第八十一話「鏡の中の秘密」
「先生、ありがとうございました」
「なんでお前が礼を言うんだよ、神城」
「塞ぎ込んでいた私を気遣ってくれたのですよね。それで気晴らしにと呼んでくれたんじゃないですか?」
体育館の中央、薄桃色の球体に全体重を預けてうつ伏せに寝ている少年がいる。その黒い頭を横目に見ながら、神城が不意にそう呟いた。
「俺はただ、困ってる生徒のために助っ人を呼んだだけだ」
「……そうでしたか」
あくまで他意はないと言い切る先生に、神城は力なく口元を綻ばせて。何か思い馳せるように遠くを見つめてから、再び口火を切った。
「……私も、そろそろ任務に戻ろうかと思います。他のクラスメイトや先輩方が戦っている横で、いつまでも寝込んでいれませんから」
「せっかくだ、もう少し体をいたわってもいいんだぞ」
「ふふ。相変わらず甘いですね、降魔先生は。彼が起きたら『礼には及ばない』と、そう伝えてくれますか?」
「あぁ……」
覇気のない男に一礼し、静かにその場を離れゆく。
それから少しして、気の抜けた音が体育館に響くと、うつ伏せに寝ていた智也の顔が床に落ちた。
「あぶっ」
鼻面を押さえながら、腹の下で潰れる『魔導具』を右手に身を起こす。
どうやら熟睡していたらしいと気付いた智也は、いつの間にかいなくなっている先輩の姿を探し、
「すいません、普通に寝てました。先輩はどこにいったんですか?」
「ん、あぁ……やることがあるから帰ったよ」
「そうなんですか……まだお礼言ってなかったのにな」
「礼には及ばない、だとさ」
わざわざ自分のために赴いていただいたのだ、礼の一つくらい言いたかったと、智也は眉尻を下げる。
それこそ他の先輩は影も見たことがないことから、それとなく多忙であることが察せられる。そんななか時間を割いてくれたと考えれば、なおさら悔やまれた。
「――そういや黒霧、お前『魔武器』はどうした?」
突として投げ掛けられたその問いに、智也は顔をこわばらせる。と同時に、やはり先生にはバレていたのだと知って急激に恥ずかしくなった。
思えば、カルテを預けたときから知られていた可能性もあったか。
「あー、それが……なんか『魔石』に嫌われたみたいです」
「なんだそりゃ。作れなかったのか?」
「はい……」
その反応から察するに、魔武器生成に失敗するというのはよほど異例なのだろう。異邦人であるという事を鑑みれば、さもありなんといったところだが。
「そんな話、聞いたことねぇな」
「やっぱりそうですよね。みんな当たり前のようにやってたのに……」
「そっちじゃなくて、『魔石』に嫌われるなんて聞いたことがないって言ったんだ」
「……? でも意味合いは同じですよね」
妙に不審がる先生の仕草とその表情に、智也は気後れしながらそう問い返すも、「いや」とキッパリ否定の言葉が放たれる。
「そもそも生成できないことは珍しくないんだよ。なんせ誰でも二度目は拒絶されるからな……説明で聞いたろ?」
「あぁ……はい」
「鬼のやつはなんて言ってた?」
「たしか、既に持ってるんじゃないかって」
智也がそう答えると、先生は再び難しい顔をして考え込んでしまう。
そうして何かぶつぶつと言葉を漏らしながら灰の眼が細められた後、
「それらしい物は持ってないのか?」
「ないですね……」
「……」
三度目の沈黙が重くのしかかり、思わず視線を落とす智也。
もはや目の前の男に分からないのであれば、この先謎が解けることは一生ないのだろうと、足許を見つめながらそう考えて。
「……まさかとは思うが、『変異型』か?」
「なんですが? その変異型って」
「今度授業でも話す予定だったが……『魔武器』には大きく分けて二つの種類が存在するんだよ。一つはお前も見たことのある、『武装型』だ」
その名から、昨日の授業で見かけた七霧たちの得物を指しているのだと察せられる。
七支刀や大盾を身に付けて戦うから武装と、そう呼称されているのだろう。
それでいえば、先の物々しい名称はまるで――――、
