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第八十九話 「無理難題」



「どう思う?」


「……いきなりなんですか?」


「だからさ、千林さんの機嫌を損ねてしまったんじゃないかって俺は懸念してるわけだよ」


「それでご飯も食べずに来たんですね。真っ直ぐ帰ってくるなんて、そんなに私に会いたかったですか?」


「いや違うけど。さすがに今のそれで喉を通らないし……やっぱり出過ぎた真似だったのかなぁ」


 少女の馬鹿げたノリに真顔で応じて、智也は大きなため息をぶちまける。と、いつまでもこちらに手を伸ばしたままでいるので、その理由を問い掛け、


「なにって、いつもやってるじゃないですか。お帰りなさいのぎゅーです」


「あらぬ誤解を生む発言はやめろ」


「別にいいじゃないですか~二人きりなんですし。私たちの愛の巣ですし」


「新井さんと他の下宿人の前で同じこと言ってみろ」


「え、いいんですか?」


 本気で言いかねないと思った智也は即座に今の言葉を撤回して、帰ってくる前より疲労を感じながら少女の脇を抜けてベッドの上へ。


「あー、お風呂も入らずにいけないんだ~。お母様に……」


「――。別に、明日の朝代わりに入るからいいんだよ」


 尻目に見る智也の冷ややかな眼差しに、少女は慌てて口元を手で覆った。

 自分で事を起こしておきながら、よくもまぁ平然とソレを話の種にできるものである。無関心なのか、はたまた無神経なのか。その割には「しまった」と言うような面をするので、余計に何を考えているのか分からなくて。

 今度は小さく嘆息して、ベッドに顔をうずめた。


「今日の一日はどうでしたか?」


「そういや昨日どこかに行ってたのか」


「むぅ、私が先に質問したのに」


 頬を膨らませて不満を訴えてくるが、うつ伏せに寝ている智也にその面は見えていない。

 少女は不貞腐れながら窓際まで足を運ぶと、椅子に腰掛け頬杖をついた。


「心配しなくても、私はずっと貴方の側にいますよ」


「そうじゃなくて」


「昨日は疲れたので休んでいました!」


「へー、お前に疲れることなんてあるんだな」


「むー!!」


 実際、学園に行っている間に彼女が何をしているのか智也は知らない。

 が、帰ってきたら部屋で待っている以上、一日の大半をここで過ごしているのは間違いないだろう。それでいて特段家事をこなしているわけでもないので、余計に疑問は深まる。


「……」


 話を終え、そのままの体勢で眠りにつこうとする智也。それに少女が鼻に皺を寄せ、ぷんすかぷんすかと怒り心頭に発している。

 それがあまりにうるさいので仕方なくそちらに顔を向け、ため息混じりに口を開いた。


「今日のことじゃないけど、昨日対抗戦の出場者に選ばれたんだよ。中には反対の声もあって、それで再試合もしたけど、一応……俺の勝ちだった」


「わぁ、おめでとうございます! あれだけ結果に執着してたんですから、嬉しいですね。そりゃあガッツポーズもしちゃいますよね~」


 思うところがあって言葉尻で視線を外した智也。その心情を読み取ったかのように、少女はまたニヤニヤと笑っている。


「やっぱり見てたんじゃねぇか」


 にやけ顔の少女に「何のための説明だったんだよ」と息をついて、智也は再びうつ伏せた。


「もう寝るぞ」


「えー! まだまだお話し足りないのにー!」


「あのなぁ、ニートのお前と違って俺は朝早いんだよ」


「自分だってちょっと前まで引きこもってたじゃないですかー!」


 ピクリと智也の耳が反応して、その身がゆっくりと起き上がる。それに身構えた少女は「な、なんですか」と声を震わせ、


「違う。俺はゲーム以外に興味がなかっただけだ」


「でも自分のお部屋が大好きじゃないですか」


「そこにゲームがあるからな」


「そんなの引きこもりと一緒ですよ!」


「断じて違う。引きこもりの定義を調べ直してこい」


 なんて、くだらないやり取りはしばらく続いて、あっという間に夜は更けていった。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 小窓から差し込む陽光の眩しさに、でもなく。

