第九話 「怠慢教師」
諸々の検査を終え、その悲惨な結果に肩を落としていた智也。
入学早々から憂鬱な気分になりつつ教室へ戻ると、先に帰っていた何人かの生徒が暇を持て余していた。
そんな中で、一人の女生徒が悲鳴を上げる。
「やめてよ!」
「あ? いいから見せろよ」
どうやら検査結果の載っているカルテを無理やり奪おうとしているらしく、いかにも素行の悪そうな茶髪の男子生徒が、亜麻色の髪の女生徒に迫っていた。
その光景を目にした智也は「どこの世界でもあるんだな」と呆れつつ、静かに自分の席へと向かう。
「にしても、よりによって隣かよ……」
椅子を引いて腰掛けながら、すぐ隣の雑音に智也は顔を顰める。
「いやや! やめて!」
「しつけぇんだよ、見るだけだろうが。さっさと貸しやがれ!」
女生徒は机に覆い被さりカルテを死守しようと抵抗するが、男の力には敵わず、虚しくも剥がされてしまう。
そうして瞳に涙を浮かべる者のことなどお構いなしに、茶髪男子はカルテの内容に目を通し、
「ぶっ、ははは!」
急に吹き出したのを見て、智也は眉を寄せた。
そこに何が記載されていたのか。人を蔑むような目で見る彼の態度とを勘案すれば、察しはつく。
「どうりで弱そうだと思ったら、お前魔力量Zランクなのかよ」
――そう、机に顔を伏せる亜麻色の髪の女生徒は、智也と同じ最低ランクだったのだ。
だから人に見られたくなかったのだろう。その気持ちは智也にも理解できる。
それなのに無理やりカルテを奪った茶髪男子は、女生徒を侮辱して楽しげに笑っている。
「惨めだなぁおい。悔しかったら何とか言ってみろよ、Zランク」
なにも魔力量だけで全てが決まるわけではなかろうに。――何もかもダメだった智也はともかくとして。
しかし、彼はそれで優位に立ったかのような顔をして、無抵抗な女生徒に次々と言葉の暴力を浴びせていく。次第に啜り泣きの声さえ漏れだして。
どこからどう見ても、それは一方的なイジメだった。
その一幕を隣の席で見ていた智也は「くだらない」と、そう呟くだけで関わろうとはしない。
別に智也は正義のヒーローでもなければ、女生徒と顔見知りですらない。
見ず知らずの人のために動けるほど、強い人間ではないのだ。
そんな甲斐性無しな男とは裏腹に、女生徒の助けに入った者がいた。
「おいチンピラ野郎、何してるんだよ!」
遅れて現れたその者は颯爽と女生徒の元まで駆け寄ると、その背に庇うように立ちふさがった。
イジメの現場を見ておきながら誰も動かなかったこの状況で、ただ一人行動を起こした男。
その銀色の頭のクラスメイトを見て、智也は漫画の主人公のようだと心の中で思った。
「あぁ? んだテメェ、マジメ君かよ」
勇者とチンピラが対峙する。
さっきまで暇を持て余していた他のクラスメイトも、いつの間にか揃って騒ぎに注目していた。
獣のような鋭い目つきで相手を睨みつける茶髪男子。これに対しどう出るのか、視線を釘付けにする男が取った行動は、
「はぁ? 真面目くぅん? そんな訳ねぇだろ。君のおめめは梅干しですかぁ?」
自分の目を指差しながら、全力で煽りに出た。
直前までのカッコ良かった姿は幻だったのか、今の一瞬で勇者からチンピラ以下に成り下がる。
顔立ちは整っているし、普通にしていればイケメンの部類なのだろうが、よく分からない言動と相手を馬鹿にしたような変顔が全てを台無しにしていた。まさしく、残念イケメンである。
「……潰されてぇのか? 大体、テメェは何ランクなんだよ!」
残念イケメンの挑発にまんまと乗せられて、茶髪男子が声を荒げる。
彼が何故そこまでランクにこだわるのか理解できず、智也は訝しげに二人のやり取りを見据えた。
「いいだろう、教えてやんよ。俺のランクはなぁ……!」
と、残念イケメンは数秒溜めて、
「Cランクだー!」
これ以上にない誇らしげな顔でそう叫んだ。
――教室が、静寂に包まれる。
一呼吸置いて、
「「普通じゃん!!」」
大多数のクラスメイトが同じ感想を抱いた。
「うるせー! 文句あんのか!」
「俺はBランクだ。格下のテメェはすっこんでろ!」
