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第四十三話 「男らしさ」



 ――まるで時が止まったかのように世界は停滞していた。


 つまらない世界に『変化』をもたらしていた光が、その活動をやめたからだ。眠りについたかのように、ピクリとも動かなくなってしまったからだ。

 黒い景色に闇が満ちるだけの味気ない世界で、時間という概念のない曖昧な空間で、光はただそこに在った。


 ――次に光が目覚めたとき、その輪郭が少し大きくなっていた。


 それは何年もの時が経過したあとだったか、もしくは瞬く間の出来事だったのか、この曖昧な世界では不明瞭である。

 何故大きくなったのか、そもそも眠っていたのかどうかさえ。


 何一つ理解できない曖昧な世界で、目覚めのいい朝を迎えたように、光だけが元気よく揺れ動いていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 朝。眠りから覚めた少年は、伸びをしてから体を起こした。

 次に、ベッドから降りて洗面台に向かうのがモーニングルーティンの始まりなのだが、降り立った瞬間に走った脚の痛みに、そのまま横倒れになって床へ転んだ。


「ぁ……なん!?」


 頬が痛い。いや、それよりも足の痛みだ。

 いくら寝起きとはいえ、自分の身に起きていることが理解できない少年。激痛が激痛すぎて、立つこともままならないのだ。


 あまりの痛みに思考回路までやられる始末。

 一度深呼吸してから、ゆっくりと右足だけ動かしてみる。


「――!!」


 ここが実家であれば、痛みを紛らわせるために叫んでいたところだったが、異世界転移して無賃宿泊している身。肩身の狭い思いをしている少年――智也には、とてもじゃないが早朝から大声など出せるはずもなかった。

 それ以前に、ベッドから転げ落ちた時点で迷惑はかかっているかもしれないが。


 と、次第に冴えてきた頭で考えれば、智也はこの痛みをよく知っていた。


「筋肉痛……」


 両足のふくらはぎを軽く揉みながら、その原因となったものを思案する。その傍らで自分が昨日、意識を失うほど疲弊していたことを思い出して、


「どう考えても、【強歩】のせいだよな」


 むしろそれ以外に考えられない。

 限界を超えた速度で走っていたのだ、当然と言えば当然の弊害である。

 思えば、教わる際に先生が「不慣れなうちは使い過ぎると、痛い目を見るかもな」なんてことを言っていたような気がした。


「ここまでになるなら、もっとちゃんと忠告してほしかったんだが……」


 特に智也は四度に渡って使用していたので、人の倍以上は反動が来ているのだろう。

 不満を漏らしながら、ある程度血の巡りが良くなっただろうところで、どうにか痛みに耐えながら立ち上がる。

 無理をしないよう努めれば、今日一日を乗り越えることは可能だろう。

 ただ一つ、昨日みたいなハードな授業がなければ、という条件付きだが。


 そんなことを考えながら手早く洗顔と歯磨きを済ませた智也は、壁掛け時計の長針と短針がどちらも「六」を指していたのを確認して、寝間着から制服へと着替えた。

 気を失うように眠っていた手前、制服を脱いだ記憶もなかったがともあれ、慣れないネクタイに苦戦しつつも支度を整える。


「さて、と」


 これから二回目の朝練に向かうため、自然と気合が入る。

 考えてみれば、昨日は初回にしてなかなかに小難しい内容であった。だがそのおかげで、智也は少ない魔力をやり繰りする術を手に入れられたのだ。


「どうせなら他の魔法も改造アレンジしてみたいよな」


 なんてことを考えつつ、秘密の授業に胸を弾ませ意気揚々と歩きだして、脚に走った痛みに撃沈した。


「うっかりしてた……」



 ✱✱✱✱✱✱✱



「いやー、おばちゃんの握り飯は美味しいなぁ……足は痛むけど」


 我が子のように世話を焼いてくれる新井さんに心から感謝しつつ、頂いた握り飯を頬張る。少ししょっぱく感じたのは、言い尽くせない感謝の念から溢れた心の涙か、それとも別の要因か。


