第八十三話 「『宿敵』」
「準備は整ったか」
「――はい」
昼休憩を終え、第一体育館に戻ると、担任含めた全員がそこに揃っていた。智也が午前の授業だけでなく、昼の間もギリギリまで策を煮詰めていたからである。
意外だったのは藤間との再戦以前に、誰も智也が選抜されたことに対して異を唱えなかったことだ。
「じゃあ悪いが、二人以外は上で観戦しといてくれ」
その指示に従い、ぞろぞろと移動を始めるクラスメイト。
何人かがこちらを気にするような素振りを見せていたが、智也は突き刺すような視線に気を取られていて気付かなかった。
最良とは言えないかもしれないが、今できる最善の策を智也は練ってきたつもりだ。
本来なら巡り来るはずのなかった機会。ここで負けても悔いは残らない。
――無論、負けるつもりなど欠片もないが。
「……」
黒瞳に闘志を宿し、獰猛な眼差しに正面から立ち向かう。
心の傷が完全に癒えたわけではなく、勝てる確証があるわけでもない。
だが、人一倍強い想いだけは持ち合わせていた。
「黒霧さんファイトっスー!」
「と……智也くん頑張ってー!」
七霧に釣られるようにして、紫月と二人が声援をくれる。
もちろんそれは有難いことではあったが、何よりその応援を聞いた藤間が耳障りそうに苛立っていたのを見て、智也は好都合だと思った。
前回と今回とで明確に異なるその心境を、逆手に取るつもりだからだ。
「――。魔法の使用に制限はなし。先に有効打を二本取った者を勝者とする。いいな?」
「はい!」
ちらと藤間の方を一瞥したあと、ルールの確認がなされて。
それに智也は意気揚々と応え、藤間は虎視眈々と牙を研いでいた。
そうして先生が二人の顔を順に見て、絶対に負けられない戦いの火蓋が――いま、切られた。
「【隔壁】!」
合図と共に、藤間がその場で思い切り足を踏み込んだ。
唱えられた言霊は防御魔法のそれだが、何も及び腰になっているわけではない。
むしろ眼光鋭く射竦めるその眼差しは、殺気すら覚えるほどに敵意で満ち満ちている。
「うお……!?」
「【土塊】!」
いきなり岩壁が足元から迫り上がり、智也は体勢を崩してしまう。
そこへ土の塊が急襲し、直撃寸前に辛うじて床に転び落ちた。が、ふと顔を上げればそこには八つの玉が赤く煌めいており――、
「Espoir13【隔壁】!」
放物線を描いて飛来する火の玉から、智也は自分を守るようにして壁を生成した。
爆竹のように弾ける音を壁越しに聞き、安堵したのも束の間、今度はその壁が利用されて背後から物凄いスピードで別の岩壁が迫り来る。
以前に模擬戦でも見かけた、二十五番の応用技だ。
それを瞬時に理解し、足に集めた魔力で脚力を強化させ、予備動作なしに飛び上がる。
「Espoir3【強歩】」
人の限界を軽々と越えさせる魔の力は、簡単に智也の体を数メートル上の高さへ。
眼下でぶつかり合った壁が衝撃に崩壊し、それに藤間が舌を鳴らした。
「ちょこまかと、うぜぇんだよ!」
「――あの大きさならいけるか」
藤間の手のひらに具現化した火球を見て、智也も右手に魔力を纏わせる。
そうして飛来する火球に対し智也は腕を振って、
「Reve21【水払い】」
振り払った魔力が飛沫を上げ、迫る火球を消火させる。
取り留めのない、ただの水遊びのような魔法だ。
実際、他の水属性の魔法と比較しても、十二番や二十番のような攻撃性がソレにはない。
だからこそ授業では後回しにされ、これまで好んで使用する者も見受けられなかったのだろう。
どちらかと言えば攻撃よりも補助向きのように思われるその魔法を、何故智也はあえて用いたのか。その理由の一つが、唯一限りなく氷点に近い冷水だったからである。
