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第九十七話 「舞台裏の交戦」



 澄み渡る青空の下、いつになく賑わいを見せるリヴ魔法学園。敷地内のそこらじゅうから呼び込みの声が飛び交っており、それに釣られて人の波があちらこちらへ行き来している。

 前庭に所狭しと並ぶ屋台。鼻孔をくすぐる甘い匂い。風に乗って運ばれてくる燻煙された芳ばしい肉の香り。風船を手にはしゃぎ回る小さな子供たち。

 いかにもそれらしい情景を黒瞳に映しながら、智也は一人木陰にて身を休めていた。


 対抗試合の前半を終え、後半までの幕間として二時間足らずの中休みが設けられている。

 その自由時間を使って、学園の生徒や来訪客はこの日限りしか味わえないグルメの数々や屋台遊びを満喫しているようだ。

 祭り自体は夜まで開かれるらしいが、とりわけ今は腹を空かせたハイエナ共でひしめき合っていた。


「チョコバナナ三本ください!」


「マジ?? 一人でそんな食べんの!?」


「うん。おなか空いたから」


「グレン、わたしもあの子と同じものがほしい」


「おい、あんまり目立つ行動は取るなって言っただろ」


「いいじゃない、せっかくのお祭りなんだし。『減るもんじゃない』でしょ?」


「金払うのは俺だろうが」


「しょうがないわね、二本で『かんべん』してあげるわ」


 雑踏の中、見知った顔と見覚えのある顔を見つけて苦笑いを浮かべる。

 生徒の数より外からきた来訪客の方が圧倒的に多いため、慣れ親しんだ場所なのにどこか見知らぬ土地にいるような錯覚を覚えつつ。

 それでも、学園の生徒ならではの特長的な衣服で判別がつくかと思ったが、思うように探し人は見つからないのであった。


「どこいったんだ、七霧……」


 独り言ちながら木に寄り掛かる智也。今更ながら、あの時すぐに追いかければよかったと後悔をした。


「……お腹空いた」


 と、自分じゃない誰かの声が側でして、驚いて木の裏を覗き込めば物静かな少年が植込みの間に座っていた。


「……何してんの?」


「ぁ、黒霧くん」


「もしかして、また東道たちから隠れてるのか……?」


 そう言って先の屋台に目を向けるが、既にあの二人の姿はそこになく、雪宮も緩やかに首を横に振っている。

 であれば、どうしてそんなところに挟まっているのかと観察していると、


「人混み……苦手で」


「あー、そういうことか。俺もまだ何も口にしてないし、ついでに何か買ってこようか」


「じゃ、じゃあ一緒に……」


 そういうことならと、共に腰を上げる雪宮。苦手なら無理しなくてもいいのにと智也は思ったが、彼はひょこひょことついてきた。


 隣に並んで歩く姿を横目に見やる。ちょうど背丈は七霧と同じかほんの少し高いくらいだろうか。どちらも頭の高さが智也の目線であることや、母性本能をくすぐるような性格から似たような印象を受ける。


「焼き鳥、フランクフルト、たこ焼き、ラーメン、なんでもあるな。どれがいい?」


「煮魚……」


「さすがに祭りで煮魚はないな……」


 相変わらずの渋いチョイスに半笑いを浮かべつつ、七霧の好きそうな店を見つけて目を凝らすも、当人の姿は見当たらずに苦虫を噛んだ。


「じゃあ、黒霧くんの行きたいところで」


「んー。だったら、オススメの店があるからそこに行くか」


 そう言って人の波を避けてしばらく進むと、目立つ看板を掲げた目当ての店に辿り着く。

 思わず目を丸くさせる智也。何故ならそこには、思いもよらないほどの行列ができていたからだ。

 よく見れば、主に若い女性を中心に注目を集めているようで、ヘルシーな生野菜を棒状にした商品があれよあれよという間に客の手に渡っている。


 千、という字がデカデカと記載された焼きそば店。そこにポツンと立ち尽くす強面の男を見て、智也はあんぐりする。その隣で、気後れしたように雪宮が半歩後ろに下がっていた。


