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第二十六話 「余所者の意地」



「先生、ちょっと聞きたいことがあるんすけど」


 DチームとEチームの試合が始まる前。周りに聞こえないよう小声で話す智也に、察しのいい先生は身を寄せて耳を傾けてくれた。

 そこで智也が尋ねたのは、


「リーダーの変更って可能ですか?」


 ルール説明の際に、その件に関しての言及はされなかった。

 触れていないのであれば禁止ではないと、そう智也は判断して、問われた先生は静かに灰の眼を見開いていた。


「後から何かあると面倒くさいんで、一応確認に伺いました」


「面白い発想だな。何か策があるのか?」


「どうですかね」


「まぁそうだな……チーム戦のルールは昨日と同じだ、とだけ言っておく」


「分かりました。じゃあ……」


 新しいリーダを手振りで伝え、智也は踵を返して観戦室へ。

 その走り去る背中を見つめる先生が、小さく不敵な笑みをこぼしていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「七霧零、脱落」


 Aチームの攻撃の要であり、これまで多くの有効打を取ってきた七霧。

 目覚ましい活躍を見せてくれていた彼も、ついには脱落となってしまった。


 二人にはまた否定されるだろうが、やはり智也にとって前回の一戦は、敗北に至らなかったのが国枝のおかげで、勝利を掴めたのは七霧のおかげだと思っている。

 本当は三人の力で――と言いたいところだが、彼らに比べて智也が残した功績は余りに少ない。このままでは、本当に足を引っ張るだけで終わってしまうだろう。


 ――そんな智也が一矢報いるチャンスは、まだ潰えていなかった。 


「少しはやるようだけど相手が悪かったね。次の機会があれば、また勤しむといい」


 床に倒れたままの七霧を見下ろし、偉そうに訓示を垂れる久世。

 彼は気付いていない。この試合が――まだ終わっていないことを。


「Reve16――」


 静かに唱えるのは、いつものソレとは異なった。この場は素早く的に当てることを重視したからだ。

 完全に久世が油断しきったタイミングで、発射速度に優れた風属性の魔法を用いて。


 胸を張って、「三人の力で」と言えるように。

 あの二人と、肩を並べて笑えるように。


 飛び跳ねる心臓を空いた手で押さえつけながら、雀の涙ほどしか残っていない魔力を一点に集中させる。

 体勢を整えている暇はない。何より、全身が重くて動かないのだ。

 それでも、腹ばいの状態で腕だけはしかと前に伸ばして。頭に思い描いた半月型の斬撃を、いま、具現化させる。


 ――半月切り。


 勢いよく飛び出した斬撃が、空を裂いて藍色の髪の男に迫る。


「危ない!」


 と、横から飛び出た清涼が久世を庇って切り裂かれ、目を見開く久世の背に力なく倒れ込んだ。


清涼せいりょう鈴風(すずか)、脱落」


「思ってたより痛いんだね……。やっぱ秋希ちゃんは凄いや……」


 久世に抱え込まれながら、清涼がそう苦笑いを浮かべた。

 外傷はなくとも切り裂かれた痛みや衝撃までは消えない。

 それを二度も体感した千林。それも一度目はトラウマになってもおかしくないような仕打ちだったのだから、なおのことだ。


「まさか、リーダーを変えていたとはね」


「……」


 瞠目していた久世の表情も、それまでと一変した物の言い方も、今の智也には窺い知れない。

 さっきまでと打って変わり、静寂に包まれた訓練室で静かに久世が瞑目する。


「試合続行不可能。よって……Dチームの勝利とする」


 微かに聞こえたその声に、「自分はまだ倒れていないのに」なんて考えながら、気付けば智也の視界は真っ黒になっていた。



 ✱✱✱✱✱✱✱



「また無茶をさせたんじゃないですか?」


 咎めるような口調でありながら、声色は柔らかい。

 不思議と心地よさを覚えるようなその声が耳を伝い、智也の意識が覚醒する。


「今回はちげーよ、魔力使いきって倒れただけだ。俺たちも最初はそうだったろ」


 うっすらと開いた視界に映る栗色の髪。やはり、この声は例の女の先生のものだ。

