そのギャル、実は名探偵につき
ようやく書き上げた一品。どうぞ、ご賞味あれ。
彼女の朝は、都内にある私立探偵事務所のソファの上から始まる。
俺の名前は一条大翔、この私立探偵事務所に住まわせてもらっている居候高校生。
おやじさん……この探偵事務所のオーナーである諸葛良助さんは俺の育ての親であり、新聞の一面を飾ることもよくある名探偵と呼ばれた御仁だ。俺は探偵の仕事なんてさっぱりだが、住まわせてもらっている以上は何とか働きたいと申し出たら、「私の娘をよろしく頼む」と言われて、ここ九年ほどずっと彼の娘さんこと諸葛涼音の世話係兼お目付け役を買って出ている。仕事で出張することも多いおやじさんにとってはとても助かる話らしく、その対価として生活費とかお小遣いを貰っている。
諸葛涼音。名前からしてとても奥ゆかしそうで、清廉潔白な黒髪美人を思い浮かべる人もいるだろうが、実物はその全くの反対。制服に着替えた俺が三階の自室から降りて二階の探偵事務所に入ると、案の定、彼女はまたソファの上で腹を出しながらパジャマ姿で横になっていた。口の端からは涎を垂らし、母親譲りのせっかくの綺麗な金髪はボサボサで爆発状態。呆れて物申すこともできない、実に酷い有様だった。
「こら! 涼音!」
「う~ん……。ちょい待ち、あとごふん……」
「起きろ! 今日もまた学校だろ!? 大体、何でこんなところで寝てるんだ!」
俺が怒鳴りつけると、目を擦りながら寝ぼけ眼でこちらではないどこかを見つめている。
「おあよう、大翔……。今日は透明人間の真似事?」
「どんな曲芸師だよ。こっちだよ、こっち! お前の右隣!」
「ああ、そっち? おはよう、大翔。今日も爽やかな朝、バイブス上げてこー」
「バイブス上げる前に瞼を上げろ。そして、身だしなみを整えてきたらすぐに朝食だ」
「おけまる……。洗面所行ってきまー」
彼女はふらふらとした足取りで部屋を出てから三階に向かった。このアパートは一階が喫茶店、二階が探偵事務所、そして三階は俺たちが住んでいる部屋になってる。喫茶店は俺たちの住居とは特に関係はないが、店主とは顔見知りでよく利用させてもらうことも多い老舗である。それは涼音にとってもそうで、この間なんかは「このケーキマジうま! 口の中がとろけるわ、ウケる!」とか言ってたっけ。
「それにしても、こんなところで腹出して寝て……。何をやってたんだ、一体?」
ソファーの間に置かれたひざ下くらいの高さの木製の四角いテーブルの上には、「新しい探偵事務所の看板デザイン☆」と書かれたものが置いてあった。
なるほど、これを考えてたから夜遅くまで残ってたってわけか。どれどれ?
『うちらの探偵事務所はアットホームでとりまテンションぶち上げスタイル! 謎に高い探偵力で事件解決できるっしょ!』
というスローガンが宝石やらキラキラやらのアクセサリー? でデコられた新しい看板に描かれていた。
これを事務所の前に掲げる気だったのか? こんな派手な看板が立ってる怪しいクラブのような探偵事務所に一体どこの誰が来ると言うのだろうか。
俺は看板をそのままに三階へと戻り、ダイニングに置いてあったトースターに食パンを二枚突っ込み、冷蔵庫から適当にベーコンを引っ張り出して焼いて皿に盛りつけ、昨日の残りのサラダを出して食卓に並べ終える。すると、いつものようにグッドタイミングで彼女は自分の部屋から出て来て制服姿に着替えている。
ただ、その制服は胸元を少しだらしなく開き、スカートの丈を敢えて短くして腰には何故かピンクの布を可愛らしく巻いており、爪は控えめなネイルでデコられている。
もうお気付きかもしれないが、彼女は高校生にしてギャル。どうも俺の家族は、ギャルの道に目覚めてしまったらしいのだ。唯一の救いは、金髪が染めているのではなく自前であるというところで、格好以外は素行は大変良く、成績も上位なので心配するところはない。
見た目から勘違いされることも多いが、言動は至って真面目の一言だ。
「わお、美味しそうじゃん」
「手は洗ったか?」
「洗った。じゃあ、いただきまーす!」
涼音は意気揚々と箸を手荷物と、ベーコンを食パンの上に乗せて左手でそれを食べつつ、サラダを右手の箸で掴んで器用にも交互で食べて見せる。
「めっちゃ美味しい! いつもありがと!」
「はいはい、よく噛んで食べろよ」
もぐもぐと本当に美味しそうに食を進めてくれるから、こちらとしても作りが甲斐がある。俺もまたご相伴に預かるべく、「いただきます」と挨拶してからサラダを食べた。
俺は彼女と同じくジューシーで油の乗ったベーコンをこんがり狐色になった食パンの上にトッピングしつつ、昨日に彼女に渡した推理小説について聞いてみる。
「昨日渡したやつ、読んだか?」
「読んだよ、最初の十ページくらい」
「十ページかよ。最後まで読んでないのか?」
「だって、もう犯人分かったし。というか、最初の一ページ目で犯人が想像できちゃったから詰まらなくなっちゃったんだもん。あんなの、推理小説って呼べるのかにゃー?」
先程まで上機嫌だったのに、急にテンションが下がり始めた。これは本当にお気に召さなかったらしい。彼女の頭上に「下げポよー」という文字が浮かんで見える。
「最初の冒頭文、二十代の青年たる主人公は密室の中に立っていたって説明で始まるでしょ? 予備の合鍵を使って自分が入って来た扉には鍵がかかっていて、その鍵の本体は殺されていた高級な赤い椅子に座っていた被害者が持っていた。窓は嵌め殺しになっていて、内側からも外側からも開けられない。窓の外は強い風と雷雨に見舞われていて、立地は山奥の辺鄙な洋館、時刻は夜、土砂災害とかが起きやすいせいで外からの助けは雨が止まない限りは見込めない。天井には人一人が通れるくらいの通気口があるけど、椅子がないと届かないくらいの高さがある。そこを開けると中は垂直になっていて、繋がっているのは食堂。食堂の天井は八メートルと高いため入ることも出ることも難しい。出入口は入って来た扉の一つのみ。殺された男性は五十代後半で体格が良い筋肉質な人。死因は凶器になったと思われる刃物で喉元を掻き切られて死亡。抵抗した様子はなく、ほぼ一撃で首を切られており、首から吹き出たと思われる血痕はちょうど通気口の真下辺りから被害者が座っていた椅子に続いている。犯行時刻は夜十時前後で、医者と看護師以外の全員にアリバイが無い。これだけの情報があれば、もう大体想像できたよ」
「犯人は誰なんだ? そこの小説には医者である主人公とその助手の看護師、それから書斎の管理人に被害者の娘もいた。誰にだって犯行は可能だろう?」
「無理。犯人は主人公とその助手一択でしょ」
合ってやがる。どうして、この段階から既に犯人を絞り込むことができたんだ?
「典型的な不可能犯罪。起きている人間がいなくて、出入り不可能な通気口がある時点で、これはもう密室で殺されたって考える。けれど、主人公たちにだけは可能だった。主人公の医者と被害者は主治医と患者の関係性で、看護師さんはその助手。死体の検視を行ったのは二人で、そもそも犯行時刻自体が偽装。登場人物の中で、医者と看護師以外に医療の知識がある人はおらず、死亡推定時刻が分かっている時点でそれは確定。二人はグルなんだよ。そして実は、被害者ともグルだった。抵抗されずに殺されたのは、自分の病がもう治らないと悟り殺して欲しいと頼んだから。けど、医者も看護師も殺人犯として捕まりたくなかったから、外部からの人の出入りが不可能で、尚且つ、被害者の自宅を選んだんだ」
「自宅? どうして、そんなことが分かるんだよ」
「敢えて建物の説明文だけ省いたのは、ここが別荘か何かだと勝手に思い込ませるためのミスリードだと思うけれど、自宅以外の場所なら他の登場人物が怪しむでしょ。実は、犯行時刻を間違って教えてるんじゃないかって。けれど、それを潜在的にあり得ないと思わせたトリックが、患者と主治医、看護師の信頼関係の高さを知っている人が集まっている場合。殺す理由がないのに殺すわけがない。そう考え、互いに疑心暗鬼になる。的外れな架空の犯人に怯えて、最後は全員主人公とその看護師に殺される。そして最後、犯人である主人公と看護師はこう取り決める。医者である自分が犯人として逃げるから、そうしたら看護師さんは警察を呼ぶようにって。看護師さんを守るために雨が止んだ後、わざと足跡を残して山を降りた。看護師さんは医者の言いつけ通りに警察を呼んだけど、逮捕されたのは看護師。という落ちかな?」
「落ちまで当てやがった。なんで、看護師に罪を被せるって思ったんだ?」
「その場所が被害者の邸宅なのは分かったけれど、母親の説明が一切なかったよね。恐らく、その看護師さんは被害者の男性と愛人関係にあった。そして、そのことを彼は知っていたんだ。何故なら、その看護師さんと医者は夫婦だったから。彼は最初から、全ての犯行を裏切った奥さんに被せるつもりだったんだよ」
「なら、どうして奥さんは彼を殺すのを止めなかったんだ?」
「遺産が欲しかったからだよ。高級そうな椅子、他にも八メートルもの天井がある食堂。ここは高級邸宅、その主人である被害者は資産家。看護師さんは医者の主人公と歳が近い関係で、元から看護師と被害者の間では遺書による取り決めが行われてたんだよ。主人公が二十代で、被害者が五十代後半。真実の愛ってのもあるかもしれないけれど、今どきは流行らないかなって。どう? これで納得した?」
「……御見それしました」
色々とすっ飛ばしている設定はあるけれど、大筋の推理は当たっている。読んでいないはずなのに主人が資産家であることや、その場所が自宅の高級邸宅であること、主治医と看護師が夫婦で、資産家と看護師が愛人関係にあることまで余すことなく当てやがった。
「……流石は名探偵、だな」
「現実じゃあ、そう上手くはいかないだろうけどね。……うん、うまし!」
そう、彼女は見た目がギャルでアホそうに見えるが、実はその逆だ。彼女は名探偵と呼ばれた諸葛良助の一人娘であり、その血を色濃く受け継いだ天才的頭脳を持つ観察眼の鬼。
それが、諸葛涼音という人物なのだった。
学校へ着くなり、俺と涼音は同じ教室に入るわけだが、俺の周囲に人が集まらないのに対して、彼女の周りには人が集まって来る。
「おはよー、すずっち!」
「ねえ、昨日の宿題の数学教えてよ! マジ分からんし!」
「諸葛さん、こいつがボールペン盗んだかもしれないんだが推理してくれないか?」
「私はストラップなくっしちゃって!」
「はいはい、順番ね!」
彼女は学校でも名探偵として名を馳せており、新聞にも「あの諸葛良助の娘! 天才高校生探偵現る!」と載せてもらったことだってある。ただし、彼女には変なこだわりがある。
「やっぱり、ボールペンこいつが取ってやがった!」
「すまんって。本当にあるとは思わなくて……」
「たぶん、わざとじゃないよそれ。昨日さ、一緒の机で勉強したりしてなかった?」
「そう言えば、勉強会を……。まさか」
「そのまさか。単に筆箱を間違えて入れただけじゃない? 勉強会が終わってから一度も筆箱を開けなければ、気付かないだろうし」
「お前! そういうところ!」
「本当にすまん!」
「ありがとう、諸葛さん。流石は探偵だね」
「ちっ、ちっ、ちっ、違うよ、田中君」
「何が違うのさ?」
「「名」探偵って呼んでよ、名探偵! 私は、名探偵諸葛良助の娘であることに誇りを持ってるんだから!」
「わ、分かったよ。名探偵」
「よろしい! はい、次のご依頼は?」
そんな感じで、涼音は自分の父、つまりおやじさんが名探偵であることに拘って、自分もまた名探偵を名乗りたがっている。年頃というか、自分の父親にかなり憧れているのもあってか学校でも探偵の真似事なんてやっている。けれど、その推理を外したことは未だに一度もなく、このクラスだけでなく他クラスの生徒や先生すらも彼女の推理に頼ることがあるほどに実力を周囲から認められている。
俺が自分の席に座ると、前の空いている席に陣取って来る輩が一人。
「よっ、大翔」
「蓮、おはよう」
俺の前に座って来たスポーティーな黒髪と爽やか笑顔のイケメン男子、西九条蓮。サッカー部のムードメーカーで陽キャ。俺みたいな陰キャ男子とこいつがつるんでいるのはちょっとした手違いが原因であり、どうしてか今は友達にまでなっている。
「諸葛さん、今日も人気だな」
「そうだな。見ていれば分かる」
「それで? 俺が助手になるって話は通してくれたか?」
「何度も言ってるが、あいつは俺以外の助手を雇う気はない。そんなにやりたいなら直談判してこい」
「何度もやってるが、お前以外は要らないの一点張りなんだ。だから、こうして友人のお前に頼んでるんだろうが」
「お断りだ。もう何度もやってるが、これ以上は俺とあいつの関係性にヒビをいれかねない」
「……仕方ねえな。また時間を置いて、もう一回チャレンジだ!」
「懲りねえな、お前も」
俺は自分の内に溜まった呆れを吐き出すように大きな溜息を吐いた。
蓮が俺と友達になった経緯というのが涼音絡みなのだ。中学の時、こいつはサッカー部の部員の荷物を盗んだとかで退部させられそうになっていたところを涼音に救われ、それからずっと彼女にぞっこんなのだ。だが、当の涼音はそれに応える気はサラサラなく、何度も玉砕を続けては助手になりたいとまで言い出したが断られ、それでもゾンビのように蘇っては諦めずにアタックし続けているチャレンジャーなのだ。
一方、探偵助手である俺は彼女と付き合っている、なんてことはない。俺からすれば、彼女は出来の良すぎるお転婆な妹みたいな存在で気心の知れた仲。恋心を抱いているなんてこともなく、彼女もきっとそうだろうと俺は思っている。
真理を一瞬にして明らかにしてしまう慧眼は天賦の才とも言えるものだが、彼女とて色恋沙汰にはあまり興味がないらしく、放課後は難事件を見つけては現場に駆け込む始末。そこには当然、探偵助手である俺はいつもこき使われまくって終了。
まあ、無報酬というわけではなく、探偵助手として六対四、つまり俺が四の報酬を受け取っている。俺としては三でもいいと進言したんだが、彼女が納得してくれなかったので今は事件の度にちょっとした小遣い稼ぎができてしまっている。
それもこれも、全ては将来の生活のために貯金してあるので手を付けた事はほとんどないけれど。
「それで? 俺が渡した推理小説はどうだったよ? 中々の面白さだったろ?」
「俺は読んだが、あいつはほとんど読んでないぞ?」
「え!? そうなの?」
それを聞いた蓮はかなりしょんぼりとして肩を落とした。俺はあまり本を読まないし、買うこともないのだが、こいつは涼音にぞっこんになった後から推理小説に嵌り始め、今では俺にオススメと称して色々な小説を押し付けて来る推理小説マニアなのだ。
タダでくれるから読んではいるが、俺は犯人などは最後まで読まないと分からない。一方で、涼音はと言えば犯人が分かった時点で読むのを辞めてしまう。彼女はただ、犯人が誰で、何が目的で犯行に及んだか、その方法は何なのかを当てたいだけ。しかし、今のところ彼女に全てのページを読ませた作品は存在せず、そのほとんどが冒頭で犯人を言い当てられる始末だ。
そんなわけだから、飛びっきりの難問を探して彼女に読ませるなんてことをやってみてはいるし、実際、俺も彼女がどうしたら音を上げるのか知りたくてやってみてはいるが、今のところは連戦連敗で勝てる道筋すら浮かびそうにない。
「因みに、今回の記録は?」
「十ページだとよ。過去最低記録だろ、これ」
「何んでだよ!? 今回はメタミステリーってことで、犯人が一番分かりにくい描写を使ってる奴を選んで持ってきたのに!」
「それが駄目だったんじゃないのか? 最初の一ページで犯人の当たりをつけていたって言ってたから、メタミステリーなことには気づいてたんだろ」
「オーノー! そんな馬鹿な!」
蓮は頭を抱えてショックを全身で受け止めている。その姿がアホらしくて逆に面白くてついつい吹き出してしまいそうになるのを必死になって堪え、ゴホンと一つ咳払い。
