第八十八話 「暮れ泥む」
「遅いな……」
放課後。補修を受けている友人を待つために、小一時間ほど校門の脇で待っていた智也。その間、横を通った他の生徒から都度視線を向けられて、聞かれてもいないのに友達を待っているんだというオーラを醸し出していた。
移ろいゆく空の色を眺めるのにも飽きてきて、無意識に森の方へと視線が吸い寄せられる。
頭の中、もう何週間か前の記憶が甦り、自然と眉根が寄った。とそこへ、後ろから聞こえた足音一つ。
「七霧、やっときた……か?」
振り向いた先、そこには誰の姿も見当たず。
確かに石畳の上を歩く革靴の音が聞こえたはずなのに、と一層眉間に皺を寄せて。
そうこうしていれば、今度こそ待ち人が現れ、こちらに気付いて小走りで駆けてきた。
「黒霧さーん! 待っててくれたんスか?」
「ん……あぁ、やっときたか」
「どうかしたんスか?」
「なんでもない。それより、補習の方はどうだった?」
「いや~中級魔法は一筋縄ではいかないっスねぇ」
頭の後ろに手をやりながらはにかむ七霧に、「改造魔法の練習をしてたんじゃなかったのか……?」と智也は心の中で呟き首を傾げた。
「そういや国枝さんは?」
「あー、用事があるとかで、先に帰ったよ」
「そうなんスね~」
「まぁ俺もそこを下りるまでだけどな」
偽り言だと気取られないように咄嗟に言葉を続けて、智也は苦笑いを浮かべた。先の国枝とのやり取りを、どう解釈すべきかまだ整理ができていなかったから。
――長い階段を下る。
コツ、コツ、と二人の分の足音が反響して、冷たい風がその間を通り抜けた。
「選抜メンバー、国枝さんも入ってたら良かったのにな~」
不意に呟いた七霧の顔をちらと見てから階下に視線を落とす。
できることなら智也だって三人一緒が良かったが、こればかりはどうにもならない。
「模擬戦の相手になったのは……運が悪かったよな。て言っても、蓋を開けてみれば俺以外選ばれて当然のような顔触れだったし、国枝が選抜された場合は俺が落ちてただろうけど」
「そんなことないっスよ! 自分からしたら、黒霧さんこそ選ばれるべき人材っス!」
足を止めるとこちらに向き直り、胸の前で拳をにぎりながら興奮気味に叫ぶ七霧。智也はその気迫に圧倒されながら、
「やけに過大評価だな……」
「黒霧さんが髭剃りすぎなんスよ!」
「いや卑下な。そもそも生えてないし」
自分の顎を触りながらそう指摘して、七霧は成人しても綺麗な肌のままだろうなぁと、なんとなく思い耽る。
「成人か……」
こちらの世界にもその手の行事があるのかどうか。仮にあったとして、晴れ姿を一番見せたい人に披露することは叶わない。
赤みがかった空の果てをぼんやり眺める智也に、七霧が目顔で問いを投げてくる。
「いや、卒業した後もこうしてられるのかなって思ってさ」
「当たり前じゃないっスか、ずっと一緒っスよ。もちろん国枝さんも」
「そう……だよな」
この世界に来るまでの数年間、ゲーム以外で先々のことについて思いを巡らせたことなど一度もなかった。
正確には、考えようにもまるで想像がつかなかったのだ。しかしそれはこちらに来ても同じこと。むしろ知らないことが多い分、その程度は大きい。
「いまは目の前のことに集中しましょう。クラス対抗戦、国枝さんの分も頑張らないとだし」
「そうだな」
将来を見据えることも大事だが、未来に思いを馳せていて目の前の小石につまずいては意味がない。
七霧の言う通りだと得心して、智也は溜飲を下げた。
「じゃあ……また明日っス!」
その笑顔に軽く手を挙げて応じ、分かれ道にて互いに背を向け歩き出す。
卒業して、或いはどちらかがこの街を去ることになったとしても、ここにいる限り会えなくなるわけではない。
そもそもまだ学園生活は始まったばかりなのだから、変に気にしすぎである。らしくない自分自身に、智也は肩を竦めた。
✱✱✱✱✱✱✱
「だから言ってるじゃない。屋台で射的なんかやっても流行らないって」
