第六十九話 「頼り頼られ雨あられ」
「で、どうすんの?? このままじゃ絶対午後もあの続きになるでしょ」
「もう頭使うのは嫌っスよ~」
「南無三……」
それは昼食を済ませたあとのことだった。
いつもの二人に加え、東道栖戸雪宮の三人とおまけでついてきた紫月を交えて座談していた智也たちは、午後の授業についての懸念を示し、その対策を練っていた。
中でも既に許容量を超えてしまっている七霧と、こめかみを押さえながら唸っていた東道は重症である。
「せめて別日にしてもらった方がいいかもね。みんなで異を唱えれば、先生も予定を変えてくれたりしないかな?」
「それメッチャいいじゃ~ん。みんなでボイコットしよ~」
「そ、それは語弊があるというか、あくまで交渉できたらいいかなーっておれは思ったんだけど……さすがにボイコットは先生が可哀想だよ」
「交渉やったら、先生も受けてくれるかもしれへんね」
少々行き過ぎた言動をする東道に提案者である国枝が慌てて誤解を解こうとして、その真意を汲み取った紫月に国枝は強く頷いている。
智也としては、仮に一夜漬けで覚えさせられても苦だとは思わないので、一歩引いたところから彼らのやり取りを傍観していた。
「……そやけど、どの道いつかは覚えやなあかんもんなぁ」
「近いうち実践してもらうみたいなこと言ってたもんね……」
「まぁそのときは、黒霧先生がどうにかしてくれるっしょ!」
「ん……俺!?」
「頼りにしてるっス、黒霧先生!」
「あはは……責任重大だね、黒霧くん」
傍観に徹するつもりがふいに話を振られ、それもかなりの無茶を強いられて額に汗を浮かべる智也。
まるで他人事のように楽観視している東道に、複雑な表情を浮かべている栖戸。そして七霧と紫月が笑みを向けてきており、相変わらず口が少ない雪宮も視線だけはこちらを見つめている。
先の補足説明がよかったのかなんなのか、随分と期待を集めてしまったと苦笑して。乾いた笑みを浮かべる国枝に、智也も「やれやれ……」とため息交じりに少しだけ口元を綻ばせた。
そんなこんなで時は進み――、
「うーし、揃ってるなー」
午後の授業を行うために、もう一度第一体育館に集まった一同。
その顔ぶれを見ながら少し遅れてやってきた先生に、東道たちが悪戯な笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「んじゃ、さっきの勉強の続きを――」
「異議ありっス!」
「丸一日勉強漬けとかマジあり得なくない??」
「ま、まじあり得へんとおもいます!」
「ずつうがいたいです」
「おぉ、何だお前らどうした」
珍しく声を揃えて異を唱えだした生徒に、先生が目を丸くさせて驚いている。
おそらく思い描いていた光景とかけ離れていたのだろう。智也が隣をちらと見ると、国枝の方は気まずそうな顔をしていた。
「なんかおれ、変に入れ知恵しちゃったかな……」
「まぁボイコットにはならないから大丈夫だろう」
と言いつつも四人の抗議は続いており、真剣に悩む国枝と楽しそうに異議を唱えている七霧たちとを順に見て、智也はこっそり苦笑を浮かべた。
「あのなぁお前ら、こんなときに団結力見せなくていいんだぞ」
「いや、断固としてお断りするっス!」
「ウチらの決意、マジぱないから!」
「まじぱないから……」
「ほら紫月さん、もっと声だして!」
「まじぱないからー!!」
おそらくそそのかされたのだろう。先ほどから似つかわしくない言葉遣いをする紫月に「やればできんじゃん」と背中を叩いて東道が笑っている。
「そうかそうか、そんなに頭使うのが嫌か」
「そうだよ! 体動かしてた方がよっぽどマシだよね~」
そう言って悪い笑みを浮かべた先生に、何かを察した栖戸が途端に顔を青ざめた。
「んじゃ、いまから『地獄鬼』でもやるかー」
「い……!? いやいや先生、それはまた話が違うってゆーかさ~あれじゃん??」
「どれだよ。言っとくがその二択しかないぞ」
前回ので相当懲りたのだろう。栖戸が思いっきり首を振り回しており、究極の選択を迫られた東道も顔をこわばらせている。
そうして少し大人しくなった四人に、先生は「じゃ、今日は一日俺と勉学に励もうな」と言って意地悪く笑った。
「結局こうなっちゃったね……」
「まぁ俺としてはどっちでも良かったんだけどな」
「黒霧くんはいいよねー、賢いから」
「別に頭はよくないぞ。俺はただ、他の人より関心が高いってだけで……」
