第五十話 「魔を降す、猛き炎」
柔らかい日差しが、広大な平原に降り注いでいる。まるで地平線の彼方まで緑が続いていそうな、この地一番の大平原に。
生暖かい風が大地を撫ぜ、揺れる草花が心地良さげに踊っているかのよう。
一陣、また一陣と続け様に吹いたあと、一際強い風が大平原を駆け抜ける。――いや、駆け抜けたのは風ではない。人だ、人が風さながらに走っているのだ。
常人離れした速度で、黒髪の男が南に向かって驀進している。
「……ッ!」
一足の踏み込みを挟んで男の姿が消えた。残った衝撃が、周囲に草の波を立たせる。
たった一度の踏み継ぎで、男は百メートル以上もの距離を移動していた。
まさしく瞬間移動だ。先ほどまでこの地に吹いていた風は、彼の走る余波だったのか。
「――無事でいてくれ」
駆けては飛んでを繰り返し、広大な地を縦断する。
向かう先にいるはずの生徒の無事を切に祈り、願いながら。
そして、徒歩で半日もかかるとされる隣村に、男は一時間足らずで辿り着いた――はずだった。
「何だ、これは……?」
息を切らし、灰の眼に驚愕の色を浮かばせながら立ち尽くす。
わずかに痕跡が残っているおかげでそこが目的の場所であったことが辛うじて認識できる。でなければ、目の前に広がる塵芥の山を、とても村だとは判別できなかっただろう。
「……」
倒壊した門を跨ぎ、通常とは異なった形で村に踏み入る。と言っても石屑と看板らしき木片がそこに散乱しているだけで、踏み入った場所が村の入口なのかどうかさえ怪しい。
一帯を取り囲んでいた柵も、農民が暮らしていたはずの家々も、大事に育てていた作物さえ、根こそぎ破壊されて影も形もありはしない。
本来であれば、穀倉地帯であったそこには出穂期を控えた小麦畑が、青々と広がっていたはずだったというのに。
魔物の被害か――と呟きながら、不意に見やった視線の先、比較的元の形が保たれた家の下に人の腕が垂れているのを見つけた。
「おい、誰かいるのか!?」
比較的と言っても、それは周りと比べればの話だ。
一体何が起きれば民家が横に倒れるのか。まるでちゃぶ台返しでもしたかのようだが、スケールが違い過ぎる。
「……ぁ、こうま……せんせい……?」
と、駆け寄った男の耳に、瓦礫の下から微かな声が聞こえた。
「今助ける! 他に人は!?」
「ここには……私しか……」
「分かった、じっとしてろ。――【無上迅速】」
誰もいないことを確認して、振るった男の右腕から銀閃が飛び出した。
横倒しになった民家の上半分が綺麗に吹き飛び、残った瓦礫を何度か持ち上げて退かす。
「大丈夫か!?」
「やっぱり、降魔先生だ……来てくれたんですね……」
民家の下敷きになっていたのは、『魔法服』を身に着けた学園の生徒だった。
幸い地盤が沈下していたおかげで圧し潰されることはなく、その者の体は地面との隙間にうまいこと嵌っている様子。
うつ伏せに倒れる生徒の側頭部に手を添えて、脇の下から反対の手を回して体を引っくり返す、その際に、頭を支えていた男の右手が血に濡れた。
よく見れば頭だけではなく、下敷きになっていた左腕、そして腹部からも出血しているようだ。
しかし何よりも酷いのは、右の手のひらから肉の断面が見えていること。まるで最初からそうであったかのように、その先は消失していた。
「……神城、痛みはあるか?」
「お腹が少し、あとは頭と左手が……」
「Espoir7【緑閃光】。――悪いな、こんな低級な回復魔法しか使えなくて」
一瞬の発光の後、神城と呼ばれた生徒の体が薄緑色の球体に包まれる。右手の方は手首から先が綺麗に消えているせいか、出血も痛みもないようだ。
「他の奴はどうした?」
学園長の話によれば、彼女らは四人で行動していたはずである。だが村はこの有り様で、他の三人はおろか住民の姿の一つも見当たらない。
一体この地で何が起きたのか。そう尋ねる男に神城は、怯えたように顔を強張らせた。
