第五十八話 「戦いのあとは笑顔で握手して」
智也が学園に着くと、第一体育館に集まったクラスメイトが暇そうに担任を待っていた。
いつも通り時間ギリギリに来るのだろうと思いながら、国枝たちの元へ歩み寄る。
「おはよう、黒霧くん」
「……おはよ」
「どうしたの? 元気ないね」
「いやー、占い好きの変な奴がいてさ」
脳裏に淡藤色の髪の少女を描いて苦笑する智也に、国枝が小さく首を傾げる。
「黒霧さん、昨日何時まで残ってたんスか?」
「ん、あぁ……あのあとすぐに帰ったよ」
「ちゃんと夜眠れた?」
「この通り体調も万全だ」
昨日授業が終わったあと、いつものように二人に帰りを誘われた智也は、どうしてもまだ練習がしたかったため断腸の思いで断っていたのだ。
それでおそらく心配してくれたのだろう。あくまで元気がないのは妙な占いのせいであって、疲れは一切残っていないのだと力こぶを作ってアピールする。
「練習、上手くできたか聞いてこない辺りが優しいんだよな……」
仮に準備が整っていなかったとすれば、その問いが逆に智也の首を絞めることになってしまう。
それが分かっているからか、二人はそのことについて触れようとはしなかった。それに智也は心の中で感謝しつつ、
「おし、ギリギリセーフだな」
「せんせー今日も遅いよ」
待ちくたびれたように呟く栖戸の頭に手を置いてから、いつもの定位置に歩を進めると、先生は十五人の顔を見回した。
「全員揃ってるな。――今日が何の日か、忘れてないだろうな?」
「はい、模擬戦闘訓練の日です!」
いつになく元気な栖戸の様子に、智也は目を丸くさせた。
先のちょっとしたやり取りで栖戸の活力が漲った――というよりは、それ以前からやる気に満ち溢れていたようだった。
心なしかいつも乱れている灰色の髪も、少し整っているように見える。
「珍しいよね、栖戸さん。張り切ってるみたい」
「選抜狙いのライバルか……」
日頃、どちらかと言えば大人しい栖戸でさえあの気合の入りようだ。智也も負けていられないと、対抗心を燃やす。
「月末に開かれるクラス対抗戦でA組が勝つために、この中から五人の優れた魔法使いを選出させる……そのための模擬試験だな」
元気よく挙手してみせた栖戸に首肯して、先生が細く説明を入れる。
つまり、ここでいい結果を残せないと選抜入りは難しくなるということだ。
改めて先生の口からそう告げられて、さらに緊張が高まった。
「早速いまから始めるが、くれぐれも無茶だけはするなよ」
咎めるように、戒めるように、先生はいつもその言葉を口にする。あの日、藤間が無茶をして以来ずっとだ。
もしかすると一年前にも同じようなことがあったのかもしれない。
――なにせ藤間は、先生の下で教わるのはこれで二年目なのだから。
「んじゃ、第一試合。国枝大樹vs七霧零」
「ちょちょちょ、もうやるんスか!?」
「そういや一試合目からだった~~」
覚悟していたものの、みんな先生の切り替えの早さについていけず、あたふたしていた。
どちらか片方だけを応援することはできないので、智也は二人の背中に手を置いて、「がんばれ」と軽く叩く。
「ありがとう、黒霧くん」
「――国枝さん」
「ん? どうしたの?」
「これはあれっスよ。この試合に勝った方が、黒霧さんの一番の親友ってことで」
「ふーん。それは負けられないな」
真剣な顔で何を語り始めるのかと思えば、取るに足らない話であった。智也としては二人ともが大切な存在であって、そこに優劣などないのだ。
しかし、扇動した七霧だけでなく国枝さえもその気になっており、二人で勝手に火花を散らしている。
「二人以外の観戦者は全員上にあがれー」
笑顔で睨み合う二人に苦笑を残し、智也も先生の指示に従い舞台横の扉へ。
壇上の両脇にあるその扉からは、それぞれ左右のギャラリーへと階段で繋がっており、十五人が適当にばらけて二階に上がった。
