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第三十九話 「点在するヒントを集めて」



「藤間くんは、黒霧くんのお話聞かなくてもいいの~?」


「あ? なんで俺が雑魚ランクの話聞かなきゃならねぇんだよ」


 地獄鬼が一時休戦となり、合流した水世に智也が作戦の趣旨を伝えていた頃――。

 藤間と清涼は少し離れたところから、その様子を眺めていた。


「この前、黒霧くんのチームすごく面白いことしてたよね~。あれって、黒霧くんが考えた作戦なんだよね?」


「んなもん知るか、本人に聞け。俺はあいつの知恵なんざ借りなくても別に勝てんだよ」


「そっか~、藤間くんは強いからね。私はちょっと気になるな~」


 智也の知らないところで前回の授業が評価されているのか、思わぬところから関心が寄せられているようだ。

 対して藤間は興味なさげに鼻を鳴らし、獣のような鋭い視線を東ゲートの方に向けている。


「アイツは必ず、最後にもう一度あの魔法を使ってくる。それさえ凌げば、こんなもん楽勝だ」


「なにか名案があるの~?」


「お前は俺の言う通りにしてればいい」


「は~い」


 藤間相手に物怖じしない清涼は、肝が据わっているのか単にマイペースなだけなのか。意外にも藤間のほうがやりづらそうに、今度は舌を鳴らしていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「おい、来るぞ」


「え? え?」


 巻き上がった土煙の中を険しい顔で注視していた藤間が、不意にそう呟く。

 置いてけぼりな清涼は、頭に疑問符を浮かべながらその横顔を見返していたが、吹き起った突風に思わず目を瞑り、


「Espoir13【隔壁/四辺しへん】」


「うわっと、て……きゃーー!!」


 いきなり地面から生えた壁に突き上げられ、バランスを崩した清涼がその場に尻餅をついた。

 次に瞼を開けたときには、ざっと五メートルはある壁の上に身を置いており、その衝撃に驚いた清涼が、上から顔を覗かせて絶叫する。


 瞬き一つ許されない先生の妙技。その対策を藤間も用意していたということだ。

 奇しくも似たようなことを考えていたと知って、智也は複雑な気持ちとなった。


「は~、高ぇな」


 闘技場の壁より高い位置にいる二人を見上げながら、先生が気怠そうに頭を掻いている。

 あんなところまで逃げられては、さすがの先生も追えないか。


「と、智也くん」


「あぁ」


 となると必然的に、藤間たちのほうを諦めた先生がこちらに向かって歩いてくる。

 智也は雪宮にもアイコンタクトを送り、いつでも対応できるようにと身構えて。そんな警戒を強める三人の姿が灰の眼に映らない。

 一瞬で踵を返し、背を向けていた藤間たちの方へと駆けだしたのだ。


 垂直に伸びる五メートルの壁を登るつもりなのか。そう智也が思ったとき、何故か藤間の立てた壁を素通りした先生は、その後ろにあるもう一つの壁――闘技場の土台に向かって飛び上がると、その土台を蹴って反転し、藤間たちの足元に手をかけた。