「見たことのない赤い鬼が、何体も現れて……私たちはその討伐に……しかし村が、皆が……」
「落ち着け、俺が来たからもう大丈夫だ。とりあえず少し休んでろ……他の奴らを探しに行ってくる」
震える神城の肩を掴んで落ち着かせると、男はゆっくり立ち上がった。
もし他の三人も彼女のように生き埋めになっているのなら早急に救助する必要がある。無論、村の人もだ。
「ま、待ってください! 体はこんなでも魔法は使えます。私も連れて行ってください」
と、先へ行こうとした男の手を掴み、神城が嘆願してくる。
自分だって片腕を失くすほどの重症を負っているというのに、それでも彼女の眼差しは力強い。
「このまま一人、引き下がることなんて出来ません。私も……戦わせてください」
「相変わらず強情だな。……いいだろう。仮に何かあっても、お前は守ってやるから安心しろ」
口の端を吊り上げる男に、神城は嬉しそうにほほ笑んだ。
それから二人で荒れ果てた土地を歩き回ったが、やはり誰の姿も見当たらなかった。
北部に位置するあの城下町ほどではないにせよ、それでも千を超える数の人間が、確かにここで暮らしていたはずなのに。
渋面を作りながら辺りを見回していると、また、横倒しになった民家の下に誰かの腕が挟まっていた。
さっきと全く同じ状況。目を凝らせば、やたらと大きな手いっぱいに赤い体毛が生え揃っていて。
瞬間、何かを察した男が声を上げ、神城を後ろに庇った。同時に、目の前で倒壊していた民家がこちらに向かって飛んできた。
「Reve48【天瀾兜割り】!」
上段から下段へと流れるように手刀が走り、その動作に呼応して民家が真っ二つに断ち切れる。
木屑やら土煙やらを撒きながら、二人を避けるように建物が落下。背後で粉微塵に崩れる。
見晴らしのよくなった視界には、全身真っ赤な毛で覆われた獣が立っていた。
体長は男の背丈よりやや低いくらいだが、発達した上体の筋肉が凄まじく、さながら岩塊が張り付いているかのよう。
――なぜ民家が飛んできたのか。
考えなくとも答えは目の前にあった。
あえて下敷きになっていたのは、生き埋めになった人の真似事をして、こうして油断したところを襲うためか。
厚い胸板を叩いて威嚇してくる赤い獣――、
「鬼猩々……まだ生き残りがいたなんて」
驚いたような口振りの神城を、灰の目がちらと見る。
類人猿の中でもとりわけ大きな体格を持つゴリラと近しい見た目。そしてその頭部には、確かに鬼のような角が二本くっついている。なるほど特徴通りの名前である。
そんな風に男が納得していると、鬼猩々は大きく息を吸い込み空に向かって口開いた。
瞬間、鬼猩々の頭部が黒い血を噴きながら吹き飛んだ。
「……久々に見ました、先生のその魔法。さすがですね、未だに反応出来ません」
――無上迅速。
五十九番の攻撃魔法で、分類としては中級上位にあたるもの。
速さに優れた風属性の中でも飛び抜けて速いその魔法は、極致に達した男が扱えば具現化の瞬間は疎か、斬られたことにすら気付けないまま絶命するほどの力を発揮するのだ。
頭を飛ばされ息耐えた赤鬼。その死体から、徐々に獣臭い匂いが漂い始める。
――いや、この匂いは死した者が発しているのではない。周囲に目を配れば、瓦礫の奥から十数頭の仲間が顔を覗かせていた。
「既に囲まれていたか」
「くっ……!」
身構える二人に鬼猩々は咆哮を浴びせると、一斉に飛び掛かってきた。
「Reve32【行雲群雨】!」
神城の左手から放たれる大量の雨粒が、赤毛を打ち抜き、後方へと弾き飛ばしていく。
それでも打ち漏らした数頭が走ってくるが、それらは全て、燃え盛る炎によって遮られた。
「駄目です先生、そいつらに炎は通用しません!」
神城が叫んだとき、業火に怯むことなく突き進んできた鬼猩々が一頭、炎の檻をぶち抜いて侵入してくる姿が目に映った。
赤い体毛は燃えるどころか、むしろ炎を浴びて血色が良くなったようにさえ見える。
そうして光沢の出た前肢で地面を押しながら、先陣を切った一頭が四足に移行し素早く駆けてきた。