どこか素っ気なさを感じるような国枝の物言いに、智也は内心で首を傾げた。
なにか不味いことを言ってしまったかと思案するが、特に心当たりはあらず。
「嫌っス! 考え直して欲しいっス!」
と、離れたところで聞こえた七霧の声に目を向ければ、諦め悪く先生に食い下がっているようで。
しかしその必死の訴えは虚しく、午後からの授業も無事に座学が行われることになった。
「――さて、どうしたもんか」
固まって座っている四人に目をやりながら、先生が思案げな表情を浮かべた。
主に反発していた東道と七霧の二人は未だに不服そうな面を浮かべており、その横で栖戸が遠い目をしている。
そして何故か、紫月だけは赤くした顔を手で隠しながら「恥ずかしかったのに……」と俯いていた。
「まぁあれだ、午前みたく俺が説明しながら覚えてもらうのもいいが、ここは趣向を変えて質問形式で行こう。なにか『改造魔法』について聞きたいことがある奴は居るか?」
「はい!」
「ん、東道」
「この授業はいつ終わりますか?」
「一生続きます」
先ほどまで不貞腐れていたのに、妙に気の変わりが早いと思えば何も変わっていなかったようで。
それで珍しく丁寧な物言いをしたかと思えば先生までおどけ始めて、智也は「本当にあのひと大人か?」と思わず苦笑い。
そんな東道の「先生のいけずー!」という喚き声が館内に響く中で、生真面目にも挙手をした生徒が一人いた。
「さっき先生は『改造魔法』の特徴は魔法の性質を変えられることだって言ってましたけど、具体的にどこまでできるものなんですか?」
「既に何度か見たことはあるだろうが、本来備わっている性質から遠ざかれば遠ざかるほど、実は作るのが難しくなる。やろうと思えば十一番の魔法に十八番の性質を付け加えるなんてこともできるが……別にその必要性は感じないだろ?」
「なるほど……でも一応そこまでは可能なんだ」
意に沿った質問を発する千林に、「そういうのを待ってたんだよ」と先生が笑みを浮かべて、清涼がそれを嬉しそうに肘でつついた。
それで少し二人で茶々くり合ったあと、「もう一ついいですか?」と追加で質問。
「あの謎の記号とか文字には、何の意味があるんですか?」
「簡潔に答えれば、そいつらを書き換えることで魔法をアレンジさせることが可能になっている。具体的に言うと、そもそも具現化に際して俺たちは言霊を唱えているが……その言霊には力が宿ってるんだよ」
「言霊に力……ですか?」
「そうだ。誰かが発した言葉でも、自分が呟いたものでも変わらずな。考えてみろ、『ありがとう』と『ごめん』だけでも、受け取る側の気持ちは違うだろ?」
その説明に千林は目を見開いて、年来の知友の顔をじっと見つめた。
「確かにそうですね」
「つまり、その記号や文字にも力が宿ってるわけだ。それを定められた方式に倣って組み替えることで……魔法の性質を変えることが可能になる。要は大昔に魔法陣を作った天才の、事績あってのものなんだよ」
「なるほど……」
それは千林の口から出たものだけではなく、そこら中で漏れた感嘆の声だった。
用意されたものを扱うだけでも難しいというのに、その基盤を作り上げることがどれほどの偉業なのか、智也には想像もつかない。
そうして大勢が舌を巻いているところ、珍しく元気な声をあげて栖戸が手を上に伸ばした。
「お、どうした栖戸」
「しつもんです! 『ふうかく』には四種類の性質があるとお聞きしましたが、それらは全て取り入れないとだめなんでしょうか! 一種類を切り捨てて、三種類にしてアレンジするとかはできないんでしょうか……」
「えらく畏まってるな」
千林に触発されたのか、普段の話し方を忘れたように語る栖戸に智也はそう思った。
言葉尻の声が小さくなったところから、おそらく緊張しているのだろうと推察できるが、その不安げな表情が次の言葉で一変する。
「いい質問だな」
「へ、えへへ」
「午前中にも話した通り、『風格』には『強度』『速度』『風姿』『範囲』の四種類の性質が存在する。これらは魔法を具現化する上で欠かせないものだ。すなわち、その魔法がどのくらいの速度を持ち、どの程度の規模で、どれだけの力を秘めているのか……ってのは元より決まってることになる。それを改造することを『改造』って呼ぶんだ」
「じゃあ、わたしは間違ったことを……」
「認識の誤りを恥じる必要はないぞ、栖戸。俺はいい質問だって言ったろ?」
「は、はい……」
「知るべきことを知らないままでいる方が恥なんだ。だからお前は何も間違っちゃいない」