 外で陽気に歌っている小鳥のさえずりに、でもない。

 まるで指定された時間に鳴動する目覚まし時計のように、智也の意識は眠りから覚めた。


「……」


 布団の中。身動ぎした腕が異物に触れ、天井を見つめていた黒瞳が細まる。

 明瞭になった五感が次に捉えたのは、すぐ近くから聞こえてくる気持ちよさげな寝息だった。

 首をもたげてそちらを見やれば丸まって眠っている少女の姿。その顔つきを見て、智也は違和感を覚えた。


 何が、かは自分でも分からなかった。ただ何らかの違いを感じて、自然と眉根に力が入った。


 するりと布団を抜け、健やかに眠っている少女に一瞥くれる。「特に変わったことはないはずだが……」そう呟きながら顎を触り、数時間前のことを思い起こしてみる。

 が、やはり思い当たる節はなく、ため息ひとつ溢してシャワー室へと足を運んだ。


「――おはようございます」


「おはよう。今日も早いわねぇ」


 水浴び後。まだ夢の中にいた少女を捨て置いて、智也はひとり一階へ。

 当たり前のように起きている新井さんに声を掛けると、「昨日なにも食べてないからお腹空いてるでしょう?」と握り飯を差し出してくれた。


 今日のは、特大のバクダンむすびだった。あまりの大きさに思わず目を皿にしつつ、心から感謝を述べて静かな街へと繰り出す。



 ――中央広場を通るとき、否が応でも視界に入る主張の激しい店の看板。まだ明かりのついていない窓をちらと見て、その目を伏せながら通り過ぎた。


「さて……これは走ってからにするか」


 天まで伸びるような長い階段を前に、バクダンむすびを見やり、そう呟く。

 今からアレを往復するのだ。さすがに全部胃の腑に収めていては逆流しかねない。とはいえ腹は減っているので一口だけ齧ると、脱いだ上着の上に置いて早速準備運動を始めた。


「あぁ、くそ、しんど……い!」


 毎度ながら階段の中途までくるとだんだん腿が上がらなくなり、一歩踏み出すたびに崩れ落ちそうな感覚になる。そのまま力尽きて倒れそうになるのを堪えつつ、どうにか智也はてっぺんまで上りきった。


 校門に凭れながら階下に広がる家並みを見下ろし、朝の清々しい風を浴びつつ息を整える。

 ワイシャツが風になびき、上昇した体温が冷却されてゆく――その心地よさを感じながら、ついと体育館の方へ視線をやった。


 見られているわけではない。だが、ここで手を抜いていては絶対に憧れに近付けはしないだろう。

 そう己を奮い立たせて、智也はもう一本走りきった。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 朝一から馬鹿みたいに長い階段を二本走破して、そのあとも体育館にて自重トレーニングと重い木剣での素振りをやり遂げた。前日にも行った過酷なメニューに、既に智也はヘトヘトだった。

 そんな中、まばらに登校してくるクラスメイト。「もうそんな時間か」とおぼろげに思う智也のところへその内の一人が歩み寄ってきて、


「く、黒霧さん大丈夫っスか?」


「もう腕も足も動かない……」


 困惑した表情を浮かべる友人に、智也は床に頬をくっつけたまま力なく呟く。

 今のアオリ視点だと、いつも見下ろしていた七霧の背丈も大きく見える。まるで幼子に戻った気分だが、その口から出るのは車の走る音でも電車の揺れる音でもなく、蚊の鳴くような情けない声である。


