第二十八話 「非、日常的な日常」
「それにしても、黒霧さんの作戦凄かったっスね!」
「最後惜しかったよね~、あれは実質勝ちみたいなもんじゃない?」
「そう言ってもらえると救われるよ」
学園からの帰り道、やけに興奮気味で語る二人に、智也は苦笑を浮かべた。
確かに清涼が気付かなければ、或いは久世から有効打を取れていたかもしれない。そうなっていたらここまで悔しい思いはしなかっただろうし、多少は自信もついたかもしれない。
だが、タラレバを語ったところで負けは負けである。清涼の気配りを称賛しつつ、自分の力不足を嘆くまでだ。
「けど今はそれでいいんだ」
明日からは、先生との特別授業が始まる。
今は周りに遅れを取っていたとしても、そこで挽回すればいい。
あんなに醜態を晒してまで懇願したのだから、むしろ智也が先を越して、皆に卑怯だと思われるくらいになってやろうという気概である。
そんな風に独り言ちて意気込む智也に、二人は不思議そうに首を傾げていたが、急に顔を見合わせて笑いだした。
「……なんかあったのか?」
「いや? なんもないよね?」
「いい顔してたっス」
智也には全く理解できなかったが、二人に悪意がないことは分かりきっているのであまり気にしないことに。
それよりも、こうして気の合う友人と時間を共有するのが久しぶりで、楽しくて、今はその幸せを密かに堪能していた。
「降魔先生ってさー、いい先生だよね。なんかおれ勘違いしてたよ」
「ただのやる気のない人だと思ってたっス?」
「そうそう」
酷い言われようだが、実際智也も第一印象はそんな感じだった。だが教示を受けるなかで、その印象も随分と変わってきている。
「あの先生で良かったよ」
「そうだよね! なんかあの先生の言葉には、説得力があるんだよね~」
半ば独り言のようなものに、国枝がそう相槌を打つ。
その言葉を聞きながら、智也は保健室での会話を思い出した。
元はこの学園の生徒だったという彼も、当時は智也と同じ悩みを抱いていたらしい。
それが今では教鞭を執るようになっているのだから、聞いたときは目から鱗が落ちた気分だった。
きっと彼の言葉に説得力が伴っているのは、そうした努力の賜物なのだろう。
――心配すんな、お前はきっと強くなれる。この俺が保証してやる。
希望を抱かせてくれたその言葉を思い出して、込み上げた嬉しさが口元に表れる。
些細な変化だったが、七霧にそれを気付かれてしまい、智也は咄嗟に表情を取り繕った。
「なんかあったの?」
「いや? 何でもないよ」
「それさっきのおれの真似じゃん!」
七霧の視線に気付いた国枝が目を向けてくるが、見つめられた智也は内心「バレたか」と思いながらも白を切る。
先生から貰った言葉が嬉しくてニヤけていたなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。
「段々、この長い階段にも慣れてきたな」
「まぁね~。でも朝からこれ上るのは辛くない?」
「それめっちゃ分かるっス」
なんて、他愛のない会話をしている間にお別れの時間が来たようだ。分かれ道で立ち止まる智也に、また二人が手を振ってくれる。
「あ、じゃあまた明日」
「また明日っス!」
「――あぁ、またな」
もう少しだけ話がしたかったと思った気持ちは心の中に留めておいて、智也は軽く手を上げて踵を返した。
✱✱✱✱✱✱✱
「そういや、まるっきりゲームのこと考えなくなったな」
別に頭の中から消えたわけではないが、以前ならこういう一人の時間には、常に脳を占領していたなと自己分析をする。
少し寂しさを覚えるが、ほぼ依存に近い状態だったことを考えると、世間体的には良くなったのかもしれない。
「それだけ、熱中できるものができたってことか……」