 ゆっくり歩きながら静かな広場を過ぎ行く。

 やはりというべきか、早朝に出歩いている者は一人もいなかった。


 そうして路地を抜けた先に立ちはだかる無駄に長い階段に、思わず大きなため息が一つ。

 意を決して、智也はそれを上り始めた。


「これほどまでに……この階段を……呪ったことが、あっただろうか……」


 いつもの二人が一緒であれば楽しく思える時間も、一人では苦でしかない。特に今は、拷問でも受けている気分である。

 安静にと心掛けたもののさっそく無理を強いられ、智也はヘトヘトになりながら頂上へ。


「……ゼェ……ハァ……あれ?」


 と、足を引き摺りながら第一体育館に着いた智也は、扉に鍵がかかっていることに気付く。

 いつもなら先に来た先生が開けてくれているのだが、どうやら今日は智也の方が早かったらしい。

 予定の狂いに、どうするものかと頭を悩ませる。


「職員室に鍵を……場所はどこだ……?」


 そう。智也はまだ主要設備と自分のクラス以外の場所を、何一つ知らないのだ。

 この足で広い校舎を歩き回るのは骨が折れる。とはいえ、ずっとこうしていても時間の無駄だ。指導者なしでは大した練習はできないし、そもそも館内に入れないと何も始まらない。

 そうして智也が本校舎へ足を進めようとしたところで、ワイシャツ姿の先生がこちらに向かって歩いてきた。


「いやー悪いな。クソ野郎と話してたら遅くなっちまった」


「く、くそやろう?」


 珍しく口調の荒い先生に智也が目を丸くさせていると、「聞いてくれよー」と言って彼は愚痴りだした。


「ちょっとばかし民家をぶっ壊しちまったんだが――」


「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりなに言ってんすか……?」


「いやいや、あれは仕方ねーんだよ。俺ぁ善処したはずだ。……まぁそれでだ、その修理費を俺の給料から天引きするとか言い出しやがったんだぜ? あの野郎、金持ちの癖にな」