「事件の真相だけじゃなくて、被疑者と被害者の関係とか、犯行動機とかも全部喋ってたぞ。凶器の説明はしてなかったけど、医者の男がメスナイフを持っていることは後に分かるし、わざわざ説明する必要は無かったって感じだな」
「また負けたのか……。俺はてっきり、娘が犯人だと思って読んでたのに……。母親が愛人のせいで家を出ることになったのを嘆いていたし」
「それも含めて読み切ってたぞ。あいつの推理は常に客観性があって、お前のは主観性で物事を捉えてる。母親が出て行ったのは愛人を作ったせいだ、だから憎らしくなって殺すに違いないって先入観で推理してる。そうしているうちは、一生あいつには勝てないよ」
「チックショー! もう一回だ、次は絶対に勝てる!」
「何の話してんの? 二人とも」
「ひゃい!?」
クラスメイトたちの集まりから抜け出してきたらしい涼音が俺たちの会話に割って入って来る。好きな人にに笑顔を向けられて、蓮はガチガチになってしまっていて、返事する声が裏返っていた。
「よっ、涼音。事件は全部解決してきたのか?」
「うん、ばっちオッケーだったから無問題ね」
「それは良かった。今は、今朝の推理小説の話をしていたところだ」
「あー、あのメタメタのメタなやつね」
「涼音は本当に凄いよな。一瞬で事件の真相を見抜くなんて、誰にでもできることじゃない。向かうところ敵なしじゃないか」
「あー……、まあ、一つだけまだ解決できてない難事件があるんだけどね」
さっきのあーとは全然違ったような、どこか落ち込んでいるような感じで言ってきた。珍しいな、こいつが事件を解決できてないなんて。
「それって、どこの案件だ?」
「身近な奴。しかも、今目の前にいる唐変木、朴念仁、鈍感野郎のことを言ってる」
「蓮のことか? こいつなら、いつだってお前に……」
「……馬鹿。大翔にはぜーったいに教えないから」
心なしか、どこか不機嫌そうな雰囲気まで醸し出してきた。頬を膨らませて、まるで子供みたいに不貞腐れて見せる。
「どうしてだよ? そんな怒らないでも……」
「怒るっしょ、普通」
「えー……」
俺には全くの心当たりが無さ過ぎてどう対応していいか分からなかった。そんな俺を他所にして、彼女はポケットからピンク色のカバーにアクセサリーを盛りに盛りまくった使いにくそうなスマホを取り出して操作し、何かをしきりとチェックしている。
これはいつもの儀式みたいなもので、彼女の表情が一転して挑戦的な笑みを浮かべた事からもう大体の想像はついた。
「放課後、事件現場に行くよ。今回もまた、難事件らしいからね」
「はいよ、了解した」
彼女は鼻歌でも歌いだしそうな感じでスキップしながら席に戻っていった。不謹慎だけれど、殺人事件とか、そういうのを楽しんでいるのではなく、純粋に事件の謎を解くのを楽しんでいるというところだけは誤解しないで欲しい。
彼女は名探偵、この世の全ての難事件は彼女に解き明かされるためにあるのだから。
昼休み、俺たちは五十人ほどの人間が収容可能な別館三階の学生食堂にやってきていた。俺たちは既に料理を運び終わっており、四人席になっている丸テーブルに涼音と隣り合わせで座っている。俺が頼んだのはかき揚げ蕎麦で、彼女が頼んだのは激辛アラビアータ。漂って来る湯気だけで目がヒリヒリしそうな真っ赤な見た目のソースに、唐辛子が二本とイタリアンパセリがトッピングされた学食名物激辛スパゲッティである。あまりの辛さに誰も頼みたがらない料理なのだが、彼女にとってはご馳走らしい。
「いつも思うが、どうして隣に座るんだ?」
普通、こういうときは向かい席に座るものだと俺は思っていたので、何となく気になって聞いてみた。彼女はキョトンとした顔をして、首を小さく傾げた。
「駄目なの? 隣」
「駄目とは言ってないけど、何となく気になった」
「じゃあ、これでいいの。ほら、早く食べよ!」
俺たちは合掌して挨拶を済ませ、早速互いの料理に口をつける。
ズルズルと蕎麦を啜り、汁が染みこまないうちにパリパリのかき揚げを食べる。玉ねぎや人参の甘味と衣の食感が堪らなく美味しい。隣でフォークとスプーンを器用に使ってスパゲッティを食べている彼女は、全然辛さをもろともせずに食事を続けている。
「なあ、それ辛くないのか?」
「ん? めちゃ辛だけど。それがどしたの? あ! もしかして食べたいとか?」
「絶対ないから安心しろ。前に一度食べて、胃がひっくり返りそうになったばかりだろ」
「あはは、だよね。ん~、うまし!」
天才的頭脳を持つ名探偵は、常人と感覚までズレていらっしゃるのだろうか。いや、人の好みがそれぞれで、彼女が偶々辛い物好きだっただけか。
「ところでさ」
「どうした?」
「推理ゲームしようよ、推理ゲーム」
「好きだなあ、涼音」
「当然!」
推理ゲームを挑んで来る涼音の顔はいつも無邪気な子供のような笑顔になる。おやじさんが普段からそういうのが好きで、よく俺と涼音に解かせていたっけ。俺は全然正解できないのに、涼音はすぐに正解を引き当てるものだからな。今となっては彼女が出題者となって、毎回のように俺のことを試すのだ。
「じゃあ、第一問。でれん!」
「妙な出題音だな」
「問題です。イギリスの保安官の女性はその日、連続殺人犯を追って調査を続けていたらロンドンを走る寝台列車に逃げ込んだとの情報を掴みました。彼女は情報を基に件の寝台列車に乗り込むことに成功しましたが、犯人は顔を隠していて正体が分かりません。調査を行ったところ、どうやら乗客の一人がやたらと顔を隠したがっていて怪しいとの情報が入りました。彼女は車掌さんに頼んでその人物がいる寝台へと乗り込みます。そこは二段ベッドになっていて、件の人物は下段のベッドに腰掛け新聞紙で顔を隠していたので、彼女は何とか顔を確認したいと考えて上段のベッドに乗ると、自分の持っていたペンをわざと下段のベッドに放り込みました。彼女は上段から下のスペースを覗き込み、彼がボールペンを拾おうとしたところで顔を確認するつもりでしたが、その人物は「とっととうせろ!」と新聞紙で顔を隠したままボールペンを投げつけてきました。そのとき、下段のスペースは薄暗くかろうじて新聞紙の見出しがはっきり読めるくらいで、結局顔は確認できませんでした。ですが、保安官の女性はすぐに市警に連絡し、その後、男を連続殺人犯の犯人として捕らえることに成功しました。では何故、その人物が連続殺人犯だと確信することができたのでしょうか? 制限時間は六十秒!」
「因みに、顔を隠したがっていたからってのはなしだよな?」
「当然。ただの恥ずかしがり屋さんかもしれないでしょ?」
確かに。それならわざわざクイズにする価値すらない。
うーん、やっぱりこういうときは冷静にその状況を保安官になりきって想像するのが一番手っ取り早いだろう。
保安官は犯人の顔を確認するために寝台の二段目から一段目を覗き見る。まさか、猿みたいに宙ぶらりんになるわけにもいかないということは……。
なるほど、そういうことか。
「その一段目の寝台に座っていた新聞を読んでいた人物は、新聞を逆さに読んでいたんだ。つまり、彼は新聞を読むフリをして顔を隠していたってことだ」
「大正解! さっすが! じゃあ、続いて第二問! でれん!」
「おう、どんとこい」
「問題、最適解は何でしょう? ある雨の日、あなたは二人乗り用の車に乗って運転をしていました。そのとき、ふと通りかかったバス停で三人の人間がバスの到着を待っていました。見知った人を見かけたあなたは、思わず車を停めます。一人は全く見知らぬ人です。その人は腰を痛めています。今すぐにどうにかしなければならないというほどでもない症状ですが、割と辛そうです。二人目はあなたと同姓の親友です。その人はあなたと定期的にドライブに行くほどに仲が良いです。三人はあなたが密かに思いを寄せている人ですが、まだ付き合ってはいません。その人と話すきっかけがほしいと、常々思っています。ここで選択肢を提示します。一、全く見知らぬ人を乗せる。二、親友を乗せる。三、思い人を乗せる。車はどう頑張っても二人しか乗れません。さあ、どうする?」
うーん、これもまたトリッキーな問題だな。俺個人としては、この状況ではきっと全く見知らぬ人を乗せるだろう。だって、腰を痛めているわけだし。例え思い人にお近づきになれたとしても、腰を痛めている人を放っておくような人を好きになるとは思えないし。
けれど、俺はそこで待ったをかける。涼音は問題を読むとき、最初に「最適解は何でしょう?」と言った。そしてこうも言った。「ここで選択肢を提示します」。
つまり、こうも言い換えられる。私はあくまで選択肢を「提示」しただけで、それが「最適解」とは言っていないと。
ちょっとメタい推理だし、卑怯かもしれないけれど、こっちは最高峰の頭脳を誇る名探偵を相手にしているわけだ、少しばかり塀を乗り越えるくらいの楽はさせてもらう。
それを踏まえて考えた、俺の出した解答は……。
「選択肢四、親友に車の合鍵を渡して知らない人を病院に連れて行ってもらい、自分はバス停で思い人と一緒に雨宿りをする」
「大正解! さっすが! この問題は引っ掛けだったのに、よく頑張ったね!」
「どんなもんよ」
「では、第三問! これが最後の問題です!」
「よしきた」
「問題! 大雨の中、自前のビニール傘を少し斜め前に倒して差していたあなたは、傘越しにとある喫茶店を見つけたので、その軒下へと駆け込み、傘を畳んでよく雨粒を払ってから店に入りました。「お好きな席へどうぞ」と言われて目についたカウンター席に座ると、ちょうど自分の横の席には自分と同じようなデザインのだいぶ乾いた傘がカウンターにかかっていて、隣にはフロックコートの後ろ全体がだいぶ濡れた紳士服の男が座っていました。「とても素敵なコートですね」。あなたが話しかけると、彼は得意げに「これはオーダーメイド、この世界に唯一無二のものなんです」と話しました。そこに一人の強面の大柄な男性がやってきて、「そのビニール傘は自分の忘れ物だ」と主張します。一方、紳士はというと「何を言っている、これは私のだよ」と主張します。見かねたあなたは仲介に入り、話を聞くことにします。大柄な男はもう見るからにビショビショです。彼はこう言います。「今朝は雨が降っていなかったけど、念のために傘を持ってきた。そうしたら、やっぱり帰るときまで降らなくて忘れてたんだが、急に降られて傘の存在を思い出したのさ」と話します。一方、紳士の方はというと「今日は大事な会議があってね。そこの書類が入った鞄を大事に胸元に抱えてここまで来たんだ。もちろん、その傘を差してね」と主張します。「全く、突然に豪雨が降り出すものだから後ろ向きで喫茶店に入る始末。おかげで、鞄は守れたが後ろがびしょ濡れさ」と付け加えて。あなたは店主に、「その様子を見ていたんですか?」と確認したところ、「ちょうど、先程は席を外しておりましたので見ていません」と答えました。それを聞いたあなたはくすりと笑いました。「やっぱり、その傘はそちらのたくましい男性のものですね」と声を揃えて言いました。紳士服の男は「いやいや! その男の主張では傘が少しでも濡れているわけがないだろ!」と反論しますが彼は意見を変えません。さて、何故でしょう?」
うーん、これもまた難問だな。けれど、俺は何とかして推理を実行して答えを導き出した。
「実は、自分の推理が間違っていた?」
「それはない」
「さっきのパターンで、また選択肢以外の答えを聞いているのかと」
「ほら、ちゃんと考えて」
「……たぶんだけど、強面男がびしょ濡れだったから? 傘を置き忘れたって信憑性を持たせたかったとか」
「違います。せーかいはー?」
「……分からん、教えてくれ」
「その紳士の服に注目だよ。喫茶店へと向かう途中の道は向かい雨、つまり傘を倒して進まないといけないくらいの雨だった。紳士の人は後ろ向きに歩いていたって言ったけれど、そのとき傘はどう差してる?」
「そりゃ、こう担ぐみたいにして。鞄を濡らさないようにするから、もっとこう頭の後ろが傘の内側の中心に来るようにするんじゃないかな……。あ」
「気付いた? どうして、紳士の人は後ろ全体がびしょ濡れだったのかな? その人はね、最初は雨に降られてなかったけれど、途中から豪雨に遭遇して止む無く後ろ向きで喫茶店に入ったんだ。だから、襟までたっぷりと雨水が浸みこんでいたってわけ。傘が濡れていたのは、単純に雨に濡れた人が触ったりとか、あとはわざと軒下から出せば濡らすこともできるし、幾らでも工作は可能。そのとき店主は見てなかったから、確認しようがないしね」
「色々と意地悪過ぎないか? その問題……」
はあ、とたっぷり頭を使ったせいでどっと肩の力が抜けて何か甘いものが欲しくなってきた。口の中が乾いたので、蕎麦の汁を飲み干したがちょっと濃いし、やっぱり口直しって意味でも一口サイズで食べられる何かがいいかな。
「何か、もの欲しそうな顔してんね」
「分かるのか?」
「そりゃあ、もう。ほい、チョットカット。疲れたときはチョコレートとサクサクのクッキー食感が堪らないこれを進呈しよう」
「いいのか?」
「名探偵からのご褒美~。何なら、食べさせてあげよっか?」
涼音は無防備に開きかけた着崩した制服の胸元を正面に傾け、ほれほれと右手で誘うようにチョットカットの入った小さい袋をちらつかせてくる。彼女は小悪魔みたいな笑みを浮かべているが、今の言動は男にとっては悪魔そのものだと思わなくもない。
だが、俺は彼女とは兄弟みたいなもので家族だ。彼女にそういう要らん気持ちを抱いても仕方ないだろう。
俺は平然とした風を装ってぶっきら棒に言った。
「貰っとく。あと、サービスは遠慮しておく」
「どうして~? いいじゃんか、別に。恥ずかしがることないって。私の方がお姉さんだし、弟は甘やかしてあげるよ?」
「結構だ。あと、俺が兄で、涼音が妹な。誕生日だって俺の方が早いし。それに、そういうカップルがやるみたいなことをやると勘違いされるから、もう少し控えておけ」
「……」
俺がチョットカットの袋を受け取ろうと、それを摘まんでグッと力を入れると何故か彼女の手からは抜けなかった。試しにもう一度、グッと引っ張ってみたがやはり放してくれそうな気配がない。見れば、彼女の顔も何故かぷっくりと膨らんでおり、明らかに私拗ねてますアピールをしていた。
「なあ、どうして拗ねてるんだ?」
「……どうしてでしょうね」
「何で敬語なんだよ、よそよそしい」
「これ、おまけ問題ね。どうして拗ねてるんでしょうか?」
「おいおい、冗談。さっきので最後の問題だって……」
「はい、不正解。そんな出来きの悪い助手さんには、私から罰ゲームの進呈でーす」
彼女はバリっと向こうの端からビニールを開けて件のチョコレートを取り出すと、それを俺の口の中に自分の指ごと突っ込んできた。突然のことで反応できず、彼女の指まで舌で味わって……。
「んんん!?」
「はい、私が直に食べさせてあげちゃった。どう? 美味しかった?」
甘く広がるビターチョコレートの味とクッキーのサクサク感が凄いが……。そうじゃなくて、俺は今、涼音の指をしゃぶって……。
そして、彼女は唾液とチョコがついた指をチロリと舐めると、自分の持っていたハンカチ可愛らしいピンクのハンカチで拭いた。
俺はその苦みやらクッキーやらを慌てて飲み込み、彼女に糾弾する。
「おい、どういうつもりだ」
「どうって、食べさせてあげたんだって。駄目だった?」
「アウトに決まってるだろ! こんな姿を誰かに見られたら……」
「それに関してはもう手遅れじゃない? ほら」
彼女が周囲を満遍なく見渡すように視線を送ったので、俺は恐る恐るに周囲の人間の反応を見てみる。
「ねえ、あの二人」
「確か、片方はあの有名な女子高生名探偵の」
「じゃあ、あっちは彼氏!?」
「こんな真昼間から羨ましい!」
「死すべし、リア充」
という様々な憶測や風評被害が飛び交っており、全ての攻撃的な視線の矛先は何故か俺に向けられている。まさか、こんなところで殺人事件なんて起きないよな?
