第二十一話 「格の違い」
「Reve12【水風船/雨燕】」
弾丸のごとく速さで射出された魔法に、智也は腰を抜かされた。
同じ十二番の魔法とは思えない形態はもちろん、こちらに背を向けたまま繰り出された早打ちに、仰天したからだ。
「黒霧さん!」
遠くで、七霧が声を上げている。
それを耳で拾ったときには既に弾丸が智也を撃ち抜いていた。回避など以ての外で、魔法を視認することすら叶わなかった。
腹部を押さえ、尻餅をついた智也に、しかし先生の判定の声が聞こえない。
いったい何が起こったのかと目を白黒させていると、眼前で崩壊した何かが細かな粒子となって消えゆく様が一瞬見えた。
「なんとか間に合った……」
声のした方に首を向ける。そこで、床に手を付けていた国枝が、安堵の表情と共に額の汗を拭っていた。
どうやら間一髪のところで彼の魔法が水世の強力な一撃を防いでくれたらしい。
「国枝さんナイスっス!」
「いやぁ、おれにはこれくらいしか出来ないからね」
歓呼する七霧に国枝は頬を掻いて謙遜の姿勢。どうやら彼は、自分がやってのけた技術を正しく評価できていないらしい。
まず、足元に壁を作るのと手元から離れた場所に狙って生成するのとでは、まるで難易度が異なる。魔法に触れて日の浅い智也ですら、その違いはハッキリと分かった。
そして、あの刹那の瞬間に、正確に智也の前へと割り込ませたその技量は、もっと評価されて然るべきだと智也は思った。
「二人とも頼もしいな……」
冷や汗を拭いながら、拾って貰った命を無駄にしないよう、すぐさま水世から距離を取る。
「今のを防いだくらいで調子に乗ってんじゃないわよ。ったく、これだから弱い男は」
一瞬、耳を疑った。
だが周りを確認しても他には誰もいない。今の発言は、水世の口から出たものだ。
そこでようやく智也は理解する。どうやら水世怜という人物は、その端正な顔立ちに反して相当お口の方が悪いらしいと。
「アンタも! いつまでも転がってないで、さっさと働きなさい」
叱られた紫月が、やや不服そうな表情を見せながらゆっくり立ち上がる。
突き飛ばした張本人にそう言われては、腑に落ちないのも無理はない。とはいえ水世がそうしなければ、今頃は観戦側に回っていたことだろう。
「コイツは使い物にならなそうね」
続けて水世は足元に寝転ぶ神童にも毒を吐くと、流し目でこちらを見やった。
「どうせ分かってるんでしょ? Cチームのリーダーが私だってこと。――いいわよ、雑魚相手じゃそのくらいのハンデがなきゃ面白くもないわ」
「おいおいマジか……」
確かに智也はその予定で作戦を立ててきたが、まさか敵の方から開示してくることになるとは。それだけ自分に自信があるのか、単に智也が舐められているだけなのか。
「……」
このままでは男が廃る。と言わんばかりに、七霧が熱のこもった視線を向けてくる。
智也だって、ああまで言われて腹が立たない訳ではない。どうにかして一泡吹かせてやりたいものだ。
問題は、水世の守りが予想を遥かに超えて堅いこと。それを崩さないと有効打は決められない。それに、あの弾丸のように速い水泡も厄介だ。
「なんか黒霧くん笑ってない?」
「知らなかったっスか? 作戦会議してたときもああだったっスよ」
高難度と謳われるゲームほど、クリアしてやろうと燃えるのがゲーマー魂。
突き付けられた難題をどうやって切り崩していくか。限られた手札でどう強敵と渡り合うか。そういう戦略を立てる時間が、智也は特に好きだった。
「じゃあもしかして……」
「きっとまた凄いこと考えてるに違いないっス!」
そんな風に二人から期待されているとは知らず、必死に頭を回していた智也は、どうにか打開策を導き出した。
「国枝! 七霧! プランBに移行する!」
「了解!」
「了解っス!」
なにも疑うことなく二人は智也を信頼してついてきてくれる。だから智也も、二人を信じようと心に決めた。
「Reve11【火弾】」
「Reve16【半月切り】!」
声を合わせ、国枝と七霧が水世の注意を引きつける。
相変わらず簡単に防がれてしまうが、その間に智也は紫月へと狙いを定めていた。
「Reve11――【火弾】!」
「そっちはアンタがどうにかしなさい」
