第七十二話 「片影」
「これは……」
眼前、端麗な顔立ちをした女性がその表情を硬くさせている。
その理由は智也の右手が伸びる先、手のひらの下で無色透明の光を放つ『魔水晶』が原因だろう。
対象の魔力に反応し、その者の適性を映し出すことのできるそれは、入学式の際にも使用された検査用の『魔導具』である。
そのとき受けた判定に納得がいかなかったがために、智也はこうして無理を言って再検査を執り行ってもらったのだが――、
「――恭吾くん」
「確かに変化なしだな」
変化なし。それはつまり何色にも染まっておらず、本来の輝きそのままであるということだ。
そして、前回の結果と変わりがないということでもあり、智也の適性が無属性以外のなにものでもないという証左に他ならない。
「じゃあ自分は本当に……いや、でも……」
解せない点があったから折り入って頼んだというのに、これでは何の解決にも至らない。
そうして力なく俯く智也の頭の上で、二人の先生が顔を見合わせ共に眉を曇らせた。
もしかしたら左手でやれば何か変わったかもしれない――なんて意味のないことを考えながら智也は諦め悪く水晶玉をじっと見つめるが、そこには無色透明の光があるだけだ。
「歯痒さは残ったかもしれねーが、これで誤診だった可能性は限りなく薄くなった。となりゃ、無属性だと仮定して鍛錬すればいいだけの話だ……違うか?」
「……その通りです」
「扱える魔法に偏りがあんのは単に練習不足が原因という線もある。或いは装備型のときみたく、何かしらの要因が邪魔をしているとも考えられるしな」
厳しさの中に優しさを含んだような言葉に智也が顔を上げると、先生がフッと微笑んでくれる。
そのやり取りを傍で聞いていた女性もまた笑みを浮かべたが、そこで何かを思い出したように声を上げた。
「そうだ智也くん、体の調子はどうですか?」
「あー、今はなんともないですかね」
「じゃあちょっと、一応診させてもらいましょうか」
と、亜空間に水晶玉をしまい込んだ新井先生が、やにわに智也の背後へと回り込んでくる。
怪我の経過を診てくれるのだろうかと思っていると「軽く押しますね」と言われ、智也の肩がわずかに跳ねる。
「痛かったですか?」
「いえ、びっくりしただけです」
それから二度三度後頭部を触ると今度は正面に回り、検査に使用していた椅子を隣に運んで至近距離で向かい合う形へ。
「では肋骨の方も診させてもらいますね。服の上から失礼します」
至近距離から更に一歩近付いて、端正な顔が間近に迫る。
加えて同じ人間とは思えないような甘い香りが鼻を掠め、智也がそれに身をこわばらせた直後、綺麗な細い指が胸部にピタリと張り付いた。
早まる鼓動。無意識に伸びる背筋。
手のひらから伝わる熱に固唾を飲み、触れた指が動くたびに智也の口がきつく一の字を結ぶ。
そうしてこそばゆいような居た堪れないような感覚がしばらく続き、いよいよ辛抱ならなくなったときだった。
真剣な顔をしていた新井先生が、その愁眉を開いた。
「圧痛なし。きちんと癒合していますね」
「……すごいですね、本当に一週間で骨折が治るなんて」
「正確にはまだ完治したとは言えないんです。癒合したとはいえ、骨が元の状態に戻るにはまだしばらく時間がかかりますから」
そうでなくてもあまり無茶なことはしないように、と優しめの忠告を受けた智也はゆるりと鬼コーチの方を見やり、
「まさか恭吾くん……また無茶をさせたんじゃないでしょうね」
「いやいや、んなわけないだろ。なぁ黒霧」
「はい。そのまさかです」
「え?」
「え?」
疑いの目を向けられた先生が口を合わせようと目配せしてくるが、智也は無意識のうちにあらぬことを口走っていた。
それで新井先生はきょとんとした顔になっており、智也も自分が何を言ったのか思い出せずに目を点にする。
「まぁあれだ。ひとまず順調に快復してるみてーでよかったよ。さすがの腕前だな」
「私はただ骨芽細胞の活性化を促しただけです。……誰にでもできることですよ」
