第六十話 「憧憬の眼差し」
「ごめんね、秋希ちゃん」
「だいじょーぶだよ。心配させたのはお互い様でしょ?」
「……うん。でもそうじゃなくて」
「そんな暗い顔しないの」
言い淀む清涼の顔を、千林が覗き込む。
その顔には一点の曇りもない笑顔が浮かべられており、清涼の両頬を摘まむと、無理やり引っ張り同じように笑顔を作らせた。
「い、いひゃいよ~」
「ごめんごめん。それで?」
「えーっと……ごめんね、手伝うって約束したのに。私にはやっぱり、戦うの向いてないみたい……」
「……うん」
「一緒に選抜入りできなくなっちゃったけど、秋希ちゃんの応援はしてるからね!」
俯きがちに話していたが、それでも言葉の最後だけはちゃんと千林の顔を見た清涼。
それだけは他の誰にも負けない自信があるのだろう。
そんな清涼の手を掴んで、千林は笑いながら言った。
「もともと一人でやるつもりだったし、いいんだよ。後は任せて! あーでも、ほんとにこれで選抜入りできるのかは分かんないけどね」
――ギャラリーに戻ってきた二人の会話を耳に入れながら、智也は静かに瞑目した。
コート上では、既に四試合目を戦う二人の生徒が待ち設けている。
一方は海のように青い髪と、空を映したような瞳を持ち。
もう一方は顔の半分を覆う焦げ茶色の髪に、そこから微かに覗かせる煉瓦色の瞳がある。
「いよいよ始まるっスね!」
「あぁ」
そんな二人の試合に、心を躍らせる者がいた。
焦げ茶色の髪の少年が扱う独特な魔法に目を光らせ、前々から興味を抱いていた七霧だ。
そして実を言えば、智也も心待ちにしていたその一人であった。
――あのポテンシャルがあって、何故チーム戦にて呆気なくやられてしまったのか。今回は、もう少し彼の実力が見えるのだろうかと、
「四試合目、虎城海斗VS雪宮蛍。――始め!」
智也が思考の海に沈みかけたところで、試合開始の合図が告げられた。
自然と、そちらに意識が引き寄せられる。
「Reve18【火蜂】」
辛うじて聞き取れそうなほど小さな声で、雪宮が呟く。
両手をゆっくり前に伸ばし、手のひらを正面――虎城へと向けて。
指の隙間にあった八つの玉が、独りでに動きだす。
それぞれが意思を持っているかのように異なる軌道を描いて翔けていく。
それを見た虎城は、すかさず地を蹴って距離を取った。
「……逃さない」
横へ飛んだ虎城の動きを、煉瓦色の瞳が追跡する。
その視線に連動するかのように火の玉もまた急旋回して、脅威すら感じる勢いで逃げる虎城を追い掛けた。
――その様はまるで、群鳥のようだった。
「Reve16【半月切り】」
壁際で足を止めた虎城が振り向きざまに腕を払い、具現化した斬撃が火の玉を四つ打ち落とす。
それでも、生き残ったもう半分は斬撃を避けるように迂回して、再び狙いを定めて飛んでくる。
「くそ、Reve16【半月切り】!」
左右を囲まれ、半場やけくそ気味に放たれた二発目が片側を落とすも、もう片方は間に合わない。
二つの火の玉が容赦なく虎城の背を襲い、炸裂して、爆発音が響く。
「雪宮蛍、一本」
開幕速攻で一本を取った雪宮の飛び抜けた活躍ぶりに、智也たちはただ驚愕する他なかった。
「スゲー! やっぱ操作魔法は最強じゃないっスか?」
「あんなのどうやって対処したらいいか分かんないよね……」
「しかもあいつ、まだ一回しか魔法使ってないしな」
たった一度の魔法で有効打を取れるのなら、早い話同じことを繰り返すだけで雪宮の勝利は揺るぎないものとなる。
その大事な一本を取るために、智也はどれだけの労力を要するのか。無意識に比較して、彼の恐ろしさが身に染みた。
「一回……そうだよね。相手が雪宮くんじゃなくてよかった~」
対戦相手じゃなくてよかったとさえ思ってしまう。それは国枝も同じだったようで、智也が溢した言葉を反芻して苦笑いを浮かべている。
「Espoir13【隔壁】」
と、爆煙に包まれた虎城を静かに見つめていた雪宮が、やにわに身を屈めて二人を隔てるように壁を生成した。
直後、飛来した斬撃が激しくぶつかり、相殺され、諸とも霧散して消えていく。
「読まれた……!?」
「……」
目を見開く虎城と、相も変わらず静寂を纏ったような雪宮が、再び対峙する。
後がない虎城。その焦りが表情によく表れていた。
今の奇襲も、防がれたのは計算外だったのだろう。
しかし冷静に考えれば想像に難しくない行動だった。
