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第四話 「ヘクスヘル平原」



「疲れた……」


 魔法学園とやらへ向かうため、謎の少女と別れてしばらく大平原を縦断していた智也。

 しかし、歩いても歩いても殺風景な景色は変わらずで、一向に辿り着く気がしなかった。


「大体、なんでここからなんだよ」


 転移が使えるのなら、いっそのこと学園の入り口にしてくれたらよかったにと不満を漏らしつつ。やっぱり騙されているのではないかと思いたくなるような果てなき道に、何度目か分からないため息をこぼして。


「せめて魔法の一つでも拝められたなら、モチベも実感も湧くんだけどな……」


 さっきのアレは一瞬のことすぎて勘定に入っていない。第一、規模が規模なため現実味を帯びないのだ。

 魔法そのものが現実味のない事象であるということはさておいて、もっと簡単なものでいいから肌で感じたいと智也は思った。


 ――肌で感じる。


 そう口の中で反芻して、少女とのやり取りが想起された。

 あの場では煙に巻かれてしまったが、疑問に対する可否を明かさなかったということは、智也の可能性を否定しなかったとも捉えられる。


 利き手を見つめ、何度か開閉を繰り返す智也。

 手順や仕組みを知らないから使えないのだと思っていたが、肝となるのは確固たる自信だったのかもしれない。

 そう考え、辺りを見回す。

 

 ここが異世界なのであればこれ以上適した場所もあるまい。

 手元に視線を戻し、開いた手のひらに力を込めて前方へ。そして意を決し、声高々に叫んだ。


「燃えろ!」


 その発言を誘因に、右手に真っ赤な炎が燃え上がらない。


「いや、魔法には呪文が付きものか……」


 一度の失敗くらいでは諦めない。

 他の形式も勘案して、切り口を変えて試みる。


「ファイアボール! フレア! 火炎弾!」


 だが、続けざまに唱えてみても何の変化も起こらなかった。

 代わりに大平原を駆け抜けた冷たい風が、智也の愚行を嘲笑ったかのよう。


「何してんだろ、俺……」


 肩を落とし、とぼとぼと歩みを再開する。

 その妄想が、いつしか抱いていたその思いが、夢叶う日はくるのだろうか。

 今はまだ、分からない。



「本当なら今ごろ、潜ってたんだろうなぁ……」


 なんの間違いでこうなってしまったのかと、ため息をつく。

 さっきは未練なんて毛ほどもないと豪語していたが、軟弱な智也の精神など容易に折れてしまっていた。

 ――ゲームがしたい。いま頭の中はそれでいっぱいだった。


 あれだけのめり込んでまでプレイしていたのだ。突然なんの前触れもなく切り離されてしまっては、そうなるのも必然か。

 いつの間にか足を止め、智也は空を走る雲を目で追っていた。


「俺もぷかぷか浮いてられたらなぁ」


 なんて、腑抜けたことを考えていたら――青かったはずの空が急速に赤みを帯びていく様が目に映る。


 呆気にとられ、目を疑い、何度か瞬きを繰り返したのちに現実を理解して、血の気が引いていくのを感じた。

 同じくして。どこか遠くから獣の遠吠えが響いてきて、夜の気配がすぐそこまで忍び寄ってくる。


「そんなばかな……!!」


 誰に向けるでもない文句を吐き捨てて、慌てて地を蹴り走り出した。


 ほんの少し、後悔の念に駆られて立ち止まっていただけなのに。無慈悲にも日は沈んでいき、少しずつ世界が闇に支配されていく。


 ――今の貴方なら軽く殺されちゃうかもしれませんね。


 少女の言葉が甦り、全身に冷や汗が滲み出た。

 とにかく一秒でも早く安全な場所へ行かなければ。


 智也の視認できる距離にはまだ、建物一つ、見当たらない。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 インドアを極める智也は基本的に外に出ることがなかったが、唯一ゲーム以外の趣味として、定期的にランニングを行っていた。もちろん人に会わない時間帯を選んでだ。