 どれのなにが仕方ないのか智也にはサッパリだったが、相手方の見当はついた。

 最後の妬みは置いておくとして、結局なにがあったのかは分からないので何とも言い難いところである。


「なんかお前に言ったらすっきりしたわ」


「はぁ、それでいいならいいっすけど……」


「んじゃ、練習するかー」


「あ、ちょっと」


 そう言って肩を叩こうとしてきたので、智也は慌ててそれを手で防いだ。


「なんだ?」


「いや、ちょっと」


「ちゃんと便所の後は手ぇ洗ってるぞ」


「そういうことじゃなくて……」


 立っているだけで脚がギシギシと痛むのだ。

 他の場所であっても、なるべく体への刺激を避けたいと思うのは、さすがに過敏かもしれないが。


 そうして先生が自分の手を見て訝しげな表情を浮かべるので、智也は仕方なく苦情ついでに訳を話すとこに。


「――だっはっは! そうか、筋肉痛か。どれどれ」


「ちょ、なんで触ろうとしてるんすか!」


「いいじゃねーか、減るもんじゃねぇし」


「いままさに神経がすり減ってるんですよ!」


 ひとしきり反応を楽しんだのか、先生は愉快げに笑いながら体育館に入っていく。

 その背にため息を溢しながら、智也もその中へ。


「その足じゃ、動き回るのは無理そうだな」


「そうですね……」


「今日も『地獄鬼』をやろうと思ったんだがなー」


「……さすがに嘘ですよね?」


「おっ、なかなか冗談が分かるようになってきたな」


 仮にそれが冗談でなかったとすれば、体調が万全だったとしても連日はしんどすぎる。

 苦笑を浮かべながら、そう安堵する智也に先生は口元を歪めて、


「ま、C組の奴らはしょっちゅう走らされてるらしいけどな」


「鬼教師だ……」


 このクラスでよかったと、改めて智也が認識したところで先生の目の色が変わった。


「このあと授業でも話すが、三日後に模擬戦をやるって話は覚えてるか?」


「はい」


 入学式のときに聞かされた、クラス対抗戦に備えての練習試合。

 これまでの授業は何かとチームを組んで戦うことが多かったが、対抗戦はもちろん、今度の模擬戦は完全な個人戦となる。

 今まではチームメンバーの肩を貸してもらう――どころか、全体重を預けて助けてもらっていたが、次はそうはいかないのだ。その事に関してずっと智也は気がかりであった。

 果たして自分は、一人で戦えるのかと。


「模擬戦に際して、いま自分が何をすべきか考えてみろ。その内容が……今日の練習メニューだ」


「何をすべきか……」


 あらゆる物が足りない、あらゆる面で他者より劣っている。そんな智也が、この三日間ですべきこと。

 分かりきっていることだが、戦闘を行う上で最もネックになるのは極端に少ない魔力量だ。

 チーム戦では誤魔化しの効いた作戦も個人では通用しない。自らの魔力を用いず、勝つことなどできないのだから。


 であれば、最大の欠点を補うためにも十一番以外の魔法にも改造を施し、極限まで魔力を節約すべきだろう。ちっぽけで粗悪な『魔臓』の成長を待てるほど、時間にも自信にも余裕はない。