 となると話し相手は誰だろうか。こちらは聞き慣れた声のようだが、いつもとは違う風にも感じられる。

 誰と喋っているのか。そもそも自分はどこにいるのか。それを確認する為に智也は身を起こそうとして、


「あ、目が覚めたようですよ。降魔先生」


「そのわざとらしい言い方やめろ。第一、お前も同じ立場だろうが」


「私はあくまで医療スタッフですから。降魔先生みたいに、生徒を指導することはできません」


 どうやら後ろで体を支えてくれているのは智也の担任のようで、寝起きでぼやけていた視界が明瞭になると、正面の美人の顔が鮮明に映し出される。

 その、男の心をくすぐるような笑顔に智也が顔を強張らせていると、不意に視界に紛れ込んだ死んだ魚のような目に、別の意味で心臓が跳ねた。


「うお!?」


「よう、目ぇ覚めたか」


 反射的に頭を仰け反らせ、後頭部にぶつかった柔らかいクッションの感覚と見覚えのない天井に、智也は自分がベッドに寝転がっていることに気が付く。


「先生……自分はどうなったんですか?」


「心配するな、ただの疲労だ」


「魔力って精神エネルギーみたいなものだからね、消費しすぎると疲れちゃうんです。だから、初めのうちは智也くんみたいに倒れちゃうことがよくあるんですよ」


 二人がくれた説明に、智也は小さく「なるほど……」と声を漏らした。

 複数のベッドとその横にある間仕切りカーテン。何より白衣を着た女の先生を見れば、ここが保健室であることは容易に理解できる。

 見たところ、空きのベッドしかないようだと目を配らせていると、


「いま他の生徒は訓練室で自由時間中だ。ぼちぼち昼になっから、そしたらお前も集合してくれ」


「今日は一応安静にしておいた方がいいんじゃないですか?」


「午後からも自由時間にすっから、体調が悪ぃなら無理に動かなけりゃいい。まぁ……ここで休んでてもいいが」


 もしかすると、自分のせいで予定が狂ってしまったのではないか。と申し訳なさを感じていた智也の顔を一瞥して、先生が言葉を付け加える。


「言っとくが、今日は元から自由時間にする予定だったぞ」


「え……」


「生徒が考えてることなんざ、表情見てたら分かんだよ」


「さすが降魔先生! ひゅーひゅー」


「それはバカにしてるだろ」


 まるで心を読まれたかのような物言いに智也が驚いて、軽く鼻を鳴らした先生を女の先生が茶化している。そのやり取りを見聞きしていると、ずいぶん二人は親しげに見えた。


「あ、そうだ! 智也くんお腹すいたでしょ? 降魔先生にお昼奢ってもらうといいですよ。私は何にしようかな~」


「黒霧はともかくなんでお前まで入ってんだよ」


「いいじゃないですか~ケチ!」


 頬を膨らませて拗ねる女の先生に彼は盛大にため息を溢し、頭を乱雑に搔きながら「黒霧に感謝しろよ」と言って保健室の出入り口に向かう。そして、


「あんみつライス二つでいいな」


「え、ちょ……」


「待って恭吾くん、それはズルいよ」


「はーん。人様に奢らせといて、贅沢する気か」


「だ、だってあんなの食べ物じゃないもん!」


 また地獄を見ることになるのかと思い、智也は肝を冷やした。その間、女の先生が必死に食い下がり、どうにか危機を免れたよう。

 意地悪が過ぎると思いながら灰の眼を見つめると、「まぁ期待して待ってな」と言って保健室を出ていった。


「大丈夫ですかね」


「んー、どうかな~?」


「さすがにあんみつライスはもう勘弁してほしいっす……」


「あ、やっぱり智也くんも食べたことあるんですか?」


「はい。不本意ながらですけど」


 言いながら、脳裏に蘇った神童の幻影を小さく頭を振って追い出し、


「先生もあるんですか?」


「そうなのよ~前に恭吾く……降魔先生に騙されてね」


「もしかして先生たちって、ここの生徒だったんですか?」


「そうですよ。もう昔の話ですけどね」


 その昔の話とやらを思い出すように、先生はどこか遠い目をしている。

 とはいえ智也には、目の前の女性が昔と呼称するほど前の話を言っているようには見えなかった。

 一体どれくらいの年齢なのかと、余計な詮索をしようとした智也の顔がじっと見つめられ、