以前行ったチーム戦では一階の隅っこに寄って観戦していたが、今回のこの形式は、さも本番を意識しているかのようだ。
「上から見るのって新鮮やね。なんか、ほんまの対抗戦みたい」
「……」
智也は一人で観戦するつもりだったのに、何故か側に来ていた紫月が、そう感想を溢していた。しかも、自分と全く同じことを考えていたようで。
自然と智也は黙り込んだが、紫月は楽しそうに笑っている。
「試合は二本先取で『魔武器』の使用は禁止。それ以外の制限はなしだ……いいな?」
「いつでもかかってこいっスよ!」
「全力で行くよ!」
国枝、七霧、と二人の顔を順に見て、先生が一歩下がる。
「始めろ」
戦闘開始の宣言を聞いて、真っ先に動いたのは意外にも国枝だった。
「Reve11【火弾】」
意表を突かれたのか七霧が一拍遅れて回避行動をとり、転んだ先で反撃の構えを取るが、その眼前に壁が立ちはだかった。
「Espoir13【隔壁】!」
「うわ、しまったっス!」
動揺している間に七霧を壁が取り囲み、完全に逃げ場を失くしてしまう。
複数の壁を用いて一ミリの隙間もなく正確に組み立てられるのは、さすがの技量か。
もはやそれが一つの魔法と見紛うほどの完成度である。
「まずは一本もらうよ。Reve16【半月切り】!」
手のひらから放たれた半月型の斬撃が正面の壁をやすやすと壊し、中に閉じ込められていた七霧までもが切り裂かれてしまう。
おそらくは、正面の壁だけ他より脆くしてあったのだろうと智也が分析して、
「やられた~、一本取られたっス~……なんちって」
切り裂かれて瓦解していく壁の奥から、七霧が笑みを覗かせて。
――か細い手から、稲妻が走る。
咄嗟の防御が間に合わず、国枝は反射的に顔を守るように腕を交差させたが、それでは身を守ったことにはならない。
バチ、バチ、と音を立て『魔法服』に施された結界に弾かれるように、電光が飛び散る。
内にも外にも害はない。ただ、痺れという痛みが国枝には伝わっているだろう。
そうして国枝が膝をついて倒れ込むと、七霧を囲っていた壁も霧散して消え失せる。
「まさか逆に不意をつかれちゃうなんてね……さっきの、どうやって防いだの?」
「簡単っスよ。上からくる魔法がないと分かってれば、壁ごと壊して攻撃してくると思ったっス。だから、国枝さんの壁の裏に、自分の壁をくっ付けて丈夫にしてみたっス」
「……凄いな、まるで黒霧くんみたいな発想だよ」
「へへ、そうっスか? いやーそんな、照れるっスよ~」
頭の後ろに手をやりながら、だらしない表情を浮かべる七霧。そのあからさまな反応が上から見ていても分かり、智也はやれやれと嘆息した。
そして完全に気を抜いている七霧に対し、国枝が優しく忠告を入れる。
「まだ試合は終わってないよ」
瞬間、再び七霧を囲むように壁が立ちはだかる。
――いや違う。今回のは両側を塞ぐだけに留まっており、前後への逃げ道は残されているようだ。
補助魔法が得意な国枝ならではの壁の使い方。それに智也は感心していた。
「……うまいな」
「でもあれじゃ七霧くんは逃げれるんじゃないん?」
「いや、あえて逃げ道を残すことによって、逆に相手の行動を制御してるんだよ」
目の前の試合から目を離さず、智也は横から聞こえた質問に無意識に答えていた。
「七霧が取れる選択肢は三つ。後ろに下がって囲いから抜け出すか、もしくは前に出て攻撃を仕掛ける。或いはそのどちらでもない、その場での待機か」
「その場での待機やと、だいぶ七霧くんは不利やよね?」
「だが、下手に動こうとすればまた閉じ込められるだろうな」
「そっか……智也くんならどうする?」
そこで初めて、自分が無意識に紫月と会話していたと気付いた智也は、何とも言えぬ表情を浮かべて頭を掻いた。