「大丈夫、事件が起きたら私がちゃんと仇を討つ!」
「洒落になってない!」
「あはは! まあ、大翔に限ってそんなことないと思うから大丈夫だよ!」
全く、この娘っ子と来たら人のことをおちょくって……。
まあ、これもいつものことだから、もう諦めているんだけどね……。
その後、暫くは周囲の視線がかなり痛かったわけだが、放課後になる頃には事態も沈静化されていたのだった。
放課後、俺たちは学校を出てから現場となったとあるアパートに向かった。アパート前には警察車両が二台止まっており、事件があったと思われる一階、三つの部屋があるうちの一番左のドアには黄色いテープが貼られていて、何人もの警察の人間が出入りをしていた。野次馬も何人かいたわけだが、俺たちは構うことなく事件現場の方へと近づいて行く。
俺たちがそこに向かうと、警官の人から敬礼されたので俺は敬礼でそれを返し、彼女は「チョリーッス」と軽く挨拶をする。
そして、黄色いテープを潜って中から出て来た如何にも刑事っぽい角刈りで細身、トレンチコートの中年男性と鉢合わせる。
「お疲れ様です、山西警部」
「おつおつー、山ちゃん」
「お、二人とも来てくれたか。ご足労、ご苦労だった」
彼は山西渉警部。俺たちとは一年ほどの付き合いになる警部さんで、難事件が当たる度に彼から涼音は呼び出しを受けている。今回もまた、不可解極まりないトリッキーな事件だったに違いない。
「相変わらず、寝不足してるね。事件続きで疲れてたりするの?」
「学生と違って、大人に休みって概念はないようでな。休日出勤も最近は当たり前になって来てる」
確かに、薄っすらとではあるが彼の目もとには隈ができており、目も若干充血している。目の前にいる人間ですら見落としそうなところに、彼女はよく気がつく。
「本当におつだねー。こんなにも働き者なのに、未だに警視とかにはなれないんだ?」
「昇進はそう簡単じゃねえんだよ。警察に入って早十四年、泥水を啜るように数々の事件を解決していき、何とかこの地位まで登りつめた。だがしかし、道のりはまだまだ険しそうだ」
「その歳で警部になれてるんだから凄いと思うけどねー。山ちゃん凄い! あっぱれ!」
「美人JKに褒められるってのは新鮮だな。上司に褒められたことは、ここ最近ではないってのに」
あれは彼女なりの労いで、山西警部もそのことを分かっていて笑ってくれている。名探偵という肩書がなければ、一体何様だと怒られていたところだろう。
上機嫌な山西警部は、今度はこちらにもいかつい顔して視線を向けて来た。いかついのは元からなんだけどね。
「そして一条、今日もこいつの付添か?」
「そうですよ、山西警部。俺はただの付添人ですから、どうかお気になさらず」
「いやいや、そう謙遜するなって。いつも、犯人逮捕には強力してくれてるじゃないか」
「最後の仕上げをしているに過ぎません。全ては、こいつの功績ですから」
そう、俺は全てが終わった後で処理し損なった部分を補っただけだ。別に大したことはしていない。むしろ、警察でもできるようなことを肩代わりしているに過ぎず、仕事泥棒とも言える所業である。
「それでも、うちとしては二人のコンビには毎度助けられてるんだ。今回の事件も、よろしく頼むぞ」
「分かりました。お任せください。主に涼音が、ですけど」
「もー、大翔はすぐにそう言う。自己評価低いの、早く直してよ?」
「こればっかりは性根だからどうしようも。それより、早く事件現場を見せてもらおう」
「ぶー……。というわけで山ちゃん、よろしく」
「了解した。二人とも、こっちだ。ちょっときつい光景になるかもしれんがな」
いつも、死体を山のように見せられているのに山西警部が忠告するということは、それなりに覚悟が必要というわけだ。俺たちは黄色いテープを潜って部屋の中へと入り、ブルーシートが敷かれている道を進んでいくとリビングらしく部屋に出た。部屋の中央に丸いちゃぶ台の置かれた、実に生活感のある部屋だ。右奥にはタンスらしきもの、左側にはソファがあり、そこから見て直線上に小さい薄型のテレビがある。入口のすぐ隣に冷蔵庫、そこから更に左隣にキッチン。そして最奥の部屋には寝室、そこにはベッドが一つ敷かれており、その上にはブルーシートが被せられていた。今も、その周囲では警察官の人たちがカメラで写真を撮ったり、指紋を調べたりと忙しそうである。
「あれが事件のあった部屋ですか?」
「そうだ。着いて来い」
警部さんに連れられて来てみれば、特に周囲に血痕などの痕はない実に綺麗な部屋だった。こちらの部屋にも旧型のブラウン管テレビが一台、裁縫道具の入った開きっぱなしの漆細工の箱、棚の上にはそれで作ったらしい人形細工がいくつもあった。家族写真らしきものもあり、そこには両親と思われる人間と男の子が一人写っていた。どうやら父親は既に亡くなっているらしく、奥の小さな仏壇には写真とお供え物のチョコレートがあった。
「ふうん? この家、母と息子の二人暮らしっぽいねー。息子さんは?」
「いるぞ。先程、我々の知らせを受けてアルバイト先から帰って来たところだ」
「アルバイトなの? 正社員とかじゃなく?」
「そうだ。アルバイト先は、ここから十分ほど行ったところのマクドだ」
「マクドって、ファストフードの?」
「そうだ。ギャルのくせに、マクドにはあまり関心がないのか?」
「ギャルが全員マクド好きってわけじゃないっしょ。私の場合、大翔が作ってくれる方が美味しくて栄養ある料理食べられるし。ねー? 大翔?」
「あ、ああ……」
黒い綺麗な瞳を輝かせながら上目遣いで同意を求めて来る。
そういうことをサラッと言うから照れるんだよな、馬鹿。
「じゃあ、通報したのは誰?」
「通報したのは隣人だ。隣から急に大声が聴こえて来たってことでな」
「ふうん? あれ、息子はアルバイトに行ってたのに誰が家の中に居たの?」
「空き巣だ」
「空き巣が入ったの?」
「ああ。その空き巣は既に捕えて、今はパトカー内で事情聴取を受けているところだ。二人にも、後で事情を聴いてもらいたい」
「オッケー、オッケー。それで、こっちが亡くなった人ってわけね」
「そうだ。かなりショッキングなものだから、覚悟して見ろよ」
俺と涼音は十秒ほどじっくりと黙とうを捧げて冥福を祈ると、涼音がブルーシートの端を持ってばさりとカバーを取った。
そこには、写真に写っていた母親と思われる白髪のおばあさん、その生首だけがあり、首から下が何故か無くなっていた。血はどうやら固まっているらしいが、布団には血塗られた跡が生々しく残っている。遺体の顔はとても安らかに眠っており、死の直前、まるで痛みなんて感じていなかったみたいだ。
「切断された断面……。刃物が使われたみたいだね。凶器は?」
「あった。包丁だな、刃渡りが十五センチの。被害者の血と指紋がちゃんとあったぞ」
「防犯カメラの映像は確認した?」
「したぞ。出入りしたのは二人、映っていたのは三人だな。一人目が息子、二人目はさっき言っていた空き巣、そして映っていたが部屋に入っていない三人目が通報者の隣人だ。俺たちは犯人が空き巣ではないかと考えている」
「それはどうして? その空き巣って、たぶんだけど大声出した張本人だよね?」
「俺もそんな馬鹿なって思ったんだがな。見つかった包丁に指紋があったと言ったな。あれは空き巣のものだった」
「死亡推定時刻は?」
「血の渇き具合からして、今朝の六時から九時ってところだ。空き巣が入ったのが朝の八時十分頃で、一応は死亡推定時刻の範囲内にいる」
「体の本体はどこに?」
「それがな……。防火性の高い黒色の袋に入っていた。遺体が燃やされた状態でな」
「何それ? どうしてそんなことする必要があったの?」
「こっちが聞きてえよ。だが、その袋にも空き巣の指紋が付いていたんだ。それに、死亡推定時刻があやふやなのも体の方が灰になってるせいだ。推定ってだけで、もしかしたらもっと前に亡くなってたかもしれねえし。けど、状況証拠が揃い過ぎてるからな。遺体を燃やしたのも、空き巣が息子の方に罪を擦り付けるためだったのかもしれねえし。そこは聴取をしてみねえと何ともな」
「被害者のプロフィール」
「被害者は飛山洋子、六十三歳、無職。彼女はステージ5のがん患者だったらしく、医者からも余命宣告を受けていたんだが、がん治療は一切受けなかったみたいだな。余命宣告を受けていたみたいで、ちょうどここ数日以内の命だと医者から言われていたそうだ。まさか、寿命を全うする前に亡くなるとは……。これをやった犯人は許せねえ」
「おけまる。取り敢えず、他の人にも事情を聴いてみようか。必要な情報は集まりそうだし」
涼音が情報収集の際にマシンガンみたいに警部とトークをするのはいつものことだ。彼女はきっと、彼女の中にしかないロジックを使って謎解きをしているのだろうと思う。俺からしてみれば現段階では何も言えないわけだが、彼女には真実の一端が見えているかもしれない。
「犯人と、この家の息子さんはどこ?」
「順番に呼んでこよう。まずは息子の俊介さんから連れて来る。証拠品以外は部屋の状態はそのままだから、好きに見てもらっていいぞ」
山西警部は部屋を後にし、俺と彼女は引き続き部屋の中の調査をすることにした。
俺はテレビの下のところにあった引き出しを開けてみる。かなり底が深そうな棚だったのできっと何か大きな物が入っているのだろうと読んでいたが、いざ中を開けてみると、そには被害者の飛山洋子さんの若い頃の写真や中身が空の恐らくは指輪用の青いケース、それから宝石類が嵌められたネックレスやイヤリング、ブローチ、こっちには高級そうな万年筆に時計が入っていた。昔の想い出、とかなのだろうか。あるいは宝石コレクションとか。確かに価値のありそうなものばかりだが、それにしては厚みのない物ばかりで棚の深さと釣り合ってないような気がする。
「どしたん? 何かあった?」
「ああ、うん。どうやら、飛山洋子さんの私物みたいなんだけど」
「どれどれ? お、若い頃の奥様かな? 綺麗~。それに高そうなものばかり入ってんね」
確かに、彼女の言う通り長い黒髪で、とても凛々しい顔つきでしっかりした人なのかなって印象はある。物の入れ方も丁寧だし、種類ごとにきっちりと物を仕分けてある。
「あ、もしかしてこれって、厚底だったりするのかな?」
「厚底?」
「そうそう、これは敷板が敷いてあって、その下に本当に隠したい物を入れておくの。ちょっと箱を出してみ?」
「ああ」
彼女に言われた通り、引き出しを全て出して棚から引き抜きその場に置く。中の物も取り敢えず退かさせてもらうと、上の方に鍵穴らしき窪みがあった。
「あちゃ~、やっぱり鍵が必要かー」
「別に、何か刃物とかで傷つけて取ればいいんじゃないの?」
「駄目だよ、そういうのは。何のために鍵がしてあると思ってるのさ。それにほら、この仕組みを見るにそうやって強行突破できないように中に仕掛けがしてある。簡単に中身を見れたら鍵なんて必要なないし。にしても、変な形の鍵穴だな」
「確かに、そうだね」
鍵穴の形は普通、縦長みたいになっているが、これは……。何か、花の形に似ている気がする。どの花かは分からないけれど、そういうのが必要? みたいだ。
「私も面白いの見つけたよ~。こっち、来て!」
俺は急いで物を仕舞うと、彼女の言いつけ通り仏壇の方へと向かった。その仏壇は先程、見たはずだけど。と思ったら、観音開きになっている扉を彼女は開けたらしく、その奥に奇妙な物が二つほど入っていた。
「サクラ、もう一つが黒いチューリップの……造花?」
「へえ、これは面白いね」
「飛山洋子さんの旦那さん、花が好きだったのかな?」
「え、いやいや。これは違うよ」
「何が違うんだよ?」
「そういうとこだよねー、女心ってのが分かってない」
「??」
彼女は観音開きの扉を締めると、今度は窓を開けて外に身を乗り出す。
「監視カメラ、こっちはないね」
「じゃあ、窓からの侵入はできるのかな?」
「うーん、向こうに見える塀を乗り越えれば可能じゃない? たぶんだけど」
俺も窓の外を覗かせてもらうと、そこは人が一人辛うじて通れるくらいの狭い通路になっていて、すぐ目の前はコンクリートブロック、その奥はお隣の家になっている。右側を眺めてみると、向こうにもこのアパートを覆う塀があり、高さはあまりないので頑張れば登ることはできそうだった。
「なるほどね、何となく分かって来たかな」
「もう?」
「まだ確証があるわけじゃないけれど、犯人の検討はついたかな。後は動機とか、そういうのが分かればいいんだけど。ここからの事情聴取に期待だね」
