手紙
ときどき、ためらう様にペン先が止まる。そしてまた書き出す。ペン先が何度もインク壺と紙面を往復して、やっとそれは出来上がった。インクを乾かしているところを、横から出て来た手が取り上げた。
強欲さに満ちている顔が、顎髭をいじりながら文書に目を通している。やがて気に入ったのだろう、頷いて部屋の隅に控えていた侍従に差し出した。侍従は小走りに寄って来て恭しく受け取ると、側の小机に持って行って引き出しを開け封蝋の準備を始めた。
「侯爵、こんなことをしても、なんにもならない」
「私目にお任せを。すべて良いように取り計らって差し上げます」
少女は、忌々し気に男を見つめた。
ふたりの様子が沈んだものになったのはそれからしばらくのことだった。
船では食料から生活用品、修理道具などの店からや、郷里に残している家族、また入出港を管理しているお役所など、いろいろなところから手紙が届く。
既にこの船に身分の高い姫が乗っていることは知れ渡っており、船上の姫君宛てにも仕立て屋や宝飾品の案内、パーティーのお誘いなどが届く。その中に見慣れない豪奢な飾り模様の封筒が紛れていた。その手紙を見た途端ふたりの空気が変化したのを、レオが見逃すはずがなかった。
その時は何も言わず渡し、様子を見ていたのだが・・・それ以降、ふたりの表情は一向に晴れる気配を見せなかった。
良く晴れた昼下がり、甲板ではいつものごとくお茶の時間が開かれていた。
粗方準備が整えられたテーブルに向かい合って、ふたりは俯き合っていた。
フロンはお湯を取りに行っているところだ。
業を煮やしたのはレオだった。
いつものように、上甲板の長椅子に寝そべって開いていた新聞を、パンっと閉じた。
「船ん中でンな顔されてちゃあ気が滅入るんだよ!」
よっと身を起こすと階段を降りて来て二人のテーブルに付いている椅子を引いた。腰かけると、まあ、ちょっと話してみろよと優し気な声音で言う。
ふたりは顔を見合わせた。仕方ないかというような表情だった。
フロンが戻って来てからリナは話し始めた。
「皆も知っての通り、其の国からの手紙だ。・・・私を呼び戻している」
リナが生まれ育ったのは、山間に立地する小さな国だった。
深い山々に囲まれ行き来する者も少なく、土地も狭かった。
国を保つ方法として、そこではまだ、外界では失われたとされる魔法の技が生きていた。
アナトリアで行われる魔法は、専ら鉱石に頼ったものだった。
アナトリアでは、魔法を宿した鉱石がよく採れた。鉱石は、水を生みだしたり、明るく光ったり、燃えたりといろいろな効果を持っていた。それ故、万能石と呼ばれた。鉱石をよく研究し、その性質ごとにうまく加工する技を編み出すと、国中で使われるようになった。井戸の代わりとなり、畑にまく水の代わりとなり、夜の明かりとして使われた。石は、国中の人々に貴貧の区別なく利用されていた。
国が滞りなく保たれるよう鉱石を案分し、整備しているのが王族だった。
人々の嘆願を聞いてそれに相応しい鉱石を与える。または設置する。その効果を見に行く。石が働かなくなれば取り換える。使わなれなくなったら取り払う。
「石を継承し、正しく国を導く。それが王家の務めだ。」
リナはその王家の娘として生まれた。
人々に魔法の恩恵を分け隔てなく配分し国を健やかに保つ役割の象徴として、王家にはある石が受け継がれていた。それが、今はリナの耳飾りに収まっている。
鉱石の案分は議会でよく議論され、石を受け継ぐ者が、最終的に決定する。
リナは若くして石を受け継いだ。
両親が幼いころに亡くなったからだ。
成人するまでは、祖父が一時的に執政を担っていた。
祖父は、魔法の力を使うことをあまり望まなかった。
一方国内では、いつまでもこんな狭い世界に閉じ込もっていないで、魔法の力で農産物や技術力を高め、国外に売り出して国を富ませようという機運が高まっていた。
アナトリアは、たとえ魔法の鉱石を使ったところで、まだ国が豊かとは言える状況では決してなかった。
国内で収穫された麦や果物は、ほとんど国内で消費されていた。外に売るのにもいくらも残らない。
人々は毎日畑を耕し、家畜に餌を与え、農機具を手入れする。石が使われている道具や建物も修理する。ある物を修理し、使えなくなれば家畜の毛から糸を紡ぎ布を織り、山から木を伐り出して家具をつくった。
国外からの新しい家具、布地、身を飾る装飾品、南国の果物や野菜。そういったものは何一つ、目にしたことはなかった。
鉱石を使えば、もっと大規模に畑を耕し収穫を増やすことができる。
鉱石を外の世界でも重用される道具に加工して売れば、高値で売れる。例えば消えないランプ、水の腐らない水壺、火の消えない竈。外貨を蓄えて貿易をすれば、さまざまな物を国内に持ち込める。国が豊かになると考えられていた。
祖父は、鉱石を外に持ち出すことを頑なに拒んだ。それは、この国に連綿と伝えられてきた教えでもあったからだ。石を決して外に持ち出して使ってはいけない。その教えは、老若男女、幼児に至るまで皆が知っていることだった。石を持ち出せば、外の奴らは必ず欲しがる。この場所を探し出し奪いにやってくる。それは誰もが想像できることだった。