火を消すにはいくつか手段があるが、単純に発火点以下にするのに冷水の方が効率がいいことを智也は知っていた。
といってもその特性は『魔導書』にも記載されておらず、独自に見つけたものである。
自ら浴びてみなければ気付くことのできないものにどうして思い至ったのかは――、
「ハッ、こっちの魔力切れを狙おうって魂胆か? そうでもしなきゃ、テメェは俺に勝てねぇもんなぁ!」
「一度負けたんだ、毛先ほどとはいえ敬意はある。俺の魔力量じゃそのための時間稼ぎすら碌にできないことも……理解してるさ」
「だったら大人しく、くたばりやがれ!」
手をついて着地し、そこにある自分の影に視線を落とす智也。
そこへ怒声と共に撃ち込まれた土の塊を軽く横に飛んで躱して、
「――Reve13【風牙】」
右足を下げ、腕を背中に回して前傾姿勢を取り、具現化させた風の刃を握って思い切り前に飛ぶ。
相手の魔力切れを狙いつつ、隙があればカウンターを打つ。それが魔力量の少ない智也にとって最も効率的であり、最もリスクの少ない戦い方なのだ。
ただしそれは、その戦法が通用する相手ならばという条件付きだが。
「読めてんだよ!」
得物を構えて飛び掛かった智也を、藤間は持ち前の反射神経で難なく対処してくる。
身を屈めた藤間の頭上で刃が空を切れば、加速する視界に突として岩壁が現れて。
それが藤間の仕業だと、このままぶつかれば怯んだ瞬間に敗北すると瞬時に悟ることはできても、本来あるはずのない場所に現れた壁に智也の脳は処理が追い付かない。
そのとき、智也は自分でも分からないくらい無意識に体を動かしていた。
眼前に生えた壁を蹴り上がり、後方宙返りすることで衝突を免れたのだ。
そして、飛び跳ねた智也の真下で藤間が振り向きざまに火球を放っており、そこにいるはずだった智也の代わりに岩壁が燃え上がる。
「……!?」
標的を見失い目を見開く藤間。
その頭上を奇跡的に飛び越えた智也の視界には、いま、無防備に晒された背中がある。
またとない好機だ。
そう感じる暇もないくらい即座に、智也は無我夢中で得物を振るっていた。
「――――」
「――――」
風の刃が急激な変化に耐え切れず、薄緑色の刀身が崩れ去る。
曲がりなりに具現化できていたものの、あくまで智也に為せるのはそこまでなのだ。
文字通り曲がり形になったソレが、細かな粒子となって智也の眼前であえなく消えてゆく。
その様を見た藤間が皮肉な笑みを浮かべて、繰り出された回し蹴りによって腕が払われる。
そうしてがら空きになった腹部へと、今度は藤間の魔法が撃ち込まれて、
「Reve21【水払い】……!」
間一髪、智也は左手に纏わせた魔力を振り払い、迫る火球を水泡に帰した。
「ちっ」
舌打ちを飛ばし、後ろに飛び退いた藤間をじっと見つめる智也。顔に出さないようにしても、その感情は右の拳に現れている。
――あと少し、ほんの少しの力があればその牙は届いていたのだから。
「――――」
細く長い息を吐いて体の緊張をほぐす。
白くなるまで握り締めていた拳をすっと緩め、追いやられていた血が通ってくる感覚をそこに得ながら気持ちを切り替える。
次の手を考えているからか藤間に動く気配は感じられない。ならばと智也もあえてその場を動かず、警戒しながら思考を巡らせた。
現時点で藤間は九回ほど魔法を用いており、その全てが火と土属性で構成されている。
前回の模擬戦ではてっきりそのどちらかに適性があるのだと踏んでいたが、朝練での先輩の話を思い返してみると、今は第三の可能性が頭に浮かぶ。
そのときの会話で智也は『適応値』という単語をゲームに倣って用いており、或いはそれは無属性である自分たち以外の者にも通ずる話ではないのかと、そんな疑問をぶつけていた。