「【無上迅速】」
そこへ、即座に対応した男が神速の斬撃を走らせて、獣の首から上が吹き飛ばない。
どういうわけか、先ほど通じた魔法が効かないのだ。そんな動揺が男の表情にも表れて、一瞬の隙に接近した鬼猩々はその大きな手のひらで男の首を掴んだ。
そして、人骨など容易く折れるであろうその膂力で、灰の眼の男の首を握り締める――。
「【水風船/五月雨】!」
断続的に射出される水弾が横腹にめり込み、苦鳴を漏らしながらよろめいた鬼猩々は、捕まえていた獲物を堪らず手放した。
男は咳き込みながらも斬撃を胴体に打ち込み、神城の側まで飛び退くが、今の反撃も効いてはなさそうだ。
「炎の耐性……か」
「それだけじゃないです。奴ら熱を帯びることで、皮膚が硬くなってます」
だからさっきは斬撃が通らなかったのだろうと分析する神城に「厄介だな」と呟き、すぐに炎の檻の具現化を解く。しかし、既に他の個体も炎を浴びて力を増した後だった。
今のは完全に悪手だったと苦虫を噛む。
いまさら悔いても後の祭りだが、この状況を打破するには文字通り骨が折れるで済むかどうか。
「……?」
不意に、打開策を練っていた男が眉をひそめた。
その些細な表情の変化に気付いた神城が問いを発するよりも先に、ソレが姿を現す。
――黒い、黒い、大きな粘液状の生き物だった。
ソレは地面を這うようにゆっくりと移動しており、手近にいた鬼猩々が数頭、その移動に巻き込まれ体内へと呑まれてしまう。
仲間の窮地に錯愕する鬼猩々。灰の目の男も、さすがに度肝を抜かれていた。
注がれる視線の先。半透明に透けた体の中で、分厚い筋肉で覆われたはずの身躯が溶けていた。
見れば、ソレが通ってきた道にあった瓦礫や雑草なども、全て溶かされ剥げている。
ひとたび口を開ければ端からこぼれ落ちた唾液が危険な音と共に地面を腐し、その瞬間を目にした神城が、青ざめた表情で震えあがった。
「【強歩】」
短く呟いて、彼女の身体を抱えた男は一目散に逃走した。それに釣られるかのように、残った鬼猩々たちも喚きながら四散していく。――同じ魔物同士でも、ここまで怯えるものなのか。
ある程度距離を稼いだ男は震える神城の背を優しく撫で下ろし、安全な場所で横にさせた。
その際にチラついた右手。最初に目にした時から、その不自然さには男も違和感を感じていたはずだった。
赤い体毛の獣は、切れ味のいい爪や鋭い牙を有していない。仮に彼女の手首から先がそれらとの戦闘で失くしたのだとしても、彼女はそのことに気付いてすらいなかった。
――違う。彼女はきっと、忘れていたのだ。
心に深い傷を負ったことで無意識に記憶に蓋をして、あの化け物に関わる全てを忘却したのだ。
どれだけ探しても見つからない住民と三人の生徒。
荒らされたでは済まない畑の壊滅状態。
人の真似事をして下敷きになっていた赤毛の獣。
そして、万物を溶解させるゲル状の化け物。
もはやそこまで並べ立てずとも分かる。
――そう、この村にあったもの全てが、たった一体の魔物によって消滅させられたのである。
間に合わなかった。
いや、男は全速力でこの地に向かった。そのときには全て終わっていたのだから、介入の余地はなかった。
このままあの化け物を野放しにしておけば、それこそ被害は増える一方だ。
中に取り込まれ、苦しみもがきながら息絶えていった人々の為にも、早急に奴を祓う必要がある。
いつしか授かった名の通り、魔を祓い、降伏せし者として。
「危険です……」
「――神城」
不意に背後から声がして、振り向いた先で、上体を起こした神城が右手を伸ばしていた。
「私たちは死力を尽くしました。それでも……あの化け物には敵わなかった。それで海たちは……。もし先生まで同じ目にあったら、私はもう――」
「最初に言ったはずだ。仮に何かあっても……お前は守ってやるってな。こんなところでくたばりはしねーよ」
そう言って口の端を吊り上げた男の背後に、黒い影が見えて。