「す、すごい行列っすね」


「おー。智也」


 暇を持て余している男にそう声をかけるが、男は心ここにあらずといった具合で、何も焼いていない鉄板の上でただ無意味に起こし金を動かしている。


 状況を察するに、焼きそばをメインで売る傍らでサイドメニューとして展示した野菜スティックが、何故か爆発的な人気を博してしまったといったところか。

 定番のマヨやごまだれに加え、辛子味噌や梅だれ、カレー風味やチーズなど、多種類のソースの中から好きなものを選べるシステムなどが、女性客を集める要因の一つになっているようだ。


「本業より集客してるってどういうことっすか」


「俺が聞きてぇよ。ていうか、祭りと言ったら焼きそばだろ! なんで誰も来ないんだ!」


 それはきっと、店主が人を遠ざけるような凶悪な面をしているからだろうな、なんて心の中で思っていると、大きな鉄板の横――手狭な平台の上で忙しなく動いていた御夫人が、こちらに気付き「あ、智也くんいらっしゃい」と声を上げた。


「ごめんなさいね、いまちょっと忙しくて……」


「ふふん、野菜スティックを『つーぱっく』カレー風味でおねがいします」


「はいはい、ちょっとお待ちを~。――貴方、ぼさっとしてないで早く手伝って頂戴!」


 奥さんからの叱責を受けて店主が慌てたように裏方に回る。おそらく今朝仕入れたばかりであろう新鮮野菜の数々が、箱詰めにされてそこに置いてあった。

 既に空となったものも数箱見えるが、野菜スティックだけでこれほどの量を消費するとなると、いったいどれだけのペースで売り捌いていたのか。奥さんの苦労とその敏腕に目が回りそうになる。


「ちょっと、なんで新しいの開けてるのよ! そっちに使いかけのがあるでしょ!?」


「はい、すみません!」


 もはや夫婦というよりは新入社員と指導係のような立ち位置だと、智也は顔をひきつらせた。


「これはしばらく手が空きそうにないな……他のとこに行くか?」


「……ううん。せっかくだから並ぼう」


 と、雪宮の思わぬ食いつきに面食らう。

 これ以上、大の男が怒鳴られ萎縮する様を見るのはいたたまれなかったが、彼から伝わる妙な熱意に負けて最後尾に回ることに。


 その行列は、隣のテントの前まで及んでいた。

 店主がそこの座商から文句をつけられていたが、本気で怒っているというよりは、自虐じみた物言いであった。そのことで無駄口を言っているとまた奥さんから尻を叩かれたりして。

 ついと、別のところへ視線を逸らそうとした智也は、両親に手を引かれながら買ってもらったりんご飴に齧り付いている幼い子供二人と、その光景に釘付けになっている雪宮が目に留まった。


「雪宮って、兄弟とかいるのか?」


「……うん。兄さんと姉さんが一人ずつ」


「へぇ、じゃあ末っ子なのか。羨ましいな」


 そう言うと彼は小さく首を傾げて、じっと見つめ返してくる。


「俺は一人っ子だからさ」


「そうなんだ」


「それなのに、俺までいなくなったら……」


 思わず漏れた心の声にハッとして、不思議がる隣の友人に「なんでもない」と呟きながら後頭部に手を回す。


「どんな人なんだ? お前の兄さんと姉さん」


「……優しい、かな」


「へぇ」


「二人とも、僕のことをとても大事にしてくれて、欲しいものがあればなんでも買ってくれる……。この学園に入れたのも姉さんたちのおかげだし……でも、僕はまだ何も二人に返せていない」


「お前も十分優しいよ」


 その発言にどことなく自信なさげな表情をする雪宮。長い前髪の隙間から見えた煉瓦色の瞳を横目に、智也は再び口開く。


「二人のそれは見返りなんて求めてない、ただの愛情からの行動だろう。雪宮がそれに恩義を感じて何か報いたいと考えてるなら、その心だけで既に嬉しいと思うぞ」


「まぁ、それでも何かしてあげたいって思うなら、そうだな……何かプレゼントでも買ってみるか? ちょうど、色々売ってるみたいだし」


「プレゼント……?」


「別に特別な日じゃなくても渡せばいいんだよ。そうすれば、その日が二人にとっての特別な日になるはずだから」


 長い前髪が風に吹かれて揺れ踊る。

 いつもは重い膜によって覆われている雪宮の内面――その表情が、手に取るように分かるほど明るくなっていた。

 自分の提案にどうやら腑に落ちたようだと智也は判断し、少しだけ口角を上げる。


 そうして他愛もない話をしている間に前の列が進んでいき、ようやく智也たちの番が回ってきた。


「いらっしゃい」


「あー、カレー風味の一つと」


「辛……味噌で」


「はいお待ち、二つで青硬貨四枚ね」


「安っ」


 元の世界で換算するならざっと二百円だ。その値段だけならまだ驚くほどではなかったが、手渡された透明カップの中には、人参大根セロリ胡瓜パプリカの五種類の野菜がそれぞれ四、五本ずつ入っている。

