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第六話 「灰と蒼の狭間で」



「こっちに来てから……走ってばかりだな……」


 息を切らしながらも、どうにか頂上まで駆け上がり、震える膝に手を当てて自分の不運を嘆く。

 そんな智也を、ぼんやり眺めている男がいる。


 やや短めの黒髪に、少し生えた無精髭。そして、着用しているスーツと似つかわしくないその顔は、まるで魂でも抜けているかのように覇気がない。


 ――怠そうな眼差しと、死んだ魚のような眼が見つめ合う。

 前者は智也で、後者はスーツの男だ。


 そうして無言で見つめ合うこと数十秒。先に口火を切ったのは、男の方だった。


「よう……元気か?」


 むしろアンタが大丈夫なのかと思わずつっこみそうになったが、相手は学園の関係者に見えなくもない。

 余計なことを口走って悪い印象を与えるのは得策ではないと判断して、智也は喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込んだ。


「あの、入学式に来たんですけど」


「あぁ、入学式……」


 しかし、その気力の無さはとても講師を務めている者のそれとは思えなかった。

 もし何かの間違いでこのような人が学級担任なんて勤めようものなら、クラスが一つ崩壊しかねない。


 そんな風に思われてるとは露知らず、男はスーツの袖を捲ると腕を確認する素振りを見せた。


「あ、時計忘れちまった」


 その気の抜けた発言で、智也はいよいよ関係者という線から男を外した。だが、今のマヌケな行動のおかげで分かったこともある。

 あまり意識していなかったが、宿屋の壁掛け時計や男の素振りからして、こっちの世界にも時計の類はあるらしい。それどころか、魔法という概念が存在する割には、むしろその魔法を見る機会の方が少ないようにも思えた。


 まだ智也が転移してきたばかりというのもあるだろうが、今のところ言語の違いや生活環境など、元の世界との相違点はほぼ見当たらない。

 例の金髪少女に「実は異世界転移していませんでした!」なんて言われても、その真偽が分からないくらいには。


「まぁ多分、九時前後ってとこだろう。それよりも……入学そうそう大遅刻なんて良い度胸じゃねぇか」


「すいません」


「……入学式なら体育館でやってる」


 とりあえず形だけ謝る智也をじっと見つめたあと、男は怠そうに後ろを指差し、早く行けと促してきた。


「先生は行かないんすか?」


 一礼し、体育館に向かう前に一つ問いを投げてみる。

 すると男は物憂つげにため息をついて、


「俺? 俺ぁダメだ。お前みたいな悪い奴の、案内をしてやらなきゃいけないからな」


 そう言われては、智也も返す言葉がない。

 知らないところで迷惑をかけていたのだと、心の中で反省して体育館へ急いだ。


「ほんとはいい人だったりして」


 なんて、身勝手ながらに男の評価を見直そうとして、智也は違和感を覚えた。


 まず、彼が形だけでなく歴とした教師なのは、信じ難いが今の受け答えで確認できた。そして彼の先生は智也以外の遅刻者を待っているとも口実している。

 しかし、本人も言っていたように智也は既に大遅刻をかましている身。その智也がここまで向かうまでの道のり、一人として学園の生徒に出会うことはなかった。いくらなんでも、大事な入学式にこれ以上遅刻するような輩なんていないのではなかろうか。


「もしかして、あの先生サボってただけなんじゃないのか……?」


 そんな疑心が、智也の中で渦巻いていった。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「えーつまり、ここにいる先生方は皆一流の魔導師なので、新入生の皆さんは安心して学んでいってください」