これも、いつものことだ。彼女は「観察眼の鬼」とまで言われた女子高生ギャル名探偵。俺や警察でも気付かないような些細なことにも気付くのだろう。だから、俺や警察は地道に捜査をしたり、推理をするわけだが、もしかしたら今回も突飛な質問が飛び出すかもしれないな。
「おい、名探偵と助手。こっちに来てくれ。息子を玄関前に呼んである」
「はーい。いこ、大翔」
「はいよ、名探偵。どこまでもお供します」
俺たちは山西警部の呼び出しに応じ、玄関先へと出た。そこには三十代から四十代くらいの細身の男性が立っていた。ファストフード店で働いているからだろうか、髭とかはちゃんと沿ってあって割と美丈夫だし、背丈も高いからおじさんというよりお兄さんって感じがまだまだする。年季が入って見えるのは服装のせいだろう。黒いシャツに青緑色で長袖の羽織物、下はブラウン色でメンズの長ズボン、靴はローファー。十代、二十代の男性がするには少しばかりパッとしない気がするのだ。おまけに、グラスが青みがかった眼鏡は黒縁でいかにもおじさんって感じだ。
男は少しやるせなさそうにしながら、無気力な声音で山西警部に問う。
「あの、もう取り調べは済みましたよね? 今更、何を聞かれると言うんですか?」
「申し訳ない。ですが、こちらの探偵……。いや、名探偵の質問にも答えてやって欲しいのです」
「名探偵?」
山西警部の紹介で涼音の姿を上から下まで見た彼は、訝し気な視線を向けると「はあ」とこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「これが名探偵? どう見てもギャルじゃないか。見るからに馬鹿そうだ」
「あ! おじさん、人を見た目で判断しちゃいけないってお母さんに教えてもらわなかったの?」
「確かに、物言いは失礼だったかもしれない。だが、こんなギャルが名探偵だなんて信じられるわけないだろう」
確かに、それはごもっともだと思います。涼音を見て名探偵だと見抜くことができるのは、予め新聞か何かを見て顔を知っているか、もしくは余程の名探偵くらいなものか、あるいは心を読める超能力者くらいなものだろう。
「俊介さん、この人は巷でも有名な名探偵諸葛良助の一人娘にして、新聞の一面を飾ったこともある高校生ギャル名探偵の諸葛涼音。今までも数々の難事件を解決していて、我々としても非常に助かっています」
「高校生の、しかもギャルで名探偵なんて本当にいるんだな。そんなのに頼らないと事件一つ解決できないとは、警察も世の末ってやつですか。本当に、俺の母を殺した犯人を見つけてくださるんでしょうね?」
「ええ、もちろん。全力で、お母様の仇を取って御覧に入れましょう」
山西警部の頼もしいとも取れる言葉にどこか疑心暗鬼な表情を向けながらも、警察の言うことは取り敢えず信じて貰えたようで再び涼音の方に視線を向けた。
「それで? 俺に質問っていうのは?」
「そうだなー。まずは、俊介さんの今日の行動からもう一度」
彼は小さく舌打ちをしたが、面倒くさそうに説明を始めた。
「今日は朝起きてから、身支度を整えて……。それから、母の世話をしたんだ。母はずっと寝たきりで、最近は母さんはもう虫の息で俺の言葉にも弱々しく反応するだけ。数日前からほとんど意識がなかったんだ。ちょいと首を斬っただけでも死ぬだろうってくらいにな」
「それで?」
「その後は、バイトに行ったんだ。ちょうど、八時手前くらいだったかな。そこから十四時くらいまで働く予定だったんだが、九時くらいになって職場に電話が入って。そうしたら、母が亡くなってるっていうじゃないか。俺は慌てて帰って来て、そうしてさっきまで事情聴取を受けて立ってことさ」
「なるほどね。犯人に心当たりとかはないの?」
「別に恨まれるような人じゃなかったからな。あの人は病気でずっと家にいるし。俺も少し前まではちゃんとした職場にいたんだが、母が体調を崩したのをきっかけに仕事を辞めて、今はアルバイトをしてる。まあ、良い機会だったと思うぜ。ちょうど、職場がブラック過ぎて辞めたいと思ってたからな」
「なるほどね。やっぱり長時間パソコンを使うのは疲れるだろうからねー」
「おい、ちょっと待て。俺はまだ前の職場がブラックだって話しかしてないぞ。どうして、パソコンを長時間使うって分かるんだ?」
「だって、おじさんのかけてる眼鏡ってブルーライトカットだよね? ついでに言うと、おじさんの目が少し充血してるから、最近もパソコンか、あるいはテレビをよく見てるね」
「いや、職場を離れてから買ったかもしれないだろ」
「今の仕事って、ファストフードでしょ? 目の悪くなる原因って、生活習慣がほとんどだし、いきなり目が悪くなるってことは病気じゃない限りはないよ。子供の時から悪いっていう可能性もあるけど、昔は今ほどパソコンは発達してないし、ブルーライトカットができたのも最近。つまり、昔から眼鏡をかけていたとしても買い替える時期はパソコンをよく使うようになる頃。つまり、大学生か、もしくは就職した辺りくらいでしょ? でも、ブルーライトカットって普通に眼鏡を買うより高いし、可能性で言ったら就職した後の方が使用時間も、経済的な観点からも買い替えた時期に相応しいかなって思っただけ」
「……はあ、まるで心を見透かされたみたいだな。そうだ、俺は大企業で企画担当をしていて、パソコンでの作業が結構長かったんだ。なるほど、名探偵と呼ばれるだけはあるということか。それで? 他に聞きたいことは?」
明らかに涼音に態度が緩和し、声音も優しくなった。そうなんだよな、こいつは相手の職業とかこれからしようとしていたこととかを当てて信頼を勝ち取ってるんだよな。
「じゃあさ、お母さんってどんな人だった?」
「どうと言われても……。まあ、優しい人だったよ。俺の面倒をよく見てくれたし」
「なら、お母さんは病気になる前は何してたの?」
「花屋をやってたよ。父と一緒にね。だけど、父が病気で亡くなってから体調を崩し始めて、店の経営が傾いたんだ」
「ふうん? じゃあ仏壇に飾ってあった花は?」
「あれは父が亡くなる直前に母に送ったと聞いているよ。母はそのことについては、口を閉ざしていて詳しい話は聞けてないけど」
「私ばっかり質問してもな……。ねえ、大翔は何かないの?」
「え、俺?」
どうせ振られることはないと思って適当に聞き流していたら、急にこっちに話を振られた。起こるわけないって思ってると、どうしてか起こったりして、それに限って自分にとって都合が悪いことなんだよなあ。
振られたからには何か捻り出さないと助手は名乗れないし……。というか、俊介が早くせいやみたいな目でこっち見て来るし、名探偵は期待マシマシで瞳を輝かせているし!
考えに考えた末、俺はどうにか質問を捻り出すことに成功したので、それについて俊介さんに尋ねてみる。
「えっと、裁縫道具があったじゃないですか。あれはつまり、亡くなった洋子さんが退職なされてから始めたことなんですか?」
「裁縫自体は趣味だったみたいだが、仕事が充実していたせいもあってかあまりやってる姿は見た事ないな。うん、本格的にやり始めたのは仕事を辞めてからだ」
「じゃあ、次。棚とかも見させてもらったんですけど、随分と高級そうなアクセサリーがありましたよね。ちょっと失礼かもしれませんが、洋子さんが買えないようなブランド物のネックレスや時計もありました。あれは、誰かからの贈り物ですか?」
「父からだ。父が生きていた頃、あの人は株をやっていたんだ。所謂、良い所の生まれでね。誕生日になると毎年、記念の宝石付きの飾りや時計をプレゼントしていた」
「では、その棚に隠されていた物については?」
「隠された……。ああ、あの箱の底にある物についてか。母がとても大事にしていた物らしくて、俺にも見せてくれたことはない。鍵穴は見たか?」
「見ました。あれの在りかを?」
「知るわけないだろ。知ってたら開けてるよ。あの棚にあれだけの宝石類があったんだから、もっと価値のある物が入ってるんじゃないかって期待するだろ?」
確かに、その通りだ。俺だってきっと、亡くなった人の前で不謹慎だとは思いつつも少しばかりくらいは期待を寄せてしまうかもしれない。何せ、これらの遺産は全てご子息である彼が継ぐことになるのだから。
「そっか。じゃあ、最後に一つ聞いていい?」
「何だ?」
「お母さんは裁縫をやっていたみたいだけど、最近、俊介さんは裁縫やった?」
「俺が? いやいや、俺は裁縫なんて興味ないよ。そもそも、授業とか以外で縫ったことすらないからね。それがどうかしたのか?」
「ううん? 何となく聞いてみただけ」
涼音はにこやかな笑顔を浮かべて言っているが、本当にそうだろうか? 確かに、最後に盛って来るには意味不明な質問だったが彼女に限って世間話で終わらせるようなことはすると思えないんだけどな。
「山ちゃん、もう大丈夫。ああ、俊介さんにはまだ残ってもらってね。たぶん、もうすぐで事件解決するから」
「本当? それは良かった。犯人は絶対に許せないんだ。もう少しで寿命で逝けたかもしれないってのに命を奪いやがった。刑事さんから聞いたが、殺人だけでも罪が重いってのに、遺体を切断して体を燃やしたそうじゃないか。仏さんにする仕打ちとは到底思えない。ちゃんと、五体満足で火葬してやりたかった……」
彼は悔しそうに奥歯を噛みしめ、目を伏せた。彼の悲しみが空気に乗ってこちらにまで伝播してきそうなくらい、その場の雰囲気が重苦しくなった。
「だが、あんたらを見て確信した。絶対に事件を解決してくれるって。俺は待つよ」
「そういうことだから山ちゃん、今度は空き巣さんの方にも話を聞かせて」
「分かった。今、連れて来よう。俊介さんは、一旦こちらに来てください。待っている間は、どうか怪しい動きはしないように」
「分かりました」
山西警部は彼を連れて行くと、今度は警察車両の中から手錠に繋がれた黒いジャンパーに黒いニット帽、黒いパンツ、黒い靴と全身真っ黒にしたちょっと太り気味の男が俯いた状態でこちらにやってきた。
山西警部は彼が何か気を起こさないかギラギラとした眼光で張り付いており、明らかにさっきの俊介さんとは態度が異なっていた。無理もない、彼はこの事件における殺人事件の容疑者であると同時に、空き巣の犯人でもあるわけだ。
「こいつは鏑木勉。今回の殺人事件の第一容疑者で、ほぼ犯人として確定している人物でもある。取り調べはさっき終わったばかりだ」
「俺は殺してない! 本当なんだ!」
「黙れ! 犯人は皆そうやって最初は言うが、自分の犯行が暴かれた途端に本性を見せる! 住居不法侵入というだけでも罪に問われる。そんな奴の言葉を、一体誰が信じることができるんだ!」
「ひい!?」
山西警部はとてつもない剣幕で唾を吐き散らかしながら説教した。犯人である鏑木さんはあまりのいかついヤクザ顔に怯え、身を震わせながら縮こまっている。
彼は非常に正義感が強く、犯罪者は決して許さない質だ。それは警察という身分に属しているからというよりも、彼の持つ生来の気質によるものと思われる。そうでなければ、あそこまで本気で他人を怒ることはできないだろう。
「まあまあ、山ちゃん。彼が空き巣なのは間違いないみたいだけれど、殺人犯とは限らないんじゃないの?」
「名探偵、申し訳ないが今回の殺人事件の犯人はこいつで確定だ。証拠も十分に出揃っているし、どれだけ言い逃れをしようとも殺人罪で起訴されるさ」
「そんな! あんまりですよ! 本当にやってないんだ! 信じてくれ!」
「煩い! お前は黙って名探偵の質問に答えてればいい!」
山西警部は涙目で懇願する鏑木さんの言葉を一蹴し、名探偵たる涼音に視線を向けてバトンをパスした。彼女もそれに同意し、鏑木さんと話をする態勢を作った。
「初めまして、鏑木勉さん。私は女子高生ギャル名探偵の諸葛涼音です。よっろしくー!」
彼女は可愛らしく体を傾けて敬礼をすると、彼はボーッとした後に何かに気づいたようにハッとした。
「諸葛と言えば、あの名探偵の諸葛良助だよね!?」
「お父さんのこと知ってる系?」
「知ってるも何も、有名人じゃないか! ということは、君はその娘! 女子高生ギャル名探偵で朝顔新聞の一面を飾った諸葛涼音! 敢えて光栄だ!」
「は、はあ……。えっと、鏑木さんって新聞記者さんか何か?」
「その通りだよ! うわあ、凄い! 一見しただけで真理を見抜く「観察眼の鬼」の異名は伊達じゃない! まさか、僕がその本人に調査されるなんて夢みたいだ!」
「ええっと……。それはどうも……」
涼音の笑顔が引きつる気持ちも分かる。俺も現在進行形でどんな顔をすればいいのか分からないところなのだ。まさかこの人、名探偵に推理されるためにわざと犯罪を犯してたわけじゃないよな?