ゆっくり二人で会話することも叶わずに、再びゲル状の魔物が姿を現した。
神城はそれに小さく悲鳴を上げ、辺りにのさばるそれらを、おそらく無意識に数えていた。
「四、五……いや、十!? なんでこんな……無理だ……無理ですよ……!」
完全に我を忘れてしまった神城を尻目に、男は退路を確保しつつ視線を巡らせる。
さっきとは別個体か。見たまんま鈍足なのであれば老幼問わずに逃げ切れるはず。それでも村が一つ滅んだのは、彼女のように恐怖していたからか。
或いは――――。
――どこからともなく粘性の体液が放出されて、咄嗟に屈んだ男の頭上を掠めた。
「そういう訳かよ……! 神城、走れるか!?」
足が遅いと侮っていれば、今の遠距離攻撃で確実に脳を溶かされていた。
肝を冷やし、声を荒げるが、彼女は茫然自失としていて動けそうにない。
男は舌打ちを飛ばし、奴らが次の行動に出るより先に手を打った。
「Reve51【真一文字斬り】!」
左から右へ腕を払い、横薙ぎに放たれた斬撃がゲル状の魔物を切り裂いていく。
ぼと、ぼと、と音を立てながら形を崩すと、それらは液体化して地面に溶けた。
一振りの斬撃で、十体近くいたそいつらを纏めて屠ったのだ。
しかしそれだけでは終わらない。瓦礫の山の向こうから、のそのそと這ってくる奴の姿が。
一段と大きくなった腹の中に瓦礫の山がすっぽりと入り、すぐに体液に溶かされ分解される。その一部に、先ほど逃げたはずの鬼猩々たちも入っていたが、全て一緒くたに消化されていた。――堂々たる親玉の登場である。
「ったく、厄介な相手だぜ。生徒なら……手がかかるほど可愛げがあるんだけどなッ!」
一足の踏み込みで、男の姿が消える。
奴の進行方向から察して、どういう訳か神城を狙っているように見えた。連れて逃げるのは容易いが、逃げてばかりでは切りがない。
ここで食い止める。
その意志で駆け、具現化させた横薙ぎの一閃がゲル状の体に刺さる。
先ほど複数体を切り裂いた斬撃が、一回りも二回りも大きなその個体には通用しない。
腹を裂いて断ち切る前に、体内で溶かされてしまったのだ。その様を見て、しかし男は足を止めない。
「Reve48【天瀾兜割り】」
吐き出された粘液の塊を掻い潜り、一瞬で魔物の懐に潜り込んだ男は、波のように滑らかな手捌きで粘液状の体を両断する。
粘体でしかないソレは悲鳴も苦鳴も上げることなく二分されるが、最後の悪足掻きだったのか男を呑み込まんと覆い被さってきて。完全に逃げ道が断たれる前に、男は軽く地を蹴って危機を脱した。
「これで終わりか……」
酸性の粘液をそこらにぶちまけ、形を保てなくなった親玉も地面に溶けていく。それを見つめながら、男は小さくため息をこぼした。
「…………」
瞑目し、亡くなった全ての人の冥福を祈る。その静寂の中で、不愉快ななにかの這うような音が鮮明に聞こえて。
瞠目する灰の眼に映ったのは、今まさに切り伏せたはずのゲル状の魔物が、一か所に集まり肥大化していく様だった。
先ほど倒した十体の子分もその一部として吸われていく。――いや違う。あのデカブツが親玉だった訳ではなく、奴らは元々一つの個体だったのだ。
それが今すべて集結して、本来の姿に戻っただけに過ぎないのだと男は理解した。
――空気が、悲鳴を上げた。
「半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り!!」
もはや、自棄になったと思われても仕方がないような行動だ。
計十発の斬撃が巨体に飛ぶが、やはり身を裂くより先に全て溶けて消えていく。
「【無上迅速】」
万物を溶解させる粘体の前では、神速の斬撃さえ意味をなさない。例えその巨体を切り裂けたとして、またすぐに結合してしまうだろう。
ならばと、その手に深紅の炎を灯す。
「Reve45【紅蓮弾】」
――じりじりと躙り寄るその歩みは、まるで死の宣告のようであった。
