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第五話 「はじまりの朝は慌ただしく」



 鉄鎧を身に纏った門番――ドロワットに手引きされ、無事に門を通り抜けた智也は助言された通りに宿を探して夜の街を歩いていた。


 入り口に広がる露店らしきものを横目に真っ直ぐ進むと、広場に出る。

 そこには噴水を中心として様々なお店や民家が立ち並んでいて、今はほぼ店仕舞いしているが、一部まだ営業している店などから明かりが洩れていた。

 おかげで、街灯もない外の大平原と比べると街中は幾分か明るい。


「下宿屋ってどれだ?」


 誰かに尋ねようにも、智也以外に出歩いている者はいない様子。

 そもそもこんな時間に突然訪れて、泊めてくれる場所があるのだろうか。自信のない表情を浮かべる智也は、もっと重要なことに気付かない。


 疲れからか、自分の体とは思えないほど全身が重く、思うように足が動かせない。

 早く柔らかいベッドの上に寝転びたいと思いながら広場を見渡していた智也の目に、とある看板が留まった。


「おとまり……?」


 普通の民家のようなナリをしているが、光る看板にはそう書いてある。おそらく、門番の言っていた宿泊施設の一つなのだろう。

 独特な名前に目を惹かれた智也は、そのまま誘われるようにして建物の中へと入っていった。


 ――真っ先に視界に飛び込んできたのは、カウンターに座るパーマ頭が特徴的な年配の女性だ。

 小さな眼鏡を着用し、何やら紙切れを見つめては、眉を寄せて険しい顔を作っている。


 ふと、来客の気配を感じてか婦人は顔を上げ、


「あら、いらっしゃい」


 入り口で棒立ちの智也に、柔らかい笑みを向けてくれた。


「えーっと」


 とりあえず中に入ったはいいが、どうすればいいのか分からない智也。

 慣れない状況で立ち竦むそんな智也に、婦人は笑みを崩さないまま優しく問う。


「お泊りかい?」


「あ……はい」


「それじゃ~二階の、一番左奥の部屋を使うといいよ」


 果たしてこれでいいのだろうかと思いながら、智也は習慣で靴を脱ごうとしたのだが、下駄箱はおろか玄関土間さえ存在しない。

 何時間も大平原を歩いてきた汚れた靴で上がるのは躊躇われたが、即座に「異世界なんだから習慣も違うか」と判断し、婦人に会釈を返して二階に繋がる階段へ。


 カウンターの側にあるその階段を上る途中、横目で婦人の顔を伺うと、再び紙切れと睨み合っていた。

 何が書いてあるのか不明だが、顔に張り付く程の距離で読もうとしても、それでは逆に読みにくいのではなかろうか。

 なんて苦笑いを浮かべてから、智也は二階へと視線を移す。


 二階には、個室が数部屋用意されているようで、他にも利用者がいることが察せられた。

 どんな人がいるのか気にならないでもなかったが、今は体を休めることを優先した。


 ――いきなりの異世界への転移。

 そして、たった一人であの大平原を渡り切ったのだ。

 命の危険にさらされ、慣れないこと続きで心も体も疲労困憊だった。


 指定された部屋に入り、そのままベッドに倒れ込む。

 色々と考えたいことはあったが、智也の意識はすぐに途絶えてしまった。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 翌朝。突として少年は目覚める。