 おまけに、四枚出した青硬貨のうち二枚がこっそりと返されて、口に指を当てながら「サービスよ」と小声で値引いてくれた。


 まけてもらった分のお金をそのままポケットに戻して、智也も小声でお礼を言って列から外れる。


「……お金、いいの?」


「んー、せっかくだからご厚意に甘えておこう」


「そうじゃなくて……僕の分……」


「あ~、前に昼飯奢ってもらったその返しだと思ってくれたらいいよ。ところで、それだけじゃお腹膨れないだろ? 焼きそばも買っとくか?」


 コクリと頷く雪宮。その会話を耳に拾った店主が、すかさずこちらに駆けてきて鉄板の前に立った。


「おう智也! 焼きそばか!?」


「いや、まだ頼んでないんすけど……」


「焼きそばが食いてぇんだよな!? よし、今作るから待ってろよ!」


 牢から解放されたがごとく清々しい表情で、店主は肉を焼き始める。よほどあの場にいるのが苦痛だったらしい。そこはかとなく奥さんの顔が険しくなっている気がして、智也は苦笑した。


 薄く油の引かれた鉄板の上、さらされた肉がピンク色から褐色に変化しはじめる。そこへ大量のキャベツを投入。それらを一度隅に寄せ、水をかけることによって生まれた高温の蒸気で蒸し焼きにしていく。

 既に美味しそうな香りが満ち満ちており、数人の客がその匂いに釣られて足を止めていた。

 袋から取り出した焼きそば麺を鉄板の上にぶちまけ、水をかけて起こし金でほぐしていく。器用なヘラ捌きは、本職がなんであったか忘れてしまうほどだった。


「時に智也、そっちの坊主は?」


「俺の友達です」


「……へぇ、名前は?」


「…………」


「なんだって? 声が小さくて聞こえねぇな」


「まぁまぁ、千林さんの顔が怖いんすよ」


「ガハハ! うるせぇな!」


 シャイなせいか、思うように言葉を発せない雪宮の代わりに智也が問答をかわす。

 それで店主は大口を開けて笑っていたが、一瞬だけ複雑な表情が垣間見えた気がした。


「へい、お待ちどうさん」


「ありがとうございます」


「おかしな奴だな。礼を言うのはこっちの方だぜ」


 出来上がった焼きそばを今度は青い硬貨五枚と引き換えにそれぞれが受け取る――その頃には、智也たちの後ろに待機列ができていた。

 ファーストペンギンというやつか。知らずの内に自分たちが口火となっていたらしい。

 ぞろぞろと押し寄せてくる客の群れを見て、店主は嬉しいような困ったような顔をしていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「何がいいかな……プレゼント」