「え!? そんなん急に言われても――」
二人の怒涛の攻撃が、水世の足を止めて守りに入らせる。
一方、撃ち込んだ火球に慌てふためく紫月のその反応に智也は目を光らせた。
同じ適正である以上、水世と同様の対処をされる可能性はあったが、紫月が咄嗟の判断でそれを使わないことを智也は最初の一手で確認済みだ。
「えーっと、Espoir13【隔壁】!」
読み通り、咄嗟に身を屈めた紫月は床に手をつけ岩壁を生成した。
そこで、触れる前に火球が消滅してしまうアクシデントが起きたが今回はそれでも構わない。本命は、水世と交戦していると見せかけた七霧の不意打ちにある。
「避けなさい!」
いち早くそれに気付いた水世が声を飛ばしたが、射出速度の速い風属性の魔法を前に、紫月の対処は間に合わない。――いや、先の失態から、どう対処すべきかを逡巡していたようにも思える。
だがどちらにせよ、一枚目と板挟みするように立てられた別の壁によって、横方向への移動は制限されていた。
「動けへん……!」
直後、半月型の斬撃を身に受けた紫月が、真横の壁へと倒れ込んだ。
「紫月未奈、脱落」
国枝のサポートと七霧の鋭い一撃により、まずは一人から有効打を奪う。残るは床に転がっている神童と、チームリーダーの水世だ。実質、三体一である。
しかし油断はならない。どれだけ水世を追い詰めようと、たった一発の弾丸で戦況が覆る恐れがあるからだ。
「あと一人……」
なるべく水世と距離を保ちつつ、挟撃を狙って七霧へ目配せする。それを受けた七霧は小さく首肯して、二人が行動に移すより先に水世が行動を起こした。
「Reve12【水風船/雨燕】」
どういうわけか、先ほどから本来の十二番にはない速度で水泡が射出されている。どらちかといえば量で攻めるはずのそれが、一発の弾丸へと成り代わっているのも妙だ。
その摩訶不思議な詠唱を素早く二回唱え、智也と七霧がほぼ同時に狙われた。
「――Espoir13【隔壁】!」
再度国枝が素早い対応を見せるが、さすがに一度に二人は守れない。
結果、彼が優先したのは七霧ではなく、遠くで目を見開いていた智也の方だった。
その行動に、水世が訝しげに目を細める。
「うわっ!」
自衛を任された七霧の方は、あわや直撃を受けるところだったが、その場を飛び跳ねて難を逃れていた。
「Reve11――」
七霧の無事を確認して、再びアイコンタクトを送る。
そして、すかさず言霊を唱えた智也に合わせて七霧も右手を突き出した。
「懲りないわね、何度やっても無駄よ」
馬鹿の一つ覚えみたいに同じ行動を繰り返す智也たちに、呆れたように嘆息する水世。
そうして何度目かの詠唱と共に、また水の膜がその身を覆うだろう。必然、鉄壁の守りを前に全てが虚しく散ると。
「そうはいかないっスよ」
遠くで、七霧が悪戯な笑みを浮かべたのが分かった。
その理由は今の魔法に加えた、ちょっとした工夫にある。と言っても、特段凄いことではない。
それは、午前の授業で先生が話していた魔法の『改良』だ。
一度に注ぐ魔力量を多くすればするだけ、魔法の質というのは向上する。それによって属性の相性を覆すことも可能になると、そういう話だった。
実際、風属性に不利なはずの魔法で水世が優位に立ち回っているのは、その『改良』を行っているからに違いない。
つまりこちらも同じことをすれば、本来の相性通りに戦いを有利に進められるはずなのだ。
「――【火弾】!」
「――【半月切り】!」
離れているにも関わらず、呼吸を揃えた二人が同時に魔法を具現化させる。
今度は防ぎ切れないし、仮に逃げる素振りを見せたとしても、また国枝が壁で囲む段取りだった。
――次の瞬間、戦況は目まぐるしく変化する。
期待通り水の膜を用いた水世が、既のところで七霧の小細工に勘付いたのだ。
咄嗟に守りを解除して、それで迫り来る斬撃を躱すつもりなのか。逃がすまいと国枝が身構えるが、あろうことか水世は足元に寝転んでいた男の腹を、思いっきり踏みつけた。
「おぶっ!?」
「……!?」
皆目見当もつかないその行動に、智也たちは目を剥いた。
何より、誰より衝撃を受けたのはそこで寝ていた神童だろう。訳も分からぬまま飛び起きた彼は、その後頭部で七霧の魔法を受け止めると、変な声を出して再び気を失った。