もしもその仮説通りに属性への適応力に個人差があり、一定値以上の適応力があるものを適性持ちと呼称するのであれば、五つの属性全てでなくとも、複数の属性に基準値以上の適応力を持つ存在――いわゆる属性の『二つ持ち』や『三つ持ち』なんていう稀有な資質を持った者がいてもおかしくはないはずだ。
要するに智也は、藤間が火と土属性のそのどちらにも適性を持っているのではないかと睨んでいた。
そうなってくると、今のペースで試合を続けてもなおさら魔力切れには至らないだろう。それどころか、藤間の攻撃を凌いでいるだけで智也の方が枯れてしまう。
当然、藤間に告げた通りそんなことは始める前から分かり切っていたことであり、智也にとってそれは「あくまで狙えるのであればそれに越したことはない」という程度の認識である。
「なに企んでやがるのか知らねぇが、どんな小細工を仕掛けようと実力差は覆らねぇぞ」
眉をひそめ、向けられた険しい表情に思わず圧倒されてしまう。
その眼差しは、己に絶対的な自信があるからこそのものである。だからこそ智也は続く言葉に違和を感じ、それが不思議に思えてならなかった。
「例え魔力を節約しようとテメェの底は知れてる。その程度の魔力量で、何ができるっていうんだ!? どのみちコイツを止められねぇ以上テメェに勝ち目はない。――そうだ、勝負は始まる前から決まってんだよ!」
藤間の足元から円状に光が漏れだして、その光が描かれた六芒星を辿る。
手を休めていた間に仕込んでいたのだろう。もう何度か目にしたことのある、召喚用の魔法陣がそこに完成した。
そして、身震いするほど恐れていたその名を耳にすれば、やがて絶望の化身が再来する。
「――Reve47【大佗羅】!」
言霊を唱えて、藤間が後ろに飛び退く。
直後、魔法陣から光と共に現れたのは、天井近くまで伸びる大きな大きな腕の形をした巨岩だった。
館内が狭く感じるほどの存在感と威圧感。そして、一度打ちのめされた際の傷がうずいて足がすくみそうになる。
無意識に呼び起こされる数日前の記憶。それに智也はかぶりを振ってから、その異形の存在をしかと黒瞳に映した。
「Espoir13【隔壁】!」
「ナメんじゃねぇ! その程度の防御魔法なんざ紙切れ同然なんだよ!」
自分との間を岩壁で隔てようとする智也に、藤間がそう吼えて。
あまりに大きすぎる拳が容赦なく真上から振り下ろされた。
――初級魔法の中で随一の強度を誇る土属性のソレが、一瞬にしてひしゃげて粉塵が舞い上がる。
その圧倒的すぎる力を前に、智也はただただひれ伏すことしかできなかった。
はずだった。
「な……なんで立ってやがる!?」
視界が晴れ、押し潰したはずの場所で直立している智也の姿に、藤間が目を剥いた。
「ちっ、だったらこれならどうだ!」
横薙ぎに振るわれた腕に連動するかのように、今度はその巨腕が右から迫る。
ともすれば、体育館ごとぶち抜いてしまうのではないかと思うほどの風圧を伴いながら、人体よりも大きな手のひらがそこを横切った。
まるで列車でも走ったかのように風が巻き起こり、建物全体が大きく揺れて、上で観戦していたクラスメイトから悲鳴が上がる。
そして、またしても巨腕が過ぎた跡に当然の如く立っている智也を見て、初めて藤間の表情に焦りが現れた。
「……冗談じゃねぇ。なんでこんな雑魚ランクごときに……ありえねぇ、ありえねぇだろうが!」
「【残陽】」
真っ直ぐ突き出された拳が智也を捉える寸前、足元の影がぼこぼこと沸き立ち泥のようにその身を呑み込んだ。
標的を打ち損じた拳はそのまま背後の壁に衝突すると、地響きを立てながら崩れゆく――――。