先に有効打を取られた虎城があのタイミングでカウンターを狙うことも、十六番を使うことも、そしておそらく魔力を加えて『改良』してくることすらも。
雪宮は、それら全てを抜かりなく思慮に入れていたのだろう。
「――Reve18【火蜂】」
再び、魔力の塊が群を成して襲い掛かろうと飛び立つ。
渡り鳥が隊列を組むように、体育館の中を縦横に飛翔して採餌が行われる。
「くっそ、なんなんだよこれ!」
虎城が嘆くように吐き捨てた。
ただ尻尾を巻いて逃げることしかできいなのか。走って、走って、ひた走っている。
背後で猛威を振るう炎の軍勢。それに既のところで捕まりそうになるが、しかし虎城はそちらに目を向けず、自分の動きを目で追っている雪宮へと、手のひらを向けて叫んだ。
「Reve16【半月切り】!」
空を切り裂いて、丸腰の雪宮へと斬撃が飛ぶ。
虎城が走り回っていたのはこの為だったのだろうか。そう遠くない距離から放たれた、それも速度に優れた十六番の魔法に、防御魔法は間に合わない。
――しかし相手は雪宮だ。
「【獅子神楽】」
静かに呟いて、雪宮が腕を横薙ぎに払う。
たったそれだけの所作で、その身に迫っていた斬撃が軌道を変え、雪宮を避けて壁に衝突した。
自分の魔法を自由自在に『操作』できるのも雪宮の強みだが、何より相手の魔法まで制御できてしまえることが、智也は最大の脅威だと思っている。
攻守ともに使えるその汎用性が、酷く理不尽を叩きつけてくるのだ。
「くっ……!」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべつつ、虎城が前方に飛び込むように転がると、その頭上を火の玉が通過していく。
虎城の攻撃は通じなかった上に炎の軍勢はまだ消えておらず、脅威は去っていない。
頭上を過ぎていったそれらがまた迂回してくると思ったのだろう。受け身を取って体を起こした虎城は身を構えたが、火の玉はそのまま制御を失ったように壁にぶつかり、霧散して消えてしまった。
「今だ! Reve24【大名颪し】!」
振り上げた腕から魔力が散布され、それが三つの刃となって地を駆ける。
――間隙を縫った鋭い一撃だ。
しかしそれが雪宮に届くことはなく、あらぬ方向へと曲がって逸れていく。
「まだだ、Reve16【半月切り】!」
叩きこむように斬撃の嵐を浴びせても、全て意図せぬ方向に飛んでしまう。
続けて放たれた火の玉も、火球も、水泡も、雪宮を前にことこどく散り乱れた。
何をしても通用せず、ただただ無下にされた魔力が霧散して宙に消えるばかり。
疲弊から、肩で息をする虎城の表情は、絶望の色が浮かんでいた。
「――Reve24【大名颪し】」
おそらくそれが虎城にとっての切り札だったのだろう。
それにありったけの魔力を注ぎ、最後に苦し紛れの抵抗を見せた。
通常よりも迫力を増した刃が地を走り、雪宮の体を切り裂いて――――、
「【獅子神楽】」
巻き起こる風に雪宮の髪がなぶられる。
長い前髪に隠れていた煉瓦色の瞳は、迫る刃を見据えていた。
そして両の手を正面に向けると、対象を引き裂くように腕を振った。
風が乱れ、魔力の塊が散開し、また同じように消えていく。
全力で放った魔法でさえ、等しく塵芥と化したのだ。
――戦意を失った虎城が、膝から崩れ落ちる。
「勝負あり」
続行不可能と見計らった先生が、第四試合の決着を言い渡した。
東道たちだろうか。遠くの方では歓声が沸き上がっており、雪宮が照れくさそうに俯いている。
奮闘したものの、敵わなかった虎城は拳を握り締め、悔しそうに床に感情をぶつけていた。
「……相手が悪かったな」
なんて、もし逆の立場だったら逆上していたであろう言葉を溢して、智也は同情する。
「雪宮くん強かったね」
「舞属性か~いいな~」
「七霧くんのだって珍しいじゃん。クラスにも一人しかいないみたいだし」
「いや~そうっスかね~?」
今のでちょうど、半分の試合が終わったことになる。
全八試合。智也はその掉尾を飾る羽目になっているが、いよいよその時が近付いてくるとなると、緊張や不安で余裕も欠けてくる。
――あと三試合。
気付けばもう、智也の番まであと三試合しかないのだ。
ちゃんと練習通りに動けるのか。考えた策は通用するのか。などと、不安に駆られる智也を誰かが呼んだ。
「黒霧くん。……黒霧くん?」
「ん……あぁ、悪い。ぼーっとしてた」
「黒霧さんってたまに呆けっとしてるっスよね」