「ええと、それじゃあ始めよっか。鏑木さん、空き巣をしたんだってね。そもそも、どうして空き巣なんて始めたの?」
「自分の稼ぎじゃあ、女房と息子を養っていけないと思って。それで、盗みを働くようになったんだ」
彼は自分の罪をつらつらと告白する。恐らく、もう警察に取り押さえられて観念したとか、事情聴取は済ませているとかもあるだろう。だが、こちらは勿論のこと、聞いている山西警部と涼音の顔はあまり良い表情とは言えない。
「働くようになったってことは、ここが初犯じゃないね? 今まで、どれくらいの家に空き巣に入ったの?」
「全部で、三件。ここを含めると四件」
「それは……。いただけないね」
涼音は非常に険しい表情をして空き巣犯の鏑木さんを見つめる。彼女もまた数々の難事件を解決し犯罪者を裁いてきた名探偵の娘、その血はしっかりと受け継がれている。警部だろうと名探偵だろうと、人の尊厳を踏みにじるような人間を許すことはできないのだ。
「ごめん、ちょっと私情が入った。続けるね。それで、これまでの三件はどんな家に入って、どんなものを盗んだの?」
「えっと、どの家もここと同じような古いアパートとか民家だ。なるべく警備が手薄で、お年寄が住んでそうなところに狙いをつけてた。盗んだのは宝石類の入った箱とか、現金の入った封筒、あとは現金そのものとか。それ以外の物は盗んだりはしていない」
「盗みは犯罪、絶対許されない」
調子付いて話そうとする鏑木さんを、親の仇を見るように睨みつける。しかし、彼女は首を左右に振ると自分に頬をパンパンと叩いた。
「大翔!」
「は、はい!」
呼ばれて思わず大声を出してしまった。まさか、あれをやる気か?
「名探偵三ヶ条! 復唱!」
「その一! 私情を挟まない!」
「その二! ただ真理を追究すること!」
「その三! 犯した罪には相応の罰を!」
「「名探偵はただ、真実のみを暴くべし!」」
そして、最後に俺たちは互いに自分の両手を上げてハイタッチ!
「「イェイ!」」
パンと空気を非常に清々しい音を鳴らして周囲に響かせる。
これはおやじさんに教わった名探偵三ヶ条、その復唱である。名探偵たるもの、これらの置き手を破ることは赦されない。彼女が冷静さを欠きそうになったとき、必ず行う必須の掛け声だ。まあ、三ヶ条と言いつつもちゃっかり四ヶ条目を付け加えているのは、俺も涼音も目をつぶっている。最後のハイタッチに関しては、彼女が俺とコンビを組むようになったことをきっかけにやるようになったオリジナルで、自分と彼女の信頼の証でもある。
「な、何だ?」
「いつもの奴だ。こいつら、相変わらず奇妙奇天烈だな」
心を抉られるような皮肉を言われた気がするが、初めて見る人はポカンとするだろうし、弐度目以降の人は「ああ、またやってるわ」的な感じになるのは仕方のないことだ。実際、俺もどうしてこれに付き合っているのか……。子供のときから八年、九年近くやっている癖なので体にすっかり染みついているし。慣れっていうのは本当に怖い。
「さて、これで雑念も消えたね。じゃあ、ここからが本題かな」
さっきまでの怒りに満ち溢れていた顔はもうどこにもなく、今で心の中に蔓延っていた雷雲が消えて晴天が訪れたみたいな清々しさすらある。
「じゃあ、質問! 今回、この家をどうやって選んだの?」
「どうやって?」
「そう。別に他の案件に関しては関係ないからいいよ。この家に空き巣に入ろうと思った詳しい経緯が聞きたいの。動機じゃなくて」
「えっと……」
「何? 何か話せないことでもあるの?」
「それは……」
鏑木さんの目は明らかに泳いでおり、「私、何かを隠しています」と自白しているかのような様子である。
「地道に調べたんだ。良さそうな物件と住んでいる人を調査して、計画を練って入った」
「どうやって調べたの? 具体的な方法を聞いているんだけど」
「それは、えっと……」
「答えられない理由、当ててあげようか?」
「理由? そんなの……」
「共犯者がいる、だよね?」
「っ!? どうしてそれを!?」
鏑木さんは慌てて手錠を嵌められた手で口を閉じたが、もう遅い。どうやら彼には、空き巣を行う上での共犯者がいるらしい。
「おかしいと思ったんだよね。家に入ったとき、手前の部屋とかには一切手を付けてないよね? 空き巣が入ったなら少なくとも物がどこかに移動したり、配置が入れ替わったりとかしててもおかしくない。だって、空き巣っていうのは現金や宝石を探すでしょ? でも、あなたは迷いなく洋子さんの部屋に向かい、そしてあの遺体を発見した。そうじゃない?」
「……」
「口を噤んでも無駄。あなたは情報屋を担う共犯者から事前に情報を貰い、その指示通りに行動をしていた。その証拠に、手袋はどうしたのかな?」
「手袋? 涼音、ちょっと待ってくれ」
俺はいきなり突飛な話をし出した彼女に待ったをかける。
「どうして手袋になる? 彼は今、手袋をしてないだろ?」
そう、手錠を掛けられた彼の手は素手。仮にポケットを調べてもいいけれど、そんなものは証拠品として警察が回収しているに決まっている。
「それがおかしいんだって。まさか、素手でこのアパートに乗り込んだと思う? だって、わざわざ黒い帽子を被って、黒い服。明らかに自分の素性を隠したがってるでしょ。山ちゃん、彼はサングラスとか付けてなかった? マスクとかさ」
「付けていた。マスクとサングラス、防犯カメラの映像をチェックしたからな」
「そのとき、手袋はあった?」
「……ああ、あった。確かに付けてた。てっきり、ポケットとかに入っているかと思ったんだが……。おい!」
山西警部は部下を呼びつけ、部下の一人がこちらにやってきた。
「お疲れ様です! 山西警部! 如何されましたか!」
「こいつの所持品は押収したのか?」
「はっ! 凶器を所持している可能性がありましたので、全て回収済みです!」
「そいつの所持品を全て列挙しろ!」
「はっ! 被疑者が持っていた物はサングラス、マスク、ライター、例の一室の合鍵、それから煙草。それくらいです!」
「合鍵? どうしてそんなもんが……。いや、それより。手袋はあったのか?」
「手袋、ですか? それはどういう……」
「あったかどうか答えろ! どうなんだ!?」
「はっ! ありませんでした! 被疑者の所持品は先程のもので全てです!」
「……もういい。ありがとな」
「はっ! 失礼致します!」
部下の人はそのまま走って現場検証の続きへと戻っていった。
「正体を隠したい犯人が、まさか自分の指紋をミスミス残すような真似はしない。彼が手袋をしていたなら、どうして犯行のときに外したと思ったの?」
涼音が山西警部に問うと、彼は大きなため息を吐いて答えた。
「手袋をしていると、どうしても作業がしづらいときはあるだろう。それに、間違いなく指紋は現場に残されていた。間抜けだとは思うが、出入りした人間が二人しかいないんだから、俊介さんがやっていないなら、犯人はこいつしかいねえだろ」
「いや、そんなことはない。出入りした人間が二人いるなら、犯人候補はもう一人いるでしょ?」
「……まさか、俊介さんが殺したっていうのか? 母親思いの息子が?」
「どうだろうね。山ちゃん、あっちの窓の方は調べた?」
「ん? ああ、あの奥側のか。人が通れそうな隙間があったから調べてみたが、これといって人が出入りした形跡はなかったな。泥の跡とか、指紋とかも調べたが、これといって手掛かりになりそうなものは何も……」
山西警部は気付いたようだ。今、この時点で窓の方からの侵入がないと仮定した場合、もう一人の実行可能な容疑者……飛山俊介の存在が浮かび上がって来る。そして、それがもしも本当なら、彼は自分の家の空き巣を手引きした共犯者という線が浮き出てくるのだ。
「いや、待て! そんなはずないだろ! さっきもあんなに悲しんでた」
「まあまあ、「まだ」犯人たる証拠は見つかってないんだから」
「ああ……」
色々と理屈をこねようとする山西警部を涼音が宥めると、彼は沈静化していく炎の如く大人しくなっていく。しかし、そんなにも「まだ」を強調すると、既に証拠は見つかっているみたいな風に捉えられるぞ。
「引き続き、山ちゃんはあの人が挙動不審にならないように見張っといて。私にはまだまだ、やるべきことがあるし。それでさ、空き巣さん」
「な、何かな?」
「どうなの? 共犯者はいるんだよね?」
彼は話そうかどうか迷って表情を歪め、奥歯を噛みしめる素振りを見せてからやがて脱力して力ない声で答えた。
「……いる。共犯者は、いる」
「てめえ! どうしてそれを話さなかった!」
堪らず彼の胸倉を掴み上げた山西警部が鬼気迫る勢いで問う。彼は首が締まって苦しそうにしているから、ほどほどにしておいてあげた方が良さそうですよ。
「脅されてたんだ! もしも共犯者のことをバラしたら、お前の家族がどうなってもいいのかって! 相手は警察に例え捕まったとしても、聞かれた以上のことは答えるな! また、自分が共犯者であること、共犯者の存在がいること自体を話すなって!」
山西警部はすぐに部下にアイコンタクトを送ると、それを聞いていた部下たちが動き始めた。恐らく、彼の家族に向けた護衛か警備でもつけるか。あるいは保護するのだろう。もしかしたら、今すぐにでも共犯者の魔の手が伸びているかもしれないからだ。
「それで、そいつは誰なんだ! 体の特徴は! 声は! 何でもいいから話せ!」
「無理だ! 一度も顔を合わせていないんだ! 連絡は全てメールか公衆電話からの着信で、こっちからコンタクトは取れないようになってる! 今回の犯行に関しても指示を受けた通りにやったんだ! ここから徒歩五分くらいのところの公衆電話に手袋と合鍵が用意されていて、それを身に着けて犯行に及んだ!」
「そう言えば、防犯カメラの映像では手元を隠していやがったな」
「それが犯人との約束なんだ! 侵入方法を見られないようにすることも!」
「なるほど、だからお前が合鍵を持っていたのか。クソが!」
山西警部は乱暴に手を放すと、鏑木さんはげほっ、げほっと咳き込んで喉を押さえた。
「だが、どうやって合鍵を?」
「手に入れる方法ならいくらでもあると思います」
そこに、俺が僭越ながら口を挟ませてもらった。
「おい、助手。それはどういうことだ?」
「合鍵なんて、鍵の本体さえあれば型を取って複製すればいい。年寄りや古いアパートが中心だったのは、鍵が手に入りやすいっていうのもあるでしょうけど、例え手に入らなかったとしても鍵をかけ忘れる人も多いですし侵入は比較的楽なはず」
「んなこと言われても。鍵を盗むなんて容易なことじゃあ……」
「盗む必要なんてないですよ。例えば、重たい荷物を持っているおばあさんに声をかけて、「家まで送っていきましょうか?」とでも優しく声をかけて家まで誘導させ、家の前についてら「私が開けます」とでも言って中に入れる。その間に型抜きをして終了です。こんな古典的な手と思うでしょうが、案外、馬鹿にできないものですよ」
「そうやって年配の方々を騙して鍵を作ったってか。クソ、舐めやがって!」
彼の怒りは今にも爆発しそうだが、そうカリカリしても仕方がない。むしろ、そうすることは犯人の思うつぼなのだ。ここは冷静に思考を働かせ、着実に推理して犯人を絞っていく他にない。
「それでさ、鏑木さん。その後の犯人の指示内容は?」
ようやく喉の傷みから解放されたらしい鏑木さんは、涼音の発した質問に回答した。
「えっと、部屋に入ったらまず一番手前の部屋から順番に金目の物を探せって。ゆっくり時間をかけても構わない、とにかく、なるべくゆっくりだって。でも、玄関から見て手前の部屋って脱衣所とかだし、そんなところを探すなんて有り得ないって思って一番奥の部屋から見て、一番手前なのかって思って探そうと思ったら布団が敷いてあって。やけに大袈裟に懸けられた掛布団が膨らんでいたから、それを翻したら、く、首から下が、な、なくて……」
彼は当時の状況を思い出して、とても気分が悪くなったらしく蒼褪める。俺や涼音、山西警部とかは死体を見慣れてしまっているけれど、一般人にはかなりショッキングな映像なのは間違いない。
「大丈夫、落ち着いて。深呼吸」
「すぅ、はぁ……」
「もう一回。はーい、吸って、吐いて」
「すぅ、はぁ……。ありがとう、落ち着いたよ」
「どういたしまして。続けてよ」
「うん。それで、慌てた僕は転んじゃって、大声で叫んだんだ。怖くなって、もし下手に現場を荒したら犯人にされちゃうかもって。だから、当時の指示通り、手袋を冷蔵庫の中に放ってから外に向かったんだ。そうして外に出たのと同時に取り押さえられて……」
「それが隣人さんってわけだ。なるほどね。山ちゃん、冷蔵庫の中は?」
「今、調べさせた。何も無かったってよ。こいつが嘘を吐いてる可能性は?」
鏑木さんは首を大きく左右に振って否定した。
「本来は、指示の内容を教えるなって指示もあったんだけど、もう全部バレてるし……。それに、警部さんが家族についてくれるなら脅しの意味もない。殺人犯にされるよりは、ずっとマシだよ」
そう語る彼の瞳はここではなく、彼の大事に思う家族の姿が映されているように思えた。彼は本当は優しい人間で、弱みに付け込まれて空き巣という犯罪に走ってしまい、それが楔となって共犯者は彼の弱みを握ることで完全に彼をコントロールしていたわけだ。そう考えると、少しばかりは同情の余地がないこともないかもしれない。
その薄汚い偽りを暴き、真実を見つけ出すのが名探偵の仕事。彼女なら、必ずや真実を
白日の下に晒し出してくれるはずだ。
「盗んだ宝石類とか現金はどうしてたの?」
「ちょうど、さっき言った公衆電話よりもっと先のファストフード店、マクドの裏のゴミ捨て場だ。そこはカメラとかもなくて、取引きに打ってつけの場所だったんだ。ゴミ箱の中に分け前分の宝石を入れておくだけ。それだけだ。僕の分は自分で持ち帰った。もう換金済みだから、見つからないだろうけどね」
「ちっ、ならそのマクドに行ってみるしかねえな。今すぐに車を出して……」
「いや、待って」
山西警部の発案を遮り、涼音は目を輝かせながら元気よく提案した!