「おいおいおい冗談じゃねぇ!!」


「あんなのゲームでしか見たことないぞ……」


 その超人っぷりに、智也はもちろん藤間も動揺を隠せていない様子。

 舌打ちを一つ飛ばし、藤間はすぐさま階下に飛び降りようとするが、


「もしかして降りるの……?」


「当たり前だろ、捕まりてぇのか!?」


「ちょっとこれは……むり……」


 足を竦ませる清涼に藤間は一瞬だけ逡巡したようにみえたが、結局は見限ったのかそのまま一人で飛び降りてきた。

 それなりの高さだ。女の子でなくとも、飛び降りるには少なからず勇気がいる、それに下手をすれば、怪我にもなりかねない。


 そうこうしている間に、腕の力で体を持ち上げた先生が頂上に辿り着き、清涼は完全に取り残されてしまった。


「あの野郎、マジで登りやがった……」


「よっ、大丈夫か?」


「こんなの無理ですよ~」


「まぁ待ってろ、いま降ろしてやる」


 受け身を取って着地した藤間が、真上を見上げて黄土色の瞳を細める。

 と、清涼の体が軽く浮いて、先生の両腕に抱えられた。

 そして、「大丈夫か?」と再度確認して顔を覗き込む先生に、自分の状況を理解したであろう清涼の顔が、桜色に染まる。


「あ、え、は……はい……」


「んじゃ、行くぞ」


「はい。え……? まさか、飛び降りるつもり――」


 直後、甲高い悲鳴と共に二人が降ってきた。

 先生は清涼を抱えたまま膝を曲げて着地。涼しい顔で腕から降ろすと、その様子に目を見張っていた黄土色の瞳と視線を交えた。


「清涼と、東道栖戸の二人も残りの時間は観戦な」


 よほど衝撃が大きかったのか、ずっと固まったままでいた二人が先生の指示に我に返り、清涼の後に続いて西ゲートのほうに避難していく。

 そこにいる観戦組の一人――千林がそれを出迎え、やにわに抱きついた清涼が「怖かった~」と言っているのを智也は遠巻きに見た。


「さて、残りは五人か」


 気合を入れ直すように首を鳴らす先生に視線を移し、額から汗が流れ落ちる。

 そんな智也の緊張が伝わっているからか、隣の紫月の表情も強張っている。なにせ、次に起こす先生のアクションによっては、このあとの展開が大きく変わってくるのだ。

 もし智也の推測が正しければ、先生が使用した【強歩】の効果は――まだ継続していることになる。


 後半戦の開幕と共に使用されたその強化魔法は、栖戸を捕らえ損ねたタイミングで効力を失ったように思えたが、先の二度目の瞬間移動が、力の継続を裏付けしていた。

 そもそも本来の仕様であれば、もっと前の段階で切れていたはずなのだ。

 最初は明らかな効果の延長に疑問を感じたが、何のことはない。改造することによって効果時間を引き延ばしたと考えれば、一応は納得ができる。


 だがそう考えると、今度は一度目の【強歩】の不自然さが際立ってくる。あれは逆に、効力を失うタイミングが早すぎた。

 あの瞬間移動が持続時間を極限まで削ることによって可能とする、いわば究極の改造技――という線も考えられたが、それでは二度目を使用してから瞬間移動を行うまでの時間が空きすぎている。

 つまり先生が改造した内容は、単に効果時間の延長のみだということが推察できる。

 そして、一度目の【強歩】こそが、この授業に仕掛けられた最大の罠だったわけである。


 同じ強化魔法による効果時間の違い。その点を鑑みることによって、一つの可能性が浮かび上がってくる。


「結論から言うと、先生の【強歩】はまだ継続中だ」


「どういうこと? ちゃんと説明しなさい」


「まず、二度に渡って使用した強化魔法について――」


 と、智也が読み解いた謎について三人に共有しようとしたところで、闘技場に鳴り響いた地響きのような音によって、その声が掻き消された。


「Espoir13【隔壁/円筒えんとう】」


 忽然と、複数の壁が柱のように何本も立ち上がる。

 先手を打たれまいと、藤間が行動を起こしたのだろう。

 智也たちも悠長に喋っていられるほど、安全というわけではない。


「むしろここじゃ危険か……」


「どうするん? 智也くん」


「話は歩きながらでもできる。とりあえず、ゆっくり左へ移動しよう」


 説明の途中だったせいか水世は不服そうな顔をしていたが、このままでは藤間の巻き添えになる可能性が極めて高い。


 現状、女子三人を援護していたときからほとんど動いておらず、中央から北寄り――つまり智也たちの正面に藤間の横顔があり、壁を挟んで先生と睨み合っている状態だ。

 位置的に智也たちは壁際に追いやられており、逃げ道も限定されていてかなり危険である。かと言って下手に動こうものなら、逆に先生の気を引いて狙われるリスクがあった。


「つまり、チェックメイト寸前ということになる」


「なに呑気なこと言ってんのよ! それに、一体これになんの意味があるわけ?」


 そう不満を垂れながらも、なんだかんだ水世は智也たちに合わせて、少しずつ、少しずつ亀が歩くような速度で足を動かしている。


「いまは藤間を狙ってるだろうと思うけど、ああ見えて先生は、ちゃんと俺たちの動きにも意識を割いているはずだ」


「先生には奇襲とか効かへんもんね」


「それを逆手にとって、目の錯覚を起こす」


 そんなことができるのか、というような視線が三つほど刺さり、智也は顔を先生に向けたまま説明を行った。正直言えば、自分でもできるかどうかわからない一か八かの策ではあったのだが、


