上言い募ることはできなかった。
「私はミレイに甘えてばかりいるな。・・・すまない」
「いいえ、いいえ!」
船長室に向かうリナの足取りに迷いはなかった。
自分に都合のいい方法ではあるが、あの男はそれを受け入れるだけの器があると思った。
「また行こうってのか?」
すっきりしたリナの表情を見れば、答えなど聞かなくても分かった。
「・・・オレは船乗りだ。海に出るのが仕事だ。お前が降りようってんならそれでもいい」
「私の値打ちは、もう残っていないか?」
何の屈託もてらいもないこの軽やかな返しに、レオは嘆息して目を逸らした。
「・・・あんまり長くは待てねえぞ」