「私が、行く!」
滅茶苦茶目を輝かせているが、こいつはたぶんマクドの商品に興味があるだけだ。調査と言い訳して行ったらば、確実に購入して帰って来るに違いない。このやんちゃ娘がこういう行動に出るときっていうのは、大体犯人の目星が凡そついているときで、将棋で言うところの王手、チェスでいうところのチェックに等しい。
「だが、いいのか? もう現場は見なくて」
「充分に検証は住んでるでしょ? だからもういいの。それより、警部さんは私たちが戻って来るまでの間に俊介さんの持ち物検査しておいて」
「いや、一応はしたが何も出てこなかったぞ?」
「本当に? どうせポケットの中とかしか探してないんじゃないの?」
「そりゃそうだ。普通はポケットとかに物を隠すだろう」
「私の予想が正しければ、彼は今でも持っているはず。体のどこかに。ペンと紙頂戴」
「……これでいいか?」
山西警部は自分が所持していた手帳のページの一部とボールペンを涼音に渡すと、彼女はスラスラと目的の探して欲しい物とやらを書いていき、それを警部に渡した。
「……? これを探すのか? 本当にあるんだろうな?」
「ある。信じて」
「……分かった。そっちも気を付けろよ」
「よっけー。んじゃ、また後で」
「失礼します」
俺は山西警部に一礼してから、件のマクドへと向かう彼女の足取りを追いかけるのだった。彼女の足踏みがスキップに見えたのは、絶対に気のせいではないのは確かだ。
俺たちは青空に浮かぶ雲の間からやや日差しが照りつける中、マクドに向かう前に公衆電話にやってきていた。現在の気温は二十六℃、今の季節は夏手前くらいで、もうすぐ衣替えというところだが、今はまだ夏服にはなれないため体感温度はかなり暑く感じている。
「いや~、それにしても暑いね」
「本当に。だが、まだマシな方だろう。時々雲で隠れてくれるし、直射日光よりかはだいぶ」
「早く事件を解決させて、美味しいアイスが食べたいにゃ~」
そう言いながら、彼女は公衆電話ボックスの扉に手をかけ、ガチャりと扉を開けた。そのとき、俺は彼女の後ろ姿を見て、咄嗟に自分の視線を横に逸らした。何せ、彼女の制服が汗によって透けた事で水色っぽいブラの紐が見えているんだから。
「さて、ここに証拠はあるかな? ちょっと、大翔。ちゃんと手伝って……。どうしたの?」
彼女は無防備そうにこちらに近づいて来る。当然、前側も彼女がちょっと屈んだりして光の加減が変わると大きな胸の谷間の輪郭やブラの色が映ったり、映らなかったり……。こいつ、そう言えばまた最近、胸が大きくなったとか風呂場で叫んでたのを聞いたような……。
まさか、本当に大きく……?
いやいや! 何を考えているんだ俺は! 名探偵の助手として、そんなやましい気持ちを抱いて事件の調査に臨むなど決してあってはならない!
「ねえ、何で視線を逸らすの? 見なかったら調査できないでしょ? 見て欲しいところ、いっぱいあるのに」
クソ、行間を上手く省いたら全く違う意味合いに聞こえてくる……。何で同棲している女子高生ギャル名探偵妹に欲情しないといけないんだ。というか、兄妹でそんなおかしな関係に発展すること自体がヤバいだろ!
「つうか、お前は名探偵なんだろ! どうして目を逸らしてるかくらい自分で気付け!」
「別に、名探偵だからって情報もなしに完璧に事件を推理できるわけじゃないんだけど……。うーん、この暑さ、顔の火照り、汗、視線を合わせない……。ああ、もしかして透けてるってこと?」
「そういう恥ずかしいことを言うな! せっかく言葉を濁したのに!」
ちらりと横目で彼女の顔色を窺うと、明らかにニヤニヤと楽しそうな表情をしている。まるで、新しい玩具でも見つけた子供みたいな……。
「そんなに見たいなら、見せたげよっか? 私のやつ」
「なっ!? こんな公衆の面前で吐くような台詞じゃないだろ!」
「公衆じゃなかったら良いって事?」
「そういうことじゃない!」
彼女はすっと背伸びをして耳元に口を近づけると、息を吹きかけるようにして囁いた。
「別に、私はいいんだけど?」
「っ!??」
思わず視界が点滅して、頭がクラっとした気がした。フワッと彼女が付けているらしいシトラス系の香水の匂いが鼻腔の奥をくすぐって、一瞬で頭がショートしそうだった。だが、その気持ちを理性で押し留め、彼女の両肩を掴むと優しく引き剥がす。
「俺たちは義理とはいえ兄妹、そして名探偵と助手だろ。そんなおかしな関係にはならない」
「……そっ、か」
「……」
彼女の顔は周囲の空気すらも群青色に染め上げてしまいそうなくらいに、明らかに落ち込んでいた。俺は彼女の期待を裏切ってしまったのだと、その目じりに浮かべた涙を見て初めて気が付いた。
……ああ、もう!
俺は彼女に思いっきり抱き着くと、その背中を優しくさすってやる。
「大翔?」
「勘違いしないでほしいんだが、俺はお前のこと凄く大切にしてるんだからな。拾ってくれたおやじさんのことは勿論だが、両親がいなくて寂しさで胸が張り裂けそうになっていたときに、お前が一緒に居てくれたことは本当に嬉しかったし、今でもずっと傍にいたいと思ってる。これは本心だ」
「……なら、いいじゃん。応えてくれても」
「……大事だからこそ、俺は応えられないんだ。嫌われたくないから」
「……馬鹿。私が大翔のことを嫌いになるはずないのにさ」
「それに……」
「それに?」
「……そういうのは、もっとちゃんとしたい。こんな、何か勢いとか、流れとか、そういうので決めたくない。俺がお前に向けている気持ちが家族愛なのか、それとも異性愛なのか、ちゃんとはっきりさせて、けじめつけないと」
「……仕方ななあ」
彼女は俺から離れると、その目には既に涙はなく、今にも消えてしまいそうなほど儚げに微笑みを浮かべた。
「ちゃんと、答えを見つけてね。そうしないと……」
「そうしないと?」
「私が望む答えになるように、誘惑し続けちゃうからさ」
「……っ! 善処する。というかそれは、名探偵の三ヶ条に反するんじゃないのか?」
「その一、私情を挟まない。けれど、私情を挟まないと私の欲しい物が手に入らないなら、私は破っちゃうかもね。大翔が名探偵の敵にならない限りは」
「絶対にならないから、安心してくれ」
「分かった。意気地なしな助手が実は私のことをめっちゃ愛してるってことが知れたから、今日はよしとしてあげる」
何とか涼音は納得してくれたらしく、それから彼女と俺で公衆電話の調査に移ったわけだがこれといった手掛かりらしい情報を手に入れることはできなかった。
「やっぱり、こんなところには何もないよね。じゃあ、マクドの方にも行ってみようか」
「了解。ここからすぐだよな」
「そうだよ。確か、あのアパートから徒歩十分ほどだって言ってたから、ここからだと五分くらいだよ。いこっか」
そうして、再び俺たちは歩き出す。アスファルトに照り返る日光に焼かれながらも、何とかうだるような暑さに耐え抜き、マクド前までやってくることができた。見慣れた赤い看板と黄色い文字で描かれたデカいロゴ付きのタイトルは街中でも非常に目立ち、大手ファストフードチェーンの肩書を強調しているかのように思える。
「ここが、マクド」
「普段はあんまり食べないからな。せっかくだし、おやつがてら買って帰るか?」
「本当はそうしたいところだけど……。事件を解決したら、ゆっくりとここで食べる! ほら、昔話に花でも咲かせながらさ。どう?」
可愛らしく上目遣いをしてきて、猫撫で声で尋ねて来るのはやっぱり反則だと思うんだよなあ。これをされたら、何人も、特に男は逆らえるような気がしない。
「分かった。無事に事件が解決できたらな」
「よっし! やる気出て来た!」
彼女は意気揚々と自動ドアのボタンを押し中に入っていったので、俺も後に続いて店内に入った。平日だというのに、主婦やカップル、それから学生、サラリーマンのような人まで色々な人が列を作って並び、そして目の前にある席を埋めている。
忙しいところ本当に申し訳ないところではあるが、事件調査のためにも協力をしてもらわないと。
俺と涼音は人の波を掻き分け、敢えて受け取りカウンターのところに行き女性の店員さんに話しかけた。
「あの、すみません」
「はい、如何されました?」
「こちらで働いているはずの飛山俊介さんはご存知ですよね?」
「ええ、勿論。確か、今日は早く帰るって」
「その件で伺ったんです。こちら、有名な名探偵たる諸葛良助の娘、女子高生ギャル名探偵の諸葛涼音、そして俺が助手の一条大翔です。ちょっとお話を伺いたのですが、よろしいですか?」
「か、かしこまりました! ただいま、店長を呼んで参ります!」
彼女はピューと音が出そうな速度で奥の方に引っ込んでいくと、間もなく店長と思わしき年配で黒いクルー衣装の男性が姿を現した。
「これはどうも、名探偵とその助手さん。私は店長の王と申します」
「初めまして。一条大翔です」
「こんちゃー。私が名探偵の諸葛涼音です!」
「ここでは何ですし、どうぞスタッフルームの方へお越しください」
俺たちは店長に導かれてSTAFF ONLY と書かれた扉をくぐって従業員室にやってきた。そこそこ広そうな部屋には割と大きい机と椅子四つほど、そして更衣室と思われる部屋とロッカーが六つほど並んでいた。
「すみませんね、狭い所で。どうぞ、お座り下さい」
「ありがたいお話ですが、遠慮しておきます。俊介さんに関するお話を伺ったら、すぐに撤退しますので」
「そうですか。では」
店長さんは傍にあった椅子に腰かけ、そして俺たちは彼と向い合う。
「それじゃあ、店長さん。お話聞くよ?」
「ええ、どうぞ。何でも聞いてください。うちの大事なクルーを守るためですから、何なりと聞いてください」
店長さんはとても協力的で、まるで事件については既に把握しているみたいだった。
「確認だけど、俊介さんが事件に巻き込まれた話は聞いてる?」
「ええ、警察の方から電話がありまして。まだ従業員には話していませんが、私は凡その状態は把握しています。もしかしたら名探偵がそちらに行くかもしれないから、そのときは調査に協力するようにとも」
なるほど、だから山西警部もあっさりとこちらに調査に行かせる許可を出したわけだ。本当、必要なことと思えば根回しはちゃんとしてくれて抜け目のない人だと思う。
「それは良かった。じゃあ、質問ね。俊介さんって普段はどんな人? 店長さんから見てでいいからさ」
「どうでしょうね……。質問を質問で返すようですが、名探偵から見たらどういった印象でしたか?」
「見た目は割と普通だけど、人を見た目で判断する失礼な人だったかな。けど、質問にはちゃんと答えてくれたし、お母さんを想って泣いていたかな」
「私の抱いている印象とはだいぶ違うようですね。助手さんはどうですか?」
「俺も同じような感触ですよ。あまり好意が持てそうな人とは感じませんでした」
「そうですか……」
店長は気を落として少しばかり項垂れる。無理もない、自分が大事にしているクルーが悪く言われたら上司としてはがっかりせざるを得ないだろう。この人はとても部下思いの、良い店長さんらしい。
「私としては、彼はとても好青年だと思います。ひたむきで、とても真面目で、仕事熱心。同僚や先輩、後輩との仲も良好ですし、バイトの都合を相談すると真剣に話を聞いてくれますし。聞いておいて何ですが、彼にもそういう一面があることを知らない方が良かったかもしれませんね」
「そんな真面目な人だったんだね。最近、俊介さんを見て変わったこととかなかった?」
「変わったこと? そうですね……。いや、特にはないと思いますよ。彼は定時出勤の定時退勤、仕事をしているときも声をよく出していますし……。ああ、そう言えば」
「どうしたんですか?」
「ここ最近はゴミ捨てをよくやってくれるんです。私たちは食品を扱いますし、どうしても生ごみとか出るでしょう? 誰もやりたがらないんですけど、彼は閉店時間まで残って、後処理とかを任せておくとやっていおいてくれるんですよ」
俺と涼音は顔を合わせると、まさに「それだ」と早速当たりを引けたことに内心歓喜しつつ、件のゴミ捨て場のことに聞いてみることにした。
「そのゴミ捨て場はどちらに?」
「こちらですよ」
店長に案内されて厨房の奥の方へと向かうと、そこには扉があった。そこを開けて外に出ると、店の裏側にある狭い路地に出ることができ、左側に水色で横長なゴミ箱が配置されていた。
「従業員はいつもここでゴミ捨てをしています」
「ふうん? 山ちゃん……山西警部からも聞いたけど、ここにはカメラがないんだって?」
「ええ、ないですよ。そもそも取り付ける場所も予算もないですし。ああ、でも最近は着けた方がいいんじゃないかって声を従業員から貰っていまして」
「何かあったんですか?」
「実は前に一度、従業員の一人がここで作業をしようとしていたところ、ゴミ漁りをしている男性の方を見つけたらしいんです。その男は大柄で、従業員に気づくと尻尾を巻いて大通りの方へと走って逃げて行ったそうです。最近は空き巣の噂もありましたし、警備強化のためにもって」
店長の話を聞いて確信できた。ここに鏑木さんはやってきて宝石類や現金をゴミ箱の中に隠し、この場を立ち去ったのだ。そして、夜に戸締りの番を買って出た犯人……この場合、恐らくは俊介さんが宝石類を盗って行ったのだ。
「これで状況証拠は揃ったけど、肝心の証拠がない。それに、もしかしたら犯人は第三者かもしれないし」
「それはない。絶対に、それはない」
彼女の言葉は重く、そして確信を含んでいるのが分かるほどにはっきりとしていた。きっと、先程に山西警部に頼んだ証拠品の回収が成功すればチェックメイトになるはずだ。
「店長さん、ありがとうございました。これで色々と分かりました」
「お役に立てたようなら何よりです。私は、仕事に戻りますね」
店長さんはやってきた扉から店内へと戻っていき、扉をしっかりと締めた。俺たちは変える前にゴミ箱の中を念入りに調べてみたが、残念ながら盗んだ宝石類や現金は見つからなかった。それがここで見つかれば、ほぼ確実に犯人を特定できたのだろうけど。