 おかげで少しは走りに自信があったのだが、


「はぁっ、はぁっ、くそっ……!」


 知らない土地。あるかもわからない目的地。命の危機に駆られて焦る心。

 そして、ついに闇に飲まれた大平原で、加速度的に体力は消耗していった。


 冷えた空気に口内の水分を奪われ、引き裂かれたかのような痛みが横腹に走り、おまえに一寸先も見えない暗闇に平衡感覚を狂わされて何度も足がもつれそうになる。

 前に進んでいるのかさえ、もはや智也には分からなかった。


 そもそも暗闇の中を走るなんて芸当、平時なら恐ろしくてとてもじゃないができない。ただ今は、それ以上の恐怖で上書きされて、ひた走るしかなかったのだ。

 幸いというべきか、明るいうちに見えていた範囲ではほとんど平坦な道が続いていた。それも理由の一因としてあるかもしれない。


「あれは……?」


 見えない恐怖に打ち勝って、ようやく明かりを視界に捉えた。やっとの思いで辿り着いたのだ。

 よろめきながらも一歩ずつ踏みしめて、ゆっくりと光源に近付いていく。


「あ……?」


 目を凝らし、やけに小さな光を注視すると、それは闇を纏った『何か』の赤い眼のようなものだった。


 身を震わせ、後退り、迂回しようとした先で同じ『何か』が行く道を塞いでいる。

 身の危険を感じた智也はすぐさま来た道を引き返そうとしたが、背後でも同じものが怪しく揺らめいていた。


「う、うわああああああ」


 恐怖心に駆られ、無意識に光のない方へと飛び出す智也。

 走って、走って、走り抜けて、後ろを確認する余裕もないほどに慌てふためきながら闇の中を切り抜けた。


 そう――今度こそ本当に辿り着いたのだ。

 門灯だろうか。遠目に見える灯火が、微かに建物の風貌を照らしつけている。


「あそこまで……はぁっ、ゲホッ」


 あそこまで行けば安全だと、本能的にそう感じた。

 身も心も疲弊しきっているが、最後の力を振り絞り、足を引き摺っていく。


 その灯りに近付くにつれ、体の重みが少しづつ取れていくような――そんな気がして。

 もう少し、あと少しだと自分を鼓舞させて、険しかった智也の表情が緩んだとき、真横で『何か』が動く音がした。


「え」


 先の赤い光は振り切ったはず。

 そう思いながら恐る恐る気配のした方を確認すれば、頭のない骸骨が唸り声をあげていた。


「ア゛ー」


 首から上がないのはもちろん、そもそも骨格しかないのにどこから声が発せられているのか。なんて、そんなことはこの際どうでもいい。

 褌を締めた妙なスタイル以外は、ゲームで馴染み深い魔物の風貌だ。

 ――そう、ゲームでは。


 自分の骨の一部か、大きな得物を片手に握っており、脆弱な智也の体など軽く殺傷できることが嫌でも察せられる。

 ゲームなら致命傷を受けても一瞬で回復できるが、現実はそうはいかない。自分の近くをフラフラと歩くその姿を、息を殺して見る智也の心臓は今にも破裂しそうなほど跳ね上がっていた。


