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第四十二話 「逢魔時の厄災」



 無関係な人々を狙う黒ローブの蛮行から街の住人を庇い、半月型の斬撃をその身に受けた灰の眼の男は、まるで腹を裂かれたかのような衝撃と痛みに襲われる。


「早く、避難を」


「あっ……ありがとうございます」


 鬼気迫る声にハッとして、男の背に頭を下げた母親が娘を連れて走り去っていく。その姿を背中越しに見届けて、裂けたスーツの隙間から鮮血が噴き出した。


「……しくじった」


 横一文字に裂けた腹から血を流しながら、男は痛みに顔を顰める。


 ――至極当然の話だった。


 魔法によって生み出された炎は木々を燃やし、水流によって大地は削られる。それと同様に、魔法によって生み出された斬撃は、人体を切り裂く脅威となるのだ。


 そんな危険な魔法を学園の生徒が安全に扱えているのは、彼らが保護された環境にあるからに他ならない。

 幾重にも組み合わされた複数の防護魔法。それにより、学園の制服はありとあらゆる魔法による危害を打ち消すことを可能としている。言わば、生徒の身を守る盾の役割だ。

 そんな高性能な代物を用意するには、それ相応の時間と労力を要することになる。つまり、簡単に量産できるようなものではないわけだ。


「なるほど。魔法を無力化できるのは、あの制服だけってことか」


 ――そう、あくまで身の安全が保障されているのは学園の生徒だけ。


 その者は負傷した男の姿を見て、おそらくフードの中で卑しい笑みを浮かべたに違いない。

 しかし男はその者の言葉には耳を傾けず、上着を脱ぎ捨て、外したネクタイで傷口付近を縛り付けながら、周囲に目を配って住人の避難を確認していた。


「お前最初に言ったよなぁ? 大人しく帰るなら見逃してやるって。偉っそうなことほざいた割には、全然大したことないよなぁ!」


「――浅いか」


「金を用意しろ。そうすれば見逃してやるよ。ハハハ」


「口が減らないな。もうさっきの言葉を忘れたのか」


 瞬間、男の手のひらから飛び出した半月型の斬撃が、その者を切り裂く――前に意図せぬ方向へ逸れていき、近くにあった民家へと衝突した。

 ――例の操作魔法だ。


「無駄なんだよなぁ! どんな攻撃をしようと、お前の攻撃は通用しない」


「試してみるか?」


 完全に有頂天になっているその者に、男は不敵に笑ってみせた。

 傷を負ったというのに泰然としている様は不気味さすら感じられて。

 細く長い息を吐いた男が、一瞬の吸息と共に黒一辺倒の姿を灰の眼に映す。


「――半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切り半月切りッ!」


 連続して風切り音が鳴り響き、生じた斬撃の嵐が容赦なくその者を切り刻む。

 最初の数発は得意の操作魔法で凌いでいたようだったが、


「御しきれる数には限度があるんじゃないか?」


 その読み通り、たかが二十程度の物量であったが、その半数を掌握することもできなかったようだ。


「そ……クソ、悪魔かよ……!」


 身に纏っていた黒いローブはズタズタに切り裂かれ、覆面の代わりとして顔を覆っていたフードも、今やその効果を成していない。

 それでも肉体が無事だったのは、おそらく『魔法服』には及ばないなりの仕掛けが施されていたからだろう。

 なんにせよ、これでローブの下に隠されていた形貌があらわになった。


 少し長い焦げ茶色の髪に、こちらを睨みつける煉瓦色の瞳。

 肉のない手足はほぼ骨だと言ってもいいほどに細く痩せこけていて、何も聞かずとも彼が食事も満足にできない貧しい環境にあることが知れる。


 保護者はいないのか、お金に固執しているところを見るに、明日を生き抜くための鐚一文も持ち合わせていないのだろう。だとしても、やっていいことと悪いことはある。


「ひとまず学園へ連れていく。話はそこで聞かせてもらうぞ」


 まだ成年に満たない子供だ。一度学園で保護する形にして、そのあとでこの者の取り回しを考えればいい。

 そう考えたであろう男にしかし、少年の瞳は断固とした決意が宿っていた。


「こんなとこで、捕まるわけにはいかないんだよなぁ! Reve26――【散らし風】!」


 まるでその者の感情に呼応するかのように、風が渦を巻いて吹き荒れる。

 その渦巻く風は男に向かってとぐろを巻くように進行しており、その対処をしようと身構えるが、何故かそれと同じものが背後にも具現化していて、二つの旋風に男は挟まれた。


「【風切羽】」


 淡々とした声と共に。複数の回転刃が旋風を切り捌いて無に帰する。

 唸るような風の音は掻き消え、四方に散った風がそよそよと町を吹き抜けていく。


「中級魔法の詠唱破棄……! いやそれもだが、気付かれてたのは不可解だよなぁ」


 本来の効力を失ったボロボロのローブを着る少年。その煉瓦色の瞳が見つめる先、灰の眼の男の背後に同じ黒ローブに身を包む者の姿がある。


 同じくらいの背丈と体格。しかしこちらには傷一つついておらず、まるで数分前の少年の姿を実見しているかのようだ。

 とはいえ、まさか同じ人間が同時に存在するはずもあるまい。


「ついさっき俺もそこの射的屋にお邪魔したんだが、いやーバカみてーに難しいな。とても……魔法の軌道を操ったくらいじゃクリアできないほどに」


「…………」


「『光の鬘(ヒカリノカズラ)』っつー植物系の魔物がいるのを知ってるか? 光の吸収と放出が主な特性なんだが、あの光る的紙ってのはそいつを元に作られたものだろう」


 そうして悠々と語る姿は一見して隙だらけのように見えるが、男の放つ気迫が彼らの手足を止めていた。

 なにより、あの灰の眼に全てを見透かされていた、その動揺が大きいのだろう。


「ただ問題なのはどうやって光の点滅を切り替えているかだが……考えられるのは振動か」


「くっ……」


「操作魔法を扱うには対象を視認する必要があるらしいが、幸いあの店にはいくつか窓があった。店に入ったのは一人だったようだが……お前ら本当は二人で『操作』してたんじゃないのか? 一人は魔法を、そしてもう一人が的を操ることで百発百中の妙技を実現させた。――違うか?」