「んー、選ぶのは俺も得意じゃないんだよなぁ」


 気持ち多めに入れてくれた焼きそばを平らげ、智也は引き続き雪宮の付き添いで屋台巡りをしていた。

 第一体育館の方で雑貨を広げて販売しているとの噂を聞き、一度はそちらにも足を運んだもののこれといったものは見つからず。

 再び校門の前まで戻ってはきたが、この通りは飲食と遊戯の店が主であり、いっそのことそれなら街の方まで下りてみるかと考えていた――そんな時だった。


「あらん、そこのカワイイ坊やたち。ちょっと寄ってかない?」


 本校舎の西側。向かい合わせに構えた屋台の列が途切れたその先で、ぽつりと一軒の店が木陰に立っていた。

 そこの店員から声を掛けられ、何故か背中に走る悪寒。見れば、厳つい剃り込みの入った頭に、これでもかと厚化粧を施した主張の激しい顔面がある。そんなおと……おん……、


「どっちだ……?」


 性別不詳のそんな人物が、智也たちを手招いていた。


「雪宮、気付いてない振りをして戻ろう。あれは怪しいニオイがぷんぷんする。……雪宮?」


「すいません、これください」


「雪宮――――!」


 思わずそんな叫び声を心の中で上げて。頭をガシガシと掻いてから、意を決して智也もその店に近付いた。

 もしかしたら、ああ見えてめぼしい商品があったのかもしれない。そう思いながら既に代金を払い終えた友人の横に並び立つと、妙なお面をつけた顔で彼はこちらに向き直る。


「なんだその、なんとも言えない被り物は……。まさかそれを兄弟に?」


「ううん、これは僕の分」


「そ、そうか」


 と、安堵してもいいのかどうか。彼の変わった感性に、智也はひたすら困惑した。


「よかったわ~。このままだと、お客さんだれも来ないかと思っちゃった」


「……そりゃあこんな木陰に立ってたら目立たないっすよ。テントの色も暗いし」


「んでもでも、影のある女性って魅力的だと思わなぁい? んふっ」


 顔面に似つかわしくない秋波を送られ、思わず智也は口元を手で覆う。

 ごつい五指の根元で煌びやかな光を放つ宝石に、負けずとも劣らない派手な顔。どこからどう見ても影の入る余地などないくらい騒々しいだろと、そう心の中で呟いた。


 しかし、品揃えに関しては確かに珍品が多いように見受けられる。先ほど見て回ったどの店にもない品の数々が、目の前に広がっている。

 そんな風に物色していると、一応女性らしいその人物が腰に手を当てながら「どぉ? 珍しいものばかりでしょ。独自のルートで仕入れた上物ばかりよぉん」と笑みを浮かべてきた。


「でも高いな……」


 値札には、少なくても赤い丸が五つはついており、高いものだと金の丸が十個以上並んでいる。とてもじゃないが学生の小遣いなどで買える範囲ではない。


 そう言えば、雪宮の買ったお面はいくらするのだろうかと目を配っていると、それを察したらしい女男が口元に弧を描く。


「コッチの面は、アタシの手作りなの。どぉ? カワイイでしょ~?」


「安いけど、これはいらないな」


「ちょっと!? 酷くなぁい!?」


 微塵も可愛らしく見えない頬を膨らませる仕草を視界の端に追いやりつつ、智也は雪宮に相談を持ち掛ける。


「やっぱり第一の方で探そう。向こうなら二人分買ってもお釣りがくるし、別にここじゃなくてもいいのが見つかるはず」


「……わかった」


「じゃあそういうことなんで、せっかくだけど他を当たります」


 そう言って踵を返して遠退いていく智也たちを見て、女男は慌てたようにその背を呼び止めた。

 その声を聞いて、智也はゆっくりと足を止める。


「なんですか?」


「しょ~うがないわねん。マケてあげるわ。二つセットで赤硬貨五枚。これならどぉかしらん?」


「それでも向こうの方がお得なんで、大丈夫です」


「キェェェェ! 二つで赤硬貨三枚! これならどぉかしら!?」


「いやぁ……それは悪いっすよ。お姉さんも商売でやってるんだろうし」


「か……お、おねぇさん……です、って……? アタシのこと、女として見てくれてるってこと……? こんなときめきいつ以来かしらん……いいわ、出血大サービスよ!」


 口元で両手をわなわなと震えさせながら、女男はそう言ってきた。

 手製の面を含め、数ある珍品はどれもこだわりがあるように見受けられた。それを軽んずるような発言をすれば、少なくとも何かしらの反応が返ってくると智也は思っていたが、


「……いいんですか?」


「構わないわん。好きなの選んでいきなさいっ」


 まさか、こんな素人の猿芝居にここまで乗っかってくれるとは。

 下手を打てば怒られるで済まなかったかもしれないが、見る目は間違っていなかったというべきか、むしろ商売ができるのか心配になるレベルだ。


「まいどあり~!」


 困惑する雪宮と足早に去ろうとする智也を見送って、女男が明るい声を飛ばす。

 自ら値切っておいて一抹の不安を感じていたが、二人分の首飾りが入った袋を満足げに抱える雪宮を見ては、智也の不安も消えていた。



 ――ふと、視線を奥にやる。



 本校舎の西側。第二体育館へと繋がる渡り廊下から逸れ、周りを気にするように警戒しながら校舎裏へと向かう銀髪が目に留まった。


 ――神童?