「全員集合ー」


「黒霧さん、先生来たっスよ」


「あぁ……」


 床の上で大の字になっていた智也は七霧に肩を借りながら起き上がると、目の前の集団に加わりに行った。

 今日は一緒じゃなかったのか、そこで「おはようっス」と言葉を交わしていた国枝とのやり取りを小耳に、灰の眼を視界に捉える。


「月末の対抗戦まで、残すところあと十日となった。つーわけで……今日から選抜メンバーは別メニューをこなしてもらう」


「マ?? それって別々に授業受けるってこと??」


「あぁ。言葉の通りだ」


「あちゃ~せっかく距離縮まったと思ったのにね~」


 何のことを指しているのか、額に手を当てた東道が隣の紫月にそう語りかける。

 頻りに智也の方を見ていた紫月はその発言に眉を寄せると、東道に向かって不服そうに唇を曲げていた。


「んじゃ、早速だが選抜メンバーは舞台側に、それ以外はこっちに集まってくれ」


「……あ、じゃあおれはあっち行くね。二人ともがんばって!」


 二手に分かれろ、という先生の指示に従って動き始める集団。必然、仲間内で一人だけ選に漏れてしまった国枝とは別行動となり、言葉を返す暇もなく離れていった彼の背を、智也と七霧は気まずそうに見つめた。


「やっぱ国枝も選抜入り狙ってたのかな」


 小さく呟き重い足取りで舞台側へと向かう。そこで待っていた他の三人と顔を合わせて、智也は複雑な表情を浮かべた。

 七霧の肩に半分体重を預けながら、改めて選抜された面々を黒瞳に収める。


 ――類い稀な才能を持ち、他の追随を許さぬ圧倒的な実力から、誰もが信頼を置いている藍色の髪の美男子。

 ――無口で大人しいが、その実、手足のように魔法を操ることのできる稀有な術を得意とする煉瓦色の瞳の少年。

 ――そして、傑出した戦闘技量に高い身体能力を兼ね備えた、雪のように冷たい目をした白髪の少女。


 間違いなく、彼らはこのA組を代表するに値する選手だろう。

 そこに含まれた自分の場違い感に、こうしていられるのは奇跡に近いんだと今一度実感する。順当にいけば、ここに立っていたのはあの男だっただろうから。


「そう卑下することはないよ。理由がなんであれ、先生が君を選定したことに変わりはない。だったらその期待に恥じぬよう、堂々と胸を張っているべきだと僕は思うね」


 また感情が出ていたのか。智也は手の甲で口元を隠しながら、支持率トップは心構えから違うなと舌を巻く。

 仮に選抜入りが自分たちの投票によって決まったとしても、彼はいの一番に抜擢されていたはずだから。


「さて。五人揃ったはいいけど、どうしようか。降魔先生からは特に指示も受けていないし、今は向こうで忙しそうだ」


「…………」


「……時間は有限だ。さっき聞いた通り対抗戦まで残り少ないし、今できることをやるべきだろう」


「散々サボってたアンタがよく言うわね」


「その件に関しては自分の中で散々後悔したよ。ただ、あれも大事な時間だったと今では思える」


 心の傷痕を裂いて毒を塗ってくる水世に、智也はあくまで冷静に応じる。それに対し水世は興味なさげに視線を外すと、軽く鼻を鳴らした。


「それで、何か案があるのかい?」


「別行動にするとはいえ、あと十日でやれることは限られてくる。だからこれまで通り魔法の洗練と、あとは『魔武器』の扱いを重点的に練習させるつもりなんじゃないかな」


「それ以外に何があるのよ」


「……。でも、一口に『魔武器』と言っても七霧みたいな武器っぽい形状のものもあれば、俺みたいにそうじゃないのもあるし、一緒に練習するにもまずそこを把握しておきたいかな」


