第四十四話 「覚悟と決意」
「せんせーおはよう」
「おはよ。今日は遅かったな」
「ちょっと昨日の疲れが残ってまして……」
「まだそんな歳じゃないだろ?」
始業時間ぎりぎりに現れるのは先生の専売特許のはずだったが、この日は珍しく生徒の方が遅れてやってきた。
寝ぐせのように好き放題跳ねている灰色の髪。その下にある淀んだ海のような青藍の瞳。
さすがに服装は寝間着ではなかったが、まさに直前まで夢の中にいたかのような風貌である。
そんな栖戸であったが、先生との短いやり取りを経て、少しだけその瞳に活力が宿ったように見えた。
「栖戸っちおはよー!」
「……おはよう」
「どしたん?? めっちゃ髪ぼさぼさじゃん」
「これがデフォルトなのです」
そうして大きく手を振る東道の元へ栖戸がとてとてと歩いていき、仲睦まじげに話す様を横目に見た先生が、咳払いを挟んで全員の注目を集める。
「いつぞや話した模擬戦まで、今日を含めてあと三日だ。だからお前らには、今日から模擬戦に向けた個人練習の場を設ける」
「個人練習か~。そうだよね、個人戦なんだもんね」
「え、そうだったんスか!?」
「七霧くん、先生の話ちゃんと聞いてた?」
隣の二人のやり取りを微笑ましく思いながら、智也は今の話に思惟を巡らす。
先の朝練にて、自分がいま何をすべきかと問われた智也。そこで己の限界を知るべく検証を行ったが、それはただの事前準備に過ぎないものだ。
火属性に絞って六回。他の属性を使えば五回。改造して十回前後。たかがそれだけの魔力で、今度は一人で戦うための策を練らねばならない。
そして三日間という限られた時間で勝つために必要な練習を見極め、それを実施する必要がある。
つまり一分一秒も無駄にできないのだと、必死になって頭を回していた智也の顔が強張った。
「でだ、今回は先に対戦相手を発表しておこうと思う。相手が分かってた方が練習しやすいだろうしな」
「ウチ、栖戸っちとは戦いたくないな~」
「神様仏様、どうかわたしをお守りくださいぃぃ」
対戦相手を気にする声や不安に思う声が、ちらほら上がっている。
そうした周りの喧騒に我に返り、智也の頭にも真っ先にお断りしたい数人の顔が浮かぶ。
とはいえ、国枝や七霧が相手となるのも嫌である。そうなると必然的に好敵手は絞られてくるが、果たして。
十五人の視線が一点に集中し、空気が張り詰めていくのを感じる。
固唾を呑んで続く言葉を待つ生徒。その表情を眺めながら意地悪く笑うと、先生は少しもったいぶるように間を空けてから、発表を始めた――――。
「一試合目、国枝VS七霧」
いきなり二人の名前が挙がり、胆が冷えた。
「えー! 国枝さんっスかぁ」
「最悪だね……」
一番やり辛い相手だと、智也もそう思う。
それに聞いたことはなかったが、もし二人が共に選抜入りを狙っていた場合、どちらかが選に漏れる可能性が高いのだ。
「二試合目、七種VS千林」
しかしそれは、智也にも言える話だった。
智也の対戦相手だって同じ目的を抱いているかもしれない。そうなれば必然、クラス対抗戦に出場できる権利を巡って競い争うことになる。
まるで部活動のレギュラー争いのようだと智也は思ったが、それがきっかけで内輪めに発展しないかどうか、少し不安にもなった。
「三試合目、栖戸VS清涼」
「栖戸ちゃんよろしくね~」
「は、はい」
と、智也が人の心配をしている間にも発表は進んでいた。
さっきまで不安そうに祈りを捧げていた栖戸が、一先ず女子同士の組み分けということでか、ほっと胸を撫で下ろしている。清涼の方も、特に相手に不満はなさそうだ。
「四試合目、虎城VS雪宮」
「っ、あぶね~良かった~」
「……」
何を案じていたのやら、分かりやすい反応を見せる虎城に反して、雪宮の感情は伺えない。
が、異性を苦手とする雪宮のことを思えば、それは有り難い采配だったかもしれない。
そして、この時点で残った六人のうち四人が、智也の考えていた「戦いたくない相手」となっていた。
それに気付いた途端、跳ねていた心臓の動きがバクバクと著しく速くなる。
「五試合目、久世VS――――」
嫌なタイミングで先生と目が合って、一瞬にして智也の脳が不安で埋め尽くされる。
「まさか、俺なのか……?」
――久世聖。
