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第五十一話 「日々の機微」



「――おかえり。想像以上に早かったね、恭吾くん」


 リヴ魔法学園の最上階にある、扉がないという異質な部屋の奥。デスクの上で手を組んだ優男が、糸のように細い目で正面を見据えてそう呟いた。

 視線の先、光と共に現れた灰の眼の男が、目に角を立てている。


「君のその顔を見れば、およそ何があったか見当はつくけど……話してくれるかい?」


「察しの通りだよ。全速力で向かったが、着いた時には全部終わっていた」


 いい結果は持ち帰れなかったと察しても、学園の長として何が起きたのか把握し、その始末や対応に当たる必要があるのだろう。

 男もそれが分かっているからか、どれだけ気が立っていても憂さ晴らしで噛みつくような真似はしなかった。


「村なんざ原形を留めてないくらい酷い有様だった。それをやったのは魔物だろうが……そこに連中の姿は見当たらなかった。あそこには魔除けの護符が張り巡らされていたはずなんだがな」


「ふむ。人が剝がした形跡は?」


「こんなときにつまらねぇ冗談はヤメろ。仮に札を剥がせたとして、それで完全に効力が消えるわけじゃないのは知ってんだろ」


 なにを馬鹿なことを、と灰の眼を細める男に対し、学園長は気後れしたように眉尻を下げる。


「ともあれ、今となっては真実を語れる者もいない……か」


「或いは護符が効かないくらいの化け物だった、ってことだろうよ。なにせ二体とも……俺は初めて見る風貌だった」


「まさか、君の手に負えないようなものが?」


 顎に手をやり思案顔をしていた学園長が、驚いたように顔を上げる。それに対し男は「んなわけ」と鼻を鳴らして、


「たしか片割れは『鬼猩々(おにごりら)』って神城が呼んでたか」


 それで問題なのがもう一体の――と言葉を続けようとして、学園長が被せるように声を上げた。


神城かみしろ京野みやのくんかい? そうか、彼女は助かったんだね……よかった」


「たとえ神城一人しか助けられなかったとしてもか」


「――。それでもだよ恭吾くん。それでも僕は、君を派遣してよかったとそう思っている」


「もっと早く出向けば結果は違ったかもしれねーけどな」


 血管が千切れそうになるほど強く拳を握り締める男に、学園長はなにか言葉をかけようとして、不意にその口元に手をやった。


「神城くんたちが隣町に出向いたのは二日前の正午。同日、君には街の護衛を頼んでいたね」


「何が言いたい?」


「いや? 妙だと思ってね。あの日君は連中と接敵したと言っていたが、ここから隣町まで普通なら半日はかかる」


「まだその話をしてんのか。村の結界がどう壊されたかなんて、今さら気にしたって仕方ねぇだろ。第一、奴等が二手に別れて行動してたら……なんてことない話だ」


「そこがおかしいんだよ、恭吾くん」


 そう言って学園長は誰もいない部屋の隅を見やってから、灰の眼を見つめ返した。