「まさかそこまで見抜かれてるなんてなぁ。クソ、噂通りの洞察力ってわけか」


 灰の眼を見ながら、少年が舌打ちを飛ばす。

 その後に、「でもだからって、俺たちはこのまま手ぶらで帰るわけにはいかないんだよなぁ」と言葉を続けて、初志貫徹を実行する少年の執念深さに、男はため息を溢した。


「無駄な抵抗はよせ。と言いたいところだが、引き下がるつもりはないか」


「そのなりで言っても説得力はないよなぁ……っと、それはこっちも同じか」


「そのローブじゃ、次はもう防げないだろうしな」


「……! そっちも知ってたのか。お前何者なんだよ」


 男の腹部と自分の無様な格好とを交互に見て、薄い笑みを浮かべていた少年の顔が強張った。


「一年A組の担当を勤めてる、ただの教師だよ」


「……なるほどそうか、あんただったわけか。クソ、余計やり辛くなったよなぁ」


「何の話だ?」


 なにかに納得したように独り言ちる少年に、男が訝しげな視線を送る。それに対し少年は「こっちの話だ」とだけ返すと、再び戦いの火蓋が切られた。


 姿を見せた以上、もう奇襲は通用しないが、男の数的不利は変わらない。前後で挟むように攻撃が繰り広げられ、その対処に追われてしまう。


 次々飛んでくる半月型の斬撃に両手を伸ばし、同じものをぶつけてそれぞれ撃ち落としていく。

 時には回転刃で粉砕し、時には身を屈めて二つの魔法を打ち合わせ、どうにか攻撃を捌いていたところに、また旋風が吹き荒れた。


「Reve33――」


 悪く言えば男の防戦一方だが、その実、二人で畳み掛けても打ち倒すに至らないのが歴然とした実力の差でもあった。

 同じ手ばかりでは打開できない。それが格上の相手ならなおのこと。だからその者たちは、攻め手を変えてきた。


 男が詠唱に入った一瞬の隙に、縛魔法で胴体を拘束したのだ。その程度なら旋風とまとめて回転刃で切り裂けると、具現化させた男の魔法があらぬ方向へ飛んでいく。


「悪いけど、あんたには少し大人しくしてもらう」


 直後、男は吹き荒れる風の奔流に飲み込まれた。


「……」


 煉瓦色の瞳を閉じて、踵を返した少年が射的屋の方へ歩いていく。

 その背を追いかけるようにもう一人の黒ローブが駆け寄ろうとして、慌ててその背を呼び止めた。


(りゅう)!」


「おい、外でその名は呼ぶなって言っ」


 振り返りながら、糾弾の声を上げようとした少年のその首に、鋭い手刀が走る。


「な、に……」


 意識を刈り取られる寸前の、その瞳に映ったのは、全身を切り裂かれて倒れ付したはずの男の姿だった。

 力なく倒れ込む少年を男が抱きかかえると、先ほど声を上げた少女――と思わしき人物が、手のひらを向けて敵意を剥き出しにしてくる。


「つ、連れていかないで……」


 行動の割には弱々しい声だ。顔は見えずとも、手足の震えから怯えているのが伝わってくる。

 そこまで警戒せずとも、子供相手にどうこうするつもりは男にはないはずだ。

 抱えていた少年をそっと地面に下ろし、両手を上げて敵意のなさをアピールして、


「最初に言った通りだ。大人しく帰るなら見逃してやる。ただし、この街で悪さをしようってんなら話は別だ」


「わ、わたしたちは……」


「金を稼ぐ方法なら探しゃあいくらでもある」


