第八十六話 「在りし日の姿をそこに重ねて」
「千林秋希」
「は、はい!」
先生に呼ばれた千林が、緊張した面持ちで腰を上げた。
まさか自分が一番手だとは思いもしなかったのだろう。隣から小さな声援を受けつつ、ゆっくりと前に出ていく。
「んじゃ、改造した魔法の種類とその特徴……あとは作るにあたって感じたことを一言頼む」
「えっ……」
横合いからかけられた先生の言葉に、千林の横顔が強張り、智也の周りでざわめきが広がった。
――初級魔法のあらましを教わった智也たちは、魔法への理解をより深めるため、いま次の段階へと移行させられている。
これまで教わったものを基礎とするならば、改造というのはその応用技といったところだ。
既存の魔法式を組み換えることによって魔法の性質を変化させたり、全く別の形状に作り替えることができる――それが『改造魔法』最大の特徴であり、難儀なところでもあった。
「私が改造したのは攻撃魔法の十一番で、花火をイメージして作りました。作ってみて感じたのは……やっぱり、うまく形にするための調整が難しかったことかな」
「よし。じゃあ撃ってみせろ」
その指示に顎を引いて、千林が壁に向かって手のひらを向ける。
茶色の瞳をぎゅっと閉じて深呼吸し、開眼と共に言霊が唱えられて、
「Reve11【火弾/菊花火】!」
そこに顕現したのは、一見してなんの変哲もない火球だった。しかし、千林がそれを放った途端、型破りな動きを見せることになる。
「打ち上がった……!?」
「おぉ~!」
真っ直ぐ飛んでいったはずの火球が垂直に折れ曲がり、体育館の天井目掛けて打ち上がる。そうしてある程度の高さに達すると四散し、説明にあった通りの色合いを示したのだ。
見事なまでの改造に拍手が起こり、千林がそれに照れくさそうに笑っている。
より実用的なものをと考えていた智也とは真逆の方向性であったが、見せ物としては完璧な仕上がりだ。
それどころか、あれだけのものを成すには必然的に改造のいろはを理解していなければならないため、今回のテストの趣旨に適っているとも言えて。七霧と一緒に、智也は感嘆していた。
「自分の理想をうまく体現している。そこまでやれたら上出来だ。今度は……もっと難易度の高い魔法に挑戦してみてもいいかもな」
「ありがとうございます……!」
「次、神童隆」
深々とお辞儀して、軽い足取りで智也たちの方に帰ってくる千林。そこに待っていた清涼と手を合わせて、満面の笑みを浮かべている――その横から、いかにも自信ありげな顔で前に出たのは、整った顔面を崩した銀髪の不細工だ。
「俺が魅せるのは、摩訶不思議な魔法。その奇々怪々な現象を、とくとご覧あれ!」
「摩訶不思議なのはお前だけどな」
どうせ失敗するというのに何故わざわざ大風呂敷を広げるのか。そんなことを思いながら、智也は神童に白い目を向けた。
「Reve12【水風船――――】」
――手のひらに具現化する、水の泡。
それは良くも悪くも予想通りに肥大化してゆき、やがて身の丈を越えると破裂音を響かせ、盛大に飛散する。
どこかで見たような光景をそこに再見した智也たちは、揃って肩を落とした。
「こう言っちゃなんだけどさー、なんか神童って成長してなくない?? いっつも同じことしてるってゆーかさ」
「ぐさっ」
「いっかんして、諧謔を弄しているとも言えるかも」
「ぐさっ」
「あいつにはユーモアの欠片もないわよ。ただただ惨めなだけで」
「どすっ」
破裂した水の泡に弾かれ横たわっていた神童は、東道と栖戸、さらに水世のとどめの一言を受け、そのまま床に顔を沈めた。ほんの少し可哀想な気がしなくもなかったが、本人がさほど気に留めていないようだと察し、智也は視線を外した。
「虎城」
「あ、はい。俺は十三番で行きます。難しかったとこは、ん~形を変えただけだし特にないっすかね」
同じく、憐れむような眼差しを向けていた虎城。先生からの催促を受け、正面に視線を戻した彼は、沈黙を合図と受け取ってか勢いよく右手を突きだした。
「Reve13【風牙/裂】」
手中に生まれた薄緑色の光が刀身を象り、そこに剥き身の短刀が――いや、四十センチほどまでに伸びた脇差しが具現化する。
それを見た智也は、そういう改造の仕方もあるんだと、思わず膝を打った。
例えば火球に翼を生やすだとか、壁の形を変えて足場にするだとか、魔法の見た目を改造したものはいくつかあったが、刃の長さを変えるというのは盲点だった。
それが可能であるのなら――――、
「試しに振り回せるか?」
「できますよ」
先生の問いに事も無げに頷くと、虎城は右手のソレを逆手に持ち変え、手慣れた剣さばきを披露する。
どれだけ素早く振り回そうと刀身が崩れることはなく、ちゃんとその形を維持しているのは流石である。
「上出来だ。お前も次は難度の高い魔法か、或いは千林みたく複雑な改造をやってみるといいだろう」