 顔は見えなかったが、間違いなくあの後ろ姿は神童のものだ。

 あんなところで何をやっているのだろうかと、不審な行動を訝しむ智也。あっちの方角には何の催し物もないはずだが、と続けて心中で呟いて、気付けば足がそちらに向いていた。


「ぁ……黒霧くん、よかったらこれ」


「悪い雪宮、ちょっと急用を思い出した」


 なにかを差し出そうとした雪宮を横切って、智也は見えなくなった神童の背を追いかけ小走りで駆けだす。

 こんな祭りのなか一人隠れて、何かよからぬことを企んでいるのではないか。

 そんな疑心と探究心に突き動かされ、地面を蹴る力は増していった。



 高い校舎の壁が影を落とし、背面に暗闇を作っている。

 どこか近寄り難い――そんな印象を抱かせる校舎裏の影溜まりを目にして、智也は足を止めた。


「いない……どこにいった?」


 暗澹とした空間。

 遠く祭りの喧騒を耳に拾いながら、無意識に眼前の暗闇へと目が吸い寄せられる。

 理由は分からないが、このまま見続けていたら呑み込まれてしまいそうだと智也は思った。


 咄嗟に影溜まりから視線を外し、辺りに目を配らせる。

 繁茂する雑草や樹木、そのどこにも目立つ銀髪は見当たらない。

 いったいどこに消えたのか。他に行くとすれば『魔法訓練室』が一番近いが――、


「こんなところで、何かお探しかしらん?」


 と、不意に背後から声をかけられ、背中に嫌な汗をかきながら振り向けば、先ほどの怪しい店の座商が曲がり角に立っていた。


「……びっくりした、さっきの人か。驚かせないでくださいよ」


「あらん、ごめんなさい。気配を消して歩くのが趣味なの、アタシ」


「悍ましいですね……」


「ミステリアスで魅力的でしょう? んふっ」


 向けられた秋波を華麗に流し、店の方はいいのかと問いを投げようとして、微笑みを浮かべたどぎつい顔面に寒気を覚える。


「それで、坊やはここで何を? 誰かと待ち合わせってわけじゃあなさそうだけど」


「あー、ちょっとクラスメイトを見かけて……でも見失いました。訓練室の方に行ったのかな」


 そう言って離れにある真っ白い建物に目を向けようした、その首元に鋭く尖った何かが突き刺さり鮮血が噴き出した。

 ような錯覚を覚え、身体からどっと汗が湧き出てきた。


 確かに感じた、喉を貫かれた衝撃と異物に圧迫された閉塞感。

 思わず喉元を手で押さえながら、急速に早まった脈拍に目を白黒させる。

 そんな智也を女男は不思議そうに見つめながら、顔の前で手を上下に振って「おーい」と声をかけてくる。


 今のは何だったのか。そう思いながら半歩後退り、顔を強張らせながら問いかける。


「……店の方はいいんですか。こんなところで油売ってたら、お姉さんの大事な商品が盗られますよ」


「あらやだ、アタシのこと心配してくれるの? でもダイジョウブ、今日はもう店じまいよん」


「そ、そうですか」


「坊やの方こそ、血相変えてどうしたのよ。何かお探しかしら?」


 分厚い唇に指を当ててそう尋ねてくる女男。

 その既視感のある問いに。頭の中で不快なほど大きな耳鳴りが響く。

 ――下手なことは言えない。そんな謎の焦燥感に駆られながら、智也は頭をフル回転させた。


「……どうしても、尿意が我慢できなくて」


「まぁ! アタシったらなんてはしたないことを。これじゃレディ失格だわ!」


「あ、いや、もう用は足したんで大丈夫ですよ」


「あらそうなの? ごめんなさい。よかったらこのハンカチ、使って頂戴」


 持っていた白い布切れを差し出され、智也はそれを二本指でつまむようにして受け取った。

 つい先ほど、自分の不品行さを嘆いておいおいと涙を流していた際に顔を拭いた、それだからだ。


 殺気すら感じた視線は打って変わり、単なる怪しい座商の佇まいへと戻った様子。