「どんな些細な動きでも、あの眼はきっと見逃さない。それを利用して、あえて細かい動きを見せつけることで、先生の脳にその動作を印象付けさせるんだ」


「目じゃなくて脳なん?」


「俺たちの脳は、結構適当だったりするんだよ。先生から見て、いま少しずつ右に動いていると認識されているはずだ。そうして先生の意識が外れた一瞬の隙に、今度は逆方向へ【強歩】で走る」


「そうすると?」


「そうすると、目に焼き付いた光景を脳が誤認し、あたかもまだそこにいるという残像を見せることが可能……なはず」


 言わば、相手の良すぎる動体視力と思い込みを利用した、疑似的な囮作戦である。

 語尾に「自信はないけど」と付け加えたのを聞いていなかったのか、まだ成功すらしていないのに、紫月が青瞳を輝かせて見つめてくる。


「まぁでも一つ懸念点があって、【強歩】を使うとうまく止まれな……」


 そのとき、黒瞳から灰の眼の男の姿が消えた。

 もしかしたら藤間そっちのけでこっちに来る可能性もあったのでかなり肝を冷やしたが、それ以上に信じ難い光景を目の当たりにして脳の処理が追い付かない。


 無数に立てられた壁が藤間と先生の間を隔てており、あれではお得意の瞬間移動も使えないと思われた。

 だが、再び姿を現した先生が右に、いや左に、正面、左、右へと瞬時に移ろう。


「なによ、あれ」


「なにがどうなっとるん……?」


 女子二人が驚愕の表情を浮かべ、智也は絶句する。雪宮の反応は伺えないが、声に出さずとも驚いている空気は伝わってくる。

 その常人離れした動きを横から見てこれだ。真正面に構える藤間の目に、果たしてそれがどう映ったか。


「火弾……火弾、火弾!!」


 瞬間移動を防ぐために打った手が、逆に裏目に出て視界を遮っている。

 闇雲に魔法を撃ち込んでも、壁や残像を射貫くばかりで本体に当たらない。


「ちっ、クソが」


 苦し紛れに悪口を浴びせ、距離を取ろうと後ろに飛ぶ藤間。その背後に現れた先生の姿に、全員が目を剥いた。


 ――背後から伸びる手を、咄嗟に屈んでやり過ごす。


 頭上の風を切る音に、藤間の額に汗が滲む。


「っぶねぇ!」


 言いながら、左足を軸に体を回し、反撃に繰り出された後ろ蹴りが先生の腹部にヒットする。


「ぐ……」


「ハッ、ざまぁみやがれ!」


 相当効いたのか、珍しく先生が苦痛に顔を歪めた。

 だが、当てるのは魔法でなければ勝利条件としてみなされない。


 再度、伸びてくる右手に藤間は顔を仰け反らせ、迫る左手を躱し、間髪入れずに飛んでくる手刀を避けながら、額の汗が滴り落ちる。

 先ほど浮かべていた意地の悪い笑みはとうに引っ込んでおり、硬い表情にはまるで余裕がない。

 それほどまでに、圧のある攻撃ということか。


「どうした、もうへばってきたか?」


「る、っせぇ!」


 威勢だけはいいが、連続して撃ち込まれる手刀を躱すので手一杯だ。

 だから藤間は、先生が攻撃を仕掛けつつ左へ回り込もうとしていることに、おそらく気付いていない。


 ――側頭部、顎、首、鎖骨と、上半身を狙っていた攻撃が急に止んで、内腿を狙った下段回し蹴りが炸裂する。