魔力量だけで考えても、天と地ほどの差がある相手。はっきり言って彼を相手に勝てる見込みなど、あるはずもなかった。
だとしても、頑張ると決めた以上、智也は誰が相手でも全力を尽くすつもりだ。
今一度覚悟を決めて、力強い眼差しで灰の眼を見つめ返す。
「久世の相手は俺がやろう」
「は?」
虚心坦懐に耳を傾けていたというのに、今の智也の覚悟はなんだったのか。「何で意味深に見つめたんだよ!」と、声を大にして叫びたい気分である。
しかし、よくよく考えればクラスの人数は奇数なのだから、個人戦を行うにはどうしても一人足りなくなる。それに気付けないほど智也は緊張していた、ということなのだろう。
「いいな? 久世」
「――。分かりました」
当の久世は少し瞑目した後、凛とした表情で先生を見据え、その申し付けを受け入れていた。
先生との一騎打ちで、果たして彼がどこまで食らいつけるのか。昨日の『地獄鬼』で早々に退場させられた久世としては、ここで雪辱を晴らしたいところだろうか。
「残りは俺と神童と、東道、紫月、水世、藤間……か」
全体で見ても、ずば抜けた身体能力や積んできた経験値の高さが顕著に現れている水世と藤間。
まず間違いなく、この二人は選抜メンバーの有力候補だろう。当然、そんな相手と戦いたくはない。
そして紫月。こらちも一応、智也の脳裏に浮かんだ「戦いたくない」相手の一人である。
先の二人と比べて戦い慣れしておらず、魔力量も智也と同等。故に最も戦いやすく、最も実力が近しい相手ではあるのだが、底辺同士の醜い争いだと侮蔑されそうな気がして嫌だった。
東道においても、女性ということで多少は気が引ける。どうせ戦うなら、向こうも同性の方が良いはずだ。
そんな多岐にわたる問題や懸念を踏まえた上で、智也の最も好ましい対戦相手とは誰なのか。
それは――――、
「六試合目、東道VS神童」
「そんな、俺の好敵手が……」
智也は膝から崩れ落ちた。
彼が相手であれば、例えド底辺である智也でさえも勝てる希望があったのだ。
――そう、言うなれば神童こそが、このクラスの真の最弱王なのである。
「黒霧くん?」
「大丈夫っスか?」
と、少し大袈裟な反応だったと自分で感じつつ、顔を覗き込む七霧と手を差し伸べてくれた国枝に「あぁ悪い」と言って、支えてもらいながら立ち上がる。
離れたところでは、ちょうど握手しようと伸ばした右手を、東道に拒絶されて項垂れる神童の姿があった。
正直、半分冗談のつもりではあったのだが、神童が相手であれば心底楽だったろうと智也は思う。だが、非力だからと楽して勝ったところで、そこには何の意味も生まれない。
あくまで「戦いたくない相手」だっただけで、戦うための覚悟が出来ていないわけではないのだ。
――そう、覚悟なら既に決めていた。
醜態を晒し、胸を借りて泣いたあの日に。
目指すべく方向性を見定め、その背中を追いかけるための努力を惜しまないと決意したのだ。
だからきっと、これは智也に課せられた試練なのだろう。
「七試合目、紫月VS水世」
その瞬間、智也の命運は分かたれた。
拳を強く握り締め、覚悟を決めた黒瞳に、強敵の後ろ姿を映す。
「そして最後だ。八試合目、黒霧VS藤間」
黒瞳に写った茶色の髪が揺れ、こちらに振り返った男の黄土色の瞳が、鋭く射抜いてくる。
「組み合わせは以上だ。三日後の模擬戦を意識して、各自練習に当たれ」
藤間と智也。互いの視線が交差し、火花を散らしながら睨み合う。他の生徒が離散していった後も、しばらくその状況は続いた。
もう既に戦いが始まっていると言わんばかりの熱い睨み合い。ここで先に目を逸らした方が負ける気がして、智也も引くに引けなかった。
「お前らいつまでそうしてんだ。散った散った」
と、その間に割って入った先生に視界を遮られ、敢え無く睨み合いは終了。この続きは、三日後の模擬戦でだ。
これまで、藤間には幾度となく馬鹿にされてきた。その溜まりに溜まった鬱憤をこの機会に全部ぶつけてやるのだと、そう意気込んで智也は練習を始めるのだった。
✱✱✱✱✱✱✱
「今回はおれたち、別々に練習した方がいいよね?」
「確かにそうっスね! とっておきの秘策が国枝さんにバレる訳にはいかないっスからね~。という訳で黒霧さん、なにか良い秘策とかないっスか?」