「さては良からぬことを考えていますね?」


「いやぁ……降魔先生と同級生だったのかなって……」


「正直なのはいいことです。が、乙女の年齢は秘密ですよー」


「すいません」


 苦い表情を浮かべる智也に、口に指を当てながら先生は悪戯に微笑んだ。

 それから、また智也の顔を見つめてくるので、何かあったのかと首を傾げるが、意味深げに口元に弧を描いて、


「なんだか智也くんの顔を見てると、あの頃の降魔先生を思い出します」


「え、自分ですか?」


「はい。どことなく雰囲気が似てるからかな?」


 そんなに自分は常日頃から死んだ魚のような目をしていただろうか――と一考するが、智也にはその覚えはない。


「あんまり自覚はないっすけど」


「実は降魔先生も、昔は魔力量の少なさに悩んでたのよね」


「あの人が……?」


「意外でしょ? あの頃は同じDランクだったのに」


 そう言った先生の顔は、どこか寂しそうな表情をしていた。

 にしても自分の担任が同じ悩みを抱いていたとは思いもせず、智也は驚きを隠せない。


「恭吾くんはね、すっごく努力家さんなの。それであっという間に一流の魔導士になっちゃったんだから、智也くんも頑張れば先生みたいになれるかもね」


「俺が、降魔先生みたいに……」 


 きっと簡単なことじゃなかっただろうし、血の滲むような努力をしたに違いない。

 智也がその域に至るには、更に壮絶な道のりを歩むことになるだろう。

 だがもし、その先に求めるものがあるのだとすれば――――、


「買ってきたぞー」


「あ、お帰りなさい」


「あんみつライス二つだ」


「うそ!?」


 本当に買ってくるとは思わず、目を丸くさせた二人に「冗談だよ」と言って、先生は袋の中身を見せてくれた。

 中には、個包装された数種類のパンが入っている。


「悪いな、あんパンだけまた売り切れてたわ」


「最近売れるの早くないですか?」


「どこかに熱烈なファンがいるのかもな」


「じゃあ、今日はメロンパンにしよっかな」


 口に指を当てながら宝箱を物色して、女の先生がその中の一つを取り出す。

 特有の甘い香りが保健室に漂えば、摂食中枢が働いて食欲が湧いてくる。そんな中、智也は担任の顔を無意識に見つめていた。


「いただきま~す」


「黒霧、お前はどれにする?」


「え? あ……なんでもいいです」


 メロンパンの表面の、格子模様を摘んで美味しそうに食べる女の先生を横目に見てから、訝しげに灰の眼が細められる。


「――今回の授業はどうだった?」


 と、不意に振られた話題に目を丸くさせつつ、智也は暫し返答を考えて、


「正直……周りを見ると自分の非力さが際立ちます」


 たまたま、息の合う二人とチームを組めたおかげで上手く試合運びができていた。

 人が違えば歯車は噛み合わなかっただろうし、足手まといだと邪険にされていたかもしれない。

 結局、智也が猿真似で戦えていたのは、全て国枝と七霧のおかげなのだ。


「あのとき自分は、まだ戦えたのに……」


 その弱さが浮き彫りとなった決勝戦の最後の瞬間が、今も脳裏に焼き付いて離れない。

 あと少し魔力があれば。もう少し上手く立ち回れていたならと、後悔の念が押し寄せてくる。


 思い返せば、最後に清涼が久世を庇ったのを除いて、智也は一度も有効打を取れていない。

 相手の攻撃を凌ぐだけで手一杯で、後手に回ればそれだけで魔力が枯渇してしまう。どれだけ不意を突こうが、どんな策を講じようが、地力がなくては勝負に勝てない。

 肝心な時に、智也じゃ役不足なのだ。


「ま、あんまり深く考え込むなよ。何事も……上には上がいるってもんだ」


「だからといってそれを理由に、自分に言い訳したくないんすよ」


 宥めるような口調でそう言って、ベッドの端に腰掛ける。その男の言葉に、智也は珍しく食い下がった。


 この世界で生まれ育った者と余所者とでは、当たり前だが大きな差がある。

 彼らは物心が付いたときから魔法への関心があっただろうし、中には英才教育を受けた者がいてもおかしくはない。つい二、三日前に自分にも魔法が扱えるのだと知ったばかりの智也と、対等であるはずがないのだ。