 二人はお金が欲しいから窃盗まがいの行為に及び、それで生活の足しとしていたのだろう。いや、実際さっき男が目にしたのは、もはや紛い物などではなかった。

 店主を脅迫し、暴行すら加えようとしていたのだから、その罪はもっと重い。


 彼らは踏み入れてはいけない一歩を踏んだのだ。それが紛い事なら許されるわけではないが、皮肉にも店主は彼らの非行に気付いていなかった。

 だが今回の件に関しては完全に言い逃れできないだろう。そんな彼らでも、まだやり直せる方法は残っているはずだ。

 その為にもまずは――、


「お前らの生活を保護する代わりに、連中の情報を吐いてくれればいい」


「保護……? でも大人は信用できない……だよね」


「連中よりもか?」


 その核心を突くような問いかけに、少女が息を呑んだのが分かった。

 少なくとも足元で気絶している少年の方は、組織の人間に対して仲間意識はないようだった。それと同じ考えが、少女にもあると踏んだのだろう。


「学園の者が信用できないというのなら、先に頭金を用意させることも可能だ」


 黒ローブの連中の情報が手に入るのならば、あいつにとって端金など惜しくもないだろう。と、続く言葉を少女に聞こえないように呟いて。

 そんな男の誘いに、少女は明らかな動揺を見せる。


「ほん……とに……? 二人とも、助けてくれる……だよね?」


「男に二言はない」


「わかっ……た」


 怯えながらも、少女は協力する姿勢を見せてくれた。

 少年の方は目を覚ませばまた暴れだしそうなので、今の内に運ばせてもらうのが得策だろう。

 結果的に強引なやり方になってしまったが、彼も目的を果たせるのであれば本望のはず。


 そうして二人を連れて学園に向かおうと、足元の少年に手を伸ばしところで、不意に現れた影が男を急襲する。


「ッ!?」


 音もなく現れた影にブッ飛ばされ、背中から民家に激突。幸い住民は避難していたが、壁には大穴があき、吹き飛ばされた衝撃で家の中まで滅茶苦茶だ。


 木片となった家具の上で仰向けに倒れる男は、ぶち抜いてきた壁越しに、寸前まで自分がいた場所に立つ大柄の、黒ローブを身に纏った者が拳を突き出している様を見た。

 苦鳴を漏らしながら腕を付いて体を起こそうとするが、咄嗟に急所を庇った両腕が痺れて動かない。


「ぐ……とんだ馬鹿力だ」


 使えない両腕を垂らしながら、代わりに腹部の筋肉を使って起き上がる。その際に先ほど受けた傷口が開いて、腹に巻いたネクタイとシャツがじわじわと赤く染まる。


「情けねぇ。これじゃ生徒に見せる顔がないな」


 二度も同じ失態を犯した。

 そんな己に喝を食らわし、灰の眼を鋭く光らせる。


「――オイオイオイ、手応えねぇなオイ!」


 視線の先、正拳突きの構えを解いた大柄の男が、つまらなそうに不満を溢して後ろを見やった。

 そこに居るのは当然ながら、同じ黒ローブを纏った輩だ。


「それってサ、僕に向けて言ってるのかナ?」


「当然だ。貴様が面白い奴がいると言ったから、当然俺様が付いてきたんだ!」


 両者共に装いは同じだが、先の少年少女と異なる点は、フードの下に妙な面をつけていることか。

 とはいえ、そこは同じ組織の人間と考えて間違いないだろう。むしろ面無しの二人が新顔だということを加味すれば、後から来た二人は組織の幹部か、それに近しい存在であろうことが推測できる。