「あの日、街に連中が現れるという情報を持ってきたのは美月くんだ」


「おいおい……まさか自分の秘書を疑ってんのか?」


「……どうだろうね。恭吾くんはどう見るかい?」


「俺にソレを聞くのか」


 男の冷めた眼差しに学園長は苦笑を浮かべ、「愚問だったかな」と小さく呟く。


「すまない、話の途中だったね。それでもう一体の魔物が――」


「ゲル状の、スライムみてーな見た目だった。こいつも新種だろう」


「ゲル状……確かに初めて耳にする風姿だ」


「便宜上、『黒不浄(くろふじょう)』と呼ぶが、奴の体液には物を溶かす力があった。おまけに、腹に収めた獲物の特性まで吸収しやがる」


 溶かす、と聞いて学園長の眉が僅かに動く。

 もう皆まで言わずとも、全て理解したことだろう。だが彼は、その先の言葉を男の口から出るのを待っているようだった。

 その糸のように細い目を見据えて、


「……村も、人も、たった一体の魔物によって壊滅されたんだよ」


 つまりそれがどういうことを意味しているのか。医務室に寝かせてきた生存者を除き、悲惨な現場を目の当たりにした唯一の目撃者として、その報告をしなければならない。

 そんな男の表情は恐ろしいほど厳粛したものになっており、学園長もまた、眼鏡を押し上げ表情を引き締めた。


「『黒不浄』との戦闘において、波紫海(はしばかい)睦月一(むつきはじめ)白菊空(しらぎそら)、計三名の生徒が……死亡したと推測される」


「すまない、私がもっと早く気付いていれば」


「やめろ。別にあんたを責めたいわけじゃない」


 言葉一つ発するごとに、心臓が締め付けられるような重苦しい空気の中、学園長がそう言って目を伏せる。


「親族にはどう説明すんだよ」


「……消滅したと言っても、もしかしたら」


「万が一なんて有り得ねぇ! そんな不確かな希望を持たせる方が酷だろうが」


「すまない……」


 何度目かの謝罪の言葉に顔をしかめた後、男はそれを言い訳に憤懣をぶつけそうになるが、そうしたところで失ったものは帰ってこない。


「ここからは私の仕事だ。君は心苦しいだろうが……どうか業務に戻ってほしい。今の君には、一年A組の生徒が待っているはずだよ」


「一年だろうが二年だろうが、俺にとっちゃ接してきた全ての生徒が大切な存在なんだよ。誰一人として変わりはいない」


 そう言い捨ててから光る魔法陣に足を運び、学園長室から去っていく男。

 ささくれた心を癒そうにも、かけた言葉は全て裏目に出て、抱いた憂慮の念は、元より閉ざされていた心には届かない。


 一人きりになった部屋で、淡く光る魔法陣を見つめる学園長は、静かにその眉を曇らせた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 賑やかな声が響く第二体育館。そこでB組との合同授業を受けていた智也たちは、魔力のみを放出するという高等技術を教わっていた。