「でもせっかくのチャンスだろ? 少しでも可能性があるならやってみてもいいじゃねーか」
七霧と別れたあとの帰り道。最近店の方に寄ってなかったなと思った智也は、様子見がてらにあの強面を拝みにきていた。
そこで、なにやら揉めている声を拾って扉にかけた手を離し、いつになく険悪な雰囲気に困惑した。
「あのねぇ、ここでやってダメなものを、場所を変えてなんになるっていうの? それに景品は? どうやって用意するのよ」
「それは……武ちゃんとこの野菜とか?」
「誰が野菜欲しさに射的なんてやるのよ! せっかく清涼さんに道具と場所をお借りしたんだから、わざわざ他のことなんてしないわよ」
「でも、ウチは射的屋なんだよ」
「その本業が上手くいってないんだから仕方ないじゃない!」
「……」
顔は見えずとも、店主が目を伏せたのが智也には分かった。まさかあの男がここまで言い負かされるなんて。
それで話は終わったのか、静まり返った店内の様子に行くか行かざるべきかを逡巡していると、目の前の扉が開かれ――らしくない表情をした男と目が合った。
「……智也か」
「ども」
「しばらくぶりだってのに、間の悪い奴だな」
「すいません……」
「おいおい、いつもの冗談だろ?」
心を許した相手とはいえ、さすがに今のそれで軽口を叩けるほど智也も無神経ではない。
肩を叩きながら弱々しく笑う店主に、智也は引きつった顔になる。
「上がってくか?」
「いや、ここで大丈夫っす」
なんて答えたものの、特に話があったわけでもないため空白の時間が生まれてしまい、男二人、店の前で肩を並べて座って暮れなずむ空を眺めた。
話の全容は知り得ずとも、先の言い争いが店の景気の悪さから来ているのは明白だ。もしかしたら智也が思っていたよりずっと、深刻な状態にあるのかもしれない。
「だとしたら――」
そう思うものの、差し出がましく首を突っ込んだところで問題を解決できる力があるわけでもなく、だけど恩義を受けた人が困っているなら少しでも助けになりたいと願い望む。
そんな風に心の中で葛藤していると、店主がフッと笑みをこぼした。
「お前はほんとに優しいな」
「……? なんですか?」
「ガハハ! なんでもねぇよ、ちんちくりん」
大口を開けて笑いながら、智也の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。それに訝しげな顔を向けていると、店主はもう一度笑みを浮かべて、
「悪いな智也、今日はもう店じまいだ。また今度来てくれや」
そのとき、このまま見過ごしちゃ駄目だと直感した。
ああ見えてたった一日顔を見せなかっただけで怒ってくるような寂しがり屋だ。いつもなら明日も来いと言われていたところだろう。
わずかな言葉遣いの違い。そこから機微を感じ取って、自然と店主を呼び止めるための言葉が口を衝いて出ていた。
「待ってください。話……して、もらえないっすか」
「……」
「あ、いや、別に自分にできることなんてないんですけど、話すことで楽になったりすこともあるかなーなんて……それは違うか……えーっと……」
気恥ずかしさと恐れ多さを感じながらも、胸の内にあった想いを必死に伝えようとした智也。
それに店主は口をすぼめると頬を膨らませて、あろうことかゴム風船が割れたみたいに噴き出した。
「ガッハハハ! 智也お前、ぶふ……くくくく、ひぃぃおもしれぇ」
「……」
万感の思いでいっぱいになった胸中が、一瞬にして凍てついたようだった。
涙ちょちょぎらせながら腹を押さえる店主に白い目を向けて、智也は踵を返す。
「帰ります」
「待て待て、俺のことだよ。まさか、お前みたいなちんちくりんにそこまで気を遣わせちまうなんてな」
「……当たり前じゃないすか。それだけのことをしてもらったんだから」
「へっ。だがまぁ親が子供の手を借りてるようじゃ、いよいよ立つ瀬がねぇや」