 或いはただの思い違いだったかもしれなかったが、智也は僅かばかりの警戒心を持ちながら、踵を返した。


「じゃあ……俺は戻ります」


「あぁん、待ってぇん! こんな人気のない薄暗い場所に、レディを置いてかないでぇ~ん!」


 もらったハンカチをどこに捨てようかと考えながら先に表側へ戻る智也。

 その後ろを個性的な走り方で追いかけてくる女男に、さっきとはまた異なる危機感を覚えてゾッとした。



 ――そっと首元に手を当てて、まだ強い拍動を指の腹で感じながら細く長い息を吐く。ほどなくして、騒がしい足音と息遣いが近付いてきて隣に並んだ。

 額の汗を拭う仕草をするその人物を横目に、どうやら本当に関わっちゃいけない人と知り合ってしまったようだと後悔をして。繁茂する草木の奥、異様なまでに白い建物へと智也は懐疑の眼差しを向けた。



 ✱✱✱✱✱✱✱


 ガラス張りの天井から一面真っ白な空間へと光の雨が降り注いでいる。

 どこか神聖さすら感じられるそんな場所に――密かに異物が紛れ込んでいた。

 白い空間に音もなく現れたその者の背後、あるはずのない空洞が壁に生じており、異物――黒いローブを羽織った者が歩を進めると、穴は何事もなかったかのように塞がっていく。


 コツ、コツと足音を響かせながら、向かうは床の一部に描かれた巨大な魔法陣の上。

 膝を折り、ローブの袖から細い腕を伸ばして、紋様の一部に触れようとする。


「――見つけた」


 直前、背後から聞こえた声にその者は驚いたように振り返った。


「おかしいナ。『扉』は閉じたはずだけど」


 そもそも、どうしてここにいることがバレたのか。そう言いたげな風に首を傾げ、顔を覆ったピエロの面をそっと撫でている。


「お面仲間だネ。でも、僕は君のことを知らないや。――どこのどなたかナ?」


「……」


「うーんだんまりか。お喋りしにきたわけでもなさそうだし、かといって襲い掛かってくるわけでもない。僕、忙しいんだけどナァ」


 言いながら懐にスッと手を忍ばせて、一枚のカードを取り出す。

 それを地面に投げ捨てようとした手が何らかの衝撃に弾かれ、体ごと後方へ持っていかれた。


「――速い、全然見えなかった。イタタ、痛いナァもう……やるならやるって言ってよネ。僕もそのつもりで取り合うから、さ」


 壁面に叩きつけられた道化師が腰を押さえながら立ち上がり、不満そうに呟く。

 そうして後ろへやっていた右手を前に払うような仕草を見せ、投げられたカードが陽光を反射しキラリと光った。


「……!」


 卒然と、紙切れだったものが銀閃へと変貌を遂げ、相対していた仮面の者がそれを認識したときには既にその身が断ち切られていた。

 神速の一太刀をもろに受けてよろめく仮面の者。しかし、それをやった道化師の方が苦虫を噛んだような反応を見せている。


「妙だネ、殺したと思ったのにさ。アレを凌げるレベルの結界なんて、そうそう用意できるものじゃないと思うんだけど」


「……」


「自分だけ黙秘だなんてズルいな。少なくとも、僕がここで何をしようとしてたのかは知ってるんでしょ? だったら、君のことも少しは教えてほしいよネ。名前は? 性別は? ここにきた目的は?」


「……」


「ナンテ、君も面を被ってるってことは、素性を知られたくないんだよネ。じゃあせめて……さっきの魔法の詳細でも教えてもらおうかナ?」


 教えると思うのか、と仮面の者のくぐもった声。それを受けて道化師は不気味な笑い声をあげたあと、口元にやっていた手を両袖に通し、計六枚のカードを取り出すとすかさず前方に飛ばした。


 今度は六つのカードが斬撃へと変わり一斉に襲い掛かる。仮面の者は、いつの間にか手にしていた短剣でその一つ一つを切り払っていた。


 華麗な短剣捌きに感嘆の声を発しつつ、目と鼻の距離にまで肉薄した道化師が手中に隠し持っていた何かを腹部に押し当てようとする。が、それよりも仮面の者が手首を掴んで押さえる方が早いか。

