第九十五話 「蒼蒼たる空」
背中の硬い感触に何度か眉を寄せ、智也は目を覚ました。
どうやら、お世辞にも寝心地がいいとは言えない木製の寝台に横になっていたらしい。尻の下、気休め程度に敷かれた布に手を置いて顔を顰めつつ身を起こす。
記憶が蘇る。
空を支配下に置いた五十嵐に手も足も出せなくなった智也は、結局なにもできないまま魔力切れで倒れ、ここまで運ばれたのだ。
――素朴な救護室、といったところだろうか。
部屋の造りは待機室のそれと同じようだが、周囲を見回せばしかし大部分を複数の寝台が占めているようで少し窮屈に感じる。
左手にある扉から横に視線を流していくと、反対側の壁に取り付けられた小窓のそば、会場の様子を眺めている女性の姿がある。
「起きましたか。体は大丈夫ですか?」
「……はい。とりあえずなんともなさそうです」
こちらから声をかけるより先、栗色の髪を耳にかけながら白衣の女性が振り返る。表情からオーラまで、いつも朗らかなあの人だ。
「最後の最後、また無茶をしようとしましたね?」
「あれは……」
と、白衣の女性――学園の医療スタッフである新井先生がやにわに眉を吊り上げ、お顔に合わない険しい表情を作った。
それは日頃から担任教師にも釘を刺されている事柄であり、下手をすれば一大事になりかねない行為だった。故にいま厳しい目を向けられている理由は痛いほど理解でき、自責の念から返す言葉を失ってしまう。
「たまたま寸前で意識を失ったからよかったものの、あのままだったらいつかの影虎くんみたいになっていたかもしれないんですよ? もしかしたら、もっと酷い事態に……。負けたくないという気持ちはよく分かりますが、勝つことに執着して無理をするのは――」
そこまでは下を向いて聞いていた智也だったが、どうしても言い改めたい点があり、咄嗟に「違うんです」と声を発した。
言われていることは全て正しい。だからこれを述べるのは言い訳じみている気がして口が重かったが、新井先生が二の句を待ってくれたため、智也はそのまま弁解がましい言葉を口にした。
「俺は……俺の、自分の実力不足で負けるのは別にいいんです。それは、勝てるようになるまで鍛えればいいだけですから。ただ、なにもできずに負けた七霧のことを思うと……」
「――。そうだったんですね。ですが、貴方の身になにかあれば彼は余計に自分を責めてしまうと思いませんか?」
「……」
「ご友人のことを大切になさる気持ちはとても素晴らしいです。ですが、自分のことも大切になさってください。貴方が他の方に向ける感情と同等のものが、同じように貴方にも向けられているはずですから」
「……肝に銘じておきます」
智也がそう言って眉を下げると、新井先生は勢いよく両の手を叩いて「はい、息苦しいお説教はここまでです」とにこやかに笑った。
「まだ全てが決まったわけじゃありません。今現在も貴方のご友人が奮闘してらっしゃるのですから……この意味が分かりますね?」
小窓の外を一瞥してから、その優しい眼差しが黒瞳を見据える。
言わんとしていることの全てを理解できたかは定かではない。しかし自分なりに受け取った解釈を噛み締めるようにゆっくり首肯して、背を押された智也は待機室に向かった。
「――黒霧さん!」
「七霧……大丈夫なのか?」
「自分はもうこの通りっスよ。すみません、黒霧さんの試合見れなくて……何かあったんスか?」
「いや、別に大したあれじゃないよ」
いつもの元気を取り戻した七霧にホッと安堵する智也。そこへ何かを探るような目を向けられ咄嗟に否定をするも、七霧は緩やかにその顔を久世の方へと向けると、しばらくの間じーっとそちらを見つめていた。