「駄目なんですか? 親だろうと子供だろうと、困ったら協力し合えばいいじゃないですか。少なくとも自分はそうするべきだったんじゃないかって……今はそう思います」
――後悔と強い意志を孕んだ真っ直ぐな眼差しに、目の前の男もまた、真剣な面持ちになっていた。
「ガキが首つっこんで解決できるような簡単な話じゃねぇ」
「……それでも俺は、千林さんの力になりたいんです」
「的張り一つまともにできねぇ野郎に何ができるって?」
「ぐ……」
痛いところを突かれたと顔をしかめながらも、智也は決して目を逸らさなかった。
見慣れた顔面とはいえ、そこから親情が抜け落ちれば残るは鬼の如き風格と迫力だ。それを間近で浴びてなお臆することのなかった智也に、店主は諦めたようにでかでかとため息をこぼした。
「やめだやめ、俺の敗けだ。ったく、ほんとに頑固なヤローだぜ」
相好をいつものそれに戻して店の壁に寄りかかる強面。智也は、安堵の息を漏らした。
「……もうすぐ対抗祭があるだろ。それで屋台を出すんだよ」
腕組みしながらしかめっ面で語りだした店主に、「ただ模擬戦を行うだけじゃなかったのか」と頭の隅で考えながら相槌を打つ。
「その日は外から大勢の人が集まるから、俺たち商売人にとっちゃ稼ぎどきなわけよ。ただウチの店はこんな状況だろ? そりゃあもう前回の祭りは閑古鳥が鳴いてもんだ。最近じゃ、魔物のせいでちょーっと外に出るのも危ないらしいしな。景気は悪化する一方だぜ、クソ」
「それでさっき、屋台で射的屋を開くのを反対されてたんですね」
「なんだ、それも聞いてたのか」
「はい……」
「毎年、武ちゃんは自分とこの在庫使って出店してるんだが、それを代わりにやらねぇかって声かけてくれたんだよ」
「優しいですね」
「他所様にまで迷惑かけて、ほんと情けねぇよ」
そう言った店主の表情はひどく曇っていて、智也の胸の中で形容し難い感情が渦巻いた。
客足が遠退いたのは黒ローブの連中のせいであり、それでこの店が損害を被っている現状はどうにも納得がいかない。なにか、智也にできることはないものか。
「とりあえず、屋台の方は清涼さんちの手伝いをするって方針で変わりないんですよね?」
「知っての通り、ウチの嫁さんがその気でいるからな」
「ですよね……。そういうのって、誰にでもできるんすか?」
「あ? そりゃあお前、ちゃんと許可取らなきゃできねぇよ。飯提供するなら資格もいるしな」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔を向けられ思わず苦笑い。もしかしたら屋台の手伝いができるかもしれない――と一瞬考えたが、そもそも智也は対抗戦に出場するのだからそれは難しそうである。
「じゃあ、千林さんの奥さんはそういう資格とかもってるんですね」
「まぁ昔はお前んとこの食堂で働いてたからな」
「そうなんですか!?」
「おう……別にそんな驚くことでもねぇだろ」
意外な職歴を知って目を見張る智也に、店主が引き気味に応じて。ゲテモノメニューを発案した人のこととか知ってるのかな、なんて思考が横道に逸れていると、
「元々、ウチの嫁さんは人に料理を振る舞うのが好きでな。それもあって今回は乗り気なんだろうよ」
と、店主がため息混じりに一言。
「なるほど……それは意志が固そうだ」
今回の件に際して腕を鳴らしている奥さんと、射的屋に活気を取り戻したいと考えている店主。二人の相容れない考えを、どうにか両立できないものか。
――そう考えて、ふと智也の頭に思い浮かんだのは、
「一緒にできないんすかね」
「一緒にだ? あのなぁ智也、屋台を出すにもテントや場所の確保が必要なんだよ。武ちゃんちに借りた一台分しかねぇから、どうしたって二つに一つを……」
「そうじゃなくて。屋台に関しては一先ず奥さんの意見に従うとして、店の方でそれをうまく活用できないのかなって」
「なに?」
呆れ半分に諭していた店主の言葉をバッサリと切り、差し出した提案に強面が一層険しくなる。
それを正視しながら、智也は自分の考えを一つ一つ述べていった。