「思い上がりも甚だしいナァ。君は今のがヤツに効いたと、そう考えたわけだよネ」


「どういう意味だ、分かるように説明しろ。全く意味が分からん!」


「――単細胞が。おっとっと、口が滑っちゃった。単純に君の攻撃が、防がれたってことだよネ」


 フードの下、顔を覆うように付けられたピエロの面がある。

 その面の口元に両手を当てて失言を隠すような素振りを見せるが、図体のでかい方はそれを豪快に笑い飛ばす。


「ハッハッハ! なんの冗談か知らんが、つまらん冗談だ!」


「その傲慢な考えが仇にならないといいけどネェ。それで僕まで巻き込まれるのは、勘弁だよっと」


 言いながら、小さく後ろへ飛んだ道化師を見て、大柄の男が鬼面を傾げる。


「――Reve59【無上迅速むじょうじんそく】!」


 その時、大穴があいた民家の中から銀閃が走った。


 男の傾げていた首から左肩が裂け、大量の血が噴き出して止まらない。


「オアアアアアア!! 俺様の首が、首がアアアア!!」


「あーもう、うるさいな。まだ引っ付いてるから大丈夫だよ」


「いいから早く! 早くアレを寄越せ!」


「ンー。どうしよっかナっ」


 右手で首裏を抑えているが出血は止まらず。助けを求めるそんな鬼面の男を、道化師の方は耳を抑えながら楽しげに見ている。

 仲間にしてはぞんざいな扱いだ。やはり連中の間には、連帯感というものがないのかもしれない。


「貴様、俺様を見殺しにするつもりかアアアア!」


「やだナァ。僕の言葉を信じなかったのは君じゃないか」


「そんなことはどうでもいい! どうでもいいから早く助けろ!」


「――どうでも良くねェよ」


 中性的な声から一変、殺気を感じるような低い声がして。

 道化師の腕が空を切り、何故か鬼面の男の腹が横一文字に裂ける。


「が……ァ……」


 腹と首から大量の血をぶち撒けながら、大柄の男が地に倒れる。その様に一瞥くれるが、すぐにその者はピエロの面を前方――灰の眼の男へと向けた。


「ずいぶんと睦まじげに話してるもんだから、その間に片そうと思ったんだが……仲間割れか?」


「面白いことを言うネ。本当にそう見えてたのなら、『灰の眼』も大したことないんだけどナァ」


「ま、内輪揉めしてくれた方がこっちも助かるけどな」


 その内輪揉めをしている間、ずっと怯えていたであろう少女は、気絶から目を覚ました少年と共に隅でへたり込んでいる。

 一瞬そちらに視線をやったあと、男は正面に立つ道化師に目を向けて、


「単刀直入に聞く。最近魔物の動きが活発化しているのは、お前らの仕業か?」


「イヒヒっ、イヒヒヒっ」


「なにが可笑しい」


 奇妙な面の口元に手を当て、愉快げに笑う道化師に男は灰の眼を細める。

 それに対し、道化師は楽しそうにその場でくるくると回って戯けてみせると、


「一次情報ってサァ、なんだがワクワクするよネ。だって自分しか知らないんだよ? 誰かに話しちゃったら、それはもう僕のモノじゃなくなっちゃう。それってつまんなくない?」


「確かに一理あるな。だが、時に情報ってのは誰かに開示することで得られる反応があったり、自分とは異なる解釈に気付く切っ掛けとなることもある。それに、うまく使えば相手の情報を逆に引き出す餌にもなり得るだろう。そう考えりゃ……悪くもないんじゃないか?」