「……それで、水世の方はどうなってる?」
不在の間の会話を何となく察した智也は内心で久世に謝罪をしつつ、彼の横に並んで壁に映った会場の様子を眺め見る。
「中堅戦が始まっておよそ十五分間、今のところは互角に戦っているよ」
「互角……」
相手はあの親衛隊だったか。と口の中で独り言ちて、智也は投影された映像を食い入るように見つめた。
「――愚直というかなんというか……案外我が強いのね。言ったと思うけど? その程度の魔法じゃ勝負はつかないって。もっとすごいの持ってるんでしょ、勿体ぶらないで見せてよ」
C組の三番手――白葵。
束ねた髪を頭頂部でまとめた髪型が特徴的な少女で、男相手に物怖じしない性格だけでなく、魔法使いとしての素養も高いクラスきっての実力者。
話によれば中級だけでなく上位の魔法さえも既に会得しているらしく、なんの偶然か水世と同じ水属性の適性者とのこと。
「ここまで来ると、とても偶然とは思えないね」
ふと、隣でそんな風に呟いた久世を智也は横目に見たが、会場で二種類の魔法が顕現してすぐにそれを視界に収めた。
「Reve12――」
「【水風船/雨燕】」
「【流】」
二人の手のひらに生まれた水泡が、弾丸のごとく速さで放たれ、衝突する。
寸分違わぬ角度で正面からぶつかり合った二つの魔法は瞬時に砕け散り、しぶきとなった。
「わかんないかなぁ。それじゃつまんないって言ってるんだけど。あーあ、私も楽しみにしてたのにな~。天馬くんはいいよね~満たされたみたいでさ」
「戦いの最中によく喋るわね。そんなんじゃ貴方も彼みたいに命を落とすわよ」
「勝ったのは私らの方だよ?」
退屈そうに足元の砂を蹴っていた白に刃より冷たい一言を浴びせると、水世はついと観覧席の方へ視線を飛ばす。
何を確認したのか、そこから水世は目の色を一変させた。
「【円環】」
言霊を短縮し、瞬く間に具現化した青い光の輪が白の体を拘束する。しかし当人は余裕のある笑みを浮かべており、ようやくその気を見せた水世をむしろ歓迎している様子。
「どうしてやる気になったのか理由はわからないけど、ここからは楽しめそうね。さぁ……貴方はどんな技を見せてくれるのかしら?」
そんな白を一顧だにせず、水世は無言のまま胸の前で両の手を組み合わせると、それを解き、中心に手のひら大の水球を具現化させた。
それを見て、白の笑みが一層深くなる。
「Espoir35【六放】」
言霊と同時、中央の水球から触手のようなものが飛び出し、次々と対象に襲いかかる。
白はそれらを、足技だけで対処していった。
脇と頭を狙った二本の触手を中段、上段と続けて右の足で蹴り上げ、左から迫った三本目を軸足を移して左の回しで蹴り飛ばす。
束の間、息つく間もなく次の三本が襲来し、内一つを頭を下げて躱しつつ円を描くように右足を回して側面を横撃。すかさず体勢を整え、今度は体を左から右へと大きく揺らしながら上体を引き上げ、片足で地を蹴りつつ身を捻り、その勢いのままもう一つを蹴撃する。
最後に真正面から迫る触手に思いっきり高く脚を上げると、かかとを振り落として粉砕した。
――腕を使えないというのに見事なバランス感覚だ。
そう智也が感心している間に、戦いは次の段階へと移行していた。
「Espoir49【大傘蓋】」
時間の経過で光の輪が解ける寸前、新たな魔法が白を縛る。
身を包むように顕現したそれは、まるで巨大な海月の傘のよう。
拘束の解けた白の腕に今度は傘――その内壁が吸い付くように狭まり、粘りついて離れなくなる。
そうしてあっという間に右腕、肩、背中、脚と磔にされていき、完全に身動きが取れなくなったところで傘の一部が開いた。