「仮にお前がそう思ってたとしても、俺は立派だと思うけどな」
「な……またそうやって煙に巻こうとしてるんでしょ。分かるんだからね!」
やや頬を赤らめながら眉を寄せる新井先生におざなりな返事をして、覇気のない目をした男は逃げるように体育館の外へ。
「ちょっと、どこ行くのよ恭吾くん」
「学園長室だ。黒霧、あとはいつも通り適当にしといてくれ」
「私は?」
「あー、もう帰ってもいいぞー」
「それって用済みってこと!? 恭吾くんが呼んだから来たのにー!」
雑な扱いに不服そうに頬を膨らませ、新井先生はぷんすかと怒りながらその背を追いかけていく。
その光景を眺めながら智也は苦笑いを浮かべ、出しっぱなしにしていったテーブルと椅子を見て小さく嘆息した。
✱✱✱✱✱✱✱
「俺だ。通してくれ」
「合言葉は?」
「んなもん知らねーよ」
白い建物の最上階。何もない壁に向かって悪態をつく男に、壁の向こうから苦笑混じりに「君は分かりやすくていいね」という声が返ってくる。
それに男が顔をしかめたのも束の間、白い壁に亀裂が走ると扉の形を象り、ひとりでに開いて内と外とを繋いでみせた。
厚い壁の向こう、高級感あふれる部屋の最奥にメガネをかけた優男が座している。
男はそこへずかずかと近寄ろうとするが、脇に立つ同じスーツ姿の女性を見るとその足を止めた。
「なんだ、帰ってたのか」
腰まで伸びた長い紅褐色の髪に、すらりとした手足。紅を差した口元は艶めいており、どこか妖艶な雰囲気を感じさせる。
その者を一瞥し、灰の眼を細める男に女性は腰を折って一礼すると、デスクの上で手を組む優男に目を向けその顔色を窺った。
「退席いたしますか?」
「いいや、そのままで構わないよ。――珍しいね。恭吾くんの方から出向いてくれるなんて」
「相変わらずいちいち手間がかかってめんどくせー場所だな」
「こういうのを浪漫って言うんじゃないのかな? それに、大事な私室を剥き出しにしておくのもどうかと思ってねぇ」
脇に控える女性を手で制すと学園長は微笑みを湛えて男を見やった。その眼差しに冷めた目を返し、部屋の中を物色すると男は小さく鼻を鳴らして、
「ともあれ、せっかく来てくれたんだから話を聞こうじゃないか。紅茶でも飲むかい?」
「俺もそのつもりでいたんだが……こっちの話をする前に、先にそっちの話を聞いておきたい」
そう言って不思議な色気を放つ女性を注視する男に、学園長は細い目を更に眇めて同じように横を見やった。
ここ数日、男は頻繁にこの一室へ招かれていたが、その間ずっと留守にしていたのが彼女である。
普段は学園長の側に仕えてサポートをしているはずだが、あえてその身を離れて任に当たっていた。それがいま帰ってきたのであれば、何らかの報告を済ましたところだと考えたのだろう。
とはいえ、それで何故自分の話を後回しにしたのかは学園長にも分からないようで、眉根を寄せている。
「ふむ。では美月くん、悪いけどもう一度いいかな?」
「承知いたしました。いわゆる黒いローブを着た無法集団について、判明した点がいくつかあります」
体の正面で手を重ねた女性は学園長の命に目礼で応じると、おそらく先ほどもしたように口を切り、自らが得た情報を再度語り始める。
「『救世の燈火』それが彼らの組織名のようです。構成員は七名、それらを纏めているリーダーが一人います」
「随分と少数だな」
「そのようだね。しかも恭吾くんは既にその過半数と顔合わせしていることになる、と」
「だが、決して侮れるような連中じゃなかった。いったいどこから湧いて出てきたのか……」
先日の件を思い出してか、眉間に皺を寄せる男に学園長もまた憂いを帯びた表情を浮かべ、美月と呼ばれた女性はそんな二人の会話をじっと聞いている。
その女性へと灰の眼の男は鋭い眼差しを向けて、
「で、その連中の目的はなんだ? 奴らは何を企んでやがる」
「組織名にもあるように、世の人々を苦しみから救うための活動をしているようです」