「もう充分だよ。これで、全て整った」
「本当に大丈夫か? 涼音の実力を疑うわけじゃないが、俺は少しだけ心配だ」
「無問題。むしろ、ここで問題が起きるとすれば私の体のほうじゃないかな? だから、いざというときはよろしくね、男の子」
「いつものことだ。任せてくれ」
俺たちはつつがなくマクドでの調査を終了し、適当に駄弁りながら来た道を引き返していった。戻ってくると、アパート前には山西警部、被疑者である鏑木勉さん、それからまだ顔を合わせていない大学生くらいの茶髪の男の人、そして手錠をかけられた飛山俊介さんの姿があった。
山西警部は非常に難しそうな顔をして頭を抱えており、俊介さんは苦虫を潰したような顔をして地面を睨んでいて、鏑木さんと茶髪の男の人は何が起こっているのか分かっていない様子で挙動不審になっていた。
山西警部は俺たちを見つけるなり、こちらへと駆け寄って来た。どうやら待ちくたびれていたらしく、頭をかいたり、ポケットに手を入れたり出したり、落ち着かない様子だ。
「名探偵、ご注文の品は見つかった。犯人はあの通りだ」
「ありがとう、山ちゃん。やっぱり、そうだったんだね」
「では、これから真実を話してくれるのか?」
「その前に……。そこの人は誰?」
「ああ、彼か。彼は通報者、件の部屋の隣室に住んでいる明智義春さんだ」
明智と呼ばれた人は、名前を呼ばれたのを聞きつけてこちらにやってきた。
「うっす、どうかしましたか?」
「明智さん、この二人が先程にお話した名探偵とその助手です」
「ということは、そっちのギャル子ちゃんが探偵?」
「違います」
「え、違うの? じゃあ、もしかして……」
明智さんがこちらをじっと見て来たので、俺は堂々と答えてやった。
「俺が女子に見えますか?」
「ご、ごめん。怒らせるつもりは……。でも、そっちの子が違うって言うから」
「そりゃ違うっしょ。私、女子高生ギャル「名」探偵なんだから。名探偵の諸葛涼音です。よろー」
「ああ、なるほどね。名探偵だから、違うってことね。……それ、何か違うの?」
「全ッ然! 違う!」
「分かった、分かったからそう怒らないで」
明智さんはどうどうと涼音を宥めると、ふうと息を吐いた。
「それで、どうだ? 明智さんからも何か聞いておきたいことはあるか?」
「聞いておきたいことって言っても……。もう犯人も犯行動機も分かってるし。……じゃあ、一個だけ。このアパートって、事件があった時間、つまり八時半くらいの時間は明智さん以外に誰かいるの?」
「いや、誰もいない。皆、働き者だからね。俺は大学生で、本来は授業があったんだけど。今朝になって休講連絡が届いたから家でゆっくりしてたんだ。そうしたら、隣から耳をつんざくよな絶叫がしてな。慌てて隣の部屋に行こうとして扉を開けたら、すれ違いに知らねえおっさんが飛び出すものだから、慌てて投げ飛ばしてから警察呼んだ。そうしたら、まさかの空き巣だったっていうから大手柄だよな」
「ふうん? そういうこと……。これで、確信かな」
「何か分かったのか? おい、助手。どういうことだ?」
「俺に聞かないでください。俺だって、まだ情報の整理が終わっていないのに」
大体、ここまでの手引きが無ければ俊介さんが犯人であることすら分からなかったはずだ。母親思いの男性が一転、母親殺しとは。人間、何があるか分かったものじゃないね。
「じゃあ、皆さん! 集まって! これから事件解決偏と洒落こもうよ!」
涼音の掛け声で皆が声の聞こえるところまで集まって来る。そうして、彼女は両手を腰に当てて仁王立ちすると、得意げな顔をしてニヤリと笑うと話始めた。
「さてさて、お立会い。今回起こった事件なんだけれど……。最初に言っておくと、この事件は二人の空き巣犯により共同の犯行であって、殺人事件じゃない!」
「「「「はああああああああ!?」」」」
そう涼音が言い切った瞬間、俺、山西警部、鏑木さん、そしてついでに明智さんも声を揃えて絶叫を上げることになった。
それに対して、俊介さんは「ちっ」と小さく舌打ちをして視線を逸らす。
残念ながら俺もかなり理解が追いついておらず、先程の山西警部じゃないが頭を抱えることになってしまった。
「ちょっと待って、涼音」
「ん? どしたん?」
「どしたん、じゃない! これは殺人事件だろ。だって、首切り死体があったし。それに、寝かされていた布団には血がべっとり染みついてたじゃないか」
「じゃあ、逆に聞くけどさ。死体の体の部分がないのに、どうして殺人事件だって断定できるの?」
「は?」
「更に言うと、どうして布団にいっぱい血が着いてたら殺人事件だってことになるの?」
「何を馬鹿なことを! 名探偵、とうとう頭がおかしくなったか?」
「頭はおかしくなってないよ。だって、これが真実だもの」
「わ、訳が分からない……。僕は馬鹿ですから、馬鹿にも分かるように説明してくれ」
「俺も正直ピンとこねえ。警部さんからは殺人事件って聞いてたけどな」
「鏑木と明智さんの言う通り、これは殺人事件として調査してたんだ。今更、空き巣事件だなんて納得のいく説明があるんだろうな?」
「勿の論。そのために、私はここにいる。説明しよう、この事件の全容を!」
始まったぞ、諸葛涼音の推理ショーだ。
「事の発端は恐らく数日前でしょう。そこの俊介さんは洋子さんが医師の診断を受け余命宣告を受けてから暫く、いよいよ寝たきり状態になったことでもはや数日の命と悟った。そこで、彼は洋子さんを空き巣事件に利用しようと考えた」
「待て待て、そもそもどうして飛山俊介が空き巣の共犯者だってことになる。その動機は何だ?」
「そんなの、そこにいるんだから直接聞けばいい。私は推理することはできるけど、人の心が読めるわけじゃないし、他の空き巣事件を調べたわけじゃないから詳しい事は分からない。確かなのは、今回の空き巣事件の協力者がそこにいる俊介さんで、鏑木さんは彼の策略にまんまと嵌められて殺人事件の犯人にされたってことくらい。そもそも、それを調べるのは警察の仕事でしょ?」
「……ごもっとも」
「取り敢えず推理を聞いてよ、山ちゃん」
「分かった。取り敢えずは聞いてやるから全部話せ」
鵜余西警部は大人しくなり、涼音は自分の推理の続きを話し始めた。
「まず、今朝方に彼女の死亡を確認した俊介さんは、山ちゃんたち警察が回収した手袋を使って首を切断、遺体の体からとある物を持ち去り、袋に詰めて燃やした。その後、掛布団を顔が見えない位置まで持って来て隠したら仕掛けは完了。俊介さんは、実行犯である鏑木さんが使う手袋を持ち、何事もなくアルバイトに行く仕度をしてから家を出る。彼は手袋をしてから電話ボックスの扉を開け、扉を開けっ放しにして公衆電話から彼の携帯に電話をかけ、彼にすぐに準備を整えてから、自分の下した指示に従って犯行を行うように言った。犯行の際には手前の部屋から探すこと、手袋を冷蔵庫の中に隠すこと。彼はその後、手袋と複製した合鍵を置いてから手は使わずに電話ボックスの扉を締め、そのままアルバイトに行った。一方、鏑木さんの方は指示された通り公衆電話に行き、犯行を行うための手袋を公衆電話で受け取り、そのままアパートに向かう。今の時間なら、公衆電話に鏑木さんの指紋が残っているかもしれない。今朝方に、誰か公衆電話を使っている人を見なかったか聞き込みをしてもいい。きっと、そう遠くないうちに証言は見つかる。鏑木さんは犯行を行うために手袋をしてから、受け取った合鍵を使って中に入り、部屋を物色し始める。このとき、鏑木さんはまさか共犯者の自宅だとは露も思ってなかっただろうね。彼は指示された通り、手前の部屋から捜索しようとしたが、彼は手前の部屋というのを件の事件が起きた部屋だと勘違いしたために、奥の方へと入ってしまった。これが一つ目のミス、共犯者である俊介さんが手前の部屋からじっくり探すように指示したのは、洋子さんを殺して後始末をする時間、つまり犯行可能時間を稼がせるためだった。だから、わざわざ死体を見えないように掛布団で覆ったのに。鏑木さんは何の疑いもなく犯行が行われた部屋に入り、そして掛布団を盗ってしまい死体を発見。彼は驚いた拍子に転んでしまい、その衝撃で後ろにあった裁縫箱を開けてしまう。彼は焦った、このままでは自分が彼女を殺した犯人にされてしまう。彼はパニックを起こしながらも、俊介さんの指示に従って証拠隠滅のために手袋を冷蔵庫の中に隠し、そして部屋を脱出するはずだった。けれど、ここで二つ目のミスが起こる。本来、誰もいないはずのアパートの住人たちで唯一、今日が偶然にも休みになってしまった明智さんが彼の上げた絶叫を聞きつけてやってきてしまい、取り押さえられた。警察が来てから、俊介さんの職場にはすぐに警察へと連絡がいったことでしょう。本来なら、彼が立ち去った後で目につきそうな証拠だけを素早く抹消してから警察を呼び、アルバイトに行っていた時間に洋子さんを空き巣である鏑木さんが殺したことにするはずだったのに。違うかな、飛山俊介さん?」
その場にいた全員の視線が俊介さんに向けられるが、彼は何も答えない。ただ歯ぎしりをして、顔を歪ませるばかりだ。
「証拠も見つかっているよ。警部さん」
「ああ。こいつの所持品から洋子さんから盗んだと思われるサクラの花の形をした宝石が付けられた指輪、それから手袋が見つかった。名探偵たちがやって来る前、こいつは警察の前で堂々と水を飲みたいと言って冷蔵庫を開けた。そのときだろうな、手袋だけを回収したんだ」
「水を飲むだけと、油断したね。彼にはアリバイがあるし、殺すはずもないって思い込んでいたから猶更」
「面目ない。俺も警部としてまだまだだな。だが、こんな指輪一つのためにこんな事件を起こしたってのか?」
「違うよ。これはね、一挙両得どころか、一石二鳥どころか、一石二鳥にプラス一できる計画だったんだ」
「一石二鳥に、プラス一? おい名探偵、それはどういうことだ?」
「まず一つ、その指輪を手に入れること。それは、彼女が一番大事にしていた物を仕舞ってある場所の鍵になっているから」
それを聞いて、俺はある場所を思い至った。
「あの厚底の棚か。指輪が無かったのは彼女がしていたからで、体を焼いたのは指輪をしていた事実を隠すため?」
「それだけじゃない。犯行時刻を誤魔化すとかいう意味もあるけれど、それはついで。二つ目の目的は、彼が洋子さんに対して行っていたあることを隠すため」
「あること?」
「そう、体から見つかっては困るようなもの。指輪を盗るためなら、わざわざ手間をかけて体を焼く必要はなかったはず。彼は体の表面にあったある事実を隠したかったんだ。そうだよね?」
「どうなんだ、飛山俊介。話せ!」
俊介さんは悔しそうな顔をしながらも、小さく口を開いた。
「……ばつ」
「あ? 聴こえねえよ。何だって?」
「だから! 体罰をしてたんだよ! あいつ、さっさと介護施設にでも行けばいいのによ! ずっと家に地縛霊みたいに留まりやがって!」
「がん患者なのに治療も受けず、かと言って自分で動くこともできない。俊介さんは一緒に住んでいる身の上、介護をする必要があった。けれど、それがストレスだった」
「そうだよ! あいつが大人しく治療を受けるか、施設にでも行ってくれれば仕事を辞めずに済んだのに! 趣味の時間もあいつの介護に持ってかれて手が付かず! さっさと縊り殺してやりたかったさ!」
俺の推測に、彼はペラペラと聞いてもないことを話し、本性を現わしていく。その言葉を引き継ぎ、名探偵の推理ショーは続く。
「けど、そうしなかった。それは、三つ目の大いなる目的を達成するため」
「その三つ目の目的とは何だ?」
「共犯者である鏑木さんに対して、殺人犯の汚名を着せること。でしょ?」
「おのれ……。名探偵……!」
「なるほどな、空き巣での罪に加えて殺人犯。重い刑罰を与えることで務所から出られなくする。本当の目的は、こいつが今まで盗んだ物を掠めとることってことか? 名探偵」
「ダッツライ! 山ちゃんもようやく理解が追い付いたね」
しかし、俺はやはり疑問が尽きないのだ。彼女の推理は当たっているらしいのだが、どうしてそこまで詳らかにできたのか不思議で仕方ない。
「なあ、涼音」
「どしたん?」
「何故、洋子さんが殺されたわけじゃなく、元々死んでいたと思ったんだ?」
「ああ、それ。どれだけ意識が無い人間でも、首を斬られたら痛むものでしょ? でも、あの遺体は表情筋が揺らぐどころか安らかに眠っていた。変だと思ったんだよね。そうしたら、俊介さんがあんなことを言うから、それでなるほどって思ったわけ」
「あんなこと?」
「覚えてない? 『刑事さんから聞いたが、殺人だけでも罪が重いってのに、遺体を切断して体を燃やしたそうじゃないか。仏さんにする仕打ちとは到底思えない。ちゃんと、五体満足で火葬してやりたかった』って」
「それがどうかした……。そういうことか」
俺はすぐに答えに至った。その台詞、確かによく聞いてみるとおかしいと気付く。
「は? おい、助手。今の台詞にどんなおかしな部分があったんだ?」
「普通、体を燃やしたと証言するなら、首を一気に切断してから体を燃やすと思うでしょう? ですが、彼は遺体を切断、つまりは既に死んでいることを知った上で首を斬ったんですよ」
「それを知っているのは、犯人だけか」
「まだ分からないことがある。盗んだ宝石類や現金はどうした? 鏑木さんはともかく、俊介さんはまだ持っているのか?」
「それの在りかなら、たぶんバイト先のロッカーじゃない? ねえ、山ちゃん。持ち物点検したときに鍵が見つからなかった?」
「ん? あったぞ、二つ。一つは自宅の合鍵、もう一つは何か金庫か何か鍵だって。まさか、そこに証拠が?」
「あるんじゃないの? 今回の事件が終わって、彼が逮捕されたのを確認したらとんずらするためにね」
「や、やめろ! あれは俺のもんだ!」
「馬ッ鹿野郎! それは盗まれた被害者のもんだ! おい! すぐに調べて来い!」
「はっ!」
彼の部下がすぐに鍵を持ってバイト先へと向かった。次々と見つかっていく証拠、これが殺人事件だと思っていたら空き巣事件だなんて誰も思わなかっただろう。それこそが彼の狙いであり、自分だけ助かろうとしたってことなんだろうけど。