「Reve12【水風船/四分五裂】」
大きな水泡がふよふよと宙を泳ぎ、やがて傘の内部へ侵入、穴が塞がる。
逃げ場のない、身動きのとれない白に水泡が接近し、突としてはち切れ無数の泡が全方位に拡散した。
内側から弾けた傘が盆を覆すような雨となり、その場に降り注ぐ。
自慢のお団子頭が濡れても気にも留めず、白はそこに立ち尽くしたまま、ただ愉悦に満ちた表情を浮かべていた。
「いまの改造……すっっごくいいね! ただ範囲を拡張しただけじゃない……流核に手を加えて、まったく別の魔法に変化させてる……? 私には考えもしなかった発想だ。しかも、それ以外にもまだ」
「Reve12【水風船】」
「ちょっと、余韻にくらい浸らせてよ! 第一ソレは見飽きたし、何度無駄だって言えば――」
「【針】」
目を見張り、咄嗟に身を反らして水泡を躱した白。おそるおそる背後を見やれば、弾丸ではなく矢のように鋭く尖った先端が後方の壁に突き刺さっていた。
「……へぇ~、今のも十二番の改造? 面白い。やっぱり水世さんを選んで正解だったわ。アイデアってさ、一人の頭で考えるには限度があると思わない? だから私は貴方みたいな人と戦うことで、自分にはない考え方や発想を取り入れて、もっともっと知見を深めたいんだよね!」
「そう」
「はぁ~~相変わらず冷えきってるわね。これなら冷水あびた方がマシだったかもしれないわ」
投げやり気味にかぶせられた水を同じく水の膜によって防ぎながら、ため息混じりにそう呟く白。
水世はそれに心底冷めた眼差しを向け、追加で毒を浴びせた。
「悪いけど貴方の趣味趣向に興味はないし、それに付き合うつもりも毛頭ないわ」
「……言ってくれるじゃない」
蒼と薄水色の瞳が交錯する。
似ているようで異なるその色調の差は、両者の心の様相を表しているかのようだった。
「Reve32【行雲群雨】」
「Espoir49【大傘蓋/捲】」
大量に生成された雨粒が一点目掛けて襲いかかる。
対して白はあえて自分を中心に傘を広げると、どうしてか雨粒はすべてその表面に浸み透っていく。
「知ってた? これ、こんな風にも使えるって」
昂然と胸を張る白に水世は構わず雨粒を打ち込み続けるが、まるで手応えが感じられない。
「それ以上無駄な魔力を使わない方がいいよ。水世さん、それほど魔力量多くないんでしょ? たしかに発想力は凄いけど、それじゃ宝の持ち腐れだね。初歩の魔法に固執して幾つもバリエーションを作るなんて、自ら自信がないって言ってるようなもんだし」
「失望した」
「……は?」
「その程度の意図も推し量れないなんて失望したって言ったのよ」
氷のように冷たい眼差しが白を射抜き、雪のように白い腕がスッと前に伸ばされた。
「Espoir2【燗】」
「はっ、そんな非戦闘用の補助魔法で何を――――ッ、まさか……熱乾燥!?」
白を包むように展開している傘。それを更に覆うようにして魔力の圧が加えられ、徐々に表面の温度が上昇していく。
やがて傘の表面――本来は内側にあるはずの粘膜が水気を失うと、それは乾いた状態となった。
防御機能が低下し、ただの薄い膜一枚となったそんな白に、すかさず水世が大打撃を撃ち込む。
打撃――まさにそう形容しても差し支えのないような勢いと、破壊力のある一撃だった。
「――Reve46【走り水】」
両の手から放出された水が、一瞬にして白の体を飲み込んだ。
薄膜一つなんて無いも同然に諸とも押し流し、その勢いは数十メートル先の壁にまで至る。
水量にしろ、流速にしろ、水というよりかはもはや地面と平行にして流れる滝のようである。
――水に押し流された形跡が、地面に残っている。