 あれだけの猛攻を仕掛けるなかで、不意に等しい一撃だ。普通なら意表を突かれて反応出来ないところだったが、藤間は一味違った。

 黄土色の瞳をギラつかせ、灰の眼に引けを取らない動体視力を発揮する。


「ほう、避けたか」


 咄嗟に後ろへ飛んで回避してみせた藤間に、先生が口の端を吊り上げた。

 激しい攻防をまざまざと見せつけられた智也は、悔しいけど藤間のことを評価せずにはいられない。


「だが……隙だらけだ」


 と、そう言葉を残した先生がまた消える。

 誰の目にも追えぬ速度で駆けて――いや、駆けているのかどうかすら、若輩には理解できない。

 座標から座標へ異次元の速さで移動する様は、まさしく瞬間移動。


 その姿は、肩で息をしていた藤間が一呼吸終える間に急接近しており、残像を残しながら肩に触れると、さらにその先――北部にいた智也たちの元へと一瞬で距離を詰めていた。

 人数は四人だが、先ずは一手で智也と雪宮が落とされ、次の一手で残る二人を捕らえようとして、両手で触れたはずの二人の残像が消える。


「いない……!?」


 そう、智也たちは既に移動していたのだ。

 思い込みをうまく利用した作戦。それにまんまと引っ掛かった先生が、灰の眼を見開いて驚いている。


「なんとかうまくいった……のか?」


 藤間の蹴りを受けて怯んだとき、ほんの僅かな間だけ智也たちは先生の意識から外れていた。

 そのタイミングを見極め、ほぼ反射的に智也が合図を送り、四人で一斉に西ゲートのほうへと飛んだのだ。

 あとは機転を利かせてくれた水世が特大の水泡を具現化させ、それをクッション代わりに難を逃れた。


「すごいよ智也くん! 先生から一本取れるなんて!」


「まさかあの眼を欺けるなんて……さすがね」


 智也自身、こうも綺麗に決まるとは思っていなかったので、いまは喜びより驚きの方が大きい。

 そして意外だったのが感情を高ぶらせる紫月の隣で、同じく感嘆の声を漏らした水世の発言だ。

 たまたま成功したとはいえ、普段は毒しか吐かない口からそういった賛辞を受けると、ギャップのせいかより心に響くものがある。


「いやでも、魔法を当てたわけじゃないし、残り時間もまだある。今ので一本取ったとは言えないだろう」


「そんでも、いまので三回目やろ? じゃあ先生はもう魔法使えへんのとちゃうん?」


 紫月の問いを受けながら、智也は立ち尽くしたままの先生の後ろ姿を見つめる。

 追ってこないのは、ようやく二回目の強化魔法の効力が切れたからだろうか。

 その傍らで、これまで先生が魔法を使用したと思われる場面を指折り数える紫月に、智也はその首を縦に振らない。


「アンタなに隠してるのよ。それに、さっきの話の続きをまだ聞いてないんだけど」


「別に隠そうとはしてないけど……」


 智也の腹を探る――というよりは、腹の中を抉じ開けて覗き込もうとする水世に苦笑を浮かべつつ、さっき至った結論を改めて三人に話す。


「おそらく……いや間違いなく、先生はあともう一回魔法が使える」


「え?」


 確かな確証を得た上での断定するような物言いに、紫月は困惑して言葉を失い、水世が薄水色の瞳を細めた。そして、雪宮は相変わらずの様子である。


「たしかに先生は三回……」