「なんだそりゃ、胡散臭い理念だな。具体的な計画とかは分からねーのか?」
呆れたように嘆息し、飛ばされた冷めた視線に女性は一度学園長の方に顔を向け、その人が顎を引いたのを確認するとまた正面に向き直った。
「目的までは分かりませんが、特定の人物をかどわかそうとしている模様でした」
その発言で、白けていた男の眼がわずかに見開かれる。それはつい先ほど教え子から聞いた話と一致しており、そもそも気乗りしない場所にわざわざ赴いたのが、その件についての報告をしにきたからである。
その機微を捉えたらしい優男が、そっとメガネを押し上げ糸のように細い目で灰の瞳を見据えた。
「ひょっとして、恭吾くんの用向きと何か関係があるのかな?」
「ちょうど昨日、その現場を目撃したって話がうちの生徒からあったんだよ」
「目撃って……まさか街の中でかい?」
「だからその見張りに人員を割いてもらうために、こうして時間を浪費しているわけだ」
男の素っ気ない物言いに学園長は眉尻を下げつつ、顎に手を添えて何やら思案し始める。
「人員って言ってもねぇ……二、三年の先生はみんな出払ってるし、空いているのは君たちだけなんだよねぇ」
「別に桐明でも夜野でもいい、誰かしら暇してるだろ」
「それが、桐明先生も夜野先生もちょうど別の任務に当たってもらっていてね」
「じゃあ俺が監視に回る。それでいいな」
目に角を立てて結論を急ぐのは、学園長のゆったりとした口調が癪に障るからか、どんな状況でも落ち着き払っているその冷静さが疎ましいからか、或いはいつも後手に回っていることへの憤りからか。
剥き出しにしたその好意的ではない感情に、学園長は苦笑いを浮かべつつ「じゃあこうしよう」と一つ提案を出してくる。
「働き者の君を長時間拘束しておくのは些か非合理的だ。となれば、代わりに街の住人にその役目を担ってもらうのはどうだろうか。適材適所ってやつだね」
「そのせいで別の面倒事を頼まれそうで嫌気が差すけどな。そもそも、それで監視の目は務まるのか?」
「なに、今回目撃したのは取るに足らない小心者だったんだろう?」
「ハナから知ってたのかよ」
そう言って白けた目を向ける男に、学園長は「まさか。いまここで推察したまでだよ」と微笑を浮かべて。それからずっと同じ姿勢で待機していた側近の女性を見やり、
「報告の途中だったね。では続きをお願いしようか」
「はい。救世の燈火――またの名をゲミュートと銘打っていますが、そのゲミュートの一員には、『魔導書』を所持していると思われる者が存在します。或いは、この学園の関係者が……」
「やっぱそういうことか」
「以前の報告にあった、中級魔法を会得していた子供……どうやらそれに一枚嚙んでいたわけだね」
「アレは在学生とその教員にしか配られていないはずだ。一枚噛むどころか、自分が主となり身寄りのない子供をたぶらかして傭兵として育ててるってことじゃねーのか」
灰の眼に浮かぶのは、先日街の射的屋を襲い、お金を奪い取ろうとしていた二人の子供の姿だ。
そのなりから、裕福な暮らしとはかけ離れた生活を送っているのが見て取れて、金銭面の問題から学園に通うこともままならないはずであった。
それがどうしてか知り得るはずのない知識を身につけており、然るべき手順を踏み然るべき指南を受けていないにも関わらず、高度な魔法を会得していた。
ともすれば――いや、まず間違いなく現職の教員が関わっていると見るべきだろう。
「或いは西の方の人間の仕業とも考え得るけれど……」
「わざわざ海を渡ってか? つーかお前、或いはって言ったが連中の顔を見たんじゃないのか?」
一瞬、呼ばれたのが自分だと思ったのだろう。珍しく困惑したような表情を見せた学園長はしかし、男の視線をなぞるとその視界に自分がいないと悟ったようだ。
「日頃から面を被っていたので、その素顔までは窺い知れていません」
「じゃあなにか? 肝心な部分は不明瞭のままってことかよ」