ただ飲み込まれただけではつかない、明らかな抵抗の後だ。
そんなことを待機室にて智也が思っていると、際限なく流れていた水の勢いがふいに塞き止まる。
「『撥曇』」
右手になにかを持った白が、その名を呼んで一振りする。
すると、白の身を追いやっていた大量の水がしぶきとなって辺りに飛び散った。
「いや~ごめんね水世さん。ソレ、ずっと狙ってたんだね。だけど私には通用しない……ていうか、これがあればぶっちゃけどんな水属性の魔法も効かないんだよね~」
そう言いながら胸の高さまで持ち上げたそれは、智也には一度目にしたことのある布団叩きだった。
見かけはあまり武器らしく映らないが、核となるのは魔武器の持つ特殊な力にある。
一つとして不燃性の木剣があったり、また浮力を有した履物が存在したりするように、彼女の魔武器は異様なまでの撥水力を秘めているようだ。
「貴方はどういうわけか水属性の魔法に強いこだわりを持っている……その執着心は私のそれを越えているわ。だけど今はそのこだわりを捨てない以上、私から点を奪うことなんて不可能よ」
「短絡的な思考ね」
そう吐き捨てて、雨粒の群れを撃ち放った水世に白は肩を竦める。
「物量で押そうとしても無駄だよ」
得物片手に持ち前の身体能力で次々と迫る雨粒を弾いていく白。傍目から見ていた智也も全く同じ手を考えていたが、今回は相手が悪すぎた。
武器の性能だけじゃない。それを扱う本人の体捌きも見事なものである。
どれだけ数撃ち込んでも、全ていなし躱されて決め手にならない。それに見兼ねてか、ついに水世は攻撃の手を止めた。
白が、薄い笑みを浮かべる。
「――貴方には感謝しているわ。今回の一戦、とても得るものが多かった。おかげで私はより空の青さを知ることができる」
「そう。だったら最後に一つ教えてあげる」
そこで言葉を区切った水世はもう一度両の手を構えると、あの大技を繰り出した。
訝しむような面をしていた白が、それを見て一声を上げる。
「何かと思えばまた同じことを……いいわ、これで終わりにしてあげる! 【雨返し】!!」
水世が放ったはずの激流が白の一振りによって塞き止まり、そしてあろうことか打ち返される。
ただ弾いて凌ぐだけじゃない。今度は勢いをそのままにして水世へと跳ね返されたのだ。
押し寄せる激流に為す統べなく、細い体躯がさらわれてしまう。
そう、智也が思ったとき――――、
肌身離さず身につけていた赤いマフラーに、そっと白い指が触れた。
「『雪下の羽衣』」
パキッと、どこか小気味いい音を耳に拾ったかと思えば、水世を中心に白い世界が広がっていた。
一つ吐いた息が、白く染まって風に運ばれる。
眼前まで迫っていたはずの激流はいつの間にかその勢いを失っており、そこで凍結していた。
首のマフラーを口元まで上げ、薄青の瞳に氷瀑を映す水世。
視線の先、得物を振るった姿勢の白葵が――恍惚とした表情を浮かべたまま氷漬けになっていた。
「……しょ、勝負あり!」
催促するような視線に我に返ったように審判を下すと、そのまま踵を返して会場から出ていこうとする水世を赤髪の教員が慌てて呼び止める。
「っおい! このままにしていくなよ!」
が、水世は我関せずといった態度で振り向きもせずにゲートを潜っていく。
それに不満をこぼしながら、教員は火属性の魔法で凍った白を救出していた。
待機室に向かう道すがら、一人の少年と行き違う水世。
何も言葉を交わさない。
ただ凍てつくような視線を受けたその少年が、長い前髪で隠れた煉瓦色の瞳を同じようにこちらに向けると、無言のまま会場の方へと歩を進めていった。
――待機室。
「水世さん、凄かったっス!」