「察しの通り、『変異型』ってのは体の一部が『魔武器』に変異したものを指して呼ぶことになる」
「体の一部……!?」
物々しさどころか、想像しただけで無意識に顔が歪むほどの痛々しさがある。
とはいえ、智也は自分の体に異常を感じたことなどないのだが、
「あー、変異つっても腕が機関銃とかになるわけじゃないから大丈夫だぞ。例えば……肉眼で見えないものが見通せるようになったりとか、常人には聞き取れない声を拾ったりとか、そういう特異性を得ることを言うんだ」
「そうなると、『武装型』より『変異型』の方がお得じゃないですか?」
「そういうわけでもねーんだなこれが」
「もしかして……その特殊な性質が『魔武器』そのものに備わっている、とかですか」
「おー、大正解だ」
弱々しい拍手を受けながら、どんな能力があるのだろうかと昨日見たものを脳裏に浮かべる。
使用者によって形を変えるという性質も魅力的だったが、智也的には『特殊な能力を宿した武器』に最大級の魅力を感じていた。
「体なら、どこでも有り得るんすか?」
心の片隅では『武装型』に憧れを抱いていたものの、作れなかったものは致し方ない。それに『変異型』であるならば、何らかの力が智也の肉体にも備わっているのだから。
腕や背中や脚を触りつつ、そう尋ねる智也に先生が腕組みしながら首肯する。
或いは鼻か、喉か、もっと別の場所かと思考して、
「ちょっと待て」
何事か、急に纏う空気を変えた先生に智也は動揺を禁じ得ない。
問いを投げても天井を見つめて険しい表情を浮かべるだけで、まるで意図が読めず。
ただ訳も分からぬまま、指示された通りに動いて体育館に暗幕を張った。
「照明も消すぞ」
「いや、ていうか、一体何をするつもりで」
言い切る前に複数ある照明の全てから明かりが消え、あっという間に第一体育館は闇に包まれた。
何が何だかさっぱりだと思いながら、先生がいた方角に顔を向ける智也。うっすらと見えるその人影を視界に捉えたとき、闇に覆われた世界にぽつりと光が浮かび上がった。
「Espoir1【灯】」
眩い光に思わず顔を背ける。それを気遣ってか、先生は指先のソレを頭上へと解き放った。
暗い世界を照らす幽けき光は、まるで月のように淡く、しかし力強く輝いている。
「やっぱりそうだったか」
「あの……?」
「自分の足許、よく見てみな」
一人だけ得心するような素振りを見せる先生に智也が眉を寄せると、そんな風に促される。
内心で首を捻りつつ視線を落とすが、そこにあるのは長くも短くもない脚と、専用の黒い上履き。あとは月に照らされてくっきりとした、自分の影くらいである。
それらを見て、特筆すべきことはないと智也はそう思った。
同じように白日の下に晒された、先生の影と見比べるまでは。
「あれ、なんか薄い……?」
「お前のが濃すぎるんだよ。あれだけの光源がある中、どうりでハッキリ影が見えるわけだ」
わざわざ暗幕を張り、光源を一つに絞ったのはこれを確認するためだったのか。
日頃から意識して見たことはなかったが、それでも智也本人が気付かないくらいの微差だったはず。そこに着眼し、或いはと思考を巡らせた先生の洞察力に、智也は今一度感服した。
同時に、それが何を意味するのか考えて、鼓動が早まる。
「じゃ、じゃあこの影が、自分の『魔武器』ってことですか……?」
「おそらくな。……何か感じるものはないか?」
「うーん?」
感じるもの。と言われても、これまでと変わった点は何もない。強いて言うなれば、自分にはないと思っていたものが見つかり、少し浮かれ気分になっていることくらいか。
と、何となしに自分の影に触れてみようとしたときだった。
智也の右手が体育館の床をすり抜け、手首から先が視界から消えてしまう。――正確には、そこにある影に呑まれたというべきか。
動揺、当惑、恐怖、自失と、一瞬の内に様々な感情が駆け巡り、体勢を崩した智也はそのまま肩から落ちていく。
「黒霧……!!」
切羽詰まった表情で腕を伸ばした先生が、智也の左手を辛うじて掴んだ。