「その結論に至った理由と、その根拠を教えなさい」


「まずその前に、もう一度【強歩】が来る可能性が高いから警戒だけはしておいてほしい」


 紫月が首を斜めに、水世と雪宮が顎を引いたのを見て、智也は一から説明を始めることに。


「――不可解な謎を解くための鍵は、二度に渡って使用された強化魔法にある」


「久世くんたちを捕まえたときと、東道さんたちのときやんな……?」


「あぁ。一度目の【強歩】は、水世の仲間を縛魔法で捕まえたすぐあとに使用していたよな。……別に非難しているわけじゃないぞ」


「分かってるわよ」


 妙に鋭い眼差しが向けられるので、反感を買っているのではないかと智也は危惧したのだが。ともあれ、


「じゃあ二度目はいつ使ったと思う?」


「えーっと、せやからさっき東道さんたちを捕まえたときじゃないん?」


「休憩明けてすぐよ。でなきゃ、岩壁を蹴破れるわけないじゃない」


「あーそうやよね……あれ? でもそれやと三十秒なんかとっくに過ぎとるんじゃ……」


「おおかた、改造で効果時間を伸ばしたんでしょうね」


 智也の問いに二人が議論して、諭された紫月が件の違和感に気が付いた。それから、続く水世の言葉に「あれんじ……?」と困ったような顔を浮かべているが、それに関しての詳しい説明は後回しだ。


「改造ってのは、水世もよく使ってる魔法の性能を変えるやつだよ」


「あ~そういえば」


「でだ、問題なのは――」


「最初の強化魔法が、いつ使われていたのか。ってとこね」


「察しがいいな」


「そこまで言われたらもう分かるわよ」


 理解力の高さに智也が喉を唸らせると、馬鹿にするなと言いたげな表情で水世が睨んできた。

 別にこっちは素直に感心していただけなのだが、と心の中で不満を呟きつつ、まるで話についてこれていない紫月と、無言のままの雪宮を交互に見る。


「――いまから俺は、三回しか魔法を使わない。あのとき先生はそう言ったはずだ」


「うん」


 まだ理解していない紫月は次の言葉を静かに待っており、既に察しがついていた水世は、何かに落胆するように嘆息する。そしてずっと黙っていた雪宮が、ようやく口を開いた。


「ぁ……とき、既に魔法を使用していた……」


「え、どういうこと!?」


「つまりあれは、先生の仕掛けた意地悪な罠だったんだ」


 相変わらず声が聞き取りにくいが、なんとなく雪宮も答えに辿りついたのだと察することができた。

 それから智也は、ますます混乱が深まっている紫月に落ち着くよう手で制して、分かりやすいように紐解いていった。


「――三度しか魔法を使わずに全員を捕まえる。そう言ってのけた発言のインパクトに隠れた、言葉の魔法を俺たちは見落としていた。いざ地獄鬼が始まれば、嫌でも魔法の使用回数を数えてしまう。一回、二回、三回ってな」


「うん……」


「その一回目が授業の始まる前――この闘技場に来る前から使用されていたとしたら?」


「そっか! やからあのとき先生は――」


 あのとき先生が藤間や東道を追わずに立ち止まったのは、ちょうど前もってかけていた強化魔法が切れたタイミングだったから。おそらくそう言いたかったであろう紫月の前に、水世が一歩出た。