七霧の言葉に苦笑いを浮かべると、国枝が心配そうな眼差しを向けてくる。
その視線を感じて、智也は聞かれる前に「大丈夫だ」と言い聞かせた。
「ちょっとイメージトレーニングしてただけだよ」
「……」
「次の試合、始まりそうだな」
少し気を抜くだけで、すぐに脆弱な心は不安に埋め尽くされてしまう。だから余計なことを考えぬようにと、智也は観戦に没頭した。
国枝や七霧が智也を思い、心配してくれるように。
智也もまた二人を思い、余計な心配をかけたくなかったのだ。
「――さて、いよいよか」
二階から降りてきた藍色の髪の生徒を見て、先生が口元を歪めた。
その人の視線を辿り、悠然と歩く久世の姿が視界に入る。
そこには、ただ歩く姿でさえ優美だと感じられるほどの気品があった。
「準備はいいか?」
「いつでも。問題ありません」
軽く準備運動をこなしながら尋ねる先生に、閉ざしていた瑠璃色の瞳を開いた久世が、顎を引いた。
これまで何度か対峙する機会があったが、その全てが久世の完敗に終わっている。
それも、先生の方には度々重い制限がかけられてのことだ。それがこの模擬戦において、何の制約も受けていない。
そんな先生に対し、久世がどう戦うのか注目しようとしていたが、
「少しルールを変えるか」
と、先生が溢した言葉に空気が変わった。
何かを察したのか、久世の眉がピクリと動く。
「お前は俺から、有効打を一本取れば勝ちでいい」
「待ってください、手を抜くおつもりですか? 情けなど無用です。僕は真剣勝負を――」
「情けなんてかけるもんか。俺はただ、今のお前じゃ一本も取れねーって言ってんだぜ?」
「なに……」
予想が的中したのか、食い気味に話に割って入った久世が不平を並べた。
その不満ごと、先生が久世のプライドを両断して、瑠璃色の瞳が揺れ動く。
「まぁいいだろう。お前が望むのなら二本でいい。ただ……そっちに制限はナシだ。じゃないとすぐに試合が終わっちまう」
つまるところ、先生から二回有効打を取れば久世の勝利となるが、久世は何度先生の攻撃を受けようと、負けることはないということだ。
そんなこれ以上ない煽り文句に、それまで身に纏っていた久世の優美さが剥がれ落ちる。
「――そこが、まだ青いんだよ」
「分かりました、いいでしょう。僕が二本を取り……それで終わりだ」
「んじゃ、始めるぞ。五試合目……スタートだ」
開始の合図と同時に久世の右手から火球が放たれるが、それは最小限の動きで躱される。
余裕の笑みを浮かべる先生に対し、しかし久世は反応を見せない。
先ほどは挑発に乗せられていたものの、試合が始まれば欠けていた冷静さも戻ったようだ。
「Reve12【水風船】」
次なる言霊を詠唱し、重ねた手から幾つもの水泡が生まれてゆく。
それらはあえて先生から狙いを外し、両脇を挟むように飛ばされた。
「始電か?」
久世の行動を先読みして、先生が独り言ちる。
十二番と十五番を組み合わせる攻撃は、智也たちがチーム戦にて行ったものだ。
あのときは上手く決まったが、一度見せた技というのは警戒されやすい。現に、今こうして先読みされているのだから。
よもや久世は、それを承知の上で実行しようとしているのか。
――いや違う。久世の口から異なる詠唱が聞こえた。
「Reve16【半月切り】」
半月型の斬撃。
風属性故に先の火球より射出速度に優れるが、手足を縛るくらいまではしないと、先生に当てるのは困難を極める。
では何故。
智也がそう思った時、その答えが如実に表れた。
「足狙いか」
足元を狙って放たれた斬撃を、先生は軽く跳躍してやり過ごす。
低空飛行したそれはそのまま床に刺さって霧散して――そして、宙に投げ出した無防備な身体に、水球が蹴り込まれる。
「Espoir15【水膜】」
弾力性のある水球が、全身を覆うように展開された水の膜に触れて形を歪めると、水しぶきとなって飛び散った。
身を包んでいた水の膜が消え、そのまま落下した先生が床に手をついて着地する。
それは先の斬撃を躱してから、ほんの僅か数秒の間の攻防だった。
「足、着きましたね。――Reve15【始電】!」
久世の指から、稲妻が走る。
やはり彼の狙いはそこにあったわけか。
とはいえ、闇雲に魔法を撃ち込むだけで有効打が取れるほど甘い相手ではない。
ただ、先ほど防いだ水球の残骸が、先生の頭上から降ってくる。
それらは体育館の窓から差し込む光を反射して、まるで星屑のようにキラキラと輝いた。