 結果的に言えば、習ってすぐ扱えるものでもなかったため、ほとんどの生徒が苦心するだけに終わったが。


 そうして空いた時間は自由行動となり、一部の生徒がボール遊びを始めたのだが――、


「喰らうがいい! 超絶スーパー超越ハイパー極上ウルトラ究極アルティメット暗黒ダークネスフレイム!!」


「まさか!? それは禁術のはず! ぐああああ!!」


「神童さん! くっ……敵討ちっス!」


 黒紅色の髪の変人――不知火が放ったボールがふわりと飛んで、神童に軽く当たった。

 それで何故か右腕を押さえながら苦しむ変人二号を横目に、反撃に投げた七霧の球をいつも通りの格好のまま不知火がひらりと躱す。


「ハッハッハッー! そんな攻撃、我には通じぬ!」


「はぁ……いつまでやるんだこれ」


 そんな彼らの無邪気に遊ぶ様を見つめて、智也は大きなため息を溢した。

 離れたところでは、国枝と栖戸が鬼先生に指導してもらいながら魔法の練習に励んでいる。珍しい組み合わせだと思ったが、どうも二人は同じ適性持ちらしい。


 智也もただ時間を無下に過ごすのではなく、自主連を試みようとはしていた。

 しかし専属講師がいないと、やはりできることの幅が減ってしまうのだ。

 そんな中で国枝たちの様子を呆然と眺めていた智也は、入り口の方を向いたまま固まっている栖戸に、眉を寄せた。


「こうませんせー?」


 何かに驚き、思わず漏らしたような、小さなつぶやき声だった。

 しかし、ハッキリと聞き取れた栖戸の言葉に智也は反射的に顔を向け、そこに見つけた。


 ――体育館の入口で腕を組み、壁に凭れてこちらを静観している、降魔恭吾のその姿を。


「先……」


「せんせーーーー!!」


 智也が声を上げるよりも早く、走り出した栖戸が小柄な体で先生に抱きついていた。それに続くように、他のクラスメイトもその人の元へと駆け寄っていく。


「せんせー、大丈夫だった……?」


「先生、おかえり!」


「お帰りなさい~」


「おぉ……なんだお前ら。どうした、俺はこの通り元気だよ」


 時間にして、半日そこら顔を会わせなかっただけに過ぎない。それも本来なら、ようやく目的地に辿り着いたであろう頃合いだ。

 それがどういうわけか、こんなにも早く帰還を果たしている。


 具体的な用件を智也たちは聞かされておらず、ただ「隣町へ向かった」ということだけ伝えられていた。

 おそらく鬼先生は全て知っていながら、無用な心配をかけないよう配慮してくれたのだろう。それでも、智也が嫌な予感を抱いたように、他の生徒も不安に感じていたのかもしれない。


 それでこうして無事帰ってきてくれた姿に、皆安心しているようだった。


「も~、先生遅すぎ。あのお爺ちゃん先生の授業、マジで退屈だったんだから」


「そうっスよ! 全然何の話してたか分かんないっス!」


 わりと失礼な発言をする東道に七霧が乗っかるが、「それは七霧くんが寝てたからでしょ」と国枝が指摘して。

 そうして教え子に取り囲まれ、その勢いに圧倒されて苦笑いを浮かべる先生の姿に、智也は首を傾げる。


 元気だなんて言葉、普段から似合わないような面をしているが、一段とその表情に覇気がないように思えたのだ。

 今朝までは、そんな違和感はなかったというのに。


「降魔先生」


「あぁ、鬼――先生。ウチの生徒がお世話になりました」


「ほっほっほ、そちらの生徒さんも真面目で、いい子ばかりじゃのう。……ちと正直過ぎるがな」


 軽く会釈する先生に対し、鬼先生は微笑を浮かべ、それから片目を閉じると東道たちの方を向いて悪戯に微笑んだ。

 どうやらご老人だと侮っていたが、ちゃんと悪口は聞こえていたようだ。東道はバツの悪そうな顔で謝罪すると、小さく舌を出して照れ隠しとしていた。


「ちょうど、終いにしようと考えていたところじゃよ」


「そうですか。また何かあった際はお互いに。んじゃ……今日の授業はこれで終わりだ。お前ら帰るぞー」


 二人の先生は最後に目配せを交わし、初めての合同授業はお開きとなった。

 いずれ、クラス対抗戦にて戦うことになるであろう面々を目に焼き付ける智也。


 しかし戦うことになると言っても、それは智也が選抜されたらの話である。

 そこを目指している身としては、まずは二日後の模擬戦にて成果を上げなくてはならない。


 先生も無事に帰ってきてくれたことだし、また明日も朝から練習ができる――そう意気込む智也に、声が掛けられた。


「黒霧くん帰ろうよ」


「あぁ、今行く」


 先に出ていった二人が、足を止めて待っていてくれた。智也はそこに走って追いつき、二人と肩を並べて歩き出す。


「降魔先生、思ったより早かったっスね~」


「用事は済んだのかな?」


「何にせよ、無事帰ってきてくれて良かったよ」


「そうだね。鬼先生も嘘つくのが下手だよねー」


「何のことっスか?」


 頭の後ろで手を組みながら、目を丸くさせる七霧の顔に、智也と国枝は笑みを浮かべた。

 そんないつも通りのやり取りをしながら、今日も楽しく帰路に就く。その三人の後ろ姿を、灰の眼が哀愁漂う眼差しで、じっと見つめていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「ただいま」