その優しい声色に、栖戸の表情がまた晴れやかなものへと変わっていった。
恥を忍んで踏み出すその一歩が、どれほど難しいのか智也はよく知っている。だからこそ勇気を振り絞り分からないことを先生にぶつけられた栖戸が輝いて見えたし、実際眩いばかりの笑顔がそこにあった。
「他に質問ある奴は居るかー? いないなら、引き続き星文字と十二記号を覚えてもらうぞ」
「「えー! せっかくいい雰囲気だったのに!」」
なんて不満の声を上げる生徒を先生が適当にあしらって、また謎の文字群との格闘が始まるのだった。
✱✱✱✱✱✱✱
「お疲れさん。今日はこの辺でいいだろう」
「あ゛ー終わったっスーー」
「もう何も考えたくない……マジで」
「もえつきた……」
大平原にいた骸骨の魔物のような呻き声を出す七霧に、智也は思わず失笑した。
魔法の勉強が苦だと思わない智也と、どういう形でか既に『改造魔法』を物にしている四人以外の生徒は、みな揃って疲れ切った表情をしている。
言わば第二言語を覚えるようなものなのだ。必然、相応の労力を要することになる。
とはいえ、アレンジの汎用性を考えると無理をしてでも覚える価値があった。だから先生も心を鬼にして――、
「いや、ただ楽しんでるだけなのか……?」
阿鼻叫喚の光景を愉快げに眺める先生の姿に、智也は今度は苦笑いを浮かべた。
「安心しろ、さすがに明日は通常の授業をやる予定だ。つっても、今日覚えたことは忘れないようにちゃんと復習しとけよー」
「は~い……」
その忠告に力のない返事を返しつつ、智也たちは帰路に就いた。
「……あれ、国枝は?」
「なんか用事があるから先に帰るって言ってたっスよ」
体育館を後にする際に、いつの間にか見当たらなくなっていた件の人物について尋ねると、七霧がそう答えた。
それに対し「そうなのか」と智也が呟いて、二人肩を並べて歩きだす。
「そういや、一緒に帰るのも久し振りだな。俺がいない間は二人でそうしてたのか?」
「そうっスね~模擬戦の次の日はバラバラだったっスけど、それ以外は二人で帰ってたっスよ」
その話に珍しいな、と思いながら、その日も用事があったのだろうかと智也は考える。その中で、今日は妙に国枝の表情が浮かないものだったと思い出し、そのことについて七霧に尋ねてみることにした。
「今日の国枝、なんか変じゃなかったか?」
「変っスか?」
「あぁ。元気がないっていうか、思い悩んでる……みたいな」
「んー自分は気付かなかったっス。やっぱり国枝さんも、あの授業が難しかったんスかね~」
それとはまた違う気がするんだが、と心の中で呟いて、一先ずその疑問はしまっておくことに。
それから少しだけ沈黙が続いて、校門前の長い長い階段に差し掛かった。
引き合いに出すのはどうかと思ったが、あのときの雪宮のような気まずさはない。それは、智也が七霧に対してそれだけ心を開いている証左でもあった。
といっても、なんだかんだ雪宮とは何度か時間を共にしているので、そちらの距離も多少は縮まっているかもしれない。
――そうやってゆっくり、一人ずつ信頼できる仲間を増やしていくことができたなら、本当の意味で自分の居場所を見つけられるのだろうか。この世界に来た意義を、そこに見出だすことができるのだろうか。
なんて、
「さん……黒霧さん!」
思惟にふけっていた智也を、七霧が慌てた様子で呼んできた。
何事かと目を丸くさせ、細い指が指し示す方に目をやれば、長い階段を降りた先の別れ道を、黒いフードを着た人物が走っていた。
「黒霧さん、あれ……」
「黒いローブ……!?」
それも、ただ走っているだけではない。
肩に担がれた貧相な身なりの少女が、声を上げながら暴れている。そして、こちらに気付くと助けを求めてきた。
「たす……たすけて……!」
一瞬にして、智也の能が思考で埋め尽くされる。
もはや疑いを容れる余地はない。それは人攫いの現場であった。
だが、智也は黒ローブの連中を見かけても絶対に関わるなと先生から警告を受けている。前とは状況が違う、相手は顔見知りじゃないのだ。
しかし智也がここで見て見ぬ振りをすれば、あの少女はどうなるのか。隣の七霧はパニクっていて頼りにできそうにない。
もし国枝がこの場にいたとしたらどうするか――、
「くそ……!」
「黒霧さん!?」
「あいつの足を止めてくれ!」
言いながら、階段を駆け下りて黒い背中を追いかける。
その行動に触発された七霧が二つ返事をして、言霊を唱えた。