魔法という概念が存在するこの世界は智也にとって――いや、元の世界の住人であれば誰もが目新しく感じる、新鮮味に満ちた日常だ。
そんな非日常的な毎日に、智也も少しは慣れてきたのかもしれない。
「案外俺は、この世界での生活を楽しんでいるのかもしれないな」
もちろん問題は山積みだが、どちらかと言えば元の世界より、人間関係にも恵まれている。
諸々の心配さえなくなれば、智也はこの夢のような世界を満喫できるのだ。そう思えば思うほど、心の中にあった未練は薄れていった。
と、特徴的な看板が付いた民家の前で足を止める。その理由は、いつも窓際で葉巻をふかしていた強面の男が、そこに見当たらなかったからだ。
定休日なのだろうかと思いながら店の外観を眺めていると、何故か件の男が屋根の上から姿を現した。
「お、智也じゃねぇか。今帰りか」
「……何してるんすか?」
「あぁ、天日干ししてたんだよ」
そう言いながら梯子を下りてくる店主の肩には、連続旗のようなものが担がれていた。
飾っていた、というならまだ理解できたが、干していたというのはどういう意味なのか。奇異の目を向ける智也に、しかし店主は真顔で応じてくる。
「紙の天日干しなんて聞いたことも見たこともないんですけど……」
「ガハハ! さてはお前、まだ知らねぇのか」
一体何が可笑しくて笑われているのかさっぱりだ。奇行に走っているのは、むしろ店主のほうだというのに。
そんな智也の隠し切れなかった不服の表情に、店主は「ついてこい」と言うと店の中へ入っていく。その背に首を傾げながら、智也は渋々後を追った。
店の中に入ると、ロープに吊るしていた複数枚の紙が床に並べられていた。
白地に描かれた大小異なる三つの黒い同心円。先日お邪魔した際に智也が実際に撃ち込んだ、的紙のそれである。
その特徴的な模様のついた紙を、店主は干していたと話していたが、
「疑問に思わなかったか? なんで的が光るのかってよ」
「まぁ言われてみれば……何らかの方法でやってるのかなとは思いましたけど」
「コイツにはな、蓄えた光を放出する性質があるんだよ」
指を左右に振りながら舌鼓する店主に、智也はますます理解に苦しみ、眉間のシワが深くなる。
そんな智也の反応を楽しむようにほくそ笑んでから、
「ただの紙きれじゃない。ほら、『魔法紙』って言葉学校で聞かなかったか?」
「クラス対抗戦の……」
「そうだ。それに使われてるのと、まぁ似たようなもんよ」
対抗戦の勝利条件の一つに、背中に張り付けた『魔法紙』とやらに魔法を的中させることができれば、その時点で勝負を決することができるというルールがある。
それは、魔力に反応して変色するという『魔法紙』の性質を利用したもののようだが、思えば魔力属性検査の際に、既に智也はそういった特殊アイテムのようなものを目にしていたと、想起する。
「なるほど、それで天日干しですか」
「随分と奇異の目に晒されたもんだぜ」
「いやぁ……頭おかしいのかと思いました」
「あ、てめぇ言いやがったな!」
手に持っていた木製の何かを振りかぶる店主に、智也は「冗談っすよ」と言って口元を緩めた。
とはいえ、そもそも智也は軽口を叩くタイプではなかったのだが、目の前の男と話していると、どうも口走ってしまうのだ。
それでも店主は気を許し、そんな智也の戯言を受け入れてくれるので、どこかこのやり取りを楽しみにしている自分がいると、智也は知覚していた。
だからこそ、今日も店の前で足を止めたのだろうと自己分析を終えて、
「それは何してるんすか?」
「的貼りだよ。知ってるか?」
「いや……初耳ですね」
輪状になった木製の板に、先の特殊な紙を張り付けている店主。
智也にはあまり見たことのない作業で、少し目を引かれながらそう尋ねた。