「やばい寝すぎた! イベントの時間が!」


 寝起き早々にゲームのことを考えるのは、さすがだと言わざるを得ない。

 だがしかし、手を伸ばした枕元にはゲーム機など置いていないし、ここは寝ぼけた頭が想像している自分の部屋でもない。


「おかしい……」


 半睡状態の脳を叩き起こして、再起動を行う。

 そうしてクリアになった頭で、見開いた瞳で周りを確認すれば、目に映る景色がいつもと違うことに遅れて気が付く。


 少年――黒霧智也は癖一つ無い黒髪を思い切り掻きながら、深いため息を溢した。


「そうか、俺は異世界に……」


 ぼやきながら、改めて見慣れない部屋をじっくり見回す。

 置いてある家具はせいぜい今寝ているベッドとクローゼット、窓際の丸テーブルくらいか。


 ベッドから降りて、入り口の側にあるもう一つのドアを開けてみると、シャワールームが備え付けられていた。地味にバストイレ別なのはポイントが高い。

 おそらくここにスペースを割いているため、寝室が程よく狭くなっているのだろう。


「とりあえず軽く浴びるか」


 よくよく思い起こせば、智也は昨晩? から風呂に入っていない。

 頭からシャワーを浴びながら、これまでの事をぼーっと考える。


『私はここでお別れです。しばらくは貴方ともお会いできないでしょう』


 あの金髪少女は、何のために自分をこの世界に連れてきたのだろうか。

 こんな未知の世界でたった一人きりで、生きてゆけるのだろうか。

 本当にもう、帰ることはできないのだろうか。


 と、様々な疑問や不安が浮かび上がるが、今は何一つ答えは見えない。


 全身の汚れを洗い流しサッパリしたところで、着替え用の衣服がないことに気付いた智也。唯一所持している服といえば、転移したときに来ていた部屋着だけだ。


「しまった、着回しもできないのか……」


 それも、ちゃんと洗濯してこそである。

 当たり前のことだが、いつも母親に任せていた智也は今初めて、その苦労と有り難みを知った。


 どうすべきか考えて、クローゼットが備え付けられていたことを思い出す。

 もしかしたら何かしら入っているかもしれないと、期待を込めてバスタオル姿で部屋に戻る。


「なんだこれ」


 視線の先、ベッドの上にあるのは綺麗に畳まれた着替えらしき物と、新品の革靴だ。

 いつの間に――と疑問を抱いたが、さっきは寝ぼけていたから気付かなかっただけかもしれない。

 どちらにせよ、誰かが用意してくれたことに変わりはないが。


 衣服を持ち上げて広げてみると、それは一着の白い制服だった。靴の方も、見た感じ智也のサイズにぴったりである。


「普通に考えて、学園のだよな」


 金髪少女が言っていたのは、このことだったのだろうか。

 それが『リヴ魔法学園』の制服であるという確証はなかったが、この状況でそれ以外の物が用意される理由も想像できない。


「入学……」


 頭の中で何かが引っ掛かったが、その何かが分からない。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま、ひとまずその制服に着替え、智也は部屋を後にした。



 ――階下に降りた瞬間、とてつもなく強い匂いに一瞬で智也の嗅覚が狂わされる。



 カウンターを挟んで向かい側、激臭はそこから漂ってきているようだ。

 このままこの匂いを嗅ぎ続けていたら、或いは脳まで侵されてしまうかもしれない。しかし智也は、突然襲いかかってきたその芳醇な香りに釣られるように、匂いの根源――食堂へと無意識に足を進めていた。