 やはり優先すべきは魔法の改造――と、至った結論に智也は自分で待ったをかける。


「先生、昨日の『魔導具』って使えますか?」


「『甘い誘惑(イベリス)』のことか? 一応倉庫に常備してあるが、それがどうした?」


「自分の限界が知りたいです」


「それなら前回試したろ。改造で十二発、通常で六発が今のお前の限界だ」


 怪訝そうに眉をひそめる先生に智也は小さく首を振り、自分の考えを説いた。


 まず、先生が述べたことは間違いではない。だがそれは、使用する魔法を十一番に限定しての結果である。

 自分の中で最も扱いやすい魔法とはいえ、個人戦での手札がそれだけというわけにもいくまい。今まで通り、状況に応じて他の属性も使うことになるはずだ。


 つまり智也は、他の三種類のみを使った場合に、それぞれ結果がどう変動するのか実験したいわけである。


「勝つためには、まず自分を知るところからだと思うんです」


「そのための『甘い誘惑(イベリス)』ってわけか。面白い」


 魔力量が多ければ、よほど無茶をしない限りすぐにガス欠になることはないだろう。

 だがその反面で、一度空になると全快までの時間を要するはずだ。


 そんな他者の残滓程度の魔力しか持たない智也だが、それ故の利点が一つだけある。

 それは、底が浅いがために満ちるのもまた早いというものだ。

 回復速度に個体差があるのかどうかは定かではないが、こと『甘い誘惑(イベリス)』を用いるに際して、おそらく右に出る者はいないだろう速度で復調できる。


 それが良いことか悪いことかはさておき、自らの欠点を上手く利用した試みであった。


「んじゃ、早速試してみるか。何からいく?」


「とりあえず十二番からで――」



 ✱✱✱✱✱✱✱



「自分が憎いっす……」


 触れると吸い込まれそうになるほどの、絶妙な柔らかさを持つ薄桃色の球体。

 人を堕落の道へと誘うような、そんな甘い誘惑に身を委ねながら、智也は先ほどの発言を後悔していた。


「【水風船】が五発、【半月切り】が五発、【隔壁】が五枚か」


 隣で検証結果をまとめてくれている先生を見つめながら、幾度となく回復と消耗を繰り返した智也は、これ以上にないほどの疲労感に苛まれている。


 それもそのはず。自分の限界を調べるに当たって、まず大前提として魔力を全快まで回復させる必要があるのだ。

 そしてそれを確認するためには、先に『魔導具』の回復量を測ることから始めなければならない。

 幸い魔力量の上限が低いので、五分十分と休息時間を変えながら確かめるのに、苦労はしなかった。


 結果、智也の魔力量は『甘い誘惑(イベリス)』を用いることで、十分程度で全快になることが判明した。


「そこまでは良かったけど……」


 一度の休息が短く済むのであればと、そこで張り切ってしまったのが運の尽き。

 智也は授業で教わった初級魔法、その全てを検証したのである。

 補助魔法の三番と前回試した【火弾】を除いた全八種。加えて『魔導具』の件の二回を合わせると、この短時間でちょうど十回に渡り蕩尽を繰り返したことになる。

 いくら動き回れないとはいえ、別のベクトルで無茶をしてしまったようだ。


 だがこれで、智也は己の限界を知ることができた。

 相変わらず【風牙】と【火蜂】は具現化に失敗していたが、なんだかんだ初めて扱った三種の内、【水鞠】と【円環】の二つが意外にも成功したという副産物もあり。

 それらを総括すると、智也は火属性以外の魔法を扱うと少し多めに魔力を消耗するらしい。


 そしてそれは、おそらく他の者にも適用されると智也は踏んでいる。

 適性の有無によって魔力の消耗度合いが変わる、そういったところか。


「でも俺って無属性なんだよな……」


 どうもそれが腑に落ちない。先の仮説が誤りだという可能性もまだあるが、そもそも扱える魔法に偏りがあるのがおかしいのだ。

 本当に智也が無属性であるならば、『第五属性』への適性はそれぞれ僅かでもあっていいはず。だが今回の検証を踏まえても、智也の適性はどう考えても火属性であるようにしか思えなかった。


「どうなってるんですかね」


「んーそうだなー」


 その意を述べると先生は腕組みしながら思案げな表情を浮かべ、真剣に考えてくれているのが伝わった智也は内心で嬉しく思った。

 と、智也の頬が僅かに緩んだところで、空気の抜けるような音と共に背にあった柔らかい感触がしぼんでゆく。

 そうして何度味わっても飽きることのない包容力を惜しんでいると、


「念のため、再検査してみるか?」


「え、できるんですか?」


「前例はないが大丈夫だろ。話は通しておく」


「ありがとうございます!」


 意想外の話に驚き半分、喜び半分である。

 これで悩みの種が一つ減らせるかもしれないと、智也の期待が高まった。


「ま、少し落ち着いてからにはなると思うがな」


 そう言って遠い目をするので首を傾げると、「なんでもない」と躱されてしまった。

 仕方がないので、智也も別の話題を考える。聞きたいことならいくらでもあるのだ。


「ちょっと……お尋ねしたいことがあるんですが」


「なんだ改まって。どうした?」


「お金を稼ぐ方法って、ないですかね?」


「――金?」


 急に何を言い出したのかと、値踏みするような視線が向けられる。

 確かに藪から棒であったかもしれないが、智也的には今一番の不安要素なのだ。できることなら一秒でも早く、肩身の狭い思いから解放されたいところ。

 社会経験を積んでいない自分でもできるような仕事があれば――そういう思いで智也は尋ねたのだが、


「いくら必要なんだ?」


「具体的にいくら、というか……自分で稼げるようになりたいんです」


「ほう。親御さんが聞いたら感涙ものだな」


 正確にはその親と離れ離れになっているので、智也の成長を見守ることも、その姿に涙することも、あの母親には叶わぬ夢となっているのだが。


 出自の話は先生にもしたことがなかったので、ただただ苦笑いを浮かべることしかできない。

 そんな智也を、灰の眼がじっと見つめていた。


「親を頼れないってなると、街の住人の手伝いとかか? ちょうど今、ぶっ壊れてるお手頃な民家もあるらしいしな」


「それ、先生が壊したやつですよね……」


「そう暗い顔をするな。働くのに特別な能力なんていらねーよ。男に必要なのは、やる気と根性だ」


「いまのは見通しの悪さを憂いていたんじゃないっす」


 それに、やる気と根性という言葉から一番遠い人に言われても説得力がないと、続く言葉を口の中で呟いて、


「あーそうだ。例の射的屋に行ってみたらどうだ? 客足が少なくて困ってんなら、呼び込み係とか欲しがってるかもしれねぇぞ」


「そもそも人を雇えるような段階ですらないと思うんですけど」


「そこはほら、ボランティア精神だよ」


「本末転倒っすね……」


「細けぇことは気にすんな。男に大事なのは、やる気と根性と、あと些細なことに目を瞑る器の広さだ」


「いや、さっきと違うんですけど」


 なんて乾いた笑みを浮かべながら、どうやらつっこむ気力くらいは戻ったようだと自覚する智也。

 魔導具様々。これからもお世話になりそうだと、しぼんだ風船のようなそれを見つめる。


「ひとまず今日はこのくらいにしよう。そろそろ他のやつらも登校してくる時間だ」


「今日もありがとうございました」


「んな畏まんなよ。お前が前に進もうとする限り、俺はいつだって手を貸してやる。だから遠慮せず甘えとけ」


 結局、射的屋の話をはぐらかされたような気がしたが、最後にくれた先生の言葉が特にうれしくて、些細なことはすぐに忘れていた。



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