「こうして的枠に糊付けて、的紙を貼るんだよ」
「なんか工作みたいっすね」
「本来は切れ目を入れて、こう……ピシッと張らなきゃなんだぜ? だが矢を射るわけでもねぇし、的紙が高いからな」
「へぇ……そういや紙なのに燃えないんすか?」
お金の話が出て、反射的に話を変えてしまった智也。
咄嗟に出た質問だっとはいえ、思い返すと謎は深い。射的の際に、店主はわざわざ火属性の魔法を指定してきたのだから。
そんな智也の疑問に、店主は自慢げに微笑んで、
「そりゃあお前、耐熱性だよ」
「まさに優れ物っすね……」
具体的にどれほどのものかは知らないが、それだけ多機能且つ高性能であれば値が張るのも頷ける。
と、無意識にお金のことを考えてしまい、不憫に思う気持ちが溢れてくる。
そんな心中を察してか、店主は重い空気を大口を開けて笑い飛ばすと、完成した新しい的を手に立ち上がった。
「できたぜ」
中心部を叩くと、ボンっという太鼓のような音が鳴って、智也の思考が切り替えさせられる。
「面白いっすね、それ」
「そうだろ。もっとしっかり貼れば、綺麗な音が鳴るぜ」
「自分も手伝えたりしますか?」
「なんだ急に。別に構わねぇけどよ」
「――別に、なんでもないっすよ」
そう言ってはぐらかしたが、少しでも何か力になりたいと、智也はそう思ったのだ。
✱✱✱✱✱✱✱
「いやー、難しいっすねこれ」
「お前不器用にも程があんだろ」
力になりたいと格好を付けた癖に、布テープ一つ碌に扱えない智也に、店主はため息混じりにそう言った。
確かに社会に出て働いた経験はなかったが、これはそれ以前の問題である。実際に働き口を探す羽目になったときのことを想像すると、先が思いやられた。
「なんか、余計な手間増やしてすいません」
「構やしねぇよ。気持ちだけは十分伝わったからな」
「お~い千ちゃ~ん、いるか~い?」
智也が自分の不器用さ加減に苦笑していると、店の扉が開いて細身の男が入ってきた。
彼は智也が前回お邪魔した際にもふらっと現れた、ここの常連客――もとい店主の友人だ。
直接その口から聞いたわけではないが、絡み方を見ていれば察しが付く。どこか、その仲睦まじさには既視感を覚えるが――、
「もしかして、清涼の親父さん?」
「んあ、なんだ兄ちゃんまた来てたのかい、って……なんで俺の名を?」
「よっ武ちゃん。愛娘のクラスメイトらしいぜ」
「なるほどね~。どうよ、俺の自慢の娘は? かわいいだろ~」
「同じこと聞くのやめてもらっていいっすか……」
仲の良さからもしかしてと思って尋ねたが、どうやら家族ぐるみで親交があったようだ。
そうして密かに理解を深めていたところ、これまた既視感を覚えるようなやり取りが始まり、二人の親バカっぷりに智也はげんなりする。
「なんだ千ちゃんもかい? 気が合うねぇ俺たち」
「ガハハハ」
「……ん?」
店主と笑い合っていた細身の男が、床に転がっていた不格好な霞的を見て、それを持ち上げた。
「智也が手伝ってくれたやつだよ。どうだ、ひでぇだろ」
「あ~、どうりでヘタクソだと思ったのよ」
「不器用ですいませんね」
糊で貼り付けた紙を布テープで巻くだけだというのに、歪んでシワの寄ってしまった出来損ない。
とはいえあまりの酷い言われように智也が不貞腐れると、店主が「ガハハ」と声を上げて笑った。
そのまま店の外に出ていこうとする智也に「どこ行くんだよ」と声が掛けられるが、
「そろそろお腹も空いたので帰ります」
「ウチで食ってってもいいんだぜ?」
「気持ちだけ受け取っておきます」
「あ、おい!」
店主の優しさに軽く会釈を返して、智也は店の外へ。
その去り際に、
「武ちゃんがいじめるから拗ねて帰っちまったよ」