しかし、底のない沼に沈むように智也の体は見る見る呑まれていき、抵抗虚しく影の中へ。
そのまま灰の眼の男も飲み込まれるかと思いきや、何らかの意思に拒絶されたように、伸ばしたその手は遮られた。
✱✱✱✱✱✱✱
――真っ暗だ。
音も無く、形も無い黒一辺倒の景色。
どこまでも、どこまでも広がるその闇の中で、智也は自分の体が沈んでいく感覚を得ていた。
何も見えない、何も存在し得ない場所で一人、ただひたすらに落ちていく。
だが不思議と、その世界の空気は肌に馴染むようだった。とても初めて来た場所とは思えないくらいには。
どれだけ漂流していただろうか。
無限に感じる時の中、智也は淡く光る小さな光を見つけた。それも、どこか見覚えがあるようだと思いながら。
――こちらに気付いた光が、まるではしゃぎ回る子供のように大きく揺れ、近付いてくる。
その丸まった輪郭が膨らみ、手足が伸びて人の形へ。
そうして現れたのは、闇に映える金の髪を持つあの少女だった。
「やっと来てくれましたね」
「……何してるんだ、こんなところで。ていうかここはどこだ?」
「私の隠れ家です」
腰に手を当てて得意げな顔をする少女の頭に、智也は無言で手刀を落とした。
「あいたっ、なにするんですか!」
「夢ではないか……」
「その確認のため!? そんな簡単に女の子に手を上げるなんて、将来が不安です!」
誰のだよ、と少女の言葉に心の中でつっこみつつ、智也は辺りを見回す。
相変わらず、黒一辺倒の代わり映えしない景色が広がるばかりだ。
「と、そうだ。たしか俺は自分の影に飲み込まれたんじゃ……」
「そうですよ」
「じゃあなんでここにお前がいるんだよ」
「だから、私の隠れ家だからです」
頭の上にたんこぶを二つ作った少女を横目に、智也はその場で腕を振ってみる。が、特に何か感触があるわけでもなく、壁がある気配もない。
「これ、出られるのか?」
「……念じれば出来ますよ。でも力の使い方を知らない今の貴方では、無理かもしれませんね」
その物言いに智也は顔をしかめた。単純に彼女の発言を訝しんだというのもあったが、智也の知らない知識を有し、こちらの手綱を取ろうとするいつものやり口に嫌悪したからだ。
「そんな仇を見るような目で見ないでください。私は貴方の味方なんですから」
「どうだかな……」
「むぅ、わからず屋ですね」
「だったら、手早くここから出る方法を教えてくれ。大事な人を待たせてるし、心配をかけたくない」
智也がそう急かすと、少女は頬を膨らませて「私との時間とどっちが大事なんですか」と拗ねてくる。それに「比べるまでもなく先生だよ」と即答すると、更に憤慨していた。
「ふん。好きなだけそこにいればいいんですよ!」
「あ、おい待て! まだ何も聞いてな」
と、闇の中を器用に泳いで遠ざかってゆく。
一人取り残された智也はため息を溢し、頭を掻いて、一か八か念じてみることに。
「――やっぱだめか。どれだけ念じても何も起こらない」
もしかしたら瞼を開けたとき、目の前に灰の眼の男が立っているのではないかと淡い希望を抱いたが、そこにあるのは変わらぬ黒い世界だった。もはや瞼を開けようが閉じようが、見える景色は変わらない。
「確かなのは影に落ちたこと、か……」
そう考えながら上方と思わしき方角に顔を向けるが、明確な出口があるわけでもなく、それこそ影の中から体育館の様子が見えるわけでもなさそうだ。
或いは、水面に近付けばそれも可能なのだろうか。
ひとまず念じて抜け出すことができないのであればと、次いで水面を目指してみることに。
しかしこれが、思うように進めない。暗い闇の中、手足をバタつかせると体がその場で回転してしまうのだ。
まるで無重力空間にいるかのような慣れない感覚に、智也は混乱を極めた。
✱✱✱✱✱✱✱
「どうですか? 自分の影の中を泳ぐ心地は」
「これが泳いでるように見えるか?」
「そうですね、かなり珍妙な光景だとお見受けいたします」