七霧の出迎えに軽く鼻を鳴らし、会場の様子が投影された壁の前に立つ智也の方を、ちらと一瞥する水世。それから待機室の扉を閉めると、澄ました顔でテーブルに向かい椅子に腰かけた。
「あれだけの力を有していて、どうして時間稼ぎなんかを?」
「別に。ただ様子を見ていただけよ」
隣の席、懐疑的な目を向けた久世に水世が短く答える。そんな二人の珍しくも短いやり取りに智也は首をかしげつつ、再度会場の様子を覗いた。
どうやら、水世が派手に凍らせた後処理も片付いたらしい。手早く仕事を済ませた赤髪のその人が、怠そうに首を回していた。
「次の試合、すぐに始まりそうだぞ」
「雪宮さん、ファイトっス……!」
四人の視線が一ヶ所に集まる。
先の試合、水世が無失点で勝ってくれたおかげでC組との得点差は一点にまで縮まった。しかし、手放しに喜んでいられる状況ではない。
なにせ次は四試合目、もう後がないのだ。ここで雪宮が一点でも取れないと、A組の勝ち筋は完全に潰えてしまう。
まさに勝負の別れ目であり、極めて重要な一戦ということになる。
智也ならとても耐えられないようなプレッシャーが、いま雪宮の両肩にのしかかっていることだろう。
✱✱✱✱✱✱✱
「こ、こんにちは。ボク百目鬼健太。き、君は?」
「……雪宮蛍」
「そ、そうなんだ。正直、怖そうな人ばかりだったからホッとしてる。き、君はボクと同じ匂いがしたから。ふひ」
しきりに眼鏡の位置を直しながら、百目鬼が下手くそな笑みを浮かべる。一方で、その対面には表情の見えない寡黙な雪宮が。
そんな二人を、少し顔をひきつらせながら赤髪の教員が交互に見やった。
「……準備は良いな? 副将戦。A組、雪宮蛍。C組、百目鬼健太。――試合開始!」
「……16【半月切り】」
「ひぇぇぇぇ!」
雪宮の速攻に、百目鬼が叫びながら右方へ逃げる。
放たれた半月型の斬撃は狙いを外れていくが、追加で唱えた言霊によって百八十度軌道を変え、肩で息をしている百目鬼の背を狙った。
魔法紙に被弾すればその時点で勝敗が決する――が、間抜けな声を出してその場につまずいた百目鬼は、間一髪背後の奇襲から逃れた。
「いてててて……」
「Reve26【散らし風】」
奇跡は二度は起こらない。雪宮は、今度は範囲の広い魔法を打ち込んだ。
「え、Espoir25!【青嵐】!」
体を丸めてしゃがみ込む百目鬼の周囲、渦巻いた風が旋風を相殺する。
安堵の息をもらす百目鬼。しかし彼はこともあろうに、そこから尻尾を巻いて逃げ出した。時折、後ろをちらちらと確認する素振りに雪宮が首をかしげる。
「彼は……果たして何をやっているのだろうか」
「何かを誘ってる……?」
――待機室、智也のこぼした言葉に久世が眉をひそめた。
「ひぃぃぃぃ!!」
雪宮に背を向けひた走る百目鬼。もはや十分なほど二人の間に距離は空いていた。
まるで戦意の感じられないそんな百目鬼に、一部観覧席からヤジが飛ばされる。
「男の癖に情けねぇなぁおい。お前も智也みたいにバシッと決めてこいよ!」
「ちょっと、恥ずかしいからやめてよ。それにあの子は相手側のチームメイトですよ」
「ありゃ? うっかりしてたぜ。ガハハ!」
大口を開けて笑う男に百目鬼が小さく呟く。
「う、うるさい。ボクの戦いはここからなんだ」
ゆっくりと距離を詰めてくる雪宮の姿をじっと見つめて、百目鬼はその銀縁の眼鏡へと手をかけた。
「見せてやりますよ……ボクの秘密兵器を」
途端、音もなく具現化した半月型の斬撃が雪宮を挟撃する。正面だけじゃない。背後からも迫るその魔法に、驚いたように振り返る姿が映った。
二つの斬撃に裂かれる寸前、間一髪のところで顕現した回転刃がそれらを防ぐ。