横から向けられる純真な眼差しに、致し方ないと密かにため息を溢し、睨み合いが続く二人に視線を固定したまま話を続ける。
「攻めるにしても、壁の扱いが上手い国枝に簡単には攻撃は通らない。それこそさっきみたいな不意打ちを狙いたいけど、さすがに同じ手は食わないだろう。きっと七霧もそう考えてるはずだ」
額に汗を浮かべつつも、七霧は笑みを崩さない。
一見笑っているように見えるが、かなり追い込まれている状況と言えよう。だからこそ次の行動が取れずに硬直しているのだ。
そんな七霧に、国枝の無言の眼差しが突き刺さる。
「前に出ようが後ろに下がろうが、おそらく国枝の対処は同じだ。予めそう決めていた方が相手の動きに惑わされなくて済むし、反応も遅れない。それが分かってるなら、きっと七霧はその場から動かないだろうな」
「――Reve12【水風船】!」
そこに至るまでにどういう思考経路があったのか。結果的には智也の読み通り身動きを取らず、その場で攻撃に転じた七霧。
それに対し国枝は身を守るための壁を具現化させ、着弾した水泡が弾ける衝撃で一部崩壊するも、完全に七霧の攻撃を防ぎ切っていた。
チーム戦の際に、打倒久世を目指して練習したときの成果が、今ここで活きている。
属性の相性は不利であっても、相殺するために必要な魔力量を見極める力――いわば選球眼のようなものが備わっているのだ。
そして七霧の攻撃を防いだあと、すぐさま国枝は別の詠唱を唱えていた。
七霧は急いでその場から飛び退こうとしたが、少し判断が遅かった。
「Reve25【板挟み】!」
合掌するように手を合わせると、左右にあった壁が急速に狭まっていき、中心にいた七霧が挟撃にあう。
勢いよく衝突した壁は霧散して消え、七霧は頭を押さえながらその場に蹲った。
国枝は二十五番と詠唱していたが、それは『魔導書』には記載されていないものだ。
と、そこで智也は二日前の合同授業にて、彼が鬼先生に何かを教わっていたことを思い出した。
「国枝大樹、一本」
先生が左腕を斜め横に切り、国枝の攻撃が有効打と判定される。
これで五分五分、次に有効打を取った方の勝ちとなる。
「黒霧さんは渡さないっスよ……」
「もちろん、おれも譲る気はないよ」
頭を押さえながら、七霧が立ち上がった。
まさか本気でその為に戦っているのかと疑いたくなったが、今更止めるわけにもいくまい。
一定の距離を保ったまま睨み合いが続いたあと、今度はお互い同時に動きを見せた。
先程のように、国枝が七霧を取り囲もうと壁を具現化させるが、それより早く七霧が横へ飛んでいた。
補助魔法で脚力を強化したのだ。
そうして七霧は壁に着地すると、その勢いのままに壁を走り出す。
「これどうやって止めたらいいっスかー!?」
あいつ凄いな。なんて感心しようとした矢先、案の定の有り様に智也はため息も出ない。
そして、それを好機と捉えた国枝が狙いを絞り、
「Reve11【火弾】」
手のひらから生み出された火球が、七霧の少し前に着弾して爆ぜる。
直撃こそしなかったものの、爆風に巻き込まれた七霧は吹き飛ばされ、そのまま床に転がり落ちた。
「いててて、危なかったっス……」
「Espoir13【隔壁】」
少しでも隙を見せれば、国枝が壁で捕えようとしてくる。
それで横に躱した七霧が起き上がりざまに十一番を詠唱するも、国枝との間に隔てられた壁によって、見事に防がれてしまう。
守りにも攻めにも使える自由自在な壁は、極めて厄介であった。
それを七霧がどう対処するのか、智也は注意深く観察する。
「いや~、国枝さんはやっぱり補助魔法がうまいっスね~」
「ありがとう。でも油断させようとする手には乗らないよ」
そう言って国枝が微笑むと、七霧が渋い表情になる。
一度不意を突かれたからこそ、国枝の警戒心はより高まっているだろう。
同じ手を使わず、要塞のような守りをどう崩すのか。考えあぐねたのか、七霧は一直線に走り出した。