「わかりました」
「んじゃ次、久世聖」
特に言葉を発することなく、スッと立ち上がった久世。すれ違った虎城を流し目で見て、投げかけられた応援の言葉に瞑目すると、
「使用する魔法は?」
「攻撃魔法の十七番と、二十六番で」
「出たよ。自分だけ二種類用意して、他との差を見せつけようってか? けっ! しっしっ!」
小さなざわめきを起こした久世の発言に、少し離れた位置で胡座をかいていた神童が、肘をつきながらそう野次を飛ばす。
いけ好かないという思いもあるだろうが、半分は自分だけ上手くいかなかった八つ当たりだろう。
「久世くんに当たるとかお門違いなんだけど」
「まぁまぁ~、神童くんも悔しいんだよ、きっと」
腕を組んで鼻息を荒くする神童に、千林が冷たい眼差しを注ぎ、清涼がそれに苦笑い。
どうすればこうも温かみのない視線ばかり集められるのか。ああはなりたくないなと、智也は心の中で思った。
「どっちから行く?」
「――前者からで」
しかし考えてみれば、偶発的ではあるだろうけれど、ここまで十一、十二、十三番と順当な流れが生まれていた。そこへいきなりぶっ飛んで二十番台後半のチョイスだ。偶然故に、久世も図らずしもといったところだろうが、なんとなく気にならないわけではない。
そもそも十七番の魔法に至っては、智也もまだ文面でしか見たことがないのだ。そう考えているとやがて自然に、久世に対して妬ましさが湧いてくる。
「これじゃアイツと一緒か」
嫉妬心に支配される一歩手前。成れの果てである銀髪を見つめ、智也は冷静さを保った。
「Reve17【球電/散り菊】」
と、初めて耳にする言霊に反射的に顔を上げれば、久世の両手の間に紫色に光る球体が形成されていた。
その球体がパチパチと音を立てて火花を散らし始め、久世がそれを前に放つと緩やかに飛びながら、しかし加速度的に電光が弾けて幻想的な光景をそこに見せる。
「ここは花火大会の会場か?」
火花が散ると共に少しずつ小さくなっていく球体。やがて視認できなくなって消えゆく――その散り際を見つめて、智也はボソッと呟いた。
電属性の魔法ゆえ、智也はそもそもの性質をまず知らないが、なんとなく何をどう改造したのかは検討がつく。
文面で読んだ限りでは、昨日の再試合にて用いた二十一番のあの魔法のように、一見した程度ではその真価が分からない部類のようだったから。
「なるほど、中々おもしれーな」
女子にはもちろんのこと、先生のお眼鏡にも適ったらしい。
澄まし顔の下、整った顔立ちが得意げにしているように見えた気がしたが、ただの嫉妬心から生じた幻視である。
「あー、もう一つあるんだっけか?」
「はい」
「ん……見せてもらおうか」
女子の黄色い声に加え、男子の――主に神童の醜いやっかみの声がしばらく喧騒を作っていたが、その空気がふと一変する。
果たして多くを語らない二人のやり取りに、どんな意図が含まれていたのだろうか。真剣な顔つきになった久世に、灰の眼が細められる。
「――Reve26【散らし風/灰龍】」
さっきと異なる久世の声色に、周りの空気がピリついた。独特の呼称によって具現化するは、龍を模した暴風だ。
元来、散らし風というのはとぐろを巻くように進行する風で対象を切り裂く魔法であるが、それを龍の尾に見立てたのだろう。
そして、久世の改造がただ『風姿』を変えるだけに終わるはずがなく、勢いよく打ち付けられたその暴風が、体育館の壁をくり貫いてしまうのではないかと思えるほどの風圧と衝撃を起こした。
「おー、とんでもねぇな」
智也たちが目をぱちくりとさせる中、先生が乾いた声で笑う。
それを成すのがどれだけ難しいのかはさておき、おそらく久世がやったのは多量の魔力を代償に、魔法の性能を底上げした形だろう。その豪快な改造方法はこれまでにも何度か見てきたが、今回は元になった魔法の破壊力が段違いだ。
これでもかと見せつけられる地力の差に、もうお腹いっぱいだと智也は肩を竦めた。
「次、国枝大樹」
「はい。って、おれあの後にやるの凄く嫌なんだけど……」
「国枝さんなら大丈夫っスよ!」
いつもと変わらない笑みを向ける七霧に、国枝が眉根を下げつつ立ち上がる。そのやり取りに、「そう言えば先生はどういう順番で呼んでいるのだろうか」と智也は顎に手を当てた。
いつも通り後ろからクラスメイトを眺め、既にお披露目を終えた面々を順に視界に入れる。そうして事の経緯を察した智也は、一人苦笑い。
「お前は何を改造する? 国枝」
「おれは、補助魔法に挑戦します。皆みたいに複雑なものはできなかったけど……でも、実用性を考えて、それで組み立てて見ました」
「見せてみろ」
緊張しているのか、固唾を呑んでいる国枝。
ゆっくりと腰を落とした彼は体育館の床に手を触れて――、