 体育館に着くと既に新入生らしき集団が整列していて、学園長の話を静かに聞いていた。

 今からでも混ざりに行くべきかどうか――いや、行くべきではあるのだろうけど、


「入り辛いな……」


「あら、新入生くん?」


 入口で戸惑う智也にこっそり歩み寄り、そう声をかけてくれたのは、栗色の髪をした若い女性だった。

 短く、丸みを帯びた髪型がよく似合っている。


「もうとっくに入学式は始まっていますよ?」


「あ、えーっと……すみません、遅刻しました」


 怒られているはずなのに、全く威圧感を感じさせない声と、その表情。

 ほんの一言二言聞いただけだというのに、その女性から溢れ出る優しさのオーラを既に智也は感じ取っていた。

 そんな女性だからか、智也は自分でも驚くくらい素直に頭を下げていた。

 もしも母親が見ていれば、これをどう思っただろうか。


「次は気を付けるようにね」


 そう言いながら片目を閉じる先生に、列に並ぶようにと背中を押される。

 もしも自分に気付いたのが別の人だったらどうなっていたか。智也は、最初に会ったのがあの先生で良かったと心底安堵した。


 もちろん、さっき出会った黒髪の男は職務放棄していたので除外である。今もまだ、校門で空でも眺めながら暇をつぶしているのだろう。

 そんな怠け者のことはさておき、智也は無事に最後尾へと並ぶことができた。何食わぬ顔で混じっているが、案外誰も気付かないらしい。


 少し気になって後方を一瞥すると、それに気付いた先の先生が微笑んでくれて、その女神のような笑顔に心が癒やされる。

 きっと、ああいう先生が生徒からの人気を集めるのだろうなと、智也は確信して。そうして他所事を考える智也の隣で、不意に女の声がした。


「ククク……深淵なる闇にいざなわれし漆黒の使徒よ。随分と遅かったではないか?」


 やけに特徴的な話し方だと思いながら横目に見ると、何故か黒紅色の髪の女生徒がこちらを見ている。それも、額に手を当てるという謎の格好をつけながら。


「――深淵を覗くとき、深淵もまた貴様を覗いている」


「なんだこいつ……」


 一瞬困惑したが即座に関わるべきではないと判断。呟きも心の中に留めて、智也は無視を決め込んだ。


「我と貴様は悠久の時を経て、今、ここで邂逅したのだ!」


 声高々と叫ぶ女生徒は、相手にされていないというのになお、一人で盛り上がっている様子。

 そもそも間違ってはいけないのが、今は学園長の話の途中である。


「貴様、我の声が届いとらんのか?」


 しかし隣の女生徒が執拗に絡んでくるせいで、その内容は全く頭に入ってこない。


「おーい」


 変な奴に絡まれた。と頭を掻きながら、智也は女生徒をなるべく視界に入れないよう注意しつつ周囲を確認する。


「聞いておるのか?」


 居眠りしている者や、落ち着きがない者。一人だけ妙に厚着で、カーディガンにマフラーまで着用してる者や、智也と目を合うと逃げるように視線を外す者などが目に入ったが、誰も助けてくれそうにはない。