 ――見つかれば確実に殺される。


 顔のない骸骨が自分を認識できるのかどうか、息を殺して意味があるのかどうかは定かではないが、今は気付かれないことを全力で祈るばかり。


「ウ゛ァー」


 しかし身を竦める智也の真横で、二体目の骸が音もなく現れた。


「嘘だろおい……」


 思わず絶望の声を漏らした智也に反応して、二体の骸が同時に振り向く。

 そして、それぞれ手に持った得物を振りかぶり――、


「――!」


 後悔より先に、智也はその間を走り抜けていた。

 寸前までいた場所からズシンと重い振動が伝わってきて、外したことを察したらしい骸たちが逃げる智也の背を追いかけてくる。


「やばいやばいやばいやばい……!」


 直撃していれば、確実に頭蓋を砕かれていただろう。


 生きた心地がしない。恐怖で心臓が止まりそうだ。

 それでも必死に、がむしゃらに、藁にもすがる思いで足を回した。


 ――正面。見えてきたのは、十メートルを優に超える大きな門と壁。

 それは街の入口でありながらも、今は固く閉ざされていて、外部からの侵入を拒む形で立ち塞がっていた。


 せっかく辿り着いたのに。そんな泣き言を漏らしそうになったところ、門灯に照らされる人影が。智也は急いで駆け寄った。


「た、助けてください!」


 肩で息をしつつ足裏で地を踏みしめて、倒れそうになる体をどうにか支える。

 そうして目の前の人物を見上げると、淡い光に照らされた銀の鎧がまず目に入った。


「む、何用だ!?」


「魔物が、すぐそこまで来て……」


 智也が後ろを指差すも、追ってきていた骸たちの姿はどこにも見当たらない。


「居ないようだが?」


「あぁ、良かった……」


 そう言って構えた槍を下ろした鉄鎧の男に、智也は安堵の息を漏らした。九死に一生を得たのだと、実感するや全身の力が抜け落ちその場にへたり込む。

 鉄鎧の男はそんな智也を値踏みするようにじっと見つめて、


「こんな時間に一人で外を出歩くなぞ、あまり感心しないな。そうまでして、何用か?」


「あぁ……えーっと……」


 慌ててきたものだから、こういう場で用いる会話の手札が準備できていない。智也はなんと答えるべきか内心焦りつつ、息を整えるふりをしながら頭を回した。


 城門よろしく高く聳える石壁で、中の様子は全くわからない。だが魔法学園があるのはここで間違いないはずだ。

 と、少子からもらった封筒のことを思い出して、ポケットに突っ込んでおいたそれを目の前の男へ差し出した。


「リヴ魔法学園に入学しに来ました……」


 おそるおそる目的を伝える智也に、入学券なるものが入っていると思われる封筒を確認した鉄鎧の男は、訝しげな声を発する。


「なんだこれは? こんなもの見たことがないぞ」


「やっぱり作り物じゃねーかよ!!」


 智也は心の中で少女に対する怒りをぶちまけた。


「じゃ、じゃあもしかして俺は……」


「ん? あぁ、入学といったか。通行を許可しよう」


 返された封筒を右手でぐちゃぐちゃに丸めながら、懸念に眉を曇らせていた智也は続く門番の言葉に耳を疑った。


「え、いいんですか?」


「変な奴だな。街に入りたいのだろう?」


「それはそうですけど……」


 どこの馬の骨ともわからない自分を、こうもあっさり通してしまって門衛としての役目が勤まるのだろうかと、逆に心配になってしまう。

 智也としてはそれで通してもらえるのなら助かるが。


 肩の力を抜く智也を鉄鎧の男が横目に見て、兜の隙間から赤い目が覗く。

 その視線に首を傾げていると、男は門の方へ向き直り、小声で何かを呟いた。


 途端、強固な城壁に丸い窪みが生まれて、内と外との境界線が消え失せる。

 壁に空いた空洞からは、夜の街が丸見えになっていた。


「すげぇ……!」


 それは、紛れもない魔法だった。

 仮想世界でしか見ることのできなかった超常現象が、いま目の前で起こったのだ。

 念願のソレを間近で見て、感極まる智也。しばらく余韻に浸っていると無言で催促されたので、慌てて空洞へと足を踏み入れる。

 すれ違いざま、


「もう夜も遅い。中で下宿屋を探して寝泊まりするといい」


「はい、ありがとうございます」


 親切な人で良かったと、心底そう思いながら智也は夜の街へと繰り出した。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 深い闇に飲まれた大平原を見つめる男。