 というのは半分建前で、久世や水世の有する得物を知りたいと思ったのが半分本音だった。

 どちらかと言えば前者の方は入学式の時に見た記憶が微かにあるので、特に興味があるのは後者の方。


「知っての通り、僕のは何の変哲もない戒杖だよ」


「何の変哲もない……?」


 ――と、恬淡と話す久世の物言いに智也は眉をひそめた。

 天は二物を与えず。などというが、二物どころかありとあらゆる才能に恵まれているような男なのだ。

 神に愛されているとしか思えない、そんな彼の『魔武器』がただの木杖であるはずがない――智也はそう思った。

 せめて仕込み刃くらいの機能がないと、あの久世が持つには道理に合わないと。


 そうして、今度は自然と厚着の少女に視線が集まるが、当人は何をジロジロ見ているんだと言わんばかりに不快そうな顔を向けてくる。


「水世さんのまぶ」


「教える気はないわ」


 痺れを切らした七霧が問いかけようとしたが、それを言い切る前にキッパリと断ち切られて。見かねた智也が苦言を呈した。


「そんなキツく言わなくてもいいだろ。一応選抜のチームなんだし、できれば仲良く……」


「忘れたわけ? 試合形式は星取り戦。つまりチームとは名ばかりな個人戦よ。私が肩を組んで仲良くする道理なんて、どこにもないわ」


 まさに七霧の肩を借りていた智也は隣の友人とを見て、その取っ付きにくさに顔をしかめた。

 月末までもう十日しかないというのに、早くも暗雲立ち込める二人の様子に久世が嘆息し、雪宮は小さく「前途多難っス……」と呟いている。


「なんだ、言わなくても上手くやってると思ったら……早速喧嘩か?」


「降魔せんせ~! 水世さんが怖いっス~!」


「うお……」


 薄い笑みを浮かべながら現れた担任の元へと七霧が駆けてゆき、支えを失った智也は危うく倒れそうになった。


 寄ってきた七霧の頭にポンと手を置く先生。それらを目の端で見る水世の、なんと冷たい目付きか。

 もう少し真心のある相手だと思っていたのに――そう考えながらこれまでを振り返ってみるが、果たしてそうだったかと智也は自信を失くした。


「俺が選抜されたことが気に喰わないのかな」


 氷のように冷たい眼差しに含まれた感情を読み取ろうとしてみるが、智也にそれは叶わない。


「お前らなー、同じ境遇の仲間なんだからもっと仲良くしろよ。A組を代表するチームなんだぞ?」


「符節を合わせたみたいだね」


「……うん」


 久世と雪宮がなにやら小声で話しているのを一瞥しつつ、先生に「波長が合ってないのは水世だけですよ」と目で訴える智也。

 その心の声が届いたのかなんなのか、先生はがしがしと頭を掻くと灰の眼を水世に向け、気だるげに口火を切った。


「前にどっかの誰かさんにも言ったが、星取り戦つってもあくまで団体の競技だ。チームとしての団結力を高めておいても無駄にはならないだろう」


「仲良しこよしやってれば強くなるんですか」


「チームを組む以上、良くも悪くも集団心理が働くようになる。互いに士気を高め合うことができれば、個人の能力だって飛躍するさ。だが……その逆もまた然りだ」


 その言葉に水世は黙り込み、智也の視界の端では久世が難しい顔をしていた。

 それらを灰の眼に捉えると先生は眉を下げて、


「別に、水世だけを問題視しているわけじゃない。他の四人だってもっと打ち解け合うことができれば、さらに結束力が高まるだろうよ」


「結束力……」


 自然と顔を見合わせる智也たちに、先生は不敵な笑みを浮かべた。


「そうだな……これから十日間、学園にいる間は常に行動を共にしてみるってのはどうだ?」


「はぁ!? なんで! こいつらと!?」


「言ったろ。月末に向けて士気を高めるためだよ」


「その必要性が私には分かりません!」


 よほど嫌なのだろう。感情を剥き出しにする水世に先生は泰然自若としているが、智也は隣でこれでもかと顔をひきつらせていた。


「別に、嫌ならやらなくたっていいぞ。ただその代わり……当日お前にかかるプレッシャーは凄まじいだろうな。それが原因で流れが悪くなりゃ、もう目も当てられない」


「……脅しのつもりですか?」


「先を見据えた上で、それが五人にとって必要だと感じた故の指導だよ」


 あくまで優しい口調で語っているが、灰の目の奥に見え隠れした感情は一言で片付けられないほど複雑なものだった。

 それを読み取れたものがこの場にいたかどうか。

 たとえ、嫌がる生徒に無理を通してでもな――という呟き声も。



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