「Espoir20【円環】!」
路地の方から住宅街へ向かい走っていたその者を、青い光の輪が拘束する。
本来なら足を狙うべきではあったが、走っている相手にそんなことをすれば、担がれている少女が怪我をしかねない。
あの一瞬で七霧がそこまで考えたかは定かではないが、急に腕を縛られただけでも人は動揺し、足を止めてしまうものだ。
その隙に階段を下りきった智也が右手を翳し、狙いを定めようとするが振り向いたその者に少女を盾にされる。
「……!」
「ひぃ……た、たすけて……!」
逃げようにも俵担ぎにされた少女の足ごと光の輪が縛ってしまっており、逆に少女を追い込む羽目になっている。
それで煉瓦色の瞳を恐怖に揺らしながら、再び助けを求めてくるが――、
「どうすれば……」
頭が鈍り、正しい判断が導き出せない。
当然だ。元の世界でのうのうと生きてきた智也に、こんな場面に出会した経験などないのだから。
特別な力を持たない凡人は、ただ立ち止まって歯を軋ませることしかできない。
「黒霧さん……!」
追い付いた七霧が肩を並べるが、困惑したように視線を泳がせている。
――七霧だけでも学園に向かわせて、先生を呼んでくるべきだったか。と思案するが、もはや今からそれをやっていては手遅れになる。
あくまで人攫いが目的なのか、黒ローブの方から手を出してくる様子はない。が、そんなものはただの憶測であって、いつ襲いかかってくるやも分からない。
どうすれば、どうすれば、と思考を巡らせ、巡らせ続けて、ついに黒ローブの方から動き出した。
「Espoir――」
「しまった……!」
腕は縛られたままに、片膝をついて腰を落とすと、自由の効かないはずだった右手を地面につけて何かを唱えた。
途端、その者と智也たちとを阻むように、足元から岩壁が迫り上がる。そのまま逃走を図ろうとした黒ローブに対し、智也と七霧は完全に出遅れてしまった。
そして、魔の者をみすみす逃してしまったと思われたとき――、
「【雨燕】!」
弾丸のごとく射出された魔法がその者の腹に直撃。その身を後方へと吹き飛ばした。
その際の衝撃で光の輪は粉砕。正確な射撃で黒ローブのみを撃ち抜いたことにより、解放された少女の悲鳴が壁越しに聞こえた。
見れば、長い階段の中腹辺りでこちらを睥睨する水世の姿がある。
赤いマフラーを風に靡かせ余裕綽々と階段を下りてくるその様に、智也は思い出したように少女の方に視線を飛ばすと、そこにあった壁も、通りの脇に倒れていた黒ローブの姿も消えてなくなっていた。
どうやら、尻尾を巻いて逃げたらしい。
「よかった……」
「何やってんのよ、揃いも揃って情けないわね」
未だに棒立ちのままの男二人に冷めた視線をくれて、水世が地面に横たわった少女に歩み寄る。
ボサボサに伸びきった茶色の髪に、薄汚れた衣服。どこか既視感あるその風姿に智也が見に覚えを感じていると、怯えたような眼差しを向けていたその少女が小さく口を開いた。
「あ、ありがとう……だよね」
「構わないわ。怪我は?」
「大丈夫……です……」
顔立ちや背丈から同年代くらいに思えたが、水世の高圧的な物言いにどうやら萎縮してしまったらしい。
それに智也は苦笑を浮かべつつ、ともあれ無事でよかったと心底安堵した。
「家まで送るわよ」
「す、すぐそこだから大丈夫……だよね」
「そう。気を付けるのよ」
「ありがとう、ございました……」
そう言ってペコリと頭を下げた少女は智也たちの方に歩を進め、軽く目礼するとその脇を抜けて、あの寂れた集合住宅の中へと入っていった。
「いやー、無事でよかったっスね」
「……そうだな」
もし水世が駆けつけてくれなければ、取り返しのつかない事態になっていただろう。
自分の未熟さと不甲斐なさ改めて痛感し、智也は心の中で深く恥じ入った。
そんな中で、何事もなかったかのようにそのまま帰路に就く水世。
せめて事の報告くらいは自分たちでやれと、そう背中が語っているかのようである。
「ど、どうするっスか?」
「とりあえず、一応明日先生に報告しておく」
「了解っス。じゃあ……黒霧さんも帰りは気を付けてくださいっス」
それに智也が「あぁ」と短く返すと、七霧は住宅街の方に歩いていく水世を追いかけていった。
「水世さん、家まで自分が護衛するっスよ!」
「は? 守ってほしいの間違いじゃないの?」
そのあと、遠くで聞こえた水世の辛辣な一言に、智也も七霧も苦笑いを浮かべることしかできなかった。