人も、魔物も、斬撃も、あらゆるものが消化され、今や十メートルを優に超えたそんな化け物に、矮小な火球が衝突する。
途端、慌てるような素振りを見せたそいつの体に炎が燃え広がった。
「ちっ、あのゴリラのせいで無意識に渋ってたが……こっちは火に弱いのか」
大きな火だるまと化した魔物を見やり、男は手のひらに追撃の炎を灯す。
その火玉を放った瞬間、突として魔物の体に異変が起きた。
それまで炎から逃れようと身をくねらせていたそいつの動きが、ピタリと止まったのだ。
まるで熱を心地よいとさえ感じているような、そんな変様に。違和感を覚えたとき、体表に触れた火玉がそのまま内部へ吸収されていくのを見た。
「――――!」
有り得ない。
発声器官などない粘体から、獣と人の声が混じったような薄気味悪い咆哮が飛び出して。火に弱かったはずのゲル状の体が、まるで赤毛の獣よろしく赤く染まっていた。
「体内の酸で溶かすだけじゃなく、獲物の能力を吸収したってのか……!?」
それこそが、奴の持ち得る最大の武器だったのだろう。
いくら裂いても結合する体。万物を溶かす粘性の体液。そして、鬼猩々の特性であった炎への耐性。それらが組み合わさった本物の化け物に、打つ手はなかった。
「生憎俺の適正は火と風なんでな。どっちも効かねーってんならもう……」
己の右手を見つめてから、周囲を睥睨する。
それから重い吐息を長々と吐き出して、やにわにその右手を左腰へと回した。
重心を落とし、何もない空間を左手で支え、あたかもなにかを掴むような素振りでソレを一気に引き抜く。
「大吟醸『黒龍』!」
居合のような構えから、勢いよく振り抜いたその右手には、一振りの刀が握られていた。
それは赤銅色をした、あくまで刀剣を模したような形状の――ただの木剣。
決意に満ちた表情で、ついには奥の手でも使うのかと思いきや、そのじつ現れたのは拍子抜けするような矮小な武器だった。
――武器。あの化け物を前に、それが武器としての効力を発するならばそうとも呼べよう。
どんな攻撃をも溶かしてきた難敵に、ただの棒切れで何ができるのか。そもそもあれでは、太刀打ちもロクにできないのではないか。
大口を開けた化け物は耳障りな声で咆哮をあげると、中から酸の塊を吐き出してきた。
少し掠めただけで身骨を溶かしてしまう凶悪な体液が、頭上からゆっくりと降ってきて――、
ただの棒切れだったはずの木剣が燃え上がった。
「【鬼殺し】」
大気が爆ぜたような音がして。
降りかかる酸の塊も、肥大化したゲル状の体も、何もかもが炎に炙られ、焼け失せる。
袈裟懸けにバッサリ裂けた巨体を再結合しようと二つの粘塊が寄り合うが、焼き払われた裂目から燃え立つ炎がそれを許さない。
鬼猩々の特性を吸収し、炎への耐性を得たはずの体が、今まさに炎によって焼き尽くされていた。
実にシンプルで単純な思考だった。火も風も通用しない化け物に対し、男は相手が耐えられないほどの火力で圧倒した――ただそれだけの話である。
「せいぜい苦しみながら成仏しやがれ」
血振るいするかのように木剣を振ると共に刀身から炎が消える。
不思議なことに、木製のはずのその棒切れだけが、何故か燃えていなかった。
「――終わったぞ、神城」
いつの間にか背後に立っていた神城に男が肩越しに呼びかけると、彼女は覚束ない足取りで隣に並んだ。
そして、灰も残らず焼失した魔物の、残った焼け跡を見るやその場に泣き崩れた。
「私が無力なばかりに、みんなを……大切な友を失ってしまった……」
ぼろぼろと涙をこぼす神城の背に優しく手を添えながら、男は今一度黙祷する。せめて、恐れのない世界で安らかに眠れるようにと。
――全ては、この世ならざるものの誕生から始まった。
それらはどうして生まれたのか。なぜ人間を狙い襲うのか。
確かなことはこの半年で急激に数が増えたことと、同時期より、活動を始めた怪しい連中の存在。
奴らが何らかの計画を企てて、魔物を利用しているのは明白だ。
このまま、野放しにはしておけない。