 それと同じ鉄鎧で武装した者が、少し離れたところから歩いてくる。


「ふぅ、スッキリしたぜ」


「遅いぞゴーシュ」


「そうカッカするなよドロワット。今日はやけに尿が近くてよ」


 ドロワットと対象的な青緑色の瞳を持つ、ゴーシュと呼ばれた男がケラケラ笑う。どうやら、門番は二人だったらしい。


「これで三回目だぞ。さてはお前、仕事前に一杯やってきただろ?」


 赤目の方の門番――ドロワットが呆れながら、壁に立ててあったもう一本の槍をゴーシュに手渡した。


「へへ、すまねぇな。お前から貰ったアレが美味くてよ。一本あけちまったぜ」


「程々にしとけよ」


「まぁいいじゃねぇか。それよりドロワット、異常はなかったか?」


 サラッと仕事前に一升瓶飲み干した事を暴露するゴーシュ。ドロワットがそれを窘めるも、彼は笑い飛ばしてしれっと話をすり替えた。

 そんなやり取りはいつもの事なのか、ゴーシュの態度にドロワットは特別反応を見せずに。


「ん……あぁ」


「おいおい元気ねぇな。どうした、お前も便所に行きたいのか?」


 ゴーシュは、先ほど街に入っていった少年の姿を見ていない。

 門に開けた空洞も彼が戻る前には塞がっており、ドロワットが少年の事を語らない限りは、それを知ることはないだろう。


「お前と一緒にするな」


 手厳しい突っ込みを受けてもなお、ゴーシュは笑みを崩さず。相方のほうも本気で怒っている様子ではない。

 おそらく長い付き合いであろう二人の親密さが、そこに垣間見えた。


「しっかしまぁ、相変わらずつまんねぇ仕事だぜ」


「そう言うな。平和なことは何よりだ」


「けどよぉ、最近魔物共の動きが活発になってるらしいじゃねぇか。港町の方じゃ、でっけぇタコみたいなのが現れたって聞いたぜ? 食えんのかねぇ」


「だから俺たちも気は抜けないんだよ、ゴーシュ」


 鉄兜を外して胡座をかき、自前の青い髪をポリポリ掻いて寛ぎモードに入ったゴーシュを、ドロワットが叱咤する。


「そう堅ぇこと言うなよぉ。毎日毎日夜明けまで見張り続けるにも、集中力の限度があるってもんよ」


「それでもこれが、俺たちに任された大事な仕事なのだ」


 魔物が蠢くこの地で、いつ襲ってくるやも分からないこの状況下で、街やそこで暮らす人々を守るため、一切の警戒を怠らず一晩中監視し続ける役割。

 彼らの仕事は、見た目以上に大変なのかもしれない。


「もし俺がいなくなったらどうするんだお前は」


 ぽつりと、ドロワットが呟いた。

 ゴーシュはそれに変な顔をして、


「なに馬鹿なこと言ってやがんだ? 職務放棄か? ずるいぞドロワット!」


「そういうことじゃなくてだな……」


 真面目な話をしたはずが、ゴーシュの反応は相変わらずで。ドロワットは力なく項垂れた。


 夜明けまではまだ長い。また翌日、その先と、ずっと二人でこの場を守り抜いていくことだろう。

 そうしている間に、彼のおちゃらけた態度もいつかは直るだろうか。


「――――」


 深い闇に飲まれた世界で、ふと遠くの山から獣の遠吠えが木霊して、ドロワットはその赤い瞳を鋭く光らせた。

 その隣で、


「暇すぎっからよぉ、将棋でもやろうぜ」


「ここでか!? ……というかまだ勤務中だ!」


「ドロワット……お前ってやつは相変わらず堅いねぇ」


 彼は一体どこまで脳天気なのか。ドロワットの苦労が偲ばれるが、どうやら微塵も悪気はないらしい。


 結局、その後もしつこく遊びの誘いを持ち掛けてくるゴーシュに対し、ドロワットは仕方なく目隠し将棋に付き合ってやることにしたのだった。



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