 息を飲む道化師。その隙に手早く逆手に持ち替えた短剣を、道化の面に向けて切りつけた。


「……幻影!?」


 面が砕け、そこにあらわになるはずだった者の姿が煙のように消える。代わりに視界に映ったのは、飛来する輪状に回転した炎だった。


「【歯輪火炎しりんかえん】」


 幻影を切り裂いた姿勢からそのまま短剣を投擲するが、あまりの規模の違いに意味を成さない。

 迫る火輪に短く舌打ちを飛ばし、勢いよく地面に両手を叩きつけ、噴泉がごとく噴き出した水が仮面の者を隔てる。


 と、頭上から片手でフードを押さえながら降ってきた道化師。空いた左手が首筋を狙って一閃放ち、仮面の者がこれまたいつの間にか手にしていた短剣でそれを防いだ。

 鍔迫っているのがただの紙切れとは思えないほどの耐久性。まるで同じ鉄製の刃と打ち合わせているかのように、ギチギチと音が鳴った。


「今度は本物だよ。この距離で撃たれたら、さすがに僕も徒では済まないかもネ」


「……」


 挑発ともとれる道化師の誘いに仮面の者は口を噤む。

 その態度に白けたように嘆息して、道化師はその場から飛び退いた。

 短剣に刺さったままのカードが途端に爆発し、仮面の者が爆煙に包まれる。


「こんなの付き合ってられないよ。僕帰る」


 顛末を見届けることもせず、踵を返して帰り支度を始める道化師。

 その背中を、煙を払って飛び出した見えない何かが襲いかかった。


「――【遠当て(とおあて)】!」
















「イヒッ」


 不気味な笑い声が耳を打った直後、一枚の白紙のカードが見えない衝撃を受け止めていた。

 それだけではない。あろうことか未記入だった紙面へと自動的に魔法陣が描かれていき、たまらずといった具合に道化師がまた悪戯に笑う。


「もらっちゃった。イヒヒッ」


 白紙から模様入りに変わったカードを回収し、仮面の者に見せつけるように一度腕を伸ばす。そうして素早く手首を振った道化師の指には、二枚のカードが挟まっていた。


「お土産、ありがたくもらっていくネ」


「逃がすかよ!」


 一泊遅れて、転移陣の上に乗った道化師に詰め寄る仮面の者。

 そこへ先の一枚が投げ捨てられて、そして消え、見えない衝撃が鼻面を弾き後方へと吹き飛ばされる。


「バイバーイ」


 片手を振った道化師の姿が、まばゆい光に包まれ消えてゆく。

 その光の残滓をしばらく見つめたあと、仮面の者はむくりと立ち上がり頭を掻いた。


 と、今になって騒ぎに気付いたのだろうか。駆け付けた教員が入り口の扉を叩く音にもう一度頭を掻いて、ため息を溢し、風に紛れるようにして仮面の者もまた行方をくらました。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「やばい、遅くなりすぎた!」


 校門前の長い階段を上り、すっかり人気のなくなった前庭を見渡して額に汗を滲ませる智也。

 校舎裏での出来事のあと、しつこく後をつけてきた女男から逃げ回りつつ、別れた雪宮を探してはしばらく奔走していた。その道中に屋台巡りをしていた金髪少女に捕まって、一足先に下宿屋へと帰った新井さんの代わりに続きを付き合わされる羽目に。