「自分の知る限りだと、この街には娯楽が少ないです。そういう意味で憂さ晴らしや気晴らしのできるこのお店は、街の人の需要をうまく捉えてると思うんすよ」
「だから以前までは繁栄していた。けど、理由が何であれ一度退いた客足を戻すのは至難のはず。となると、何かを変えなければ現状は打破できないんじゃないですかね」
「何かってなんだ」
ぶっきらぼうに一言放って腕組みする店主。その態度からも、彼の根底にあるものがそれとなく知れた気がした。
――どっちが頑固なんだか、と思いながら智也はわずかに眉尻を下げて、
「今のスタイルを大きく崩したり変える必要はないですけど、新しいものを取り入れることも重要なんじゃないかと思います。言うじゃないすか、時代の流れに合わせられる適応力が大事だって」
と、ここまで長々と前置きを語ったのは、先も感じた店主の信念に対して変に波紋を起こしたくなかったからである。あくまで智也が説きたいのは、不易流行という考え方の必要性だったから。
とどのつまり何が言いたいのか。そんな風に訴えてくる視線に一瞬息を詰まらせて、智也は腹に力を入れ直した。
「例えばですけど、射的屋でありながらも飲食を提供するってのはどうですか? テーブルはいくつかあったし、メニューさえ考えられればすぐにでもできそうですけど」
「やってたさ。なんせそのための座席だからな。さすがに飯はなかったが、酒は提供してたよ」
「あぁ、そうなんすか……?」
最悪の最悪、拳が飛んでくる可能性も考慮しての腹決めだったというのに、なんだか拍子抜けだと嘆息して。
たかが十四の世間知らずに思い付くことなど、この程度のものなのだと肩を落とした。
「話は終わりか?」
これだけ時間を取って、もたらせた益は皆無で。自分の中でそこそこの良案だと思ったものは既に試行済みだった。
結局、何の力にもなれないのだと知って唇を引き結ぶ智也。そのとき、握り締めた拳がズボンのポケットに入っていた硬貨に触れて黒瞳が見開く。
「そうだ、こういうのはどうですか? 元々は大人の客層にターゲットを絞ってたみたいですけど、幅広く集客できるように趣向を変えてみるとか」
「なに?」
「老若男女問わず、射的の魅力を知ってもらうためにまず難易度を一律にして、敷居を下げるんですよ。それで、料金も比較的抑えめにして――」
「ウチのやり方を変えろってのか?」
組まれた腕は、ほどかれていない。それどころか力んだ豪腕には血管が浮き出ていて厳めしい。
それでも智也は、景気回復の助けになる可能性があるのならと――そんな思いで一歩踏み込む。
「……今の不況を乗り越えるには、店の在り方から見直す必要があると思います」
「元々お酒を提供していたのなら、料理を出したってお客さんの抵抗は少ないはず。アルコールより、栄養の高い野菜を摂れば消耗した魔力も回復しやすいだろうし、手軽にプレイできるようにすることで回転率も上がるはずです。ゲームの料金を抑えてもそっちで利益は生み出せますし、なんなら料理付きのコースを作って、指定時間内なら遊び放題……というのもありじゃないですか?」
「スコアを集計できるようにすれば、団体で訪れたお客さんには仲間内で競わせることも可能です。団体割引なんかを用いれば、なお集客に繋がるかと」
これまでの人生で、ここまで喋ったことがあっただろうか。そう思えるくらいのカロリーを短時間で消費し、思いの丈を熱く語りまくった。
――その熱弁を聞いて、店主が何を感じどう思ったのか。智也には分からなかった。
なにせ彼はあれから一度も口を開かなかったのだ。腕組みしたままこちらをじっと見つめ、今もなお仁王立ちしている状態。
分かりやすく怒鳴られた方がマシだったかと、やはり出過ぎた真似だったのではないのかと、胸中で不安な思いが膨らんでいく。
結局、いたたまれなくなった智也がその場を後にするまで、店主は怖い顔をしたまま何も告げてはくれなかった。