 眼前、テーブルの上に置かれたバスケットの中に、それらは存在していた。それも、数個あるテーブルの全てから同じように匂いを放っているようだ。

 椅子に腰掛け、バスケットの中に手を伸ばす。数種類あるそれらの中から一つを手に取ってみると、より匂いが強調され、同時に指先から熱が伝わってきた。

 その強力な香りに智也の理性は抑えられなくなり――、


 気付けば、それを口に運んでいた。

 芳醇な香りに口内は蹂躙され、ホクホクとした食感と合わさって五感が至福に包まれる。もはや智也の吐いた息さえも、香ばしい香りへと変化していた。


 一度食べれば病みつきになるその食感と味に、無意識の内に智也の右手は二つ目を手にしていて、それを食べ終わってから我に返った。


 そう、今更気付いたのだ。

 智也には、うっかり食べてしまったパンの代金だけでなく、宿泊費を払うお金すら持ち合わせていないことに。


「そういや俺って文無しじゃ……」


「美味しいかい?」


「あ……はい」


 ようやく自分の置かれている状況を理解して、滝のように汗を流す智也の前に、パーマ頭が特徴的な婦人――下宿屋の家主が現れる。


 そこには昨日と変わらぬ笑みがあるが、こんなに優しそうな人でも自分が文無しと判れば、きっと怒るに違いない。

 とはいえ、まずは謝罪しようと智也は立ち上がり、


「すみません、勝手に食べてしまって」


「いいのよ、食べてもらうために置いてあるんだから」


「いや、でも俺……」


「その制服、よく似合ってるじゃない。学園の物でしょう?」


 お金がないと言おうとした智也の言葉を遮って、婦人は智也の服装を指先しながらそう言った。


「……やっぱりそうなんですね」


 この制服が魔法学園の物で相違ないと分かったのはよかったが、大事な話を中断されて、余計言い辛くなってしまった。

 それでも、やはり黙っていることはできないので、


「あの、実は俺――」


「良いのかい?」


「え?」


 またしてもタイミング悪く、言葉が被さってしまう。

 そして、突然の問い掛けに目を丸くする智也に、婦人が再度問い掛けてくる。


「今日は、学園の入学式じゃなかったのかい?」


 その言葉を聞いて、胸につかえていたものが下りた気がした。


 不備なく入学できる手筈を整えてあると言った少女の言葉に、いつの間にか用意されていた学園の制服。

 いやまさか、今日この日にたまたま入学式が行われるなんて、誰が察しがつくだろうか。

 そうやって心の中で文句を垂れる智也を、婦人は朗らかな笑顔で見つめている。


「ちょっと待ってください。入学式って何時からなんですか?」


「そうさねぇ、少し前に出てった子が、八時半て言ってたかしら」


 咄嗟に、食堂の壁に掛けられていた時計を確認して、開始時刻より既に十五分も過ぎている事実が判明した。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「大遅刻じゃねぇか!」


 大平原のときもそうだが、移動魔法が使えたならばとつくづく思う。


「制服に着替えた時に気付くべきだった」


 もっと言えば、早く起きるべきだったと後悔するが、あの部屋には時計がなかった上に、命からがら逃げてきた疲れから、大爆睡をかますのは必須の流れだった。


 とはいえ、元々智也は朝が苦手なわけではない。むしろ、得意な方なのだ。

 日々ゲームのイベントに合わせて時間を使っていた智也は、他の誰にも負けないために、ある特技を生み出していた。

 それは、任意の時間に自在に目覚めることが可能になるというもので、念じるだけで好きな時間に起床できる、言わば『早起きスキル』である。


 多少は体に負担を強いるが、分刻みで就寝と起床を繰り返すことも可能となっており、そんな智也が朝寝坊をするなんてことは、まずあり得ないのだ。

 それがこんな慌ただしい朝を迎えることになったのは、おそらく異世界という慣れない環境のせいと、やはり昨日の疲れからだろう。


「あーでも、話が……」


「話ならいつでもできるさね。とりあえず、気をつけて行っておいで」


 というのは下宿屋を飛び出す前のやり取りで、結局智也は言いたいことも話せず仕舞いに、こうして再び全力疾走しているのであった。


「おーおー、朝から元気だなぁ」


「行ってらっしゃ~い」


 街の中央広場は朝から賑わっており、そこら中で楽しそうに会話している住人の姿が散見される。

 その中で、朝っぱらから酒に酔いしれている者などもおり、一心不乱に走る智也を見てちょっかいを出してきた。


「理不尽だ……!」


 愚痴もほどほどに、颯爽と走り抜けて中央広場を横切る。

 むしろ、どうせ遅刻なら急いでいく必要もないんじゃないか。なんて頭の中で悪魔が囁いていたが、そこそこ真面目な智也は揺れなかった。


 学園の場所は下宿屋を出る際に家主から聞いており、曰く、外に出て目を開ければ分かるという話だった。

 なるほど確かに、路地の先にバカでかい校舎が聳え立っているのが見える。


「分かりやすくて良いが、嫌な予感が拭えないな……」


 果たしてどうしてそんな高所に校舎が見えるのか。数分後の未来が見えたような気がして、早くもくたびれそうである。



 ――目的地に辿り着いた智也は、乱れた呼吸を整えて眼前のそれを見上げる。



「くそったれぇ……」


 弱々しくため息を吐く智也の前に、待っていましたと言わんばかりに長い、長い長い階段が校門まで伸びていた。


「既に大遅刻だってのに……!」


 智也は心の中で、こんな場所に校舎を立てた建築者及びその関係者を呪いまくった。



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