逆ギレしているところを茶髪男子に突き飛ばされ、残念イケメンが尻餅をつく。その情けない姿には、今や凛々しさの欠片も感じられない。
「やりやがったな、このチンピラゴボウが!」
「……アホくさ」
起き上がり、謎の嘲罵を浴びせて取っ組み合いを始める。その程度の低い喧嘩を見て呟いた智也の心の声が、思わず外に漏れてしまった。
「なんだテメェ、見てんじゃねぇよ」
再び残念イケメンを突き飛ばすと、お約束の決め台詞を吐いて、今度は智也を標的に変えてきた。
――やらかした。
自分の失態に後悔しながら、心底怠そうな表情を浮かべる。
そんな智也に茶髪男子は「あぁそういや」と、何かに気付いたような声を発した。
「さっきの魔力測定で、もう一人Zランクだったヤツがいたらしいな」
その顔に、意地の悪い笑みを浮かべて。
「名前はなんつったか……確か、黒霧だったか」
本当はそれが誰なのか分かっていながら、わざとらしく考える素振りをして、茶髪男子は智也を見下げるように鼻を鳴らした。
「なぁ、お前の名前教えてくれよ」
「……」
「だんまりかよ。テメェだろ? 黒霧ってのは」
「だったらなんだ」
「お前、Zランクの意味って知ってるか?」
突っかかってくるのかと思いきや、意外にも問いを投げられて言葉を詰まらせる智也。
何となく話題からして馬鹿にされているだろうことは推察できるが、
「Zランクだよ」
それを聞いた智也が、悔しがるとでも思ったのだろうか。
蔑んだような目でこちらを見て、自分が優位に立っていると思い込んでいるようだが勘違いも甚だしい。
「それで? 俺が雑魚ランクだからどうした。お前に何か益があるのか?」
今度は智也がそう鼻で笑い返すと、どうやら期待外れの反応だったようで、茶髪男子は面白くなさそうな顔をしている。そして、
「なんだそりゃ、強がりのつもりか? 散々時間かけて『魔武器』の一つも作れなかった雑魚の癖によ」
「――。お前……」
魔力量の件にせよ、よく周りを見ているらしい。その目的が自分より弱い者を見つけて楽しむためなのだから、呆れを越えて嫌悪する。
そして、最も触れられたくなかった部分をつつかれた智也は、さすがに腸が煮えていた。
眼光を鋭くして、勢いよく立ち上がった智也に押し出され、さっきまで腰掛けていた椅子が大きな音を立てて倒れる。
「んだよ、やる気か? お前みたいな雑魚じゃ相手に」
「――いい加減見苦しいよ。団栗の背比べなんて、さ」
そんな一触即発の空気を断ち切ったのは、聞き覚えのあるキザな声。
たった一声でクラス全員の注目を集める、藍色の髪の男――久世聖のものだ。
智也の二つ前の席に座っていたその男は、流し目で後ろを確認すると、やれやれと肩を竦める。
「ちっ」
あれだけ驕っていた茶髪男子も、彼が相手では言葉一つ返せないようで、不服そうに舌を鳴らすだけに留まっている。
何しろあの男は、既にAランクの魔力量を保有している上に、稀有な属性への適性持ちだ。クラス一の天才と言っても過言ではないだろう。
いやむしろ、学年トップと称しても恥じぬほどの高スペックである。
厳密には他のクラスの検査はこれからなので、或いは彼以上に神に愛されし者が出てくるかもしれないが、なんとなく智也にはそう思えなかった。
そうしてひとまず騒動は収まり、再びクラスに静寂が訪れる。
茶髪男子も何か言いたげな顔をしていたが、久世の顔を一睨して、大人しく自分の席へ戻っていった。座席が離れていたのは、智也としても救いだった。
「大丈夫?」
亜麻色の髪の女生徒が、いまだ転けたままの残念イケメンに歩み寄り、手を差し伸べる。
それを手で制すると、彼は制服についた埃を払いながら立ち上がり、爽やかな笑みを浮かべた。
「あぁ、君は大丈夫か?」
「私はなんも……それより、ありがとう」
同じく笑みを浮かべて感謝の意を表する女生徒に、彼は「当たり前の事をしただけだぜ」と白い歯を光らせて、颯爽と去ってゆく。
なんてクールで凛々しくて、紳士的な男なのだろうか――表面上だけは。
「――変なやつ」