「神童隆、脱落」
先生の淡々とした声を聞きながら、水世は犠牲となった男に目もくれず、真後ろに迫っていた火球を首だけ動かして躱してみせる。
それから流し目でこちらを見やると、智也に当たりを付けて駆けだした。
「まずい……!」
動転していて反応の遅れた国枝が、慌てて水世の行く手に壁を生成する。
智也に近付けさせないための対処だったが、二枚、三枚と続けざまに立ちはだかる壁を、水世は走りながら避けていく。
そして最後の一枚が迫り上がるタイミングで身を乗り出すと、ついにはそれを飛び越え智也の元へと降り立った。
「アンタがリーダーでしょ。――終わりよ」
依然警戒心を瞳に宿したまま、水世がそう明言する。
口振りはああでも、その佇まいにはまるで隙がない。
例え智也がいきなり暴挙に出たとしても、敢えなく沈められる未来しか想像できない。
横目に見える、肩で息をしている国枝の姿。ああまでして守ってくれたというのに、その苦労も水の泡だ。
だが、このまま黙ってやられるわけにはいかなかった。例え無意味だと罵られようが、智也は最後に悪足掻きをする。
「Reve12【水風船】!」
「ふん。ここに来て水魔法? よりによって、この私相手に?」
水世の言う通り、今の今までしつこいくらい十一番を使っていたのに、智也は最後の最後に方針を変更した。それも自分より遥かに扱いの上手い、水属性の適性者相手に。
組んだ手のひらから、次々と水泡が具現化していく。
周囲に浮かぶちっぽけなそれらを一瞥して、水世は小さく嘆息した。
「これが本物よ」
翳した右手から渦を巻くように具現化した水泡が、今度こそ智也の胸を撃ち抜いた。
そのまま体育館の壁に背中から激突して、声にならない声が口から漏れる。
聞いていた通り、弾丸のような魔法で撃ち抜かれてもそれで胸に穴が開くわけではないようだ。
ただ、撃ち抜かれた際のその衝撃だけは、しかとその身に味わわされた。
「黒霧智也、脱落」
その声と、胸の痛みが、嫌でも敗北を悟らせてくる。
――敵わない。
異世界に来てまだ日が浅いとはいえ、目の前の人物との間に隔てられた見えない壁が、確かにそこにはあった。
その圧倒的な力の差を痛感して、智也は小さく握り拳を作る。
そうして壁に凭れながら立ち上がる智也を、水世が冷たい目で見つめていた。
――敵わなかった。
――ひとりでは。
そう、智也一人の力では水世に勝てなかった。だがこれはチーム。チーム戦なのだ。
「まだ試合は終わってないぞ」
言葉の意味を理解できなかったようで、水世の綺麗な顔が一瞬、凍りついたように固まる。
何度か智也の言葉を反芻するように、しばし沈黙の時間を設ければ、やがてその意味を理解するだろう。
「――アンタがリーダーじゃない!?」
察しの通り、智也は脱落判定を受けたが、試合終了の合図まではされていない。
それがどういうことか理解して、水世は咄嗟に水の膜を張って身構えた。
さすがの判断力だ。だがもう遅い。全てはこの魔法を決めるための、下準備でしかなかったのだから。
「Reve15【始電】!!」
静電気のような音を立てながら、七霧の指先から稲妻が走る。
それは先ほど智也が放った出来損ないの水泡を伝うと、水世の周囲を迸り、やがてその中心へと辿り着いて強く発光した。
「くっ……」
感電した水世が、膝から崩れ落ちる。
智也と同様に『魔法服』の恩恵で身体への影響はないものの、軽い痺れくらいは感じているはずだ。
ただそれは、有効と判断するには十分すぎる決定打だったようで、
「水世怜、脱落。よって……Aチームの勝利とする」
一瞬の静寂のあと、一部から歓声が湧き上がった。
「やったー! 勝てたっスよ!」
「すごい……すごいよ二人とも!」
子供のようにはしゃぐ七霧に肩を組まれながら、国枝はどこか感服している様子。
まるで二人の功績だと言わんばかりの態度だが、それは大きな間違いだ。あれは国枝がいたからこそ使えた作戦であり、この三人だからこそとれた戦術なのだから。
「――待ちなさい」
国枝たちと合流し、喜びを分かち合おうと思ったところで急に水世に呼び止められた。