「おーい、おーい」


 変わりに一つ得た情報としては、女子の制服が男子と同じ白いブレザーに、可愛らしい赤チェックのスカートだということか。

 それで女の子っぽいリボンでなく、あえて同色同柄のネクタイが選ばれている所がポイントである。


「おっかしいなぁ……聞こえてるはずなのに」


 それにしても、どうして隣の女はここまでしつこく絡んでくるのだろうかと、智也は不思議でならない。


「うぬぅ。人が話をしておるのに無視は良くないぞ」


 現在進行形で学園長の話を蔑ろにしている者が、よく言ったものだ。


「もしもーし!」


「んがっ……なまはげ!?」


 全く相手にされていないというのに、なんという諦めの悪さか。いい加減考えるのも疲れてきた智也は、ついに思考を止めた。

 学園長の話も、女生徒の呼び掛けも、誰かの寝言さえも無視して、電源が切れた機械のように完全に無反応となる。

 ただ目の前の誰かの背中を茫然と眺める、言わばナマケモノ状態と化した智也には、もうどんな声も届かない。


 そうして放置された女生徒は蒼眼に涙を浮かばせるが、智也は見向きもしない。

 もはや、そこまで無視する必要性が自分でも分からなくなったが、よくわからない勝負心に駆られて引けなくなっていた。


 それから数分後、さすがに女生徒も諦めただろうとナマケモノ化を解いた智也は、隣を確認して、口元を僅かに緩めた。

 うるさかったその女生徒が、俯いて沈黙していたのだ。


 ――俺の勝ち。


 謎の達成感に浸る智也。

 しかし、その者の勢いはこの程度では収まっていなかった。


 顔を上げ、何かに納得したように一人頷く。その動作に智也が怪訝な表情を浮かべると、


「貴様もしや、結界を張っておるのか? どうりで我の呼びかけに反応しないわけだ」


 その真剣な眼差しは、冗談や嘘を言っているようには見えない。おそらく本気でそう考えているのだろう。

 もはや救いようがないと智也は呆れ果て、同情の眼差しを向けた。


「俺に何か用なのか……」


「なんだ、聞こえておるではないか」


 嬉々とした声にため息を返す。智也の完敗だ。


 露骨に嫌な顔をする智也を気にもせず、女生徒はようやく得た会話のチャンスに一瞬言葉を悩ませてから、腰に手を当てた。


「我が名は不知火。漆黒の者よ、貴様なかなか骨がありそうで気に入ったぞ。どうだ、我が暗黒魔術団に入らぬか?」


「あ、結構です」


「なんでじゃ!」


 差し出された手を軽く払い退ける智也に、不知火とやらがそう叫ぶ。

 しかし、見るからに変な奴と関わりたくないのが智也の本音だ。そもそも、


「その絶妙にダサい名前はなんなんだよ」


「何を言っておる、カッコイイではないか! 暗黒だぞ!」


「あー」


 その発言を聞いて、目の前の人物が中二病的な思想を地で行く人なんだと察した智也は、一歩離れて話を聞き流すことにした。


「本当は黒炎騎士団と蒼炎騎士団で迷ったのだが、我等は騎士ではないから魔術団にしたのだ」


「たしかにな」


「うむ。だが今はまだ、我と葵ちゃんしか在籍しておらん。円卓の騎士は十二人と相場が決まっておるのにだ」


「たしかにな」


「だから貴様を三人目に加えようと言うわけだ!」


「たしかにな……ってならねぇよ!」


 危うく暗黒魔術団のメンバーになってしまうところだったと、嘆息する智也。横で不知火が文句を垂れていたが、それは全部聞き流していた。


 そんなこんなで、二人が実のない話をしている間に学園長の話も終わったらしい。結局一言も聞けていないが、さほど重要な内容でもないだろうと智也は判断した。


「――雪宮蛍」


 と、何故か妙に周囲がざわついており、何事かと智也が視線を巡らせると、いつの間にか体育館に来ていた黒髪のあの男が、一人ずつ誰かの名前を呼んでいた。


 さっそく学園長の話を聞き逃した弊害がここに。大して重要な内容でもないと考えたのは、果たしてどこのどいつだったか。


 しかしそれは、執拗に話しかけてきた不知火にも非があるわけで、責任を取ってもらうためにも仕方なく智也の方から声をかけた。

 実際のところは、その者以外に聞けそうな相手がいないだけなのだが。


「なぁ、いま何してるんだ?」


「うむ。貴様の二つ名を考えていた所だ」


 自分の聞き方が悪かったと、智也は激しく後悔した。

 そもそも勝手に変な名前を付けないでいただきたい。そんな風に冷めた眼差しを向ける智也に、不知火は何度か瞬きを繰り返してから、


「アレのことなら、そうじゃな……さしずめ天地開闢の如し、乖離の儀と言ったところか」


「クラス分けか、なるほどな」


 或いは翻訳家になれるのではないかと、自分でも不思議なくらい脳内変換が上手くいった智也。

 二様の意味でそれぞれ誇らしげな表情を浮かべる様を見ると、実は同種なのではないかと思えなくもない。


「――黒霧智也」


 と、例の男が智也の名を呼んだ。


「ククク……どうやら貴様の担任は彼奴あやつのようだな」


「やっぱそういうことだよなぁ……」


 あの覇気のない男が本当に教師だったのはともかくとして、よもや自分の担任になるなんて思ってもみなかった智也。どうにか避けられなかったものかと、頭を悩ませる。


「何をしておる?」


「え?」


「貴様もあちらに集まらんと、置いていかれるぞ?」


 不知火の声に間抜けな声を出し、焦って周りを見れば、既に呼ばれた生徒は全員男の元へと集まっていた。


「やべっ、じゃあな」


「ククク……また何れ」

 

「あぁ、卒業まで元気でな」


 最後まで我が道を貫く不知火の言葉を適当にあしらって、智也は足を急がせる。

 その背後から「なんでじゃー!」という喚き声が聞こえた気がしたが、気にしない、気にしない。



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