「まだ聞きたい事はある。どうして、彼の部屋から指紋が?」
「ああ、鏑木さんの? 偽装だよ、どう考えても」
「どうやって?」
「さあ? けれど、共犯者なら指紋を取る機会くらい幾らでもあったんじゃない? そもそも、家族を人質に取られてるんだから逆らえないだろうし。盲目的に指示に従うには十分な理由だったと思うし」
なるほど、確かにそうだ。自分の家族が人質に取られていて、相手の指示に逆らおうなんて発想が出て来るわけがない。全ては俊介さんの手の平の上で踊らされた結果というわけか。そもそも、鏑木さんが空き巣なんかに手を出さなければ良かった話だろうけどね。
「おい、飛山俊介。何か、言い残すことはあるか?」
「……ねえよ、全部名探偵の言う通りだ。仕事を失い、アルバイトを始めたが金が思うように集まらなくて、それでこいつを利用したんだ」
「恐喝に遺体損壊、窃盗。罪は重いぞ、詳しい話は所で聞く。連行しろ!」
「はい!」
そして、山西警部と警官が彼を押さえようとしたところで、彼の目がかっと見開かれた。
「このおおおおお!」
「何だ! おい、待て!」
山西警部が彼の体を掴もうとしたが空を切り、そのまま真っ直ぐに涼音へと向かっていく。咄嗟のことで涼音は反応できず動けないでいる。犯人の男は仇を見るような憎悪に満ちた黒い瞳で涼音を手にかけようと牙を剥く。
手錠に繋がれた彼の手が涼音に伸びる。俺は咄嗟に涼音と犯人の間に割って入り……。
「どけえええええ!」
「ふっ!」
彼の胸を一回、そして首に手刀を一回撃ち込んだ。すると、彼は白目を剥きながら脱力し、そのまま気絶してしまった。やれやれ、またこうして一仕事することになるとは思わなかったよ。
「す、すまねえ! 怪我無いか!」
「大丈夫です、いつものことですから」
「毎度、すまねえな。今回こそは大丈夫だと思って備えてたんだが」
「油断大敵と言いたいところですが、彼女を守るのは俺の役目でいたいので複雑な気持ちですね。ですが、もっとちゃんとしてください」
「本当に悪かった」
彼は腰が九十度になるまで頭を下げると、起き上がって優しい笑みを浮かべる。
「今回の報酬は弾んでおく。また次回も、よろしく頼むぞ」
「……はあ、それは涼音に言ってください」
「ん? 私はそれでいいよ」
「本当に悪かったな、お前が狙われる可能性がいくらでもあるっていうのに」
「別にいいよ。私には、最強のボディガードがいるし。ね? ジュニア級異種混合格闘技全国代表選手に選ばれたことがある一条大翔君?」
「……辞めてくれ、もう一年も前の話だ。今は休業中だよ」
「それでも、実力は本物だ。二人とも、警察に欲しいくらいだ。これは世辞じゃないぞ?」
「そう言って貰えるのは嬉しいけど、私は名探偵で、彼は助手。それは譲れない」
彼女はニッと笑うと、いつももの締めをやる態勢に入った。
「そんなわけで、一件落着!」
「「イェイ!」」
パン! と大きなハイタッチをして、事件は無事に解決。犯人である鏑木さんと俊介さんはその後、警察に連行された。後日、新聞記事に大々的に載ったこの事件もまた、女子高生ギャル名探偵のお手柄ということで、彼女の株が更に上がることになったのは言うまでもない。
事件後、約束していたマクドにはおやじさんから電話がかかってきたことで行けなくなった。おやじさんが事件解決の話を早速聞きつけたらしく、俺たちをお寿司に連れて行くと言ったからである。
なので、休日となった今日は彼女を連れてマクドに昼食に来ていたわけだ。
彼女はギャルとは思えないくらい清楚な白いブラウスと紺色のひざ丈くらいのスカートを履いており、ちゃんと桜色のリップを付けて、お気に入りの花柄の控えめネイルまでしてここにやってきていた。窓側の席のため、差し込んだ日差しに彼女の金髪が乱反射して神々しい光を放っていて、まるで女神さまのようにも見えた。
注文した商品を受け取り、俺と向かい合う彼女は本当に可愛らしく、周囲の人たちからも食事を中断して視線を集めるほどに目立っていた。
「今日は一段とお洒落してるな。昼食を食べに来ただけなのに」
「だって……。せっかく、大翔とデートできるのにおめかししないのってやじゃん?」
「お前の中で、俺の株はどんだけ高いんだ?」
「名探偵の助手は、私の心臓なの。命と同じかそれ以上に大事な人だよ」
「……そりゃ、嬉しいな」
ヤバい、俺が今どんな顔しているのか自分でもよく分からない。耳の端の方まで熱くなっている気がするし、それともこれは夏日による気温のせいだろうか?
「あ、ああ、早く食べないと冷めちゃう! はよ、食べよ!」
「そうだな。まずは食べるとするか」
俺たちはしっかりと「いただきます」と挨拶を済ませてから目の前の料理にありつく。
目の前にあるのは、ポテト、コーラ、それから目的のハンバーガーである。包み紙を取って現れたのは、肉厚のビーフとチーズ、玉ねぎがふわふわのパティに挟まれた濃厚醤油のサムライマクド。一方、涼音の方は濃厚なタルタルソースとベーコン、そしてトマトで味付けされたベーコントマトマクドである。
俺たちはそれに豪快にかぶりつき、よく噛んで食感と味わいを堪能する。
「美味いな、濃厚な醤油のソースが良い味を出してる。肉汁もいっぱいだ」
「それな! トマトのシャキシャキ感もたまんないね! 癖になっちゃう!」
「それなら、俺の作る料理は食べなくてもいいってことか?」
「それは意地悪でしょ! 絶対、大翔の作る料理の方が美味しいのに!」
「それはどうも。どころで、何だが」
「どしたん? 何かあった? あ、もしかして口の周りについたソースを取ってほしいってこと?」
「いや、そんなことは言ってないけど……」
彼女はニヤリと笑い、また悪戯っぽい笑みを浮かべる。彼女の悪い癖である。
「遠慮しないで、ほらお姉さんが拭いたげるよ」
「誰がお姉さんじゃ。俺の方が年上だって……」
「はいはい、いいから」
彼女は食べかけのバーガーをトレイに置くと、ナプキンを持って俺にテーブル越しに接近してくる。ふわりと香る柑橘系の香り、彼女が今日付けてきた香水の香りである。いつもは胸元が開いているが、今回のような恰好だとエロくないと思っていた俺が間違っていた。むしろ、色気が増してエロさが倍増している気がする。
「お、おい、涼音」
「動かないで」
彼女はナプキンを持った手で汚れを取ろうとして、それとは反対の手で自分の口の周りをなぞってソースを拭き取った。彼女は指先についた茶色い醤油のソースをパクリと口に加えると、チュパと音を立てて舐め取ってしまった。そして、彼女が持っていたナプキンで指の先端を拭くと定位置に戻っていく。
「ナプキンで取ると思ったでしょ?」
「誰だってそう思うわ」
「先入観で物事を見てはいけないのだよ、ワトソン君」
「誰がワトソンだ。まあ、お前ならシャーロックホームズにも見劣りはしないけどね」
「助手の力量だって、ワトソンに見劣りしないと私は思ってるよ?」
そうやって何も知らないような無邪気な顔で言いつつ、腹の中では幾重もの計算を巡らせているのだから末恐ろしい。彼女の表情一つ、俺を色香に惑わすための罠だとしか思えないじゃないか。
「それで、だ」
「どしたん?」
俺は逸らされてしまった話の続きをしようと口を開く。
「結局、あの箱の中身は何だったのか分からなかったな。何が入ってたんだ?」
「あの箱って、厚底の? 何か価値があるんじゃないかってやつ?」
「そう。だって、表にあった宝石類が既に価値のありそうなものばかりだったろ? きっと、とんでもない宝を隠してたんだろうなって」
「また~、そうやって。今言ったばかりでしょ、先入観で物事を捉えたら駄目だって。あの中に入ってるのは宝石や現金じゃないよ」
「だったら、何が入ってたんだよ?」
「洋子さんにとって一番大事な物。それは、家族との思い出。特に、亡くなった旦那さんとの大切な思い出が詰まっていたと私は思うよ」
「どうして?」
「だって、死ぬ直前まで互いのことを想い合ってる夫婦なんだよ? 彼女にとって、旦那さんと築き上げた時間はかけがえのない宝だったってことだよ」
「何で、そんなことが分かるんだよ。そう言えば、仏壇に飾ってあった花の意味もまだ分からないままなんだけど?」
彼女はパクパクとハンバーガーを食べ尽くしてしまい、飲み物に手を付けた後にポテトへと手を伸ばす。美味しそうに、幸せそうにそれらをパクパクと食べ、手についたソースや塩を可愛らしく舐め取るとナプキンでまた拭う。
「まだ分からないんだ、サクラとチューリップの意味」
「分からない。名探偵はどう推理したんですかね、良ければ聞かせてもらいたいのだけど」
「仕方ないな~。サクラの花言葉はね、「私のことを忘れないで」って意味なの。対して、黒いチューリップの花言葉は「私のことを忘れて」って意味。これで分かるでしょ?」
「全然」
俺にはさっぱりだった。それがどうして、二人が想い合っていることになるのだろう。
「いい? 二人は死ぬ間際に、互いに花を贈り合ったの。旦那さんが贈ったのは黒いチューリップ、つまり自分のことなど忘れて新しい人生を歩んでほしいっていう未来への展望を表わしてる。一方、洋子さんはサクラの花を贈り、天国に行っても私のことを忘れないでほしいっていう寂しさを込めてたんだよ。結婚指輪にサクラの花を贈ったのは旦那さん、つまり最初は本当に彼女のことが好きで、絶対に離れてやらないぞって意気込みで結婚したんだと思うよ」
「サクラの花言葉が「私のことを忘れないで」。つまり、一生隣にいるってこと?」
「そう。生涯をかけて寄り添ったパートナーを自由にするため、要はサクラによってかけられた結婚という名の魔法を解くために黒いチューリップを贈ったんだと思うな。そう考えると、とってもロマンチックだし~」
結局は憶測じゃねえか、と突っ込みそうになったが辞めておいた。ここは茶化す場面などではないと、俺も分かっていたからだ。
「隣にいると言えば、私たちの出会いもそんな感じじゃなかった?」
「そうだっけ。どうだったかな」
「そう、あれは九年前」
そう、あれは九年も前のことだ。
幼くして両親を亡くした俺は、縁あって諸葛良助に引き取られることになった。ちょうど、彼の解決した殺人事件の被害者が俺の両親で、俺は彼らの死を間近で見ていて、彼の推理と俺の証言によって犯人は明らかになり、逮捕された。その後、彼は孤児となった俺を引き取り、自分の子のように育て始めたのだ。
当時の俺は、殺人事件で出会った殺人鬼の狂気に塗れた表情と、子を守ろうと必死で抵抗していた両親の苦痛に歪む表情がトラウマみたいになっていて、あまり積極的に人と関わろうとはしなかった。
怖かったのだ、人間が狂気と凶器を持って牙を剥く野獣のような姿が。
一緒に暮らしていた涼音とも、その頃は距離があってあまり話をしなかったのだが。
ある時、出張で暫く帰れないと言って家を出たおやじさんが俺たちに謎を残していった。
それは大人では簡単に解けるが、子供だけでは解くのが難解な謎であった。
『ねえ、全然解けないよ。大翔はどう思う?』
『お、俺? 知らないよ、そんなの。どうでもいい』
俺は人と関わりたくないあまりに、同居人であるはずの涼音ですらも拒絶していた。そもそも、名探偵の親父さんと違って俺は頭も良くないし、謎にもあまり興味がなかった。
そんな俺を見た彼女が、唐突に言ったのだ。
『ねえ、大翔!』
『……何?』
急に大声を出して俺の名前を叫ぶので、鬱陶しそうに返事を返すとこう言った。
『あなた、私の助手になりなさい!』
『助手? 何それ?』
『お父さんがね、優秀な名探偵に助手は付き物って教えてくれたの! シャーロックホームズとワトソンみたいに、お互いに協力して難事件を解決するの!』
『意味わかんない。やらないよ、そんなの』
『嫌だ! 大翔に拒否権はないから! 今日から絶対! ぜーったい! 助手!』
思えば、あれが最初で最後の我儘だったのかもしれない。俺を巻き込んで事件調査に連れ出すようになり、中学生に上がったら本格的な殺人事件にまで出くわして。俺は彼女を守るために護身術を習い、そして全国大会に行けるレベルにまで昇華させた。
全ては彼女を犯罪者の魔の手から守るためだったけれど、やっておいて本当に良かったと今では思う。
「私とずっと一緒にいてくれる、そういうおまじないだったんだよね?」
「どういうつもりだったかは知らないけれど、結果的にはそうなったな」
名探偵と助手、それは家族とか夫婦とか、そういう切っても切り離せないような掛け替えのないパートナーのような存在だ。俺たちはこれからも、何があったとしても道を違えることはなく、また離れることもないのだろう。
少なくとも、俺はそう思っている。きっと彼女もそうだと、俺は勝手に思っている。
それを想うと、そう……。
「きっと、洋子さんと旦那さんも今頃は天国で再開できてるかも。もしかしたら、生まれ変わってまた一緒になるとか面白そうじゃん」
「……そうだといいな」
「……うん」
今はこの世にいない彼らを思って、俺たちは祈りを捧げるように呟いた。
どうか、いつまでも幸福であれと。
了
こんにちは、黒ノ時計です。また最近、投稿をしていないかと思えば、実は短編を書いていたのでした。今回もまたちょっとトリッキーな感じの事件に仕上げてみました。如何でしたか?
探偵ものを書くに当たって、ただ探偵が事件を解決しても面白くないと思い、美少女名探偵から美少女ギャル名探偵に変えました。ありそうで、なさそうなところを狙ったつもりでしたが、楽しんで頂けたら幸いにございます。
私は基本的にファンタジーを路線に書いており、『俺が考えた最強のメイドたちと紡ぐ異世界交響曲』や『ファンタジー世界に憧れ過ぎた男の異世界転生』、『非日常物語』などの作品を公開していますので、よろしければそちらも読んでみてください。
では、最後になりますが、改めまして最後まで読んでいただきありがとうございました。評価をするのを忘れずに! 感想も書いてくださると、モチベが上がります! よろしくお願いします!