まだ痺れが残っているのか、よろめきながら立ち上がった水世は氷のように冷たい薄水色の瞳で見据えてくる。
「どんな妙策を考えたのよ」
「なんだよ急に」
「いいから教えなさい」
何を吹っ掛けてくるのかと思えば、尋ねられたのは智也の考えた小細工についてだ。
やけに尊大な態度が癪に障ったが、鋭い眼差しに気圧された智也は、やむを得ずに口を割った。
「別に……そんな大したことじゃないけどな。そっちのリーダーを予測して、リーダー狙いとその周りからとで作戦を分けてただけだよ」
正直智也たちが勝てたのは、神童が置き物同然だったことが大きい。
もしもあれが他の生徒だったなら、同じ結果にはならなかっただろう。そう思いながら、智也は話を続けた。
「あんまり難しい作戦にすると七霧が付いてこれないから、あいつには俺が十二番を使ったときにだけ、あの電魔法を合わせてくれって頼んだんだ」
「もう一人の方は?」
「国枝には、とにかく俺を守ってほしいってお願いしてた」
「――そうすることで、あたかも自分がリーダーであるかのように見せていたわけね」
まんまとしてやられたわ。と肩を竦めるが、水世は「それで?」と追及する姿勢を崩してくれず、智也は苦笑を禁じ得ない。
「それでって……別にそれくらいだよ。あとはこっちで臨機応変にやってた……つもりではある」
実際は、国枝の護衛がなければもっと早くに落とされていただろう。何度かあった際どい場面を思い出しながら、智也は苦い顔をする。
「これで満足か? ネタの解説みたいで恥ずかしいぞ」
「まぁいいわ」
あくまで尊大な態度は変えないようだが、気が済んだのならそれでよかった。
のだが、どうにもまだ何かありそうな顔をしている。
「あくまで今回のはチーム戦。個人でやればアンタなんかそこのゴミにも負けるわよ」
「最後の最後に嫌味かよ……」
気絶したままの神童を顎で指し、放たれた余計な一言に智也は胃を刺されたような気分になる。
「一度うまくいった程度で調子に乗らないことね」
オマケにもう一刺しして、踵を返すと足早に去っていく水世。
その雪のように白い頭をじっと睨んで、智也は盛大にため息を溢した。
✱✱✱✱✱✱✱
「次の試合を始める……その前に、誰かそこの神童も連れてってくれー」
二試合目が始まる。その邪魔にならないよう、智也たちは体育館の端に寄って観戦だ。
入れ違いで久世と藤間のチームが中央に並び立ち、智也はそれを固唾を呑んで注視していた。
他に類を見ない、天賦の才に恵まれた久世。
粗暴だが、口先だけではないということを裏付けるような、そんな一面を覗かせた藤間。
その両者の間に満ちる気迫は、今から行うのがチーム戦であるということを忘れてしまうほどの圧だった。
誰も連れていこうとしない神童を、国枝と七霧の二人が運びに行き、ソレが退いたのを見計らった先生が、静かに右手を上げる。
「――第二回戦、始め!」
「【火弾】」
その右手が振り下ろされるのと同時、久世が素早く火球を具現化させた。
本来、魔法の詠唱は「Reve」か「Espoir」から始まる。
その必要な手順を省くということは、不完全な状態で具現化に試みることに他ならない。
だが先生のような熟練の魔法使いなら、その状態でも従来通りに扱える技量があるようだった。つまり、いま同じことを成し遂げている久世も、その域であるということの証左に他ならない。
「さすがだな」
その、暴力が具現化したような魔法を目の当たりにして、周囲で歓声やら感嘆の声が上がる。
それは先生の目から見ても同じようで、智也は改めて久世の凄さを痛感させられた。
――そして、驚異的なその魔力の塊が、一瞬にして場を制圧する。
「お前ら分かってんだろうな」
「は、はい!」
「……」
「「Espoir13【隔壁】」」
半ば脅すような藤間の指示に、仲間の二人は言われるがままに従った。
そうして生み出された二重の岩壁を、特大の火球が容易く粉砕。そのまま後ろの二人を飲み込むと、轟音を立てて燃え上がった。
「虎城海斗、七種麗華、脱落」
たった一合の撃ち合いで、Bチームの二人は脱落となってしまった。
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