「ちょっと、それはズルいよ!」
七霧の肩を掴んで必死に止めようとする国枝と、気の抜けた笑顔を向ける七霧に、智也は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、三人別々にやるしかないな」
「抜け駆けは禁止だからね」
「分かってるっスよ~」
そう言って別行動となった二人が離れていき、智也は改めて現実を見つめ直す。
――まずは、自分と相手の長所や短所を整理するところからだ。
こちらの魔力量が最低最下層の「Zランク」に対し、藤間の魔力量は上位の「Bランク」。
こちらの属性が「無属性」なのに対し、藤間はおそらく「火属性」。
属性だけに限れば、『第五属性』全てに一定の適性があるこちらが有利に思えるが、その実態は空属性の下位互換にすらなれない欠陥だらけのまがい物だ。
加えて、一番まともに扱えるのが藤間と同じ火属性魔法なのだから、智也が思っている以上に魔力量の差は響いてくるだろう。
「逆に俺にしかない長所ってなんだ……?」
相手は運動神経抜群で戦闘慣れしている上に申し分ない魔力まであり、更に、勝ちにこだわる性格から自分より圧倒的に劣っている物を相手取るにも、兎を狩る獅子の如く決して手を抜くことはしないだろう。
それに対し智也は――、
「申し分ない魔力……待てよ、あのとき藤間は魔力切れで倒れたんだよな」
それに対し智也は、どんな些細な情報でも相手の弱点や攻略のヒントに繋がるものがないか分析し、脳みそをフル回転させる。それがゲーマーである智也の得意分野である。
「あの日藤間は、『魔臓』を酷使したせいで危険な状態に陥った。それは魔力が枯渇した状態で無理やり魔法を使おうとしたからだ」
思い出されるのは、三日前のチーム戦にて久世と一騎打ちをした際の、藤間の身に起きた異変について。
とんでもない量の汗を額から流し、発熱からか顔に熱を持っていた。おまけに意識が朦朧としていたのか足取りが覚束なく、そんな状態でもまだ戦おうとして、倒れた所を先生に助けられた。
――過度な魔力の使用は人体に危険を及ぼす。
そのことを藤間の失敗から学ばされ、智也たちは深く心に刻むことになったのだ。
「非常に不服ではあるが、俺と違って多くの魔力を持つ藤間が、あの一戦だけで枯渇するほどの魔力を消耗した……」
あの久世と張り合っていたのだから、それは必然の結果かもしれない。
ただ、あくまで使用していたのは同じ初級魔法だ。魔力量が致命的に少ない智也でさえ、ギリギリやり繰りが出来ていたのに。
「……八回。あのとき藤間は、八回しか魔法を使っていないはず。Bランク判定の魔力量が、まさかその程度なわけが……ないよな」
当然、その答えは明瞭である。
智也の倍――いや、何十倍もあるだろう魔力をたった八度で使いきったのだ、相当な無茶をしたことも分かっている。
だが、それを理解した上でどうするか。
「あいつの魔力切れを狙うにも、それを引き出すための魔力が俺にはない。むしろそれだけの力があれば、わざわざまどろっこしいことをする必要もないしな……」
力がないと選べる選択肢も少なくなる。
そんな中で、智也は勝ち筋を見つけなければならない。
あの一戦を詳しく分析すれば、藤間の魔力量のおおよその目安が付くかもしれない。
とはいえ、それこそ何十倍もの差があるのなら、相手の余力は気にするだけ無駄である。
それならいっそ、無尽蔵の魔力を持つ相手と同じ気構えで戦う術を模索すべきだ。
「魔力切れは狙えない、か。だからって正面から撃ち合うのは理に適わない。とすると、相手の意表をつけるような魔法を……」
そう考えて『魔導書』を取り出した智也は、初級魔法の記されたページに目を通していく。
土属性に関しては初級の攻撃魔法がないとのことだったが、一応は全て含めて十九種の枠が設けられている。
そのうち扱える気配の全くない電属性とを省けば、残るは十二種類だ。
更に、現段階で智也が扱いに失敗している魔法を除くと――、
「たった十種類しか手札が残らなくなる……」
しかもその大半がまだ授業で教わっていない魔法だ。それらの扱いがうまくいくとは限らないことを考慮すれば、智也の切れる手札はもっと少なくなるだろう。
「その限られた手札で、あの藤間から二回有効打を取る必要があると」