そこへ迫る、紫色の電光。
「せんせー!!」
誰かの叫び声がして、智也は場の動きが緩慢になったような錯覚を覚えた。
「【隔壁】」
「【隔壁】」
久世の攻撃を読んでいた先生が、岩壁を生成して電光を弾く。
そしてその動きを模倣するかのように、何故か久世も床に手を付けており――、
二枚の壁が、先生を挟むように迫り上がっていた。
「……!」
「Reve25【板挟み】」
それは二枚の壁を用いて、その間に立つ者を挟み撃ちにするものだ。
まさかそれを相手の魔法を利用して行うとは、然しもの先生も予想だにしていなかったか。
今このタイミングで、先生が壁を作ると予想していたからこそできた技である。
そんな二人の高度な読み合いに智也たちは息を飲み、その結末を刮目していた。
本来は壁に込めた魔力を利用して挟撃するという流れになるはずだが、片側は先生の魔力で生成されたもの故に、そちらは反応しない。
ただ、そこに障壁があるというだけで既に意味を成していた。
――逃げ場を失った先生の背後から、壁が急接近する。
「【半月切り】!」
振り向きざまに払った腕から、斬撃が飛ぶ。
半月状に煌めくそれは、迫る壁を真っ二つに――切り裂けない。
久世はそこまで見越して『改良』していたようだ。
灰の眼が見開かれた直後、大きな音を立てて壁が激突した。
✱✱✱✱✱✱✱
体育館に激震が走り、先生がいた場所に土煙が巻き上がる。
舞う風に藍色の髪が揺さぶられ、久世が静かに片目を閉じた。
怒涛の攻防から一変して静寂に包まれるそんなコート上とは反して、周囲ではどよめきや喧噪に溢れている。智也も先生がどうなったのか、気になって目を凝らしていた。
「いやーあと一手足りなかったな」
「まさか、壁を蹴って……」
綺麗に重なった壁の上、腰を下ろして不敵に笑う男の姿がある。
惜しかったと、そう告げられた久世が唇を嚙み締めた。
「そう不満がるな。自分から真剣勝負だとか言っておいて、妙な考えで戦おうとしてりゃ……動きも読めるさ」
「く……僕はただ、前回の不首尾を反省し、彼のように成果を上げようと……」
「人の真似事なんざしたところで、お前はそいつにはなり得ない」
いったい何の話をしているのか、智也には理解できなかった。
ただ、真剣に語る先生の眼差しに引き込まれ、自然と釘付けになっていた。
「確かに、優れた者の真似をすることで、努力次第ではそいつに限りなく近づくことも可能だろう。だがそれだけじゃダメだ。何故かわかるか?」
「――。慙愧の至りです……何が足りないのか、皆目見当がつきません」
「『過程』だよ。お前が模倣したのは、あくまでそいつの上辺だけに過ぎない。それまで注いできた努力や時間、負ってきた苦しみまでは見えていなかったはずだ」
的を射た指摘に瑠璃色の瞳が見開かれ、久世が悔しそうに俯く。
「別にお前には、誰かの真似事なんざしなくても渡り合えるだけの力があるだろう。無理に自分を変えようとしなくても、ありのままでいいんだよ。まぁただ……その目が『あいつ』に光るものを見たのなら、その感覚は大切にした方がいい」
「――さっきから彼とかあいつって、先生と久世くんは何の話をしてるんだろ?」
隣で国枝がそう疑問を呟いたが、智也も見当がつかずに言葉を返せない。
しかし七霧は何か心当たりがあったのだろうか。
訝しげに眉を寄せる智也の横顔へと、真剣な眼差しが向けられていた。
「お前が本気でそう思うなら、まずは観察から始めるこった」
「観察……ですか」
「そうだ。物の捉え方、価値観、そういったところから相手の考え方は見えてくる。そして考え方が分かれば、今度は一つ一つの行動に対する意味が理解できる。理解ができりゃ……ただ上辺を模倣するより深みが出るだろうよ」
「……なるほど。ご指導ご鞭撻のほど、有難うございました」
「堅苦しいな。別にいつもやってるだろ」
頭に手をやりながら、久世の言葉にぶっきらぼうな返事をする先生。
その先生を、生真面目な声で久世が呼んだ。
「――降魔先生」
「どうした」
「一本先取の勝負を、どうか受けて頂きたい」
その申し込みを受けて、先生は「ふっ」と不敵に笑った。
元々は久世自らが断りを入れた話だというのに、どういう気の変わりがあったのだろうか。
ただ一つ、手合わせする前にはなかった清々しい表情が、そこにはあった。
――そして、二人の本気の戦いが幕を開ける。
「いいだろう、本気で相手してやる」