「まぁまぁ恭吾くん、彼女も危険な場所に身を置いていたんだ。連中の動きが知れただけでも充分な成果じゃないか」
終始、懐疑的な目を向けている男を学園長がそう宥めるが、灰の眼には不信感が募るばかりだ。
「一先ず、しばらくはこちらに滞在できるんだよね。だったら美月くんにも色々と手伝ってもらうことになるかもしれないけど、よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
「じゃあ俺は授業があるから行くぞ。見張りの件、伝えたからな」
そう言って最後までつれない態度だった男は部屋の隅にある魔法陣に足を運ぶと、一瞬の発光と共にその空間から消え去った。
淡く光る魔力の残骸が霧散していく様を見つめながら、学園長がふっと息を吐く。
その横顔を赤い眼がちらと一瞥して、
「よろしかったんですか?」
「なにがだい?」
「……ゲミュートの一員に、彼の教え子がいたことですよ。不躾ながら、下手に隠し事をすれば反感を買うはめにならないかと」
おそらく分かっていて聞き返した学園長に側近の女性は苦い顔を浮かべてから、言葉にするのを躊躇いつつもその隠し事について触れる。
いらぬ口出しかと懸念していたが当の本人は全く気にする素振りはなく、金の模様入りのティーカップを手に取り含み笑いを浮かべると、中の液体を口に含んで喉を潤した。
「例えそうなったとしても、それが私の役目だからね。大事な教え子に重荷ばかり背負わせられないよ」
「……失礼いたしました」
「さて、早速だけど美月くんに一仕事お願いをしようかな。さっきも言った通り、今は出払っている先生が多くてね」
腰を屈めて頭を低くする女性に学園長はメガネの奥で柔らかな笑みを浮かべると、今度はデスクの上で淡く光る魔法陣を見て、またその顔に笑みを湛えた。
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華やかな髪色に艶やかな美貌を持つ女性が、タイル張りの床を一人歩いている。
とある任務にてしばらく主人の元を離れていたが、帰って早々に人手不足ということで次の任が与えられたからだ。
そのために階下へ向かっていた女性は、最上階より二つ三つ下の階へと降り立つと、カツ、カツと音を立てながら再び長い廊下を突き進んでいく。
視線の先、壁に沿って並び立つのは空き部屋だ。
人の声も、音も、気配さえもしない静かな場所に女性の歩く音だけが鳴り響き――ふいにその足音までもが鳴り止んだ。
足を止めたのは、他の部屋と何ら変わりのない空き部屋の前。ただ一つ異なるものがあるとすれば、その部屋の扉だけがわずかに開いていたことか。
「指示通りにご報告致しました」
正面を見据えたまま、まるで独り言のように語る女性。
それへの返答が、誰もいないはずの空き部屋から返ってくる。
「ご苦労様、美月くん。例の件はうまくいきそうかな?」
「はい。首尾よく運んでおります。このままいけば、すぐに適性者は見つかるかと」
わずかに開かれた扉の隙間から青い髪を覗かせて、壁を隔てるようにしてその者は佇んでいた。
そうして女性からもたらされた朗報に、黒いローブに身を包んだその者はひそかに口元に弧を描く。それを赤い眼が壁越しにちらと一瞥して、「しかし」と不安の残るような言葉を加える。
「あの灰の眼の洞察力には、いずれ勘付かれてしまうのではないでしょうか? やはり身寄りのない子供を利用するのは……」
「そう案ずることはないさ、私はいま遠征に出ているはずだからね。嫌疑のかけようがないよ」
そう言って再び悪い笑みを浮かべた青髪の男は、フードを深くかぶると背を預けていた壁から身を離し、
「では引き続きよろしく頼むよ、美月くん」
そう言い残すと懐から紙切れを取り出し、それを床へと投げ捨てた。
その場で女性が黙礼したのと同時、眩い光が部屋の中から溢れる。――次の瞬間には、男の姿はどこにも見当たらなかった。