だがこの小国の行く末を憂う人々は、国の財産である魔法の石を使わないでいるのは、むしろ国に対する損失だというのが彼らの言い分だった。
石は、国外に出ると徐々に力を失うことがわかっていた。勿論、国内で使われている石も少しづつ力を失うが、国外から出たそれは、国内にあった時に比べてはるかに早く働きを失うのだ。国の富を得るために一時の魔法を売る。そんな詐欺のような方法で、国を健やかに保てよう筈もなかった。
リナの成人前に、祖父の保守的なやり方に反対する貴族からクーデターが起きた。
そして、クーデターと共に驚くべき事実を知ったのだ。
既に、魔法の力は外に出ていたのだ。
石の力を借りて、羊や牛を育て外に売っていた。金や銀、銅などの金属を作り出して売っていたのだ。
そして得たその財貨で、鉱石を使った道具を点検したり修理したりする仕事を専門にする人々を支配下に置き、国外に売るための道具を研究させていたのだ。
石の力を借りて作られたものは、早くに役目を終える。羊や牛は自然の寿命より早くに死ぬだろう。金や銀などの金属は、そのうちただの石に戻るだろう。
リナは石を受け継ぐものとして、ただひとりミレイを伴って国を脱出した。
国を護る者として、奴らに捕らえられ言いなりになることは決してできなかった。
「昔、私の国は小さくとても貧しかった。何とか国民を食べさせていけるだけの方法が必要だった。だから魔法が発展したんだ。小麦や野菜を早く育てる必要があった。子豚や子羊を元気に育てる方法が必要だった。私はそう習った。魔法はみんなが幸せになるための方法だったんだ。それがあんな風に使われるなんてっ」
言葉を詰まらせる。
「決してあんな風に利用しようと思って作られたわけじゃないのにっ」
「姫様・・・」
ミレイが言葉なく、リナの肩を庇う。
「あんな利用のされ方をするのはとても哀しい。魔法を発展させてきた祖先に対する侮辱だ。みんなの幸せを願って発展されてきたものをあんなふうに使う輩がいることがとても悔しい。許し難い。」
気持ちを高ぶらせていたリナだが、しばらくして気を落ち着かせ目尻を拭った。次に口を開いた時には、落ち着いた声だった。
「魔法が悪用されることはあってはならないんだ。」
こういう場面にしては珍しく、レオが真面目に応えた。
「そうだな。だからこそ、みんなで守る決まりが必要なんだ。国民の願いを王族が叶えるなんて曖昧なやり方じゃなくてな。人の気持ちに頼ってばかりではいけない。おまえたちの国はそういう管理が甘すぎたからそういうことが起きたんだ。人を信じすぎた。」
「信じたかったんだ。魔法は私たちの宝だ。それをあんなふうに使う人間などいないと。」
「人間てのはとても曖昧なんだ。どこまでが良くてどこからなら悪用になるなんだ?誰もがきっぱりとわかる線を引いてそれに沿った運用をしないと、暴走はまた起きる。」
返す言葉もない、とリナは黙り込んだ。
落ち込んだ雰囲気をひっくり返すようにレオが口調を変えた。
「・・・でもよお、その偽物ってやつでこれまでうまいことやってんじゃねえのか。それをお前に戻って来いたあどういう料簡で?」
「石だ」
リナは耳飾りを外して掌に置いた。
「この石を持つ者だけが、鉱石をどう扱うか決められる。それは国中の誰もが知っている。奴らは石を取り戻して、自分たちが正当な決定者であることを皆に知らしめたいのだ」
「・・・王が偽物でも、この石ころがあれば国民は納得するってのか?」
ふふとリナは力なく笑った。
「皆には隠しているが、わたしたちは双子なんだ。その偽物は今、妹がやっている」
「ふたごお!?」
(そーか、だからか。あんときも別段驚いてなかったな)
アナトリアではクーデターが起きた後、引き続き王が国を治めると新聞にあったのだ。
「妹は、私に似ているというだけで反対派に利用されているんだ。・・・何とか助けてやりたい」
「まあ・・・行くのはいいとしてもよお、どうやって行くんだよ?ほとんど国交のねえ国だろ?」
商売人にとってもルートというのは非常に重要だ。レオの気がかりをよそにリナはあっさりと答えた。
「船だ」
船って、え?アナトリアに海あったっけか?と一瞬呆けたことを考え始めたレオを見透かすようにリナが言った。
「空を飛ぶ船だ」
後日、レオを筆頭にアナトリアでの救出作戦の同行者を船内で募ったところ数名の挙手があった。
彼らと共に、リナは早々に旅立つことになった。
魔法石を利用して作られた船は、ごく限られた外交のために使用されているらしい。発着地は秘密とのことで、一行はリナに案内されることになった。
珍しくレオにぼそりと弱気発言があった。
「・・・この1回きりだぞ?外国の王様を盗んだなんて知れた日にゃあ国際問題だからな」
そうなれば商売もほっぽり出して世界の果てまで逃げることになる。
「恩に着る」