「アハッ。面白い! やっぱり貴方は面白いネェ! 伊達に教鞭執ってないや。お話しするなら、貴方みたいな人とが有益だよネ。だって――時間は有限なんだもん」


 卒然と、ローブの袖からなにかを取り出した道化師が、ソレを地面に投げ捨てた。

 それは魔法陣が描かれた白いカードのようなもので、それを認識したとほぼ同時に、灰の眼の男は動いていた。


「【無上迅速】」


 その魔法名を耳にしたときには銀閃が身を断ったあとで、痛みに体が遅れて反応する頃には血しぶきが舞っている。それほどまでに洗練された、文字通りの速さであった。


 その一刹那に放たれた斬撃はしかし、気付けば道化師を前に塵となって霧散している。


 一枚目を取り出したときに隠し持っていたのだろう。道化師の左指に挟まれた二枚目のカードが、白く煌めいている。

 それを見るに、あの紙切れが魔法の効力を有しているのは明白だ。おそらく、強力な防御魔法かなにかで銀閃を防いだのだろう

 そしてそれと同じことが、足元のほうにも適用される。


「【絶縁】ってネ。――フレイル、インファーム、帰るよ」


 足元の紙切れが強い光を放ちだし、道化師に呼ばれた二人が慌てて光の中へと駆けこんだ。


「ちょっと長居しすぎちゃった。お兄さん、また今度ゆーっくり遊ぼうネェ。あ、その死体ごみは置いてくから」


 そう言い残して。眩い光に包まれた三人の影が、男の前から消える。

 後に残ったのは死んだ魚のような目をした男と、比喩抜きに死んで虚ろな目をした鬼面の男の、体内からこぼれた血の海だけだ。


「置いてくつったって、どうすんだこれ……」


 寝転がった死体を見下ろしながら、男は気怠そうに頭を掻く。

 ほんのり赤みがかっていた綺麗な夕焼け空は、いつしか闇に飲まれており、変わりに街灯が夜空を照らし始める。

 その夜空の下、どことなく不気味さを醸し出しているリヴ魔法学園に目を向けた男は、小さくため息を溢した。


「報告は明日か……」


 組織の新入りと思われる二人の子供についての気がかり。

 最小限に抑えたものの出てしまった街への被害。その修繕及び住民への謝罪と説明。加えて、死体の後処理まである。

 そうした山ほどある面倒事に愚痴をこぼす男の隣で、人の気配がした。

 見開いた灰の眼に映る――死んだはずの鬼面の男の姿。


 二人に裂かれた傷は決して浅くはなく、流した血の量からみても確実に死を物語っていた。明らかに、人が活動できる領域ではないのだ。

 しかし現に大柄の男はこうして立ち上がっており、己の血で濡れた鬼面をこちらへ向けている。


 と、倒れた際の衝撃で亀裂が入ったのだろうか。鬼面の下半分が不意に割れ落ちて、牙のように鋭く尖った歯があらわになった。


 人らしからぬ相貌に血濡れた鬼面の迫力が相まり、まさに文字通りの鬼の形相である。

 そんな戦慄が走るような鬼気を前に、灰の眼の男は何かを掴むように右手を伸ばし――、


「……仮は返すぞ、『灰の眼』」


 そう言って踵を返した鬼面の男は千鳥足で歩いていき、まだ微かに残っていた光の残骸に触れる。

 そして一際強い光を放つと、先の三人同様に姿を消したのだった。


「やれやれ……」


 完全に連中の気配が消えたのを確認して、灰の眼に満点の星を映した男は、また面倒事が増えたとため息を溢した。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「ただいま~回収してきたよぉ」