✱✱✱✱✱✱✱
「今のでねたは割れたか……」
なにも見えない、なにも聞こえない空間に身を投じた智也は、そう独りごちながら黒一色の空を見上げた。
例え種が知られたとしても、今ので確実に揺さぶりをかけられたはず。
格下の、それも直接対決で降した相手が自分を差し置いて選抜されたというだけで、藤間にはかなりのフラストレーションが溜まっていたはずなのだ。
そしてその格下の雑魚に、あろうことか自分の攻撃がことごとく捌かれているのだから尚のこと。
たった一度の敗北で絶望の淵に沈み、へこたれていたような小者だったはずなのに。
格の違い知って匙を投るような弱者だったはずなのにと、そう思っていることだろう。
どんなに強い相手でも、その真価を発揮するための条件が整っていなければ意味をなさない。
「いまのあいつなら、絶対に付け入る隙が生まれるはずだ」
そう確信して意気込んだとき、智也は急に息苦しさを覚えた。
「――――」
バラバラに崩壊した岩石の傍ら、片膝立ちの体勢で表に出た智也は、よろめきそうになったのを誤魔化しつつゆっくりと立ち上がった。
周りに散らばった岩石が光の粒子となって霧散してゆき、前方にあった魔法陣もいつしか消滅している。
その状況から、何らかの要因によってあの巨腕が維持できなくなったのだと知れて。そうして頭を働かせるふりをしながら、智也は気取られぬよう必死に肺に酸素を送っていた。
短時間の間に何度も影に潜ったのは当然初めてで、その度に潜伏できる時間が縮まっているのをいま体感したところである。
そしておそらく、
「次は潜れない……」
しばらくインターバルを取らないと、それが不可能であろうことを感じ取っていた。
幸い今ので召喚魔法は消えており、二回目が来るとしてもそれまでには復調できるはずだ。
そもそも、せっかく動揺を誘ったのだからこれ以上後手に回る必要はなく――――、
「――影に潜る。それがテメェの『魔武器』ってことか。気に喰わねぇが、腹積もりは同じだったワケだ」
もう冷静さを取り戻したのか、今のを分析した藤間が黄土色の瞳をギラりと光らせた。
それに智也が言葉を返せないのは、手の内を悟られて焦っているからではなく、喋る余裕がないからだ。
「妙に芝居がかった態度をしたのもそのせいかよ」
「…………」
「返す言葉もないか……それとも、喋る余裕がないのか? 隠してるつもりみてぇだが、息が上がってるぞ」
「だったら……どうした」
「大方、慣れない力を下手に多用したツケが回ったんだろ。つまり今のお前は、しばらく影には潜れない――そうだろ」
見事に全てを見透かされ、智也の頬を一筋の汗が伝う。
あのまま冷静さを欠いて感情の赴くままに動いてくれればよかったものを、目の前の男はそうはならなかった。
やはり一筋縄ではいかないと思いながら、智也は顔をしかめる。
「結局自分の力じゃなにもできねぇってことだろうが。雑魚はどこまでいっても、雑魚のままなんだよ!」
そう叫んで、勢いよく手のひらを床に叩きつけた藤間に智也は前傾姿勢をとり、
「Espoir3――」
「無駄だ。Reve47【大佗羅】!!」
「――!?」
ありえない。陣も描かずに召喚を行うなんて。
唯一といっていいその欠点がなくなってしまったら、いったい智也はどう対処すればいいのか。
そう思ったとき――藤間の指が赤く光り、今まさに消滅したばかりの魔法陣がそこに再展開される。
そしてその魔法陣から地響きを立てながらデカブツが聳え立ち、またしても智也の前に立ちはだかった。
まだ『魔武器』は使えない。
他に対する手立ても持ち合わせていない。
そもそも、影に隠れてやり過ごしていただけであって、なにも智也は優位に立っていたわけではない。