「Espoir13【隔壁】!」
「――Espoir3【強歩】」
壁によって進路を阻もうと試みるも、急激に速力を増した七霧を捕らえ切れず、国枝は接近を許してしまう。
慌てて後ろに飛び退き、距離を取ろうとするもすぐに追いつかれ、七霧の魔の手が国枝の肩に伸びる。
しかし、七霧の手を左腕で振り払った国枝が、空いた右手を翳し、反撃の構えを取った。
「ごめん! Reve11【火弾】!」
無防備を晒す七霧の顔面へと火球が放たれて――――、
「Reve23【電身柱】」
身体に纏わせた魔力が電気を帯び、七霧の全身を黄色い光が走り抜ける。
直撃寸前だった火球は弾け飛び、霧散し、七霧の手を払った際に触れた右手から、床へと、国枝の体に電気が走る。
「ぐあ……!」
感電したように電気を浴びて倒れる国枝。『魔法服』の恩恵によって守られているはずだが、それでも智也は心配になった。
「大丈夫かな、国枝くん」
「本当にやばかったらその前に先生が止めてるとは思うが……」
と言いつつ、智也の足は自然と一階に向かって走っていた。
その背を遅れて紫月が追いかけるが、それに智也は気付くこともなく、階段を駆け下りてコートへ続く扉を開け放つ。
「七霧零、一本。勝負あり」
ちょうど扉を開けたとき、先生の声が聞こえて二人の勝敗が決したのだと知った。
身体が痺れるのか、上手く動けない国枝に七霧が肩を貸しており、こちらへ向かって歩いてくる。
目が合うと二人は揃って苦笑いを浮かべ、一先ず無事を確認した智也は内心ほっとした。
「迎えに来てくれたの?」
「まぁ……大丈夫なのか?」
「うん、何ともないよ」
七霧と反対側に回り、自分も肩を貸そうかと構えるが、国枝に「怪我人じゃないんだから」と言って笑われる。
そのまま智也は何もできず、二人が舞台裏に入るのを静かに見守った。
「国枝くん、大丈夫なん?」
「大丈夫だよ、紫月さん。七霧くんもありがと。この辺でいいよ」
「痛みとかないっスか?」
「なに? どうしたの皆して。本当になんともないよ」
中で待っていた紫月やさっきまで戦っていた七霧、そしてもちろん智也からも心配されて、国枝が居心地悪そうに苦笑する。
電属性なだけあって、今まで見たことのない魔法だった。
もちろんそっちは『魔導書』に記載されているため、存在自体は智也も知っていた。が、予想以上の迫力があり、心配になったのだ。
「七霧くんに肩を貸してもらったのは痺れて動きにくかっただけだったし、それも今はだいぶ引いてきたよ」
自分の手のひらを開閉しながら智也たちにそう告げると、今度は深碧色の瞳に七霧だけを映し、国枝は言葉を続ける。
「本気で戦うって決めたよね。だからおれも結構本気でやっちゃったし、何も気にすることはないよ」
「そう……っスよね。だって、自分も頭痛かったっスもん」
「そうだよ」
二人が笑みを交換するのを見て、智也はそれ以上口を挟むことをやめた。
もしかしたら変にギクシャクしてしまうのではないかと思っていたが、目の前の笑顔に、それが杞憂だったと知らされたからだ。
「二試合目ー、七種麗華VS千林秋希」
「秋希ちゃん気を付けてね~」
「うん、大丈夫! 行ってきまーす」
コートの方から先生の声が聞こえたかと思えば、上階から騒がしい音が聞こえ、そちらに目を向けると梅色の髪を揺らして階段を駆け下りてくる千林の姿があった。
その際に向こうも智也たちのことを一瞥くれるが、特に興味を示さずそのまま先生の元へと走っていく。
「よし。次の試合も始まるし、おれらも上で観戦しよっか」
「そうだな」
「了解っス!」
そう言って智也たちはギャラリーに戻り、次の試合に備えた。
「次は誰だったっスか?」
「さっき先生が呼んでたの聞いてなかったの?」
なんて、呑気な会話を繰り広げる二人を、智也は少し羨ましく思いながら。