「おかえり、トラストレーネ」


 さびれた集合住宅の一室。

 薄暗い部屋に眩い光と共に現れた三人の影に、ローブを纏った青髪の男が振り向きざまに薄い笑みを浮かべた。


「初めての任務はどうだったかな? フレイル、インファーム」


「正確には二回目なんだよなぁ。ていうか、聞かなくても分かってるくせに……」


「今回は取り分なしで、任務で得た金銭その全てを君たちの懐に入れるのを許容する……という話だったけど、真に残念な結果だ」


 口先だけで憾む態度を見せる男を、ぼろぼろになった布切れを脱ぎ捨てた少年が忌々しげに睨みつける。

 その横で、同じ目の色をした少女が「ぁ……あの……」とか細い声をだして、


「今月分のお給料を、まだもらってない……だよね」


「あぁそうだった。すまない、ついうっかりしていたよ」


「うっかりだと!? 俺たちは金がもらえると聞いたから協力してるんだぞ!」


「だが私はこうとも言ったはず。君たちの働きぶりに応じて対価を支払う、とね。簡単な仕事もこなせないようでは、それ相応の評価に落ち着いて当然だろう? 君が粗末にしてしまったその装い一つ用意するにも、お金がいるのだよ」


 脱ぎ捨てたボロ布を一瞥して、少年が悔しそうに歯を軋ませた。


かがり様、彼らもまだ子供です。その辺りでご容赦くださいませ」


「……無論、本意ではないよ。君たちも大切な仲間だからね。ともあれ、無事で何よりさ。――美月みづきくん」


「はい。……予備の物です、お納めください」


 燎と呼ばれた男が顎をしゃくると、脇にいたスーツの女性が少年に近付き、手に持っていた新品のローブと巾着を差し出した。

 それに複雑な表情を浮かべてから、渋々受け取った少年は「次は成功させる」と言って少女を連れて部屋の外へ。


「よろしいんでしょうか? あれではいつ反旗を翻してもおかしくないように思えますが」


「いいや、彼らはあれでいいんだよ」


「……失礼しました」


 出入り口の方に視線をやり、憂える声を発した女性に対し、男の方は悠々とした態度で構えている。

 それから、共に帰ってきたもう一人の仲間に目を向けると、


「時にトラストレーネ。一緒に行った彼のことなんだけど」


「あ~。残念ながら灰の眼にやられちゃって」


 長椅子にもたれて寛いでいた道化師が、背後で閃いた光におもむろに振り返り、そこに現れた血まみれの男を見て声のトーンを落とした。


「まさか、アレで死んでないなんてネ」


「ヴィルヴァイス……随分なざまだね」


「面目ない、少し見くびっていたようだ。だが次は侮らない」


 既に治りかけている首と腹の傷を見て、道化師が身をこわばらせる。

 それから、割れた鬼面の男の言葉に「分かってないナァ」と首を横に振って、食ってかかろうとした男を青髪の男が制止させた。


「私は別に、君を咎めているわけではない。灰の眼……奴はむしろ、我々の目的を遂行する上で最も邪魔な存在となる。消せるのであれば、それに越したことはない」


「面白そうな人だったけどネ~」


 青髪の男が眉をひそめたのを見て、咄嗟に道化師が口元を手で隠した。

 それに鬼面の男が鼻を鳴らし、「それで所期の目的は? 期待できそうなのか?」と問い掛けて、


「そろそろ彼も帰ってくる頃合いだとは思うけど」


「ここに候」


「うわっ、いつの間に!」


 音もなく現れた忍装束に、道化師が両手をあげて驚く。

 大げさともとれる反応にその者は目元に皺を寄せ、それから青髪の男の前で片膝をついた。


「ご報告致す。本館二階の空き部屋にて、壁の裏に怪しい階段を発見したでござる」


「二階? どうりで見つからないわけか」


「底は深そうでしたが、確かな邪気を感じたり」


「では、彼奴きゃつらの話は本当だったと」


「さっそく斬り込むでござるか?」


 闇に紛れる黒瞳を煌めかせる忍装束の者に、青髪の男が「いや」と打ち消しの言葉を放って、


「アレを利用するのはもう少しあとだ。今は場所と存在が特定できればそれで十分さ」


「じゃあ次は何をするんだ? 俺様はじっとしているのが嫌いなんだ」


「やられたばっかでよく言うネー」


「なに? 暇潰しに貴様の頭を潰してやろうか」


「――そう焦ることはない。君たちの願いが叶うのは遠くない未来さ。いまはゆっくり、世界が闇に吞まれていく様を楽しもうじゃないか」


 そう言って携えていた『魔導書』を撫でると、青髪の男は人の悪い笑みを浮かべた。



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