席に着くや否や、ものの数秒で鼻ちょうちんを出して寝る男に対し、智也が抱いた第一印象がそれだった。
✱✱✱✱✱✱✱
「ふい~、お前ら全員ちゃんといるか~?」
気の抜けた声を放ちながら、呑気な男が何事もなかったかのように教室に入ってきた。
「揃ってるな~」
全体を見渡し、教卓へ向かいながら、一番前の席で寝ている生徒の頭に自然な流れで鉄拳を落とす。
「だが当たらない!」
それを紙一重で避ける銀髪の男。
一体どうして机に突っ伏した状態から今の一撃を予測し、回避できたのか。それも寸前までいびきをかいて寝ていたのに――と、首を傾げる智也と異なり、特に担任は気にしていない様子。
「とりあえず今日はもうやることねぇから、明日からの予定を連絡しておく。まず、いきなりだかお前らには……八日後に模擬戦をやってもらう」
「「えー!」」
「これは決定事項だー」
突然の発表に、クラス内がざわめき出す。
模擬戦と聞いただけで顔を曇らせる者や、不適な笑みを浮かべる者、何の事だか理解してない者など、生徒の反応は様々だ。
「ちなみにだが、月末には他のクラスとの対抗戦が開かれる。要はそれに備えての練習試合ってこった」
「練習試合かー、上手くできるかな」
「安心しろ。お前らは俺が、ちゃんと一人前にしてやる」
不安の声をあげる生徒に、担任が口の端を吊り上げて笑う。その姿は今朝智也が見た、魂の抜けたような顔をしていた男とまるで別人のようだった。
「先生~その自信はどこからきてるワケ??」
「さっき学園長の話にもあったらしいが、この学園の授業は全てクラスの担任が受け持つことになっている。つまりお前らがどんな成長を遂げるのかは……俺の采配にかかってるわけだ。となれば必然的に……」
「ねぇ、今あったらしいって言ったよね」
「あ、うん。私もそう聞こえたかな」
「そういや先生、入学式に遅れて来たっスもんね~」
橙色の髪の女生徒が素朴な疑問を投げ、それに答えようとした担任の口からボロが出る。
他の生徒も気付いた通り、あの人は智也が遅刻してきたあとも、ずっと校門前でサボっていたのだ。
次第に募っていく生徒の疑心に、担任は誤魔化すように咳払いを挟んで、話題を変えてきた。
「そういやさっき渡したカルテだが、俺が保管しておくからあとでここに持ってきてくれ。つーわけで、お前らまだ名前も顔も覚えてねーだろうから、自己紹介でもするか?」
「うわぁ……」
ざわめきが起こるクラスの中で、智也は一人顔を青ざめる。何故なら智也にとって、一、二位を争うほど嫌いな学校のイベントが、この自己紹介だからだ。
「俺は別に自分を紹介したくはないんだが……」
仮に自己紹介をしたところで、聞くのはせいぜい名前と趣味くらいである。そんなものを今聞いたところで、すぐにクラスメイトの顔と名前が一致するわけでもない。
むしろ、自分のことで頭がいっぱいになって、他に気が回らなくなるのがオチだ。そんなのは非合理的だと、毎度ながら智也は思う。
そうして御託を並べているが、結局の所そこにあるのは、面倒臭さと気恥ずかしさだけなのだが。
「これがあるならせめて一日遅れで入学したかったな」
その場合は、翌日十四人のクラスメイトの前で、一人で自己紹介をするはめになるだろう。そう考えると、どのみち詰みである。
深いため息を溢し、来るその時に向けて心を構える智也にしかし、担任が思いもよらなかったことを言い出した。
「ま、いいか。めんどうだし、どうせお前らもやる気ねーだろ」
そう言って前言を撤回する担任に、智也は「一生ついていきます!」と心の中で両手を合わせた。
奇しくも担任の怠慢さに救われた智也。しかしその反面で、こんな調子で大丈夫なのだろうかという不安も感じてはいた。
果たしてこの怠慢教師を担任に、智也はまともな学園生活が送れるのだろうか。
――そもそもここが普通の学校ではないことから、智也の予想とはかけ離れた、奇想天外な日々が待っているかもしれないが。
「うーし、んじゃ今日はとりあえず解散で。お前ら真っ直ぐ帰れよー」
最後に担任がそう言って、その日は緩い感じで終業となった。