「防ぎましたか。だったらこれならどうです? Reve24――」
続いて百目鬼の散らした魔力が刃となって地を駆け抜けてくる。それと全く同じものが、左からも迫っていた。
同時に顕現した二つの魔法。
またしても雪宮は、その対処に追われてしまう。
「【獅子神楽】」
前と左とを交互に見て、翳した両手がそれらを捉える。
その手をそれぞれ左右に振ると、同調したように進行方向を変えて刃と刃が衝突した。
うまく対処しているものの、このままでは相手のペースに飲まれかねない。
そう智也が思ったのと同時、雪宮はすかさず反撃に転じた。
「Reve18」
ふいに、真横から押し寄せた衝撃にその体が吹っ飛んだ。
数十メートル先、地面を転がった雪宮がゆっくりと身を起こす。
「咄嗟に風牙で弾きましたか。中々やりますね」
そう言ってまた眼鏡の位置を直すと、百目鬼は含みのある笑みを浮かべた。
「いったい、彼はどんな手品を使っているんだ……?」
待機室、久世が心底不思議そうにそのようなことを口にする。
常識的に――この世界での常識にならって考えれば、魔法というの必ずしも使用者の内に秘めた力を用いて顕現させる物だ。
故に体の一部を介してその発動を行うのが定石となるが、まるで肉体と離れた場所から魔法を――それも指向性のある放出型の魔法を顕現させることなど、不可能なのである。
ならばどのような原理で彼はそれをやってのけているのか。不可能を可能とする手段があるとすればそれは、
「間違いなく『魔武器』の性能だろうな」
「――。その性能とやらは?」
「好きな方角から魔法が撃てるっス?」
智也の発言に久世が眉根を寄せ、七霧が首をかしげた。それに小さくかぶりを振る。
智也には――いや、智也だからこそ、不自然に具現化したそれらの魔法に確信めいた直感があった。
「おそらく……先鋒戦で俺と五十嵐が使った魔法が再現されてる」
「魔法の……再現?」
二人が混乱を極める傍、ちょうど会場の方で不自然な現象が繰り返されていた。
百目鬼が放った火球と同じものが別の角度から同時に雪宮を襲う。
その近い方の火球――再現されたソレに雪宮が意識をやったとき、突然その火球が消滅してなくなった。
「間違いない。あれは五十嵐の不意をつくためにあえて使った出来損ないだ」
その時と同じように気をとられた雪宮へ、もう一つの火球が迫る。
雪宮は、既のところで水の膜で身を守った。
紙一重の防戦。五人の中でもとりわけ対応力の高い彼でなければ、とっくに何点か落としていたことだろう。
「それじゃあ一人で二人と戦ってるってことっスか……?」
「魔法の再現……という事象に気付けなければ、延々と後手に回されるわけだ」
「それについてなんだが」
問いを発せず目で尋ねてくる二人に、智也は顎に手をやりながらポツリと呟いた。
「勘違いかもしれないんだけど、あの百目鬼ってやつ……俺たちの試合の流れに沿って再現を行ってるんじゃないか?」
「なるほど! 或いはその流れに準ずる必要があるのかもしれないな……。とすると、ある程度の予測がつくが……いや待て、まさか次の魔法は――――」
刹那、会場に銀閃が蘇った。
✱✱✱✱✱✱✱
「『脳内再生』」
――押し上げた眼鏡が光を反射して、次の刹那に銀閃が走った。
度重なる不自然な現象に理解が追い付かず、会場は騒然としていた。
弱腰かと思いきや、急に見せた高難度の魔法にその評価を見直すような声もちらほら上がっており、百目鬼がそれに得意げな表情を浮かべている。
地に付していた雪宮が、よろよろと起き上がる。
しかし、審判の挙げている黒い旗は先の攻撃が十分に有効打であったことを意味していた。
「……った。……ない」