それも、わずか六回までの魔法で。
「難易度はベリーハード。残機は一、体力は二。リセットは……当然できない」
どんな鬼畜ゲームも、やり直しが効くだけマシだとそのとき智也は思った。
だが、現実の理不尽さに悲観して、何の努力もせずに泣いているだけなんて御免である。
――今の智也には、目指すべき目標があるのだから。
魔力切れは狙えない。正面から撃ち合っては到底敵わない。意表をつける魔法があったとして、それに相手が気付かないわけがない。
六発しかない弾を相手に二度当てなければならない。無駄打ちはできない。拳銃片手に機関銃持ちと敵対するようなものだ。
「ふ……がぜん燃えてきた」
クリア不可能と謳われるような難易度ほど、智也のやる気は満ち満ちてゆく。根っからのゲーマーである証拠だ。
そうして口の端を吊り上げて、思考を巡らせていた智也はついに、光明を見出した。
「いや、あった……真正面からでも打ち勝てる、そんな方法が」
方針は定まった。あとはそれを軸に構想を立てていくのみだ。限られた魔力で実現できるよう頭を捻り、知恵を絞り、謀を巡らす。
藤間の動きや癖を分析し、あらゆる可能性を考慮し、その対策を練る。そうして途切れることなく巡り続けた思考は、やがて最適解へと辿り着いた。
「――これなら勝てる」
完璧にほぼ近い確信を得た。
あとは作戦の為の練習を、周りに、特に藤間に勘づかれないよう気をつけて取り組めばいい。
我ながら穴のない完璧すぎる戦術だと、油断すれば綻んでしまいそうになる口元を抑えながら、珍しく自信に満ち溢れた瞳で、智也は練習を始めることにした。
✱✱✱✱✱✱✱
「うーし、そこまでだ」
先生から声が掛かり、午前授業の終わりが告げられた。
それぞれの練習を行っていた十四人が手を止めて、覇気のない顔に注目する。
「今日は一日ここで練習を行う。午後からに備えてしっかり腹ごしらえしてこい。んじゃ、解散ー」
「は~、お腹空いたっス~!」
「せんせーお疲れさまでした」
「おい栖戸、さり気なく帰ろうとするな」
お腹をさすりながら真っ先に食堂へ向かう七霧に、連れ添う国枝が「今日は何食べる?」と尋ねて歩いていく。
一方、冗談交じりに帰ろうとした栖戸は、先生に軽く頭を叩かれ、注意を受けながらもどこか嬉しそう。
「久世くんはさ、どんな練習してたの?」
「僕かい? ――こう見えて難敵を前に窮していてね。苦心が実ると、いいんだけれど」
「きゅう……? へ、へー」
「私たちは一緒に練習してたんだよね~」
久世の後ろで手を繋いで歩く千林と清涼。そんな三人の様子を見ていると、やはり最初のチーム戦で親しくなった生徒が多い印象を受けた。実際、智也自身もそうなっているわけだし。
その点孤独の道を歩くのは、藤間と水世、あと虎城と七種の四人か。
中でも虎城と七種に関しては、まだ一度も話したことがないので、どんな人なのかすら智也は把握していない。しかし、藤間以外の三人は別のクラスに友達がいるのか、それぞれ知らない相手と食事しているところが、視界に入った覚えがあった。
それで行くと、真の一匹狼は藤間だけなのかもしれない。
「あれ? 栖戸っち~、ゆきみーは?」
「智也くん、お昼行かへんの?」
雪宮の姿を探し回る東道を眺めていると、横から声がかかった。
振り向いた先にいたのは、亜麻色の髪を肩まで伸ばした女生徒の姿だ。
「いや、ちょっと神童を探しているんだが……アイツは?」
「あ~そう言えばどこ行ったんやろ?」
そう、智也もまた人探しの最中だったのだ。
街中じゃあるまいし、体育館という限定された空間の中で、たかが十五人のうちの一人を見失うなんてことがあり得るはずがない。
ないのだが、
「思えば、先生から声が掛かった時点で居なかった気もするな。全く……どこにいったんだよ」
もしかすると、智也が一心不乱に知恵を絞っていた頃には、既にいなかったのかもしれない。
「私も探すの手伝おか?」
「いや、大丈夫だ」
協力してくれるのは有り難いが、神童との会話を聞かれたくはなかった。だから智也は断りを入れて、一人行動を選ぶ。
「あいつらには聞きたいことが山程あるんだ」
そう言って体育館を出た智也は、食堂へ向かう面々とは別方向に歩を進めた。