「えぇ、俺かい!?」
という二人の会話が聞こえた。
店の外はいつの間にか薄暗くなっており、中央広場に灯る街灯に目を向けながら、思った以上に長居してしまったと口の中で呟く智也。
断じて、からかわれたのが癪で拗ねたわけではない。
「俺に出来ることって……ほんとに何もないんだな」
ただ、店主の為を思った気持ちは確かで、自分の力不足を嘆いていたのも事実である。
そこまで肩入れするほど恩義を感じているわけでもないが、父親譲りの正義感の強さが、智也をそうたらしめた。
すぐそこの下宿屋に向かうまでの間に、何度も頭に浮かんだ一つの気がかり。
それは今朝の授業で目の当たりにした、不可解な現象についてだ。
――本来とは異なる軌道を描いて飛んだ久世の魔法。
話によれば軌道を曲げること自体は可能らしいが、アレはどう見ても本人の意思とは反したものだった。
つまりそれは誰かが――あの場合は雪宮というクラスメイトが、意図的にその現象を引き起こしたことになる。
そして、それと似たような話を既に智也は知っていた。
その件で店主に報告すべきだったかと思案したが、まだ確証があるわけでもなかった。
「おかえりなさい」
「……ただいまっす」
「どうしたんだい? 難しい顔して」
「あぁ、いや、何でもないです」
「そう? 何かあったら気兼ねなく言ってちょうだいね」
考え事をしながら帰ってきた智也に、新井さんがそう尋ねてくる。
智也は無駄な心配をかけたと苦笑しながら、その有難い気遣いに会釈を返した。
「ご飯できてるよ。食べるかい?」
「……はい、いただきます」
そうして、いつものように新井さんが食堂へと手招きしてくれるのを待ってから、智也は足を動かせる。
寄食している手前、どうしても自分からは言い出せないのだ。それが分かってくれているからか、新井さんはいつも同じように声をかけてくれる。
改めてその温情に痛み入りながら、智也は食堂の椅子に腰掛けた。
「お待ちどおさま」
毎度ながらご丁寧にテーブルまで料理を運んできてくれる新井さんに、頭が上がらない智也。
これが身内ならばごく普通の光景ではあったが、あくまで智也は客である。――いや、客ですらないから問題なのだ。
しかし、自分で運びますと申し出ても新井さんは引き下がってくれない。だから仕方ないんだと自分に言い訳して、申し訳ない気持ちを誤魔化した。
「……いただきます」
眼前の深皿に匙を入れる。
まずはこの一品の中枢と言える、スパイスの風味が効いた粒状の肉を。
次に、その周りで花弁のごとく綺麗に盛り付けられた酸味のある野菜を。
刺激的な辛みを孕んだ肉を赤い花が中和して、味わいが一段階マイルドになる。
今度は匙を深めに入れ、肉の下に敷き詰められた白米ごと口に持っていく。
眩暈を錯覚するような強烈な刺激があったが、それが逆に癖となり、白米がもりもり進む。
肉&白米のコンビに夢中になりすぎて、口内が燃えているようだ。
その炎症を抑えるために緑のシャキシャキ野菜と赤い花を口に放り込んだがカバーできず、智也は脇にあったスープに手を出した。
なめらかな汁を啜った瞬間。甘ったるい香りが口内に広がり、即座に炎症が収まる。
まるで特効薬だと言わんばかりの活躍だが、それを意図した新井さんの塩梅に完敗だ。
気付けば懲りもせずに、また肉と白米を口に放り込んでいた。
燃えるような辛さに中毒性があり、知らずの内にその魅力に落ちていたのだ。
そうしてあっという間に空になったお皿を見やり、智也は満足感と同時に物悲しさを覚えた。
今日も一日、美味しい食事を頂けたことへの感謝の気持ちを胸に、静かに両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」