 先生が、こちらに振り返ったからだ。


「……来る」


 極限まで警戒を強める四人に対し、先生はゆっくり右手を挙げると、


「おーいお前らもういいぞー、お手上げだー」


「……は?」


 それは、思わず茫然自失になってしまうような気の抜けた声と、頭の中でいくら反芻しても理解できない言葉であった。


「ったくなんなのよ、無駄に警戒したじゃない!」


「いや、そんなまさか……」


 先の説明通り、先生はまだ最後の切り札を使っていないはずである。それが智也の勝手な思い込みや誤謬でないということは、周りの三人が理解してくれている。

 なにより智也は、自分の推断が無謬であったと自信を持ってそう言えるのだ。


 ならばどうして先生は諦めたのか。時間や体力もまだあったはずなのに。

 仮にも教える立場であるあの人が、生徒の前で易々と諦める姿勢を見せるなんてあり得ない。

 そう智也は思っていたのに――、


「全員、東ゲートに集合しろー」


「えー! なんで向こうなんスかー?」


「まぁまぁ、おれたちは疲れてないし歩こうよ」


 集合の合図を聞いて、近くの西ゲートから不満の声が聞こえた。七霧のものだ。


「そうだ、不自然すぎる」


「アンタが仕掛けを見破ったと知って降参したんでしょ? 他に何があるのよ」


 たしかにその通りではあるのだが、わざわざ東ゲートに呼ぶ必要性が智也には分からなかった。

 どちらかと言えば、観戦者は西側のほうに多く集まっている。それで中央に呼ぶならまだしも、なぜ反対側まで歩かせるのか、と。

 智也がそう考えている間に、三人が歩いて行ってしまう。慌ててその背中を追いかけるが、違和感は拭えない。


「てか、先生ネクタイ捨てたままじゃん。はい、栖戸っち」


「なぜにわたし……?」


 西ゲートの脇に捨ててあったそれを拾い上げる東道。

 そのなんてことない会話に、智也は眉を寄せた。


 あのネクタイは、地獄鬼を始める前に先生が脱ぎ捨てたものだ。

 そこから今に至るまでのできごとが自然とフラッシュバックして、その中で一つ不可解なことがあったと、いまさら気が付いた。


 ――西ゲート。


 西ゲートと言えば、水世が先生の足止めを担ってくれた際に、智也たちが座談していた場所だ。

 そこで水世の期待以上の奮闘があり、一同は休む時間をもらうことができた。

 そう、わざわざ休む時間をもらったのだ。


「それがおかしいんだよ、なんで先生はそんな時間を設けたんだ?」


 独り言ちながら足を止めた智也に、三人が振り返る。


 話すための時間が欲しかった智也たちはともかく、鬼役である先生はいつでもその足を休ませることができたはず。それなのに、わざわざ休息のためだけに十五分もの時間を要したのは一体なんの意味が。

 ――あのとき先生は、東ゲートで何をしていたのか。







 脳に、電流が走った。







「雪宮!!」


 叫んだ直後、地面が真っ赤に燃え盛る。

 足元から噴き上がった炎が牢を象り、闘技場内を全て囲んでいて逃げ場がない。


「ゆ、雪宮くん……」


「まさか【炎獄】? それもこんな広範囲に……いや、それよりも」


 狭い足場から落っこちそうになりながら眼下に広がる炎を見つめる智也たちは、牢に閉じ込められる前に間一髪、上へと逃れていた。

 そう、雪宮の立てた壁を足場として。


「――一つ頼みたいことがある」


 地獄鬼を始める前の作戦会議にて、智也が最後にそう言ったのは、チーム戦の際に見た藤間の『改造魔法』と似たものを雪宮に用意できないかという頼みだった。


 二人に話していたように、先生がこの魔法を使ってくる確信が智也にはあった。だからルール説明を聞いた段階で、ずっとその対策を練っていたのだ。

 目にしたのは二日前の一度だけ。しかも中級という智也には未知の領域だ。正直かなり頭を悩ませたが、どうにかこうにか穴を見つけられたのである。


「悪い、雪宮。何度も助けられて」


「……聞いてなかったら、僕も捕まってた」


 壁を立てるくらいなら智也にもできたが、牢に閉じ込められる前に逃げるには、かなりシビアなタイミングが要求された。仮に反応出来たとして、智也では魔力を練っている間にゲームオーバーである。