相手の意表を突き、動揺を誘い、その隙を衝く。
その過程がどうであれ、最後に立っていた方が勝者なのだ。だから智也は勝つための手段を選ばなかった。
――そんな自分の考えを、どこかで疑問視しているもう一人の自分がいた。
果たして、それで勝てたとして胸を張れるのかと。
そんな気構えで、本当にあの人に近付けるのかと。
結局自分の力じゃなにもできない。
確かに、藤間に言われたその通りであった。
「Reve29……【相縁気炎】!」
腹の底から沸き上がってくる熱が、激情が、炎となって具現化した。
「ちっ、そのムカつく面をすんじゃねぇって言ったはずだ!」
迫り来る巨腕に炎がぶつかり、その勢いを殺そうと燃焼する。
前半で魔力の消耗を抑えていた分、ある程度の改良を加えて挑んだつもりだったが、それでも既に押され始めている。
気持ちの強さで実力をまかなえるのだとしたら、前回だって智也が勝っていたはずなのだ。そうならなかったのは、それで埋められないだけの溝があるから。
当然、そんな相手に同じ戦法をとっていては敵うわけもなく、
「くたばりやがれ!!」
押し迫る巨腕に眼前の炎が跡形もなく弾け飛んで。
暴風を纏った拳にさらわれた智也は、そのまま後方の壁に叩きつけられた。
意識が飛び、全身に走った痛みも先生の声も、何もかもが遠退いて深い闇に吸われてゆく。
結局、智也は怯えていたのだ。
その感情を、自分を騙して向き合っているようにみえて、やっていたのはただの逃走劇に過ぎない。
だから影の中に身を潜めたのだ。あの巨腕と対峙するのが恐ろしかったから。
自分の力じゃどうにもできない存在を前に、尻尾を巻いて逃げていたようなものである。
このままじゃ終われない。
終わるわけにはいかない。
「か……げほっ、ぁ……」
失った酸素を灰に取り込んで、荒い呼吸をする。
そうして正面に目を向けると、藤間が眉間に皺を寄せて睨み返してきた。
――何のためにチャンスをもらったんだ。
逃げてばかりいては、なんの進歩も成果も得られない。
もう三度も目にしたんだ。考えろ、あの魔法の攻略方法を。それがお前の特技じゃなかったのか。
そう心の中で自分を叱咤して、智也は必死に頭を回した。
「そのまま気絶してりゃ痛い目を見ずに済んだのによ。哀れな野郎だぜ」
ボロボロになった智也に蔑むような眼差しを向け、藤間がそう吐き捨てる。
そして、あの時と同じようにまるでゴミを払いのけるかの如く腕が振られて――智也は、一か八か迫る手のひらに向かって駆けだした。
「馬鹿が、死にてぇのか!」
右方から風を切って接近する五指をあえて正面に捉え、全力で脚を回してひた走る。
自分の体より大きな指の腹が目睫の間までに迫り、足から滑り込んだ智也の頭上すれすれを振り抜いていって顔面が暴風になぶられた。
「い゛……!?」
「抜けた!? だが甘ぇ!」
生きた心地がしなかったと、床を滑りながら息を詰まらせる智也。一瞬忘れた呼吸を再開しようと一息ついたところへ、今度は裏拳が返ってくる。
むくりと身を起こし、肩で息をしながら背中越しに目を向ける――そんな隙だらけの背中を打ち飛ばさんと迫った拳が、何故か数歩手前で急停止する。
凄まじい衝撃と圧迫感を背に受けた智也の、その黒瞳がわずかに煌めいた。
「やっぱりそうだ。例え外皮がどんな素材で形成されていようと、腕の形をしている以上、可動域に限界はある」
関節の動きに倣って稼働していたこれまでの記憶から、智也はそう推測したのだ。と言っても確証など一切あらず、本当に伸るか反るかの大勝負であった。
万が一それを見誤っていたら、今ごろ床のシミになっていただろう。