緩やかに宙返する智也の側を、肘枕した体勢で金髪少女が横切った。その顔面の、なんと憎たらしいことか。
私のことをおざなりにするからそうなるんですよと、空耳まで聞こえてくるようである。
「影の中の移動方法……知りたいですか? 知りたいですよね? 知りたくないわけないですよね~?」
「俺が悪かったから、その腹の立つ顔をやめろ。そしてつつくな」
「全く、最初からそうやって素直に言えばいいのに」
満更でもなさそうな面でそう呟く少女に、その気はなかったものの、内心で「ちょろいな」と智也はそう思った。
「――影は心を映す鏡です。貴方が暗闇を恐れれば、影もまた貴方から遠ざかる」
「どういう意味だよそれ」
「言葉通りの意味ですよ。ここは影の世界であると同時に、貴方の世界でもあるんですから」
どうやらそれ以上語るつもりはないようで、少女はそこで口を閉ざした。
教えると言っておきながら心底不親切だと思いつつ、智也はその意味を読み取ろうと必死に頭を回す。
――貴方が暗闇を恐れれば、影もまた貴方から遠ざかる。
つまりこの世界で思うように動けないのは、心のどこかにある恐怖心が原因だということだ。
確かに影に呑まれる瞬間、智也は頭から血の気が引いたのを覚えている。
「要は恐怖心を失くせということか……」
と言ったものの、そう簡単にできるものではない。
まずは自分が何を恐れているのか、その原因を突き止める必要がある。
一つは、間違いなく平時と異なる事象を目の当たりにし、今もなお無理解な空間に身を置いていることだろう。
だがそれは、先の偽妹の発言から無用の心配だと知れた。
――ここが影の世界であると同時に、智也の世界でもあるというのだから。
身に余る領地はいらない。脳裏に描くのは、わずか六帖ほどの空間のみ。
余計なものもいらない。ただそこにあるのはお気に入りの長椅子だけ。
目を瞑ったまま、具現化した背もたれに頭を預ける。そうしていれば体の自由が利かないという恐怖も、自然と薄れていった。
ゆっくり瞼を開ける。
開けた視界に映ったのは、瞠目する少女の姿だった。
「お見事です、智也様」
「あれ? できたのか?」
自分の世界であるならばと、思い付きで自室を想像してみた智也。それが功を奏したのか、不思議と恐怖心はなくなっていた。
「まさかこんなにも早く順応できるなんて思いませんでした」
智也自信も、少し拍子抜けだったと心の中で相槌を打つ。
ひょっとすれば、どことなく感じていた馴染み深さがあったからだろうか。或いは――――、
「大事な人が待っているんですよね。私のことなんてほったからしにして、さっさと戻るといいですよ。ふん」
「……? ありがとな」
何をそんなに怒っているのか。首を傾げつつ、智也はもう一度瞼を閉じた。
「いま……なんて言いました? 聞こえなかったのでもう一度お願いします。ねぇ、いまなんて言って――」
意識の外、なにやら騒いでいる少女を捨て置いて、智也は元いた場所を脳裏に描く。
騒がしい声が徐々に遠ざかっていく感覚を得ながら、急に息苦しさを感じて、
「ぶはっ!!」
黒い影と共に、智也は水面から顔を出した。
それを見た灰の眼の男の表情が、切羽詰まったものから驚きのそれへと変わったのが見えた。
帰ってこれたのだ。
不思議な場所だったと思いながら、影から身を乗り出して息をつく。その肩が、やけに大きく上下している。
「お前……大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫みたいです……?」
五体満足の体を見せて事無きを得たことを伝えつつ、どうやら自分の『魔武器』の能力が影に潜ることであると、智也は先生に語った。
その後、起き上がろうとした時まともに立てなかったのもあってか、念のためにと授業が始まるまで安静にさせられることに。智也は何度も大丈夫ですと言っていたが。
そうして休みながら呆然と時計を眺めていた智也は、影に呑まれていた間の時間がほとんど経過していなかったことに気が付き、一人眉をひそめていた。