「ふふ、おかえりなさい」


 宿屋に帰ると、いつも通り――いや、いつも以上に優しい笑みを浮かべた新井さんが出迎えてくれる。


 日頃から笑顔の多い人ではあったが、今日は朝からやけに自分を見つめる眼差しが温かいように智也は感じていた。

 それは、自分でも気付けないくらいの些細な変化がきっかけだったのかもしれない。


 笑みを湛える新井さんに内心で首を傾げながら、智也は手招かれるままに食堂へ。

 と、テーブルの上に並べられた配膳に、思わず感嘆の息を漏らした。

 色とりどりに盛り付けられたそれは、一種の芸術作品かのような美しさがあったからだ。


 それは、綺麗に盛り付けられたサラダだった。


 そう、智也はメインディッシュではなく副菜に目を惹かれたのである。


「……」


 大皿の縁を囲む葉物野菜はまるで花冠のようで、細く巻かれた生ハムが花弁のように咲いている。

 そこにカットされた茹で卵やミニトマトが等間隔に並べられており、中央にはサイコロ状に切られたアボカドとコーンが鎮座していた。


 もはや己がメインだと主張するかの如く美を放つ存在に目を奪われ、何秒経過しただろうか。

 智也は未だに席にも着かず、棒立ちのままだったことにようやく気が付いた。


「あ……すいません、いただきます」


 気恥ずかしさを覚えて席に着いたはいいものの、ここまで綺麗に盛り付けられていると、食べるのがむしろ惜しくなる。

 とはいえサラダはあくまで脇役だ。メインにはエビチリが用意されており、白米と卵スープも付いていた。

 余計、どれから手を付けるか悩ましくなる。


「今日って何かの祝い日ですか?」


 新井さんの張り切り具合に、まるで誰かの誕生祭のようだと感じたが、本人は含み笑いを浮かべるだけで、何も言わずに台所へ行ってしまう。


 その意味が分からず再び首を傾げるが、悪い意味ではなさそうだと判断して、智也はもう一度手を合わせてしっかり御馳走を頂くことに。


 綺麗な盛り付けを崩す様は、誕生日ケーキに突き匙を入れ、豪快に食い荒らしていた幼少期の思い出を彷彿とさせた。

 なぜそんなことを今思い出したかは分からない。

 異世界での智也の誕生日とするにしても、あまりにも気が早すぎる。

 しかし目の前の御馳走を舌にのせる度に、それと近しい思いが込められているかのように感じたのだ。そんな喜びと物悲しさがないまぜになったかなような感慨を覚えつつ、智也は一つ一つ丁寧に味わった。

 

「ご馳走様でした」


「お粗末様でした」


 綺麗に片付いたお皿を返しにきた、智也の多幸感に満ちた顔を見て、新井さんは優しく微笑んだ。

 その皺の寄った笑顔に、智也もまた笑みを湛えて。


 特にこれといった会話はなかったが一片のわだがりもなく、心身ともに満ちたような趣で部屋に向かった。


 そうして、今日はいい夢が見れそうだ。なんてことを思いながら、智也は深い、深い眠りへと落ちていく――――。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 暗い海の底のような場所で、『光』が揺れ動いていた。


 黒一辺倒の世界で、唯一光り輝く可憐な存在。


 この無限に広がる世界にたった一人きりでは、さすがに寂しそうで、悲しそうに見えた。

 しかし、そんな質素でつまらない世界に別の光を見つけたのだ。


 遥か上方に見えたもう一つの光は、まるで水底から見上げた太陽かのようで。

 水面を目指すように、『光』は何度も何度も浮かび上がろうとして、その度に力尽きていた。


 あの光の向こうには、何があるのだろうか。


 暗い世界を抜けたその先に、どんな景色が広がっているのだろうか。


 或いは鏡写しのように、またつまらない世界がそこに在るのだろうか。


 一つ確かなものは、可憐な『光』に宿った『意思』が、何度失敗しても諦めさせず、ひたむきにそこを目指そうとしていた。



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