「なんです?」
「もう、くらわない」
顔は見えずともその立ち姿から、満ち溢れる闘志が感じられる。
渦巻いた風が徐々に勢力を増していくような、そんな雪宮の気迫に百目鬼がたじろぐ。
「ふ……ふん。例え仕組みが分かったとしても、意識の外からの攻撃は簡単には防げないでしょう!」
無言のまま歩を進める雪宮。
百目鬼は焦ったように、言霊を唱えた。
「『脳内再生』!」
百目鬼の記憶の中にある映像が実体化し、明後日の方角からやにわに激流が押し寄せてくる。
雪宮はそれに目もくれずに右手を翳すと、小さく「【逆風】」と呟き、吹き荒ぶ風を以て水の勢いを止めた。
先の智也たちの仮説から外れたその一手に「まさか任意の魔法を自在に再現できるのか」という驚きの声が待機室で上がるが、そんな心配など一切不要だと思わせてくれるほどに、雪宮は頼もしかった。
「そんな……い、いや、まだボクには奥の手がある!」
鼻から思い切り息を吸い込むと肩の力を抜いて、突然その場で瞑想を始めた百目鬼。
雪宮はその隙を容赦なく狙うが、放った斬撃は横合いから飛んできた水泡によって撃ち抜かれた。
瞑想を終えた百目鬼が目を開ける。その直後――、
「【同時再生】」
弾丸のような水泡が、燃焼した斬撃が、雨粒の群れが、横薙ぎに放たれた斬撃が、特大の水泡が、半月型の、矢のような、弾丸、旋風、そして銀閃が、絶え間なく雪宮の身に襲いかかった。
四方八方から飛んでくるそれらを――雪宮は確実に、正確に、そして目を見張るほど鮮やかに捌いていく。
「Reve18【火蜂/演舞】」
手根を合わせ、曲げた指先に一回り大きな玉が八つ具現化する。
それらは意思を持った生物のように一斉に飛び立つと、舞い踊るかのように空を駆けた。
一つ、左方に顕現した弾丸を目で捉え、駆け抜けた火の玉がそれを打ち破る。
二つ、背後から飛来する燃える斬撃に腕を伸ばし、別の火の玉が衝突。
三つ、別の角度から迫る斬撃と弾丸をそれぞれ撃ち抜き、四つ、風がとぐろを巻き始める前に先んじて位置取りしていた火の玉がその中心で炸裂。
五つ、急襲する雨粒の群れを残る火の玉の群れが迎撃。
六つ、再び顕現した弾丸を身ごなしで躱し、七つ、真横に現れた特大の水泡が破裂、拡散する無数の泡に巻き起こった風で身を覆う。
八つ、九つ、十、十一、十二、息つく間もなく撃ち込まれる弾丸を、右手一つで軌道をずらしながら百目鬼へと距離を詰める。
「Reve29【相縁気炎/獅子頭】」
十三、横一線に飛んでくる斬撃を炎の壁で防いで、
「うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
十四、銀の閃光が雪宮の後ろを過ぎて壁にぶつかった。
「あ、ありえない……二試合分の魔法を全て再現したというのに……こんな、どうして……?」
怯えるような、当惑したような顔を向ける百目鬼に、雪宮は力強い眼差しで応じた。
「……みんなの戦い、ちゃんと見てたから」
距離を詰められ尻餅をついていた百目鬼は、静かに燃える赤い炎を見て悲鳴をあげ、その場から慌てて逃げ出した。
晒された背に火球が飛んでいき、そこに貼り付けられた白い紙を赤く染める。
「雪宮二本、勝負あり!」
そうして、最後は呆気なく終わりを迎えた。
得点数五対五。A組とC組の対抗戦は、まさに文字通りの五分の戦いだ。
そして、そのすべての命運が――残る大将へと委ねられた。
◆――ここまでの試合結果
先鋒.七霧零 VS 時雨隼人
(0-2)
次鋒.黒霧智也 VS 五十嵐天馬
(1-2)
中堅.水世怜 VS 白葵
(2-0)
副将.雪宮蛍 VS 百目鬼健太
(2-1)