 だから雪宮には「いつでも壁を立てられるように」と頼んでおいたのだ。


「まさか、こうなることまで読んでたわけ?」


「さすがに未来でも見えない限りそれは無理だ。ただ、こうなったときに備えて対策は考えてあった」


 水世の値踏みするような視線に首を振る智也。同じことができず、仲間二人を失った水世には嫌味に聞こえてしまっただろうか。

 そんな心配を抱いて内心びくびくしていたところ、突然足元が揺れだした。


「きゃあっ! なんなん!?」


「足場が燃えてる……」


 反射的に下を向けば、牢との接触部が燃焼しているのが視界に入った。

 縛魔法の一種である【炎獄】の特徴は、中に捕らえた者を逃がさぬよう炎が内と外とを遮断していることだ。

 つまり内から外へ、或いはその逆でも、境界線を越えようとするもの全てを焼き尽くす魔法なのである。


 さすが中級魔法と言うべきか、難燃性であるはずの岩壁が猛炎によって溶かされている様を見ると、その火力が生易しいものではないと嫌でも分かる。

 そして、凄まじい火力によって焼き尽くされた壁が、接触部からポキッと折れて、智也たちは猛炎の中へと真っ逆さま。


 一瞬の浮遊感の後、四人の体が灼熱に焼かれるすんでのところで炎の牢が跡形もなく消え去った。

 先生が魔法を解除してくれたのだろう。しかし、その次に眼下に見えてくるのは、十メートル以上離れた先にある地面である。


「こんなはずじゃ……!」


「Reve――くっ、この高さじゃ……」


「……!」


「きゃああああ!」


 四人それぞれが、絶望の表情を浮かべながら落ちてゆく。せっかくここまでうまくいったというのに、これでは全てが台無しだ。

 炎の牢はまだ『魔法服』の恩恵でどうにかなったかもしれないが、落下の衝撃は大怪我を免れないうえ、打ち所が悪ければ命が終わる可能性すらある。それこそ、決まりが悪いで済むレベルの話ではない。


 自分のせいで三人を危険な目に合わせてしまった。そんな後悔に苛まれながら、この世界に来て早くも訪れた二度目の生命の危機に、ついに智也は走馬灯のようなものを見た。


 本来、こういうときは記憶の中の思い出を浮かべるものなのだろうが、智也の頭に浮かんだのは、覇気のない顔に笑みを張り付けた、黒髪の男の顔であった。


「Espoir41【白糸しらいと】」


 走馬灯というものは声まで聞こえてくるのかと、そんな馬鹿げたことを考えて――地面に打ち付けられるはずだった体が、柔らかい何かに掬われる。


 それは、人ひとり受け止められるほどの大きさと伸縮性を持ち合わせた、クモの網のようなものだった。

 網目状に組み合わさった糸が智也を受け止めて、今にも破れそうなほど伸びていく。


 伸びて、伸びて、伸び切って――、


 智也の体は地面にぶつかる直前で、ギリギリ停止した。


「助かっ……た?」


 緊張の糸が切れると共に、支えになっていた糸が引きちぎれて霧散していく。

 それを見つめながら安堵の息をついて、智也はすぐに周りを確認した。

 横には同じように寝ている雪宮がいて、前には紫月と水世が目を丸くして顔を見合わせている。全員、なんとか無事のようだ。


「やれやれ、世話のかかる生徒だな」


「……ぁ、すみません……みんなを危険な目に……」


 のそのそと歩いてきた先生は笑っていたが、己の不甲斐なさから智也は目を合わせられない。

 そんな智也の前にしゃがみ込むと、先生は灰の眼を糸のように細め、智也の頭を優しく撫でた。


「俺が仕掛けた罠を全部見抜いたのは、お前が初めてだよ。よくやった、俺の惨敗だ」


「っ、でも、自分のせいで迷惑をかけて……」


「別に迷惑はかけていいんだよ。失敗したってかまやしない。俺の眼の届く距離なら……いつだってお前らを守ってやる。そのために俺はここにいるんだからな」


「ありがとう、ございます……」


 そう言って立ち上がった先生は、口の端を吊り上げて笑ってみせた。


「う、うう……降魔先生~! もうダメかとおもいまじだ~!」


「おーよしよし、もう大丈夫だからな」


 相当怖かったのだろう。横っ腹に飛び付いた紫月の頭を、先生が撫でている。


「別にアンタのせいじゃないわよ」


 泣きじゃくっている紫月の様子に罪悪感が込み上がってきたが、智也の心情を読み取った水世が、心なしか優しい言葉をかけてくれた。

 そのおかげで少しだけ心が軽くなったような気がして、智也は小さく「ありがとう」と礼を返し、ほどなくして、泣き止んだ紫月が恥ずかしそうに先生から離れていた。


 ぞろぞろと集まってきた他の生徒を確認して、先生が一度咳払いを挟む。


「あー、地獄鬼はこれにて終了だ。各々、自分の反省点についてよく考えておくように。またいつかリベンジさせてもらうとき……お前らの成長が楽しみだよ」


「えぇ、またやるの……?」


「今度は捕まらないっス!」


「次は同じチームだといいね~」


「そうだね、次は勝つ!」


 そうして、十人十色ならぬ十五人十五色の反応を残し、長かった授業は幕を閉じたのだった。



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