 そう理解していても、この心の靄は簡単には晴れない。つまるところ智也は、悔しくて仕方がないのである。


「じゃあお前はどうしたいんだ? 黒霧」


「皆に追い付いて、この劣等感をなくしたいです」


「確かに人は嫌でも劣等感を抱いてしまう生き物だ。俺も昔はそうだった。――だけどな、周りと比べてるだけじゃ……何も変わりゃしねぇぞ」


 いつになく真剣な顔に、智也は思わず固唾を呑んだ。

 先生の言っていることは理解できる。遺伝的な素質の違いがある以上、そこに差が生じるのは仕方のないことだ。自分は他人にはなれないし、他人もまた自分にはなれない。


 ――そんなことは痛いほど分かっている。


 この感情は、そんな理屈や理論では片付けられないのだ。


「そう簡単に劣等感は消えませんよ。同じだって言うなら、先生だって理解してるんじゃないんすか」


「あぁ、そうだな」


「じゃあなんで……!」


 同じ悩みを抱いていた先生なら、この苦しみを理解してくれるものだと思っていた。

 しかしその口から飛び出たのは冷たくそっけない一言で、期待していた分、感情の波が荒立ってしまう。

 自制しようとしても波は激しく、頭で考えるよりも先に、気付けば智也の口が動いていた。


「俺だって……俺だって好きでこうなったんじゃないんすよ。望んでここに来たわけじゃない。なりたくてZランクになったんじゃない。魔武器だって欲しかった、属性だって持ちたかった!」


 今の今まで智也の中に溜まっていた不安や鬱憤が、ついに爆発する。


「本当は藤間に馬鹿にされるのが嫌だった。水世に舐められて悔しかった。国枝や七霧や紫月みたいに、何か秀でたものが欲しかった。久世の強さや才能が羨ましかった。無力で、非力で無個性で、何の力も持たない自分がずっと嫌だった……!」


 目頭が熱くなるのを感じながら、それでも己の嘆きを止めることはできなかった。

 溢れ出る涙が頬を伝い、智也の顔面を汚していく。


 ――それは、母親にすら明かしたことのなかった智也の心の声だ。


 ずっと一人で抱えてきたその思いを、目の前の男に全てぶちまけて。

 灰の眼の男は静かに歩み寄ると、そっと智也の体を抱き寄せた。


「智也」


「っ……」


 不意の抱擁に肺が圧迫され、小さく息が漏れる。

 これ以上醜態を晒さないよう、流れる涙を塞き止めようとするが、押し寄せる感情の波に抗えない。


「己の無力を恥じるな。絶望して、停滞することを恐れろ。お前らの成長の芽は……まだまだこれから伸びる」


「うっ……ぐ……」


「負けて悔しかったんだろ? 今の自分から変わりたいんだろ? ならどうする。ここで悲観して足を止めるか? それとも――」


 あえてその先を口にしなかったのは、嗚咽を漏らす智也から、その言葉を待っていたのだろう。

 顔は見えないが、その優しい声色を感じ取って、智也は思いの丈を打ち明けた。


「先生みたいにっ……つよく、なりたいです……!」


 悔し涙で顔面を汚しながら、智也はそう懇願する。

 顔の横で小さな吐息が聞こえ、先生の口角が上がったのだと智也は理解した。


「分かった、明日から俺が鍛えてやる。その代わり朝は早いぞ」


「はい……お願いします……」


 やっぱりこの先生で良かったと、智也は心底そう感じた。わざわざ生徒一人のために、ここまで気にかけてくれる人がいただろうか。

 自分の心の内を曝け出すのが苦手な智也は、ずっとこういう存在を求めていたのだ。言わば、彼は智也の理想の教師であった。


「心配すんな、お前はきっと強くなれる。この俺が保証してやる」


 それは嬉し涙なのか悔し涙なのか、心の内を曝け出して気持ちが晴れたような、恥ずかしいような。

 自分でもよく分からない感情に飲まれながら、智也はしばらく先生の胸を借りて涙を流していた。



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