「悪いな。お前の切り札は、もう俺には通用しない」
「粋がってんじゃねぇぞ雑魚ランク……。たった一度躱したぐれぇで、その程度で知ったかぶってんじゃねぇッ!!」
激昂しながら右手を翳す藤間。
詠唱と共にそこに具現化したのは、万物を焼き尽くす紅炎だ。それに対し智也は姿勢を低くして、両の手を柄杓のように構えた。
直後、両手で掬ったとは思えないほどの水が波立ち、紅蓮の火球を塞き止めんとする。
大量の冷水が炎を冷却し、さらに水が蒸発することで起きた気化熱で、あっという間に目の前の景色が紅から白へと成り代わる。
それに黄土色の瞳が訝しげに細められたのは、視界の悪さだけが原因ではないだろう。
そして、智也が狙ってこの状況を作り出したのだとすれば、そこで何かを仕掛けてくると推測することは難しくない。
突如、白い霧を裂いて飛び出してきたのは土の塊だ。
それを対処せんと足に集めた魔力を使用するのに少し躊躇ったのは、覆轍を踏むのを避けるためか。
「かく……【突兀】!」
中途で言霊を変え、後ろに飛び退きながら藤間が腕を振る。
と、寸前までいた足元から尖った岩が突きだして、見事に土の塊を粉砕してみせた。
その瞬間、何かが高速で藤間の側を横切り、背後の壁を蹴って飛び掛かった。
岩のとげが自然と砕け、白い霧が晴れ、向かいにいたはずの智也の姿は――、
「俺の勝ちだ!」
藤間の背後で風の刃を構えて飛んでいた。
キラリと、またしても赤い光が放たれて。
藤間の指が――いや、そこに嵌められている黒い指輪が輝いていた。
「Espoir19【縛り火】」
そしてその言霊を耳に拾ったとき、智也の腕が、体が、具現化した鎖に縛られ宙吊りになっていた。
握りしめていたはずの風の刃が智也の手から抜け落ちて、砂のように消えていく――。
「だから言っただろ、テメェと俺とじゃ格が違うってな」
「お前こそ聞いてなかったのか? 俺の勝ちだよ」
「なに訳のわからねぇ世迷い言を――」
改良することによって割れやすいという欠点が補われた水球は、より弾性力を増して跳ね返るようになる。
そしてその水球に強化した脚力で上から圧力をかければ、文字通り天を衝くほどの勢いが得られるのだ。
そうして与えられた運動エネルギーを使い、体育館の天井を押し返した水球は、次第にメッキが剥がれ落ちて――――、
智也に意識を向けていた藤間の頭に着弾、破裂し、盛大に水しぶきを上げた。
「な……」
ずぶ濡れになった藤間が黄土色の瞳をこれでもかというくらい見開いて、怒りのあまり戦慄いている。
「ふざけんじゃねぇ……俺が、こんな雑魚相手に……こんな……」
その顔は、いままで見たどの威圧的な眼差しよりも恐ろしく。
怒りに我を忘れたその姿は、隙だらけであった。
「ありえねぇ……俺が、俺が負けるわけねぇだろうが!!」
右手に具現化した火球が、宙吊りの智也へと放たれた。
その一撃が身を焼くより早く影が智也を呑み込む。
そうして自分を縛り付けていた鎖から解き放たれた智也は、風の刃を構え、一歩踏み込んだ。
――仕方ないだろ! どう足掻いたって勝てない奴には勝てないんだよ。
――次元が違い過ぎた。勝てるわけがなかったんだ。
そのとき、いつか発した自分の言葉が耳に甦ったような気がして。
パキンと、手中の得物がひび割れた。
そう、細かな粒子となって散ったのではなく、刃が欠けたのだ。
つまりそれこそが【風牙】という魔法の本質であり、接触した、ということの証左に他ならない。
「一本、勝負あり!」
ずっと待ち望んでいたその瞬間が訪れて。
その喜びを、その達成感を、その激情を堪えきれず、智也はありったけの声で叫んだ。
「っしゃあああぁぁぁ!!」