「Espoir13【隔壁/黒曜】……!」
迫り上がった岩壁の、その異様なまでの黒さに智也は目を見張った。
ただ色合いを変えただけ――なんて訳はないだろう。そう思いながら、準備時間の際に「おれは自分でやってみるよ」と断られた事を思いだして。
「なるほど、うまく調整できてるな。せっかくだ……強度測定してみるか。久世、さっきの撃ち込んでやってくれー」
「え!?」
思いがけない先生の提案に、国枝が声を上げて驚く。
さっきの、というのはあの龍を模した暴風のことだろう。その凄まじい破壊力を目の当たりした手前、何もアレをぶつけなくても……と、心配する声がちらほら。
懸命に作り上げたのに殺生だと、智也もそう思った。
「――――」
当然、先生の暴挙には久世も困惑しているようで。国枝の方をちらと見つつ、本当にいいのだろうかと確認しているようだった。
そうして再度先生から目配せがされて、久世が重い足取りで前に出る。その黒い壁を挟んで向かい側、国枝は硬い表情で佇んでいた。
「加減はいらないぞ」
「その権利は彼にあると思うんですが……」
そう呟いて嘆息しつつ、両の手を眼前の壁へと向ける久世。
一拍置いて、再びその手から暴風が生み出された。
✱✱✱✱✱✱✱
渦巻く風が龍の尾と顎門を象り、大口を開けて岩壁に喰らい付く。
硬い壁が削がれる音が響いて、あっという間に視界が土煙でいっぱいになる。
穿たれた中心部から、ボロボロと削れた岩が転がり落ちて。
視線の集まる先、暴風になぶられた跡が露になる。
――国枝の岩壁は、辛うじてその形状を保ったままそこに存在していた。
「凄い……あれを耐えるなんて」
「さすが国枝さんっス!」
驚きと称賛の声があがる中、国枝は気抜けしたように正面を見つめており、役目を終えたソレが瓦解して霧散していく。
それに久世が片目を瞑って、
「結果を。分かっていてやらせたんですか、僕に」
「……」
妙な空気だと、そう感じたのは智也だけじゃなかったはずだ。
久世の問いに、珍しく先生が何も言葉を返さない。
複雑な表情を浮かべる久世。釈然としないのも、無理はないだろう。確かに今のはただ食い物にされただけだと言えなくもない。
まずそもそも、強度測定なんてする必要があったのかどうか。智也も同じようにその人を見やるが、灰の眼の奥の感情までは窺い知れなかった。
「……わかりました。調整が甘かったのだと、そう解しておきます」
「久世くん……?」
諦めたように瞑目し、こちらに戻ってくる久世。それを清涼が気にかけていたが、先生の方は何事もなかったかのように次の生徒を呼んでいた。
先生らしくないなと、智也はそう思った。
「……すみません、うまく作れませんでした」
「国枝さん、おかえりっス」
「なんかおれ、悪いことしちゃったかな?」
「そんなことないっスよ。凄かったっス!」
と、浮かない顔をする国枝を七霧が宥めるその後ろで、呼ばれた七種がその場に立ち上がって頭を下げている 。
それに先生は後頭部をポリポリと掻いて、代わりに指名された栖戸が「は、はい!」と気合いの入った声で応じた。
「わたしは、十四番の魔法を改造しました! 魔法式についてはまだ十分に理解できていませんが、奥が深くて面白かったです!」
「十四番か。見せてみろ」
その指示に勢いよく頷いて、手のひらを突き出す栖戸。
そこに生まれたのは、一風変わった白い塊土だった。
「Reve14【土塊/雪達磨】!」
手のひらから放出された白い土の塊が、壁に当たって砕け散る。
「なるほど、『風姿』を変えたのか」
「そうです。どうですか……?」
「ん、よく出来てるぞ」
「やったぁ……!」
両手で握りこぶしを作り、満面に笑みを湛える栖戸。それからテクテクとこちらに歩み寄ってくると、智也に対して「感謝です」と呟いてペコリと頭を下げた。
「え、あぁ」
別に大それたことはしてないが、と口の中で呟きつつ、東道の隣にちょこんと座り込む後ろ姿を見やる。
「久世のときより随分と甘いよな、先生」
「そうっスか?」
「いやー、だって……」
改造の難易度で考えれば、誰が見たって久世の方が複雑なのは明白だ。それであれだけ反応が異なるのだから、甘口だと思わざるを得ない。
そんな風に思考していた智也の耳に、国枝の呟き声が届く。
「むしろ、久世くんにだけ厳しいんじゃないかな」
仲良し二人組と談話している様子を見つめる国枝。その発言を受け、智也は無意識に顎に手を当てた。
言われてみればと、思い当たる節がなくもない。ただそれは、久世が突出した才能を持っている故だとも考えられる。
その旨を七霧も口にしていたが、国枝はそれを飲み込もうとはしなかった。
「おれには分かるよ」
ただ一言、そう呟いた国枝の後ろ姿が、どことなく憂いを帯びているような気がして。
しかしその理由は、智也にはサッパリ分からなかった。