 雪宮と一度見回った店をもう一周させられ、それに飽き足らず街の方も見物したいと言い出した少女に半ば強引に連れ去られ、あっという間に時間は過ぎていった。


 結果、二回戦目の開始時刻に大幅に遅れ、今に至る。

 散々振り回してくれた張本人はそれで満足したのか、新井さんと共に夕食の準備をするといって下宿屋に残っている。

 その祭のやり取りを思い出しながらやれやれとため息を溢して、遠く聞こえた歓声に、智也は急いで闘技場へと足を進めた。


 無人の受付を過ぎ、在校生用の観覧席へと繋がる階段を駆け上がる。

 視界が開け、会場にいたときとはまた異なる景色をそこに見る。そうして感心しているとすぐ脇にいた雪宮から声を掛けられ、横に座るよう手招きされた。


「あぁ、雪宮。さっきはごめん」


「……じょうぶ」


「あれ、黒霧くんいま来たの?? もう二回戦終わっちゃうよー??」


「ちょっと野暮用で……って、もう終わる?」


 栖戸との間に設けられた空席に腰を下ろしながら、二つ隣からかけられた声に目を丸くさせる。

 見れば、得点板にずらりと二の数字が並んでいた。


「な……七対一……!?」


 記された有効打の差を数えて仰天する智也。あまりのワンサイド状態に、開いた口が塞がらない。


 決して、D組の選手が弱いわけではないはずだ。どの組も比肩した選りすぐりの魔法使いが選出されているわけで、それでもこうも大差がついてしまう理由があるとすれば、それは相手のチームが頭一つ飛び抜けていたということか。


 副将戦。会場に立っている二人の女生徒。

 片や長い桃色の髪を二つに分けたやたらと装飾の多い少女で、花やリボンといった髪飾りだけでなく、指の先の細部にまで美の意識が向けられているのを感じる。

 対するは、燃えるような赤い髪をしたつり目がちな少女だ。よく見ればそれは、何度か顔を合わせたことのある下宿屋の住人であった。


 ボロボロの体で膝をついている後者の姿に、智也は思わず眉をひそめる。

 実際のところ、顔見知りの智也もその実力までは把握していないが、闘志に満ち満ちた桐明の表情からは並々ならぬ覇気を感じられる。

 だが、


「もぉ終わりにしようよ~。どうせ頑張ったって愛梨たちの勝利は変わんないわけだし、やるだけ無駄ぢゃん?」


「だとしてもよ。ムカつく奴に一泡くらい吹かせてやらないと、私の気が済まないわ」


「ムカつくって、誰のことぉ?」


 きゃぴきゃぴと笑う少女をきつく睨みつけ、具現化させた紅炎を勢いよく放つ桐明。

 少女はそれを何食わぬ顔で迎え受けた。


「『夢喰鏡(ミロワール)』」


 胸の前に顕現した丸い鏡。それに紅炎が吸い込まれ、立ちどころに跳ね返される。

 その一幕を見ただけで、智也には桐明がどのように苦戦を強いられたのか直ぐに理解した。


 そっくりそのまま返された自分の魔法に、防御魔法を展開して身を守る。

 おそらくそんな攻防を幾度となく続けていたのだろう。あれでは、一方的に桐明の魔力が消耗するだけである。


「反射には魔力を使わないのか……?」


 下宿屋の馴染みと言えるほど親しくはなかったし、むしろ智也は除け者扱いを受けているくらいだったが、それでも無意識に押されている桐明の方に肩入れしていた。

 自分でそのことに気付き「面倒な魔武器持ちに勝たれても困るしな」と、誰に言うでもない言い訳を考えながら行く末を見守ったが、そう簡単に戦況は覆らなかった。


 残る魔力の全てを注いで具現化させた火の鳥が、けたたましい笛の音のような啼き声を放ちながら飛び立つ。

 あれだけの規模を扱えるだけの魔力がまだあったのかと、そう思えるほどの熱量。

 最後の最後に力を振り絞って生み出された必死のその攻撃は、むしろ、今まで見たどの魔法よりも鬼気迫るものがあった。


 再び大気を震え上がらせる一声を放ち、飛翔した火の鳥はしかし見る影もなく鏡に吸われ、返された膨大な熱量が桐明の身を襲う。

 もはや防ぐ術も無し。炎の中で、「ごめん、夕……」という呟きを残して少女は倒れた。


妹沢せざわ愛梨あいり、二本。勝負あり」


 灰の眼の男から勝負判定を受け、妹沢は束ねた髪を指で弄びながら心底興味なさげに息をつく。

 去り際に倒れ伏した相手の姿を一瞥し、すぐに薔薇色の瞳からそれを消し去ると、淡々とした足取りでその場を後にした。


 得点数八対一。

 もはや惨めだと思えるような二回戦最後の試合が幕を開ける。


「大将戦。B組、神崎かんざき竜士りゅうじ。D組、たちばな英太えいた。試合開始!」


 それは、あまりにも核の違う相手を前に、D組の男子生徒が一方的に痛めつけられる